27.妖精憑き
ジークリフの一件から一夜明け、妖精ちゃん目覚ましで起床した私は窓越しに外を眺めた。
日は昇っているのに薄暗く、上空は厚い雲に覆われている。真夏の快晴と比べ過ごしやすい天気ではあるが、少しばかり重苦しさを感じる曇天だ。
朝食を済ませ、身支度を整えて家を出るところでドロシーに傘を持たされた。花柄模様のついた私のお気に入りである。
この世界には天気予報など無いが、どうしてかその日の天気は分かるらしい。まだ私が知らない妖精で調べる事が出来るのだろう。
最近は何においても妖精を使う文化に慣れてきたので、自然とそういう考え方になってきた。
私は傘をぶらぶら揺らしながら、学園までの道すがら空模様を眺めた。雨に濡れて寝込んだ事が何度もあるので、気を付けないといけない。
本当は雨の中で自由奔放に遊んでみたいのだが、ままならないものである。
学園に着くまでの間、雨に降られる事は無かった。私はドロシーと別れ教室へ向かう。いつもの廊下も今日は少し薄暗い。
教室に着くとエイミーが既に来ていたので、挨拶を交わして私も席に着いた。
二人でお喋りしているうちにリックやベラ、マルティアなど他の子たちも次々と教室に入って来た。やはり皆も傘を持参しており、教室が少しだけ色鮮やかになった。
しばらくすると、ジークリフもやって来た。左腕の包帯はもう外れていて、傷跡も残っていない。流石は聖女様の癒しである。
ジークリフは、私達の方を見やると一直線にこちらへやって来た。
「昨日は世話を掛けた。身内の問題は解決したから、もう気にしないでくれ」
「それは何よりね。フィリア先輩のおかげで怪我も治ったみたいだし」
「ああ、あれはどこかの妖精と違い本当に素晴らしいな」
そう言ってジークリフはニッと笑い、踵を返して自席に戻って行った。
皮肉混じりではあるが、彼が素直に笑うのを初めて見たので、私は面食らった。あんな表情も出来るのか。
いや、私が何度も騒動を起こしてたせいで警戒されて、笑顔を見る機会が無かっただけかもしれない。
いずれにせよ、兄弟のいざこざは解決したようで何よりだ。一番心配していたベラも、嬉しそうに笑っていた。
一限目が始まるまでの間に授業の準備をしていると、雨粒が窓を叩き始めた。空も教室もかなり暗くなってしまったが、教室用の照明器具は教師しか起動出来ないので、皆それぞれに光の妖精を呼び出し照明代わりにしている。
私も光の妖精である照明ちゃんを呼び出しておく。照明ちゃんは、頭上に閃きマークのように電球な浮かんでいる妖精ちゃんだ。
普通に命令語から呼び出す妖精でも光量は変わらないのだが、マルティアが喜ぶので最近は気にせず妖精ちゃんを使っている。何度も見ていれば流石に皆も慣れ、もう騒ぎになる事も無くなった。
雨脚が強くなり窓越しにも雨音が響く程になった頃、教室のドアが開かれた。少し早いがエルオットが来たのだろうと考え、皆が話を止める。
しかし、そこに立っていたのは見知らぬ男の子だった。背丈からして上級生のようだが誰だろうか。
私が首を傾げていると、ジークリフが立ち上がって訪問者の元へ歩き出した。
「兄さん?」
ジークリフの呼び掛けから、彼がお兄さんである事が分かった。確かに少し顔立ちが似ている気もする。
名前は確か、ヴァルクリオ。
いったい何の用事だろう。忘れ物でも届けに来たのだろうか。
そんな呑気な事を考えていられるのは、僅かな間だけだった。
ヴァルクリオが右手を手を前に突き出すと同時に、ギードが叫んだ。
「危ない!」
ギードは素早くジークリフに飛び付き、押し倒した。
次の瞬間、ヴァルクリオの手から切り裂くような風が放たれる。風の刃はジークリフ達の頭上を超えていくと、窓にぶつかった。そして、衝撃音と共に窓が粉々に割れ、雨が教室に吹き込んで来る。
一瞬何が起こったのか分からずに沈黙が流れたが、それはすぐに悲鳴に変わった。
「兄さん、何をしてるのですか!? また同じ事をしたら庇い切れないと言われたではないですか!」
ジークリフが必死に叫んでいるが、ヴァルクリオは反応が無い。どうにも様子がおかしい。
私は混乱する頭の中で、何が起きているのか必死に考えを巡らせる。
あれは何、妖精?
あんな危険な妖精があるの?