ロゼの実家
舞踏会当日。神殿から出発したロゼは、午前中から実家を訪れていた。
「かあさま、とうさま、ただいま帰りました」
「ああっ、ロゼ、ロゼ……っ!道中大丈夫だった?聞いていた予定よりも遅かったわね。何かあったんじゃないかって、気が気ではなかったのよ」
「ごめんなさい。道中、少し時間が掛かってしまって」
神殿から走らせた馬で正門を潜り抜けた瞬間に邸宅の敷地内から躍り出たのは、ロゼの母であるセーナ=シュワルツェだった。その横には、父であるアドルフの姿もある。
「セーナ、落ち着きなさい。まずはお付きの方々を家にお通ししてからだ」
馬から降りた瞬間にロゼに抱き着いたセーナとは異なり、アドルフは何時もと変わらずに冷静なようだった。アドルフの言葉に、護衛として神殿からついてきた、同じ第一隊所属のシュデル、ディノ=ラコッタ、そしてモリが馬から降りて順々に挨拶をする。
それに挨拶を返すアドルフは、一見ロゼの知る普段の厳格な父そのものであった。しかしその目の下に薄っすらとできた隈に気づき、ロゼは心を痛める。他人にも自分にも厳しいところのある父のその姿が、どれほどの心労をかけてしまったかを物語っている。
「……ロゼ。お前も、早く中に入りなさい」
「はい。……とおさま、ただいま帰りました」
もう一度帰還を告げたロゼに、アドルフはひとつ頷きを返した。
ロゼは、父であるアドルフにあまり甘やかされた思い出がない。ロゼが幼少の頃、彼はロゼに文字の読み書きの他にも、礼儀作法や簡単な計算法を教えていた。後から考えれば、ロゼに自分の後継としてシュワルツェ商社を継いでほしかったのだと分かる。特段厳しいという訳ではなかったが、ロゼの将来に関して当時セーナと何度か話し合っていたのを聞いたことがある。普段仲の良い両親がそのことに関して話す時だけ声を少し荒らげていたのを、ロゼは朧気ながら覚えていた。
そしてロゼの神力が発現した七歳の頃、その衝突は更に大きなものとなった。深夜寝ていた時、突如出現させた突風で寝台をボロボロにしながら、自分が置かれている訳の分からない状態に対して泣き叫んでいるロゼを、翌日両親は近くの神殿に連れていき神力の検査を受けさせた。検査の結果、ロゼはその身に一般人よりもかなり大きな神力を宿していることが発覚した。その数値は御使いの資質として規定されている数を上回っていた。その瞬間にロゼの未来への選択肢として、御使いの道がひとつ開かれたのだ。
神殿の戦闘職種である御使いは子供の中でも人気のある、大変名誉な職だ。大人にとっても彼らは正義の味方で、自分たちを危険から守る、頼れる存在である。だから母のセーナは検査の結果を知らされた時にとても歓喜し、その喜びようはロゼを抱き上げてくるくると回り出す程だった。
しかしアドルフは、ロゼが御使いになることを良しとしなかった。ロゼの将来について両親は当時激しく衝突し、大喧嘩になった。ロゼが知る限り、彼等の間に冷めた空気が漂っていたのは後にも先にもあの時だけだ。
普段穏やかな気性のセーナもこの時ばかりは強い言葉を口にしていた。性格が温厚なセーナは怒る時でさえも怒鳴り声をあげることなどない。しかし無表情で静かに怒る様は恐ろしく、夫のアドルフが顔を青ざめさせることさえあった。
セーナの説得もあり、最終的にはロゼの意向で御使いになることが決まった。
その当時の父の表情を、言葉を、今でもロゼは覚えている。
『 御使いなど、女がなるものではない。すぐに根をあげるだろう』
近くの神殿支部に、初めて御使いについての訓練を受けに行く時だった。新しいことを始める前の妙な高揚感で浮き足立つロゼに、父が何処か冷めた声でそう零したのだ。
訓練と言っても、当時七歳であったロゼが最初から神力を使った攻撃を覚えることはしない。幼い見習いの御使いは基本、ある程度の年月において家の近くにある神殿に通って訓練を受け、最低限の実力を認められるようになった時点で神殿本部に訓練生として招集される。その後は訓練生期間、新人隊期間を経て実力を身につけ、晴れて聖師団に入隊できるのだ。
ロゼは最初の頃は週に一度神殿に通い、そして年月が経つにつれ通う回数を増やしていった。そして時が過ぎ、十五歳になった冬に実力を認められ、ロゼは神殿本部へ居を移した。
ロゼが神殿本部へと赴く門出の日に、父であるアドルフは門出に対しての否定的な言葉を口にはしなかった。少なくない年月の間弛まぬ努力を続けてきたロゼを見て、最初は否定的な言葉を口にしていたアドルフも、次第に黙りこむようになっていたのだ。しかしそれでも、彼は最後までロゼに言祝ぎの言葉ひとつさえも与えてはくれなかった。
訓練生、新人隊を経て漸く希望の第一隊に入った時、ロゼは実家宛に決定した配属先についての手紙を送った。三日と経たずに返ってきた返事には、ロゼへのお祝いの言葉や長年の努力に対する称賛が綴られていたが、それは全て母からのものだった。父アドルフからは、身体を大事にするように、としか書かれておらず、堅苦しく感じるような父の角張った文字が、喜色の手紙の中で妙に浮いているように感じたのを覚えている。
――ロゼは父を嫌いではない。むしろ尊敬し、好いている。それは父がロゼに対して厳格な面があったとしても、自分を大事にしてくれていることを理解していたからだ。
