07.姫と侍女
部屋に戻ると部屋着に着替え直し、昼食も先程済ませた。
私はベッドへ座ると、手提げから花の冠を取り出してしっかりと観察する。
それは小さな花々がバランス良く散りばめられ、丁寧に編み込まれていている。片側の側面には黄色い大輪の花が付いており、華やかさを格段に上げていた。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
私は喉をゴクリと鳴らし、恐る恐る冠を被ってみた。
……何も起きない。
いきなり気を失う事は無かったが、先程は聞こえた声も今は全く聞こえて来ない。完全に肩透かしを食らった気分だ。何か他に条件があるのだろうか。
私はベッドから立ち上がると、部屋をウロウロとしながら条件について考えてみた。
そういえば夢の中でも今朝の広場でも、子供達が周りにいた。条件はそれだろうか。だとすると、今出来る事は無さそうだ。
安全に試すには、子供達を部屋に呼ぶしかないだろう。しかし、あんな良い子達の前でまた気を失って迷惑を掛けるのは気が引ける。
無念ではあるが、あの声の解明は諦めた方が良いのかもしれない。
ああでもない、こうでもないと頭を悩ませて右往左往していると、ふと鏡が目に入った。
「こうして全体を見ると、この冠も案外地味だな」
冠だけを眺めていた時は立派に見えたが、ドライフラワーに加工したせいか花は少し色褪せており、着こなしのセンスが無い私の目から見ても、髪色や服の色に負けているのが分かる。
「もう少し着飾れば、お姫様っぽくなるかな?」
私は机の上の小物入れから青い石のネックレスと緑の石の指輪を取り出し、慣れない手つきで装着してみた。これでどうだろうか。
私はもう一度、姿見鏡を覗き込んだ。
「お、これはなかなかのお姫様っぷりじゃない?」
私は満足してウンウンと頷いた。
『……今度は大丈夫かしら。大きい姫様、聞こえますか?』
「うひゃっ」
一度は諦めたところに不意打ちで声が聞こえて来たので、結局私は驚いて変な声を上げてしまった。
とりあえず、慌ててベッドに戻り腰掛ける。これで気を失っても大丈夫だろう。
『大丈夫ですよ。倒れるような事はありませんから』
私の心の声が伝わっていたのか、声の主はまずそれを教えてくれた。
そういえば、夢の中でも頭の中だけで会話が成立していた覚えがある。こちらは考えるだけでお話出来そうだ。
それが分かればまずは挨拶からだ。
(こんにちは。私はセシリィです。貴女の名前を教えて下さい)
『私に名前はありません。……良かった。やっとお話が出来ました。これで女王様に怒られずに済みそうです』
何やら声の主も色々事情があるようで、私と話がしたかったようだ。
(名前は無いのですね。では、貴女はどなたなのでしょうか?)
『私は姫様に仕える事になった侍女です。よろしくお願いします』
声の主は、夢の中で私が貰った侍女だったようだ。相手の正体が分かり、ひとまずスッキリした。
しかし、そうなると疑問が浮かぶ。
(貴女の名前はイデアではないのですか?)
確か夢の中でイデアを大切にしてくれと頼まれたはずたはずだ。私はこの侍女がイデアだと思っていたが、どうやら違うようだ。
『イデアはイデアです。全てあらゆるの存在が、イデアを元に形作られています。大きい姫様の知識で近い言葉を探すなら、情報、本質、記憶などと表現するのが近いでしょうか』
何とも要領を得ない。
この世界の根源のようなものだろうか。
それを大切に生きるとは、どういう事なのだろう。
『あまり難しく考える必要はありません。小さい姫様は既に、イデアを育む能力を見込まれて選ばれているので、これまで通り自由に生きて頂ければ問題ありません』
(分かりました。ところで先程から大きい姫様とか小さい姫様とか呼ばれていますが、何か意味があるのですか?)
『小さい姫様は本来の姫様で、今こうしてお話している姫様が、大きい姫様です』
(……なるほど)
どうやらこの侍女は、私が本来のセシリィと別人である事を認識しているようだ。少し焦ったが、取り繕いながら話す必要がないのは助かる。
(そういえば、声が届かなかったと言っていましたけど、花の冠が無かったからですか?)
