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妖精のイデア 〜病弱少女のお姫様計画〜  作者: 木津内卯月
1章 願いを叶える妖精
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03.犬のお医者さん

 白と灰色のふわふわの毛で覆われた、やや鋭い目つき顔の犬。

 そういう犬種を私は知っている。シベリアンハスキーだ。

 擬人化した動物のお医者さん、という趣旨の絵本は私も執筆した事がある。けれど、目の前に現実としてそのような姿があると、頭が混乱して来る。


 犬の医者は、帽子とコートを脱ぐと、ドロシーに預けた。

 コートの下は白いシャツに濃灰色のベストを着用しており、毛色によく合っている。

 彼は私のベッドに歩み寄ると、側に置かれた背もたれ付きの椅子に腰掛けた。少し離れた位置に、不安そうな顔をしたドロシーも座っている。

 私は、医者と向き合う姿勢でベッドに座った。まじまじと顔を見てしまうが、やはりどう見ても犬だ。


「こんにちは。先日はドロシーさんに解熱剤を渡しただけだから、君には初めましてと言った方がいいかな?」


 優しく語りかけて来る犬に頬が緩むが、この診断は私にとっても大事な事だろう。真面目に答えなければと、背筋を伸ばす。

 それにしても、町医者なら過去にもお世話になった事がありそうな気がする。この先生はかかりつけの医者ではなく、初対面なのだろうか。

 考えても分からないので、相手に合わせて返事をした。


「初めまして」

「ふむ、なるほど。確かに私の事も忘れてしまっているようだね」


 どうやら初対面ではなかったらしい。

 見た目に惑わされそうになるが、手慣れた誘導だ。

 おそらく私は、記憶喪失という扱いになっているのだろう。


「では、先に自己紹介をしましょう。僕の名前はアドラ、この街のお医者さんです」


 そう言うとアドラはニコリと微笑んだ。優しい笑顔だが、犬らしい鋭い牙がちょっとだけ恐い。

 彼は笑顔のまま、問診を続けた。


「君は、自分の名前は言えるかな?」


 正直に言えば分からない。けれど、先程ドロシーが私の所へ駆け寄った際に呼んでいた名前が私のものだろう。

 ちらっとドロシーを見ると、ずっと不安な表情を浮かべている。

 娘の立場である私は、母親に心配を掛けている状況に、少し申し訳ない気持ちになった。名前くらいは、覚えているふりをしてあげた方が良いかもしれない。


「セシリィです」


 そう答えると、ドロシーは少し安心した表情になった。

 けれど、アドラは目を細めてゆっくりと頭を左右に振った。


「セシリィ、お母さんを心配させたくないという君の思いは悪いものではないけれど、今だけは正直に教えてくれないと僕も困ってしまうんだ」


 アドラは私にだけ聞こえるように、声を抑えて注意をして来た。

 私は、それを聞いてヒヤッとした。

 まさか、こんなにあっさり見抜かれるとは思いもしなかった。

 アドラが私に真っ直ぐに向ける灰色の瞳が、全てお見通しだと言っているように感じる。この先隠し事はしない方が良さそうだ。


「ごめんなさい。正直に言えば自分の事もよく分かりません」


 私の正しい状況を伝えると、アドラはコクリと頷いて更に問診を続けた。


「正直に教えてくれてありがとう。自他共に人物に関する記憶は失っているようだ。では、今この部屋にある物の名前は、どれだけ覚えているだろうか。分かるだけ言って貰えるかな?」


 私は頷くと、部屋を見渡して目に付いた物を順に指差し、名前を言っていく。初対面の人の名前と違い、こちらは問題無い。


「ベッド、布団、寝巻き、天井、床、壁、窓、鉢植えと……何かの木、えっと……小さい収納棚、ランプ、ぬいぐるみ、衣装棚、鏡、机、椅子、……あとは小物がいろいろです」


 机の上に筆記用具やリボンなど細かい物がいろいろ置かれているが、あまり細かい物を全部言うと時間がかかりそうで省略した。

 また注意されるかなと思ったが、アドラは「うん、問題無さそうだ」と頷いたので大丈夫だったようだ。


「人の事は大部分を忘れてしまっているけれど、生活に必要な知識はちゃんと残っているね。ドロシーさんがとても慌てていたから、もっと深刻な状態も考えていたが、軽度の記憶障害のようだ。これなら何かの刺激を受ければ記憶が戻る可能性もあるし、戻らなくても友人知人の事をもう一度教えてあげるだけでいいから、比較的対応も容易だろう」


 アドラが私の状態を伝えると、ドロシーは今度こそ本当に安堵したようで、ホッと息を吐いた。


「安心しました。入学も近い時期だったので、学園での生活に支障が出ないか本当に心配でしたから」


 どうやら私は、学園に入るくらいの年齢らしい。身長的に考えて、小学校のような場所だろうか。

 そんな時期に子供が記憶喪失になったら、そりゃ慌てるだろう。申し訳ない。

 ドロシーに心の中で謝っていると、アドラは再度問診の姿勢に戻った。


「さて、記憶の方の確認は終わったので、次は倒れた時の事を何か覚えていないか確認してみよう」


 そちらは何も答えられなそうだが、とりあえず協力の姿勢を示す為に頷いて見せた。


「三日前、セシリィが友人達と遊びに行ったのは覚えているかい?」


 私は首を横に振った。


「ふむ。そこで君は急に倒れ、友人達に背負われて帰って来たらしい。その時かなりの高熱を出していたようで、ドロシーさんが私の元へ解熱剤を買いに来たんだ」


 その辺りはドロシーやアドラが言っていた事の再確認なので、私は頷いて続きを待った。


「その後、ドロシーさんが子供達に詳しい事情を聞いたそうだ。ドロシーさん、私に教えてくれた事をセシリィにも教えてあげて下さい」


 ドロシーは説明を促され、コクリと頷いた。私も彼女の方へ身体の向きを変える。


「あの日セシリィ達は、街の外、南門から橋に行く途中にある花畑で遊んでいたそうよ。丁度小川がある辺りね」


 ……あれ? それって夢の中で見た景色じゃない?