だから余計に、ロゼは悲しかった。
幼少の頃に言われた、女がなれるはずもないという言葉は、今もロゼの胸に深く影を落としている。
アドルフは本来、このような差別的な発言をする人間ではない。彼の代で商社を大きくすることに成功したのは、彼の商才もあるが、方針として男女分け隔てなく登用したことも大きな要因だった。そんな彼がロゼに対して差別的とも捉えられる発言をしたのは、本心から侮蔑していたのではなく、ただロゼが御使いになることなど不可能だと知らしめる為に他ならなかった。
少しの間思考に耽っていたロゼは、自分の目の前のソファにシュデルが腰を下ろした音を聞き、思考を覚めさせるように一つ瞬きをした。
応接間に置かれた向かいあわせのソファに腰を落ち着けたロゼ達に、セーナが道中の労いの意を込めて紅茶を入れてくれる。
「手紙に粗方の話は書きましたが……改めて、ごめんなさい。実家を巻き込むような形になって」
「何言ってるの。これはロゼの謝ることじゃないわ。悪いのはその組織?の連中なんだから」
謝るロゼに、セーナは大げさに首を横に振る。その瞳には、娘の身を案じる気持ちとともに、組織に対する怒りが見て取れた。
「ロゼ、その組織のことについてなのだが。お前に手紙には、ノルド都市の管理者である現領主が主導したと書かれていたな」
「はい。管理者様が代替わりしてからノルドでの禁止魔薬や危険物の取引が増加したことからも、そう結論付けました」
「ふむ……それなんだがな。お前の上司の出した結論に口を出すのは失礼かもしれんが、私は主導者が管理者様だとは思わないんだ」
突然の話にロゼは驚くも、続きを促すようにアドルフを見つめる。ロゼの目の前に座っている三人の先輩方も、冷静に話を聞いているようだった。
「前に、ノルドの現領主である方にお会いしたんだがな。どうも、そんな非道な行いをやってのける者には見えなかった。優しい、というよりは…………意志が弱く、流されやすそうだという印象だな」
「成程。前にお嬢様から、実家の商社のほうでノルドと私的なつながりがあるとお聞きしました。それは、パーティーか何かでお会いしたのですか?」
アドルフに質問したのは、ロゼの真ん前に座るシュデルだ。お嬢様、と普段呼ばれることなどないロゼは少しくすぐったくて、小さく身じろいだ。
「ええ。今回の夜会のような絢爛豪華なものではありませんでしたが、商業を営む私のような者が集まる会でした。そこで管理者様と、管理補佐様と…………そして、管理補佐様の傍仕えの少年をお見かけしたのですよ。私が彼らの様子を見た限り、管理補佐様が黒幕と言われた方がしっくりするような、そんな様子でした」
「……確かに、その可能性はあります。実験施設で雇われた者と実際に交渉していたのも、私を襲ったその少年だと聞きましたし」
「恐らく少年は管理補佐の子飼いだからね。ロゼちゃんの誘拐を補助できるくらいには、荒事に慣れているんだろう」
シュデルの言葉に、ロゼは頷きを返す。自分を誘拐しようとした黒装束の男と少年は、人を誘拐したり始末したりすることに手慣れていた。少年に大きな神力が宿っているという訳ではなさそうだったが、頭の回転の速い子供のようだった。ロゼの身体を鈍器で殴った時の、彼の瞳を思い出す。感情をすべて無くしたような瞳は、濁っていて、あの薄暗い路地でも異様だと分かるくらいに陰っていた。
考え込むシュデル達やロゼの様子に、セーナが慌てて口を開く。
「申し訳ありません。夫は、舞踏会の直前という場面で混乱を招くべきではないと、確証のないことは言わないほうがいいと考えていたのですが……私が、分かっていることは出来るだけ伝えた方がいいだろうと強く進言したのです」
どうやらセーナは、自分たちがもたらした不確かな情報で、神殿の統率を乱してしまうのではないかと考えたようだ。娘であるロゼとそう年の変わらないシュデル達に対して、頭を下げた。
「いいえ、大変有力な情報です。急ぎ我らの上官にお伝えします」
「シュデル、ぼ、僕が行くよ。君とモリ先輩は残ってて」
名乗りを上げたディノは、アドルフとセーナに一つ断りを入れて部屋を出ていった。
「さあ!舞踏会の準備を始めましょうか。事情は事情だけど、ロゼも着飾るのを楽しまないと。久々の社交でしょう?」
場の空気を換えるようにして、セーナが明るい声を出す。控えていた女中に声を掛けていそいそと準備を始まる様子に、ロゼは安心から顔を綻ばせた。
「そういえば……久々だから、礼儀作法は大丈夫かしら。今回は舞踏会だから、踊る機会もあるでしょうし……」
「ああ、それは安心してください、かあさま。ロードさんにチェックしてもらいましたから」
セーナと同じことを心配に思ったロゼは、聖師長の孫として社交界に参加することもあるゼルドに、事前に確認してもらっていた。あの話し合いの後だからどうにも気恥ずかしかったが、ゼルドは平然としていた。それがどうにも気に食わなかったが、いつものように触れてこようとしないのを見るに、恐らくロゼに手を出すまいとしてくれているのだろう。彼がロゼに言った「すべてことが片付いたら」というのは、どうやら彼自身に課した制約だったらしい。
そんなことを緩み切った顔で考えていたからだろう。ロゼを見ていたアドルフが、あからさまに顔をしかめた。




