05.オルターの帰宅
父親のオルターが帰宅したのは、昼食後の皿洗いの手伝いを終えて、自室でのんびりしている頃だった。玄関の方からドロシーと男の声が聞こえて来たので、部屋に居てもそれが分かった。
私は部屋を出て、挨拶をする為に玄関に向かった。
オルターは私と似たような青い瞳を持ち、しっかり父親の血を受け継いでいる事を実感する。
仕事で整髪する時間が無いのか、金色の髪は伸び放題で後ろに結んで垂らした状態になっており、無精髭も生えていた。
「お帰り、お父さん」
「ああセシリィ、ただいま。ドロシーから連絡を受けて心配していたが、元気そうで良かった」
オルターはその場でしゃがみ込むと、ぎゅっと私を抱き締めた。親子なのでこれ位のスキンシップが普通なのだろうが、やはりまだ照れ臭い。
「あらあら。こんな場所では落ち着いてお話しも出来ませんから、荷物を置いて着替えたら食卓へいらして下さいね。お茶を準備しておきます」
「ああ、そうだね。ありがとうドロシー。セシリィも後でお話しを聞かせておくれ」
この後の予定が決まると、私はドロシーとキッチンへ向かい、オルターは部屋に入って行った。
ドロシーが丁度お茶の準備を整え終わった頃合いに、部屋着に着替えたオルターもキッチンへやって来た。
オルターは私の隣に腰掛けると、優しく頭を撫でてくれた。
「たまの帰りだ、今日は出来るだけセシリィと一緒に居ようかな」
満面の笑みを浮かべてオルターがそう言うと、テーブルの向かいではドロシーは呆れ顔で笑っている。
しばらく頭を撫でていたオルターだったが、スッと真面目な顔になり、ドロシーに目を向けた。
「アドラ先生の診察結果は貰っているが、何か問題は無かったかい?」
ドロシーは私を一瞥して、苦笑いを浮かべ答える。
「そうねぇ。今朝、おトイレの場所が分からなくて泣いていたわよ」
「ちょっと、お母さん!?」
私はいきなり恥ずかしい出来事を暴露されてしまい、手遅れと分かりつつ慌てて止めに入った。多分、今の私は耳まで真っ赤だと思う。
その様子を見て、オルターは楽しそうに笑った。
「なるほど、それは大変だったね。しばらくは生活に困る事もあるだろうから、遠慮せずにドロシーを頼るんだよ」
私は恥ずかしさが尾を引いている為、小さな声で「はぁい」と返事をして頷いた。
「本当は父さんもセシリィを優先してあげたいんだけどな。なかなか大変な状況なもので、ドロシーに頼りきりになってしまうよ」
オルターは役所のような場所で働いているとは聞いていたが、非常に忙しいようだ。ドロシーも心配そうに見つめている。
「まだ勅令案件が終わらないのね」
「あぁ。花の都事件から王都の方で色々と起きているみたいでね。王からの調査依頼が頻繁に届いて来るよ。こんな辺境の地区までもう何年も大忙しさ。街の結界日の改訂案も先延ばしになっているし、困ったものだよ」
私には話を聞いてもさっぱり分からないが、どうやら何かの事件が起きて、勅令で仕事が投げられているらしい。
私も知っておいた方が良い事なのかもしれないので、質問してみる事にした。
「お父さん。花の都事件ってなぁに?」
オルターは私の方を向くと、頭を左右に振り、両手の人差し指でばってんを作った。
「妖精絡みだから、セシリィは気にしなくていい」
聞いてはいけない事のようだ。昨日も妖精憑きがどうとかドロシー達が話していたが、この世界の妖精は危険な生き物なのだろうか。
折角なので、記憶喪失に託けて聞いてみる事にした。
「ごめんねお父さん。私忘れてしまっている事かもしれないから教えて。妖精は危ないの?」
「なるほどな、妖精についての注意も忘れてしまっていたか」
私の問い掛けに、オルターは真面目な表情になった。ドロシーもしまったというような顔をしている。どうやらかなり常識的な知識らしい。