『いいえ。小さい姫様が姫様である限り、私は姫様に仕える事が出来ます。大きい姫様は既にかなり育ったイデアをお持ちですが、私が仕える姫様ではないので、今はなんとか生じた姫の自覚を頼りに会話が出来ている状態です』
つまり、この侍女が仕えるのは本来のセシリィで、私は姫ではないようだ。アクセサリーを身に着けてようやくちょっとばかりお姫様気分が出たので、会話が繋がったのだろう。
子供達の前でお姫様っぽく振る舞った時にだけ声が聞こえたのも、同じ理由だったようだ。
(それでは、私が姫を続けるのは難しいですね)
『存じております。ですので、小さい姫様の記憶を繋げ直す必要があります。今は姫様の記憶の断絶が起きてしまっているので、私はそれを整えたかったのです』
どうやら侍女も今のままだと困るようで、元のセシリィの記憶を何とかしてくれるらしい。
(そんな事が出来るなら、別に私を通さずやって貰っても良かったのに)
『それは姫様に断り無く部屋の模様替えをするようなものです。褒められた行為ではありません』
ごもっとも。
(整えると言いましたが、まさか記憶の一部が邪魔になって消したりするような事は無いですよね?)
私も大切な記憶をお片付けされては困るので確認すると、侍女は大慌てで答えた。
『何て恐ろしい事を言うのですか! イデアを消滅させるような事をしたら、私も女王様に消されてしまいますよ!』
どうやらイデアというのを消すのは、処刑されるレベルの重罪のようだ。
勅令で何年も大忙しになるくらいだ。この世界の王家は、女王様も含めかなり強い権力を持っているのだろう。
(残るなら問題無いです。では、記憶を整えて貰って良いですか?)
『仰せのままに。もっとも、大きい姫様はご自身である程度整理を済ませているので、あまり私の仕事は残っていないようですね』
侍女はそう言ったが、次の瞬間には穴が埋まるように次々と記憶が繋がって行くのが分かった。
セシリィはオルターとドロシーに愛情たっぷりに育てられ、つい先日六歳になったようだ。
昔から少し病弱で、季節の変わり目やちょっとした疲労ですぐに風邪を引く事を悩んでいた。この辺は私とちょっと似ている。
セシリィが四歳の時に王都で何かが起きたようで、それからオルターはほとんど家に帰れなくなった。王様から仕事を沢山頼まれて忙しくなったらしい。
お仕事漬けのお父さんを助ける為に、セシリィはお姫様になって王様に文句を言う決意をしたようだ。これが、お姫様計画だそうだ。
計画の一環で、お洒落に興味を持って色々勉強したらしい。
それと、毎日寝る前にお姫様になった自分を色々想像していたようだ。私も寝る前によく色々な想像して生きていたので、親近感が湧く。
五歳と六歳の誕生日には、両親にお願いしてネックレスと指輪を買って貰った。これでますますお姫様に近づいたと満足した。
ここからは私も知っている記憶だ。
花畑に遊びに行った時に、セシリィは頑張って姫に相応しい豪華な花の冠を作った。
エイミーとベラが「本当のお姫様みたい」と褒めてくれて気分が高揚した所で、姫に選ばれる条件が揃ったようで、侍女が接触してきた。この世界の姫の決め方は不思議だが、セシリィは喜んでいた。
しかし、金色の光の侍女を受け入れた直後に、セシリィの意識は不思議な空間に沈んだ。世界がシャボン玉のようにあちこちに散らばっている空間だ。
セシリィはその中で、お姫様の世界を見つけて近づいて行った。
その世界は見覚えがあった。
私が作った絵本「おひめさまと ほうせきのようせい」の物語の世界だ。
お姫様が願いを叶える虹色の宝石を探して、妖精と世界中を旅する物語だ。
セシリィは、絵本の世界を冒険して宝石を手に入れ、作者に会いたいと願ったら何故か私が取り込まれてしまったらしい。
いきなり流れ込んで来た私の記憶は、六歳の子供には精神的負荷がとても大きかったようだ。
白い部屋に始終する世界に深く絶望し、最後に全身が激痛に蝕まれる記憶を得た事で自己防衛が働き、意識が途絶えてしまったようだ。
客観的に見ると、私の人生もなかなか壮絶に感じた。
何はともあれ、記憶の繋ぎ合わせは完了した。
また精神が不安定にならないように、最後は上手い具合に莉絵とセシリィの記憶が溶け合い、完全に一つになった。
今の私は、間違いなくセシリィだった。