「そこで花摘みをしたり、お喋りしたりしていたようだけど、その時にセシリィが急に倒れたそうよ。皆慌てて起こそうとしたけど全然起きなくて、何とかセシリィを連れ帰るため、皆で交代しながら背負って来てくれたわ」


 その後は先程聞いた通りだ。

 子供達が頑張ってくれなければ、私はこの世界でも死んでいたのではないだろうか?

 いくら望まぬ生まれ変わりだったとしても、人の善意に感謝も出来ない子に育てられた覚えはない。

 助けてくれてありがとう、名前も知らない子供達。


「倒れた時の状況は今ドロシーが話してくれた通りだけれど、何か覚えている事はあるかい?」


 ドロシーの話が終わると、アドラは再び探るような目を向けて私に問いかけて来た。

 下手に誤魔化してもまたすぐにバレそうなので、私は夢の中の出来事を正直に答える事にした。


「私が寝込んでいる間に、全く同じ夢を見ました。夢じゃなくて、倒れる前の事を覚えていただけだったみたいです」

「おや、覚えているんだね、なるほど。それで、何で倒れてしまったかは分かるかい? 何か異常は無かったかな?」


 変わった事といえば、変な声が聞こえた事くらいだ。

 けれど、あれは夢なのか現実なのかよく分からない。

 その上、お姫様になったなんて言っても信用はされないだろう。


「夢で見た出来事なので、突拍子もない事を言いますけど笑わないで下さいね」

「もちろん笑ったりしないよ」

「私はお花畑で遊んでいた時に、不思議な声からお姫様になったって言われました。侍女もいるそうですよ。それで喜んでいたら、小さな光が見えて、そこで夢は途切れました。多分、倒れたのはその時だと思います」


 私が夢で見た出来事を伝えると、アドラはその内容の意味を考えるように指で顎を撫で付けた。よく見たら手も毛に覆われた犬のものだ。かわいい。

 暫く考え込んでいたアドラは、顔を上げて微笑んだ。


「女の子らしい夢だね。しかし、倒れた原因とは関係無さそうだ。花に毒があったか、毒虫にやられた可能性が高い。今後お外で遊ぶ時は、よくよく気を付けなさい」


 なるほど、確かにそれはあり得そうだ。これからの生活で外出する時は、気を付けよう。


 これ以上調べる事は無いようで、アドラは帰り支度を始めた。ドロシーがコートを手渡した時に交わした会話が、私にも聞こえてきた。


「妖精ではなかったみたいで安心しました」

「妖精憑きなら会話すらままなりませんからね。これだけしっかりと受け応え出来るので、妖精の関与は無いでしょう」


 妖精憑きとは何だろう。

 この世界には、妖精がいるのだろうか。

 犬人間がいる世界だし、いてもおかしくないだろう。


 私はこの世界に、少し興味が湧いてきた。




 ドロシーは、アドラが帰るのを見送ると、部屋に戻って来た。

 彼女は先程までアドラが座っていた椅子に腰掛けると、優しく頭を撫でてくれた。

 こういう幼い子供に対するようなスキンシップは、大人になってからはほとんど無かったので、少しくすぐったい。


「家族の事、ちゃんと教えてあげないとね」


 人間関係は覚え直しと言われているので、ドロシーはそこからきちんと教えてくれるようだ。


 母親の名前はドロシー。私がもうすぐ通い始める学園の先生をしているらしい。冬の始めから春の始業式の準備が始まるまでは閉校期間で教員の仕事は無いらしく、春が訪れたばかりの今は家にいるそうだ。


 父親の名前はオルター。公務館という役所のような場所の役員で、ここ数年は何やら忙しく泊まり込みらしい。この世界での休日にあたる天の日にだけ家に戻るとの事だ。


 私の名前はセシリィ。この春の中頃から学園に入学する年頃で、身体が弱く病気になりがちらしい。

 ドロシーは心配してくれているが、外を自由に歩き回れる身体というだけでも贅沢なくらいだ。望んだ形ではなかったけど、私は健康な身体を手に入れたようだ。


 兄弟姉妹はいなかった。莉絵として生きていた時も一人っ子だったので、こちらでも一人っ子なのは少しだけ残念である。


 まだ放り込まれたこの世界に戸惑いはあるけれど、いつまでも悩んでいても状況は変わらない。

 家族となるドロシーもこんなに優しい母親だ、不満などない。


「お母さん、家族の事いろいろ教えてくれてありがとう。思い出せるかは分からないけど、これからもよろしくお願いします」


 丁寧に挨拶すると、ドロシーはフフッと笑ってまた頭を撫でてくれた。


「そんなに丁寧に言われちゃうと、何だか変な感じね。こちらこそよろしくお願いします」


 私の真似をするドロシーに、思わず笑ってしまった。


 ……お母さん、私、この世界で頑張るからね。


 しばらく笑っていたせいか、少しだけ視界が滲んだ。

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