消えたロゼ 2
時を少し遡り。
ゼルドは隣室で、拘束され床に蹲った状態の少年と、同様に拘束され胡坐をかいて座るドーキンスを見下ろしていた。
拘束された時から余裕の表情を崩さなかったドーキンスは、今は目に見えて怯え、身体をかたかたと震わせている。横の少年は憎たらしく思えるほどに冷静で、慌てる様子さえも見せなかった。
「――答えろ。ロゼを、どこに連れ去った」
鋭い眼光で問いかけたゼルドに、少年はにたりと笑いを零した。
「言う訳がないだろ。俺はこう見えて忠実なんだ。――――《俺は、喋らない》」
得意げな表情のまま、少年はそう唱えた。唱えた直後、少年の口の左右に猿轡のような紋様が浮き上がる。蛇が轡を真似たような黒い紋を見て、ゼルドは忌々しげに舌打ちを零した。
この呪は口封じの一種だ。対象となった者の口には特徴的な紋が浮かび上がり、口を利くことはおろか開くことさえもできなくなる。一時的な口封じに使われるものだが、自らにそれを掛けるということは………………拷問されたとしても、情報を喋る気はないということなのだろう。
その意地がどこまで続くか試したいが、今は時間が惜しい。ゼルドはこちらを怯えた目で見上げるドーキンスを見た。
その肉のついた四肢に食い込む縄を切り、立たせる。
解放してもらえるのかと、その丸い顔に安堵と期待が浮かんだ瞬間―――彼は壁に、強く叩きつけられた。
「っぐ、ふぅっ」
「知っていることは全てここで吐け。さもなくばへし折る」
後ろ手に拘束した腕を関節とは逆方向に曲げようとするゼルドに、ドーキンスは顔を真っ青にした。
「わ、私はただ、ヴァーグマンに頼まれて接触する機会を設けただけで、罪は侵していない!神殿に送った招待状だって、あいつの指示で――ー」
この場に及んで自己の弁解を優先しようとする男の首を、ゼルドは後ろから掴んだ。へし折られるのは首だと思ったのか、ひっと声をあげるドーキンス。ゼルドは首を掴んだまま、ドーキンスの両腕を拘束していた手を解き―――ドーキンスの背中に、ゆっくりとその大きな掌をついた。
「あ゛っ―――…あ゛あ゛あ゛っひぁ゛ぁぁあ゛ッ!!あ゛っ、あ゛っづ、あづ、あづぁ、あづいぃぃィィッ」
聞くに堪えない悲鳴と共に、僅かに焼いた肉のような匂いが部屋に充満する。ドーキンスの背中に当てられたゼルドの手の間から、ちりちりと焦げた服の破片が舞い散った。
一度手を離したゼルドに首を掴まれたまま、ドーキンスはひっひっと呼吸を繰り返した。掠れた息を必死に吐いては吸い込み、涎を荒らしながら歯を食いしばる。
一呼吸おいて、炎と同等か、もしくはそれ以上の熱を伴った掌が、またドーキンスに伸ばされた。
「ぃ゛ぁ゛ああっ、や゛ぇっ、やめ゛ッ、あ゛っが」
「貴様が神力封じの首輪を奴らに売り渡したことは調べがついている―――そこまで深い関わりがある以上、居場所を知っていてもおかしくはない」
ドーキンスの濁音混じりの悲鳴を聴きながら、ゼルドは最後に見たロゼの姿を思い出していた。
レイと共に背を向け歩き出した、小さな身体。両親が攫われ気が動転していただろうに、ロゼは少年に対し殺気を放つゼルドを諌めていた。冷静であろうと、努めていたのだろう。あの華奢な身体にすべての全ての激情を留め、表に出そうとはしなかった。
それでも、ゼルドは気付いていた。
招待状という名の脅迫文がロゼのもとに届いた時、ロゼは真っ先にゼルドの部屋に来た。ゼルドを一番に頼った。
『私の実家が、家族が――――………どうしましょう。ああ、わたし、どうしたらっ―――』
ロゼがはっきりと混乱している姿を見せたのは、あの一度だけだ。
それから彼女は隙を見せまいと気丈に振舞い、身の内に燻る怒りと焦燥――そして恐怖を、心のうちに抱え込んでしまった。
―――――なぜ彼女が………ロゼだけが、苦しめられなければならない。
ゼルドの中にある純然としたその疑問は、すぐに業火のような怒りへと変わった。
同調性が、あるから。
人よりも強い神力を持つ御使いだから。
それはロゼが悪いわけではない。同調性も、神力の強さだって、ゼルドが欲してやまない彼女を構成する、個性の一部だ。
それを、己の欲の為だけに穢そうとする忌まわしき愚かさ。到底許せるものではない。
今目の前にいるこの男のように、焼いて―――砕いて、全てを奪わねば、己のうちにあるどす黒い闇は消えてくれない。
背中を通り過ぎ徐々に首へと這っていく掌に、ドーキンスは泡を吹く寸前だった。ここまでくれば、いっそ泡を吹いて気絶した方が余程ましだっただろう。しかし気絶しそうになる度肌を焼く手は離され、僅かの休憩の後にまた苦痛を与えてくる。逃がさないというよな執拗さで、炎はドーキンスの肌を這っていった。
