もうなんなんですかこの人
訓練の翌日、ロゼは全身の軋むような痛さに顔を顰めながら身を起こし、一つ大きな欠伸をした。自然と閉じてしまう目を擦りながら歯を磨き、身だしなみを整え始める。
結局昨日の夜はアリアと遅くまで話し込んでしまい、自分の部屋に戻り床についたのは日付が変わる直前だった。神力についての書籍には、一般的な知識や訓練生過程で教えられた知識のほかにも、人間が神力を持つに至った経緯の学術的な見解や神力の属性の派生など、様々な事が綴られていた。しかしロゼが知りたかった神力の同調性についての記述は殆ど存在せず、肝心の部分に関しては「同調性の高い御使いは稀である」と、端に付け加えるようにして書かれていただけだった。
そもそも神力の同調性というのは、ただ共闘するだけならば必要のないものだ。属性の異なる者、同じ者どちらの場合でも共闘における「相性」というのは存在する。だがそれは本人たちが出す技自体の相性や性格、行動パターンの相性などであって神力の性質に関わる相性ではないのである。それ故に訓練や討伐で神力自体の同調性が問われることはなく、念頭に置かれることもない。
ロゼは服に袖を通しながら、新人隊の時にハンスと共闘をして失敗した時のこと、そしてゼルドと訓練していた時のことを思い出していた。
ハンスの時に限らず、新人隊員や訓練生であったときに行った共闘では技の威力が倍増するような異常なことは起きなかった。しかしゼルドと訓練した時、ロゼは確かに自分の力が大きくなるのを感じたのだ。
―――いや、あれが同調であったのなら大きくなったのは私の力ではなく、ロードさんの力……かな、多分。
それが分からない程にあの時は同調が強かったということだろう。
普段の共闘と異なっていた部分と言えば、ゼルドに示唆されて神力の流れを意識したこと、目を使っていなかったこと、そして触れていたこと、だろうか。これは偶然の一致で起きたことなのか、それともゼルドが知っていたことなのか。
そこまで考えて、ロゼはふとその時のゼルドの様子を思いだしていた。
同調性が高いとロゼに言った時、彼は特に動じた様子もなかった。……まあ、ゼルドが動じるところなど想像しようとしてもできないのだが、兎に角その時には驚いた様子もなくただ稀な性質であるとだけ教えてくれたのだ。
―――そういえば、同調には触れた方が効率的、とも言っていました。もしかしたら、同調について詳しいことを知っているのかもしれません。
最初から調べずに聞けばよかったと、少しの脱力感を感じてしまう。だがまあ、そのおかげでアリアとの距離も縮まったように感じるし、そう悪いことばかりではないだろう。
ロゼはそう思いなおし、部屋に備え付けられた鏡に目を向けた。
そこにいるのは、黒を基調とした隊服に身を包む、短い髪をしっぽのように結わえた少女。
その表情は明るく、背筋はしゃんと伸びている。
今着ている黒い隊服は式典用の白い隊服とは異なる実用性重視のもので、隊員それぞれにあったかたちに変えることができるが、基調とするデザインや色は変えることは出来ないと入隊当時に説明があった。入隊してから一二週間ほど、まだこの隊服に慣れていないロゼには早い話ではあるが、いつかこの隊での任務を上手くこなせるようになったとき自分専用にカスタマイズしてみたいと、そうロゼは思っていた。
軽い朝食を取って片づけを済ませ、机の横に立てかけてある弓を肩に携えて部屋を出る。
ロビーの窓から見える空は霞がかかり、それでいて雲一つなく透明感に溢れている。木立から漏れる朝の麗らかな日差しが、春の訪れを告げていた。
「私の担当…………ですか?」
「ああ。お前の稀な性質を鑑みて、俺が訓練で担当としてつくようにと隊長から命があった」
なんと。聞こうとしていたことがこのようなかたちで解決しようとは。
訓練が始まって早々、ロゼは目をぱちくりとさせてゼルドの言葉を聞いていた。
「でも………ロードさんには私の弓の訓練も実質的に担当してもらっています。今以上に負担になってしまうのでは」
「問題ない」
「でもあの、私リデナス隊長に同調について相談していません。一度自分で相談してから」
「問題ない」
「…………………」