「妖精は生きる上で必ず付き合って行く必要がある存在だが、その辺りは学園に通うようになってから習う事だから、今はまだ気にしなくていい」
どうやら妖精というのは、かなり身近な存在らしい。しかも、初等教育で学ぶ程の基礎知識のようだ。
「セシリィみたいな入学前の子が気を付けなければならないのは、とにかく妖精に興味を持たず、関わらない事だ。妖精は人間が好きで、関心を持つ者に寄り付く性質がある」
妖精は好奇心を持つ者に勝手に寄って来るようだ。これだけ聞くと可愛らしい。
今のところ、人懐っこい微笑ましいイメージしか湧かない。
「そして、接触すると頭の中に居場所を作ろうとする」
「え?」
頭に居場所を作るって何? 妖精のイメージが、いきなりホラーになってしまった。
「頭に住み着かれたら大変だぞ。頭の中を滅茶苦茶に弄られてお終いだ。妖精は悪戯も大好きだから、セシリィも悪さして妖精の気を惹くような事はしちゃ駄目だよ」
最後の言い聞かせは子供の躾の常套句なのだろうか、大袈裟に言っているように聞こえる。
しかし、オルターもドロシーも真面目な顔をしているので、完全に冗談でも何でもないようだ。妖精怖い。
「分かった。気をつけるね」
私が理解を示すと、オルターは満足そうな笑顔に戻り、力いっぱいにガシガシと私の頭を撫で回した。
「セシリィはやはり素直で良い子だな。流石、私達の自慢の娘だ」
「そうですねぇ」
両親共に嬉しそうに笑ってくれた。私は上手く娘役を出来ているようだ。
その後は、入学に関する話を親同士で話していた。私は口を挟まないように、横でお茶を啜りながらそれを聞くだけに専念した。
どうやら私が生活面で問題が無いように、記憶が戻らなければドロシーが新入生の担当になれるよう、学園と調整中らしい。
普通なら過保護と言えなくもないが、私としては近くに頼れる大人が居るのは非常にありがたい。
入学前に出来る基礎教育は以前から家で準備していたようだが、それは忘れてしまっていても問題無いとの事だ。
せっかく教えた事が無駄になったので問題はありそうだが、私に余計な心配を掛けさせないよう気を使ってくれているのだろう。申し訳ない。
私の幼馴染のリック、ベラ、エイミーが一緒に入学するらしく、彼らにも私の事を任せる予定だそうだ。ベラの一つ上の兄であるベルも学園に居るので、いざという時は頼るように言われた。
とりあえず、学園生活で友達も出来ず孤立する事態は避けられそうで良かった。私は学校に行った事が無いので、それが一番心配だったのだ。
学園についての話が終わると夕食時になり、家族団欒で美味しいご飯を頂いた。
「ドロシーの料理はいつ食べても美味しいな」
惚気とも取れるが、オルターの意見には私も同意してうんうんと頷いた。
「お父さんは、お仕事の間は何を食べてるの?」
私が質問すると、オルターは苦笑して「適当に」と曖昧に答えた。
それを聞くとドロシーは溜息を吐く。
「忙しいのは分かるけど、昔みたいな携帯食ばかりの生活は駄目よ?」
「……あぁ、あの頃は君によく怒られたな。気を付けるよ」
オルターは昔を懐かしむような顔で約束した。どうやら二人だけが分かる思い出話のようだ。子供の私は深く追求しないでおこう。
食事も終わると、ついにお待ちかねのお風呂の時間だ。
「久しぶりに父さんと入るか?」
オルターは期待を込めた笑顔で提案して来たが、私は首を横に振った。
「お母さんと約束したから、今日はお母さんと入るね」
そう伝えると、オルターは「そうか」と目に見えて明らかに落ち込んでしまった。
「オルター、セシリィももう年頃の娘なんですから、嫌われたくなければおよしなさい」
「……分かったよ」
