08.お姫様計画
『姫様、記憶の整理が終わりましたよ』
侍女から仕事が終わった事を告げられ、私は周囲を見回した。
そこは、今まで暮らして来た自分の部屋だった。小さい時に付けてしまった柱の傷もはっきり覚えている。
(何だか不思議な感じね。記憶が混じり合っているのに違和感が無いのが一番不思議)
『これくらいは完璧に出来なければ、姫様の侍女の役目は果たせませんから』
侍女は少し得意気にそう言った。
私は侍女の仕事に対して何かお礼をした方が良いかもしれない。しかし、実在しない相手に贈れる物は何だろうか。
(貴女に何かお礼がしたいな。うーん、貴女は名前が無いみたいだし、私が名前を付けてあげるのはどう?)
『私には嬉しい提案ですが、名を頂くと私は姫様に縛られ、生涯仕える事になります。私は侍女の任に就いた時からその心づもりですが、姫様が姫の資格を放棄したくなった場合、安易に名を与えた事を女王様に咎められる事になるかと思います』
(そっか、色々あるのね。じゃあ名前は付けない。でも単純に呼びにくいから何か考えるね)
『呼びかけたいと考えて頂いた時点で私は分かりますので、お気になさらず』
そうは言っても私が呼び辛いのだ。
何かいい呼び方は無いだろうか。名前ではなく、あくまで侍女って役職として呼ぶなら良いかな。ジジョちゃん? それか、呼び掛ける感じでジージョ? あ、いいかも。
(決めた。これからはジージョって呼び掛ける事にするね)
『かしこまりました。今後はそう呼び掛けられたらお応え致します』
(よろしくね。でも困ったな。記憶を治してくれたお礼がしたかったのだけど、名前は贈れないし)
私が困っていると、ジージョは遠慮気味に要求を伝えてくれた。
『もし頂けるのであれば、果物のような甘味を一つ頂ければ嬉しいです』
どうやらジージョは甘い物が好きらしい。なかなか可愛らしい子だ。
(わかったわ。でも、どうやって渡せばいいの?)
『頭の中でしっかりイメージして頂ければ、私が受け取れるようになります』
何と、イメージするだけで良いらしい。それでは実質タダのようなものだけど、喜んでくれるならいいのかな。
それなら果物一つと言わず、ケーキをワンホールくらいドンと贈ってあげよう。ついでにティーセットにテーブルもちゃんと付けて、いっそ家具付きの可愛い部屋もあげちゃおうか。
『わわ、姫様!?』
何か慌てる声が聞こえたけど、私はまだ満足出来ない。
ティーセットがあるなら、ティーパーティーを開きたいところだ。お話出来るネコちゃんや、ウサギちゃんのぬいぐるみを座らせておこう。
(どう、ちゃんと贈れた?)
『姫様の創造するイデアは自由ですね。まさか果物一つをお願いしたら、部屋を一室賜る事になるとは……』
(余計なお世話だった?)
『とんでもありません! 姫様にお仕え出来て嬉しいです!』
どうやらかなり喜んでくれたようだ。私は満足してうんうんと頷いた。
お礼も出来たので、ついでに色々教えて貰う事にした。
(ジージョ、あなたはもしかして妖精なの?)
オルターから聞いた話では、妖精は頭に住み着く存在だったはずだ。頭の中で会話しているこの感覚に、私はもしやと思い尋ねてみた。
『私は頭の中に住んでいる訳ではありませんし、妖精と呼ばれる存在でもありません。言葉で説明するなら、姫様の侍女のイデアですね』
説明して貰ってもよく分からないのだが、ドロシーやアドラが心配していた妖精憑きとやらではないようだ。ひと安心である。
(ありがとう。あと聞きたいのは、私が迷い込んだあの世界が散らばる空間の事ね。あれは何だったの?)
『あれはイデア側の領域ですね』
あれもイデアなのか。相変わらずイデアが何なのかよく分からない。
『急に小さい姫様の意識がイデアを動き回られたため、私が連れ戻そうとした時にはもう、大きい姫様のイデアを取り込んでしまった後でした』
ジージョからしても、あの時は完全に想定外のトラブルが起きていたようだ。
(莉絵が取り込まれたって事は、あの空間はあちらの世界と繋がってるって事? もしかして行き来も出来るの?)
『女王様なら可能かもしれませんが、姫様には不可能ですね。大きい姫様が取り込まれたのも、特殊な状況が原因でしたし』
(特殊な状況?)
『あの時の大きい姫様は、自身のイデアを完全に手放した状態だったのです。ですので、望む者がいれば簡単に取れてしまう状況でした』
(それは、莉絵が死んでしまったから?)
『そうですね、それは本来ならば命を終えた状態です。けれどその場合、イデアはあるべき世界に縛られ、別の世界から奪う事は出来ません。仮に奪えても、命終のイデアも取り込む事になるので、奪った方もそこで終わりです。その為、所有者のいなくなったイデアが他の者に奪われる事は起こりません。ですが、不思議な事に大きい姫様には、命終のイデアが無かったのです』
どういう事だろう。莉絵は死んだと思っていたけれど、そうではないのだろうか。
不可解な状況だが、つまり莉絵の記憶はリスク無しで簡単に持って行ける状態だったようだ。
結果として、莉絵の絵本を気に入ってくれたセシリィの願いで、あっさり奪われてしまった。
しかも奪った当事者は、ショックで意識を隔離した為、身体を莉絵に取られてしまった訳だ。
誰が悪い訳でもなく起きてしまった事故で、互いに互いを奪い合う状況になった事になる。
何ともやり場の無い気持ちが、大きな溜息となって吐き出た。
(あちらの世界に莉絵だけ戻す事は無理そうね。今聞いた事と真逆の状況を作れるとも思えないし)
『姫様は、戻りたいのですか?』
ジージョの問いに、私は少し悩む。
戻った所で莉絵はすぐに寿命を迎える可能性が高い。
私は戻れない事より、母にさよならを言う機会を失った事に対する無念の方が大きいのだ。
(戻る必要は無いから、せめてお別れの言葉だけでも届けたいかな)
『それでしたら可能かと思いますよ』
私は驚いた。莉絵が丸ごと戻るのは無理だけど、言葉を届ける方法はあるのか。
(出来るの?)