目の前に立つゼルドは、ロゼと同じように黒を基調とした訓練服をまとっている。しかしその仕様はロゼとは異なり、今はその隊服の上、右肩に黒いプロテクターをしており、それを右胸と腕に至るまで布とベルトで動きやすいように固定している。まあつまり何が言いたいかというと、ロゼ的にはいつもの倍以上にかっこいいのである。
そんな男が腕を組んで仁王立ちし、下の位置にあるロゼの顔をじっと見ていた。思わずひれ伏したくなるような威圧感があるが、言っていることはどうにも頑固一徹とした感じが拭えない。
困惑を通り越して若干呆れてしまったロゼであるが、そもそもこれは自分の為の訓練なのだ。おそらくゼルドは隊長であるリデナスにロゼの同調性が高いことを話してくれたのだろう。
これ以上迷惑は掛けられないとその口で言いながら、ロゼは頬の筋肉がだらしなく緩むのを止められなかった。
―――おかしくは、ないですよね。だって好きな人となるべく一緒にいたいと思うのは、当然のことだから。
せっかくの機会を逃すわけがない。ロゼは俯きがちだった顔を上げ、了承の意を伝えようとした。
「分かりました。よろしくおねがっ、……!っあの、ちかい、近いです。顔が近いです離れて」
「……隈ができている」
「っえ、あ」
ロゼが顔を上げると、鼻先が触れ合ってしまうのではないかという距離で強面の顔がロゼの目を覗き込んでいた。そのあまりの近さに、口同士が触れ合ってしまうところを一瞬想像してしまい、ロゼは顔を赤くして後退ろうとする。しかしゼルドがロゼの両脇に手を差し込み身体をひょいと持ち上げたことで、それも叶わなくなる。
「はぇ?えっちょっと!やめてくださいと前にも言いましたよね!?私は猫じゃないんですよ」
「そんなことは分かっている。……ちゃんと、寝ていないのか?」
何時ぞやのように抱え上げられたロゼは、両手足をばたつかせ、更には近くにあるゼルドの顔を両手で押しのける。そんな反抗を無表情、いや若干不機嫌になりながらも受け流すゼルド。
―――心配してくれているのは分かりますっ!分かりますけどその前にこのこっぱずかしい状態にする必要はないですよね!?
おそらく昨日夜遅くまで起きていたことが原因の隈だろうとは思うが、そんなことをこの男に説明している精神的余裕など今のロゼにはない。
そして、ロゼはある重大なことに気づいた。
気づいてしまった。
―――こ、ここここれ、むっむむ胸!胸鷲づかんでないですかァァァァ!?
そうなのだ。ゼルドがロゼの小さな身体をこの姿勢で持ち上げると、どうしたって脇下にある手が大きすぎて胸元まで届いてしまう。結果的に、ほぼ胸を鷲づかんでしまっているような状態なのだ。前に持ち上げられた時には衝撃が大きすぎて気付かなかったが、二回目ともなるとさすがに気付く。
「いやぁぁぁぁ!へんたい変態変態変態!ここに変態がぁっ」
「おい、落ち着け」
「どの口が言うかっ!」
好きな人を変態呼ばわりとは普段のロゼから考えてみてもありえない事だが………まあ、今回も全面的にゼルドが悪いだろう。しかし持ち上げている本人は至って冷静なようで、その態度が更にロゼをパニックに陥らせる結果となる。
「降ろしてっ!降ろしてぇぇ」
「おい、その隈は」
「まだ言いますかっ!これはっ!ただの!寝不足!っもう降ろしてよぉ………」
終いにはぐすぐすと泣き出し始めたロゼを見て、やっとゼルドはロゼを地面に降ろす。
そして泣き止まないロゼの頭を、よしよしと撫でるのだった。
「ぐすっ、…………誰のせいだと」
「……よく分からんが、すまん」
「それ謝ってないです!」
「すまん」
―――あぁもう、お嫁に行けない…………………ん、あれ待てよ、ロードさんにお嫁に行けばいいんじゃ……………………………っっぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!
自分で想像したうふふあははな妄想に耐えきれず、ロゼは脱兎のごとく走り出した。涙と、若干の鼻水を流しながら走るロゼと、その小さな背中をすたすたと歩きながら追い掛けるゼルド。
「………ゼルド、お前今度は何やらかしたんだよ……」
二人から少し離れた場所で訓練をしていたシュデルの声が、ぽつりと零された。