ドロシーの追い討ちにますます小さくなったオルターを見て、私は心の中で「ごめんね」と謝っておいた。
キッチンには寝室や玄関の方へ続くドアとは別にもう一つドアがあり、お風呂場はその先にあった。
脱衣所にもよく分からない模様付きの箱があり、中には衣類が入っている。
これまで見てきた模様付きの道具が元の世界と似た物なので、これも洗濯機のような物かもしれない。
私はペッと服を脱ぎ捨て、はやる気持ちで浴室に突撃した。後から続いてドロシーも入って来る。
湯船には既に湯が張られており、湯気が立ち昇っていた。これは気持ち良さそうだ。では失礼します。
私が湯船に手を伸ばしたところで、ドロシーに手を掴まれた。
「こら、湯船に浸かる前に身体を洗わないと駄目よ。洗ってあげるからいらっしゃい」
「……ごもっとも」
その位の常識は私も持っているが、気持ちが先走り過ぎたようだ。私はドロシーに導かれるままに、浴室の床にペタリと座った。
床は冷え込んでいるかと思ったが、ぽかぽかと暖かかった。これもトイレのような謎原理の不思議な仕組みだ。
シャワーのようなものは無いようで、私はまず桶で頭からざぶんと湯を掛けられた。
それから石鹸で頭をシャカシャカと洗われる。昨日も身体だけは拭いて貰っていたが、頭はどうしようもなかったので、これは気持ちが良い。
洗い終わるとまたざぶんと湯を掛けられ、何かを髪にペタペタと付けられる。油脂っぽいが、馬油のような物だろうか。
満遍なく付け終わると、最後は丁寧に洗い流されスッキリ爽快になった。
続いて身体をタオルでされるがままに洗われ、湯で泡を流されてお終いだ。
折角なので私もドロシーを洗ってあげようとしたのだが、身体が冷える前に湯船に入るよう言われ、止むなく断念した。
私は湯船に浸かりながら、ドロシーが身体を洗う様子を眺める。
こうしてじっくり見ると、なかなかの物をお持ちのようだ。私の将来も期待出来そうである。
ドロシーも身体を洗い終わると、湯船に入って来た。結構広い湯船で、母子で入れる程度の余裕はある。
そのままひょいと掴まれ、私はドロシーに背中を預けるような姿勢で座り直しさせられた。そのままツヤツヤになった髪を撫でられる。温もりを感じ、とても心地良い。
「やっぱりセシリィの髪は夕陽みたいで綺麗ね」
私はこの橙色に良い思い出が無いが、夕陽の色と言われれば悪くないかもしれない。けれど、夕陽っぽいのはドロシーの髪の方に思える。
「お母さんの赤い髪も綺麗だよ」
「うふふ、ありがとう」
優しい声を耳元で感じながら、私は至福のひと時を思う存分満喫した。
のぼせる前にドロシーとお風呂を出ると、大きなタオルで身体をさっと拭かれ、髪を丁寧に拭き取られてあれよあれよという間に寝巻きに着替えさせられた。
キッチンに戻るとオルターは居なかった。部屋に戻ったようだ。
私を部屋に連れ戻る途中で、ドロシーは両親用の部屋のドアを開けた。隙間からちらっと覗くと、オルターは何かの書類仕事をしていた。休日まで持ち帰ってやらなければならないお仕事のようだ。
「貴方も早くお風呂に入っちゃってね」
「あぁ、これを仕上げたら頂くよ。セシリィは寝る時間かな? おやすみ」
「おやすみなさい、お父さん。無理しないでね」
就寝の挨拶を交わし終えると、ドロシーは私の部屋に一緒に入って来た。
私がベッドに潜ると、こっちでもおやすみの挨拶を交わした。
「そうそう。元気になったのだから、明日はエイミー達にお礼をしに行きましょうね。セシリィの事情はもう伝えてあるけど、子供達には貴女からも教えてあげた方がいいわ」
「はぁい」
私が目の前で気を失い、頑張って背負って来てくれた子供達だ。確かに早くお礼をしないといけないだろう。
明日の予定が決まると、私は湯上がりほかほかの体温を感じながら眠りに付いた。