『女王様に気に入られ許可が下りれば、異なる世界に言葉を届ける方法はいくつかあります。姫様ならいずれ許可を貰えると思いますよ。今の姫様は制限だらけの状態ですので、まだ無理ですが』
私は唯一の心残りを何とか出来るの方法が分かり、目標を見据えた。
(私、女王様が認めてくれるような立派な姫を目指す事に決めたわ。ジージョ、色々頼らせて貰うけど、これからもよろしくね)
『お任せ下さい、姫様』
もともと王様に文句を言うつもりだったので、そのついでに女王様を説得すれば良いだろう。
目標が決まれば、具体的にやるべき事を見定める必要がある。私は姫に選ばれたが、これから何をすべきかはよく分かっていないのだ。
(それで、私が女王様に認められるようなお姫様になるにはどうすればいいの?)
『自由のままにイデアを育てて下さい』
何度も出て来るイデアというのが、未だに掴みきれない。私は頭を抱えて代案を要求した。
(……他に何か無いの?)
『そうですね。最近生まれた姫のほとんどは、成長とともに制限が消えて行くようです。なので、とりあえずは大きく成長するまで健やかに過ごして頂ければ良いかと思います』
今度は実に分かりやすい。
具体的な目標は、健康な大人のお姫様になる事に決まった。
(ジージョ、最後に一つ教えて。制限って何の事?)
今まで即答してくれていたジージョだったが、その問いに対しては返答が詰まったようだ。
『申し訳ありません。その質問に答える事は、王様により禁止されています』
どうやら最高機密らしい。
女王様ではなく王様が管理しているという事実に、その重要性を嫌でも感じさせられた。
聞きたい事は大体聞けたので、その後はジージョと安定して会話出来る方法を調べてみた。
既にセシリィの記憶は戻っているので、冠もアクセサリーも身に着けずに会話は出来るようだ。
ただ、いざという時に話せないと困るかもしれないので、指輪だけはなるべく着けておく事にした。
(ジージョ、また必要になったら声を掛けるわ。色々教えてくれてありがとね)
『姫様のお役に立てて何よりです。私も姫様から頂いたお菓子を頂きます』
そう言えばケーキを贈ったのに、質問攻めにしてお預けしていた。ごめんね。
夕食の場で、私はドロシーに記憶が戻った事を伝えた。それだけだと唐突すぎるので、友達と会った事が刺激になったみたいだと付け加えておく。
ドロシーは、私を抱きしめて大喜びしてくれた。色々と気に掛けてくれてはいたけど、やはり内心は不安でいっぱいだったようだ。
何度も何度も「本当に良かった」と繰り返していた。
ドロシーはすぐにオルターにも連絡したようで、オルターも喜んでいたと教えてくれた。
「友達にもなるべく早く教えてあげなさいね。皆安心すると思うわ」
確かに早く教えてあげたい。今朝会った時は笑顔を見せてくれたけれど、やはりどこか不安そうだった。
私はいつ伝えようか悩んだが、とりあえず親友のエイミーにはすぐに伝える事にした。
「エイミーは家に行けばだいたいいつも会えるから、明日行って来るね」
私が明日の予定を伝えると、ドロシーは頷いた。
「お土産を用意しておくから、出掛けるのはお昼を食べた後にしてね」
ドロシーはお菓子作りも得意なので、よくお土産にケックスというクッキーに似た焼菓子を準備してくれる。エイミーもきっと喜ぶだろう。
「いつもお土産準備してくれてありがとね、お母さん」
今まで当たり前のように用意して貰っていたけど、お礼を言った事は無かったので、今日はちゃんと感謝の気持ちを伝えた。
ドロシーは嬉しそうに笑ってくれた。
夕食後の洗い物を手伝い片付けが終わると、後はお風呂に入って寝るだけだ。
私の就寝前は、お姫様計画をあれこれと考える時間だ。
そう言えばジージョから、女王様に認められるにはまず大人になるのが大事だと教えて貰った。
私は今まで自分の等身大のお姫様を想像していたが、今日は大人のイメージを浮かべてみた。
大人のお姫様と言えば、白雪姫辺りが定番だろうか。
私は自分が童話のお姫様になったイメージを浮かべてみたが、どうにもしっくり来ない。
私が目指すお姫様は、あの宝石を探して冒険する絵本のような強いお姫様なのだ。定番の童話では、どうしてもその役割は殿方になる事が多い。
そう考えていると、ふと名案を思い付いた。王子様をお姫様に置き換えてみれば良いのではないだろうか。
昔よく作った改変絵本の要領で、白雪姫の王子様をお姫様の自分に置き換えてみた。
白馬で颯爽と駆けるお姫様はなかなか良い感じだ。けれど、馬よりドラゴンに乗ったらもっと強そうかもしれない。助け出す方法も、囚われの姫の救出に変える。小人達は、敵地の中でも彼女を慕う忠臣達だ。
最終的にドラゴンに騎乗して隣国のお友達の姫を救い出す物語になった辺りで、私は眠りに付いた。