「しらっ、しらな゛いッ!ほんどうに知らないんだっ、ぁ゛ぐっ、私は首輪と、この会場を提供しただけでッ」
「―――ちょ、ちょっと!やめなさい!」
それまで部屋の端でヨークの監視をしていたアリアが、ゼルドに向かって叫んだ。その直後、ドーキンスが白目をむいて意識を失う。
「あなた、ロゼの事となるとおかしいのは分かっていたけど、これはやりすぎよ。死んでしまったらどうするの」
「神経の通る場所は避けて焼いている。問題はない」
「なっ――――、大ありよ!一般人に対してこんな…………神殿の掟どころか、倫理に反するわ。神殿での拷問でも、そこまでは許されていないはずよ。あなたがそんなことしてるって、ロゼが知ったらどんな顔をするか――」
ロゼ、という言葉に、ゼルドはアリアを振り返った。
――――その顔を見た瞬間、怖気に似たものが彼女の全身を通り抜ける。
それは一瞬の事だったのかもしれない。しかし瞬きもせずに鋭い眼光で射抜かれたアリアには、もっと長い時間のように感じた。
巨体から迸る殺気に中てられ、自分の言葉が彼の何かに触れてしまった事を悟る。昏く、悍ましささえ感じてしまうような―――知性のある魔物のような、金で縁取られた榛の瞳が、彼の全ての感情を物語る。
――――黙っていろと、そう言いたいのね。
有無を言わさずに他人を従えてしまうような横暴さと、残忍さ。任務でも見たことのない、通常とはかけ離れた姿。それに驚きはするものの、アリアはどこか納得してもいた。彼は常に規律に従順で、強面に似合わず真面目な性質だ。しかしその評価の全てが一人の少女の前では覆されることに、彼女は気付いていた。
――――ああ、ロゼ。あなた…………なんて男を好きになってしまったの。
ここにはいない哀れな友人を想い、アリアは憂いた。
しかし、そう嘆いてもいられない。今ここで彼を止められるのが自分だけであることはアリアにも分かっていた。他の隊員達はゼルドの纏う殺気に中てられ、顔色を悪くするばかりで口出しをする余裕はないようだった。
「ここにロゼがいなくても、彼女が知らなくても同じことよ。自分のせいであなたが人を不要に傷つけるなんて、そんなことあの子は、」
その時、バンっと勢いよく扉が開く音がした。見ると、顔色の少し悪い隊員が扉に手をかけ入り口のところに立っている。
「―――失礼します!シュワルツェ隊員の居場所が判明しました!と、隣の部屋へ移動を」
「―――、承知した。監視の交代を頼む」
ゼルドと同年代か少し年上だろうに、何故か敬語を使っている隊員。その彼の言葉を遮り、ゼルドは部屋を出てしまった。
呆気に取られていたアリアは、はっと我を取り戻し、隊員の方を振り向いた。
「ロゼの居場所が分かったって、本当ですか!?」
「あ、ああ。ここから五キロ程先にある豪族の別宅だと。途中にある森のせいで望遠鏡でも目視できなかったが、魔素の反応からしてまず間違いない。ただ、一つ問題が―――」
不安げに言葉を続ける隊員の様子にアリアが疑問を抱いた、その時。
ギャアァァアアア……―――
建物を震撼させるほどの、大きな咆哮。次いで耳に届いたのは、人々の悲鳴と逃げ惑う声だった。
「―――、魔物?!なぜここに」
「会場の方だ!ああやっぱり、測定器の誤作動ではなかったのか」
「測定器?どういうことですか」
急いで会場の方へと向かいながら問いかけるアリアに、隊員は答える。
「魔素測定器でどこに沢山の魔素が集まっているか測定した時、反応が大きい場所が二つあったんだ。一つはさっき言った別宅。もう一つがここ、ドーキンス邸宅だ。最初は何かの誤作動かと思ったが、どうやら間違いないらしい」
部屋からほど近いホールに足を踏み入れたアリアは、驚愕に目を見開いた。
シャンデリアの灯る高い天井に届きそうな程の、大きな四肢。口から火打石のように火花を散らす大きな頭。これだけをとれば、巨大な炎蜥蜴だと言えるだろう。しかしその魔物の身体には、――――明らかに、他のものが混じっていた。
赤の鱗に覆われた胴から伸びる、歪な青紫色の首。
蜥蜴にしては大きい、首と同程度の太さの尻尾。
そして時折口から這い出る、先の割れた細長い舌。
――――明らかに蛇と分かるその特徴を併せ持つ、目の前の魔物。
「まさか、そんな」
騒ぎを聞きつけ駆けつけたフランチェスカが、いつの間にかアリアの後ろに立っていた。その拳はわなわなと震えている。その震えは、驚愕と怒りによるものだ。
彼女も、アリアと同じことを考えているのだろう。実験は同調段階で失敗し、未だ成功に至っていないはずだった。
ギョアアァァァ!
残酷な現実を突きつけるように、歪な魔物が再び鳴き声を轟かせた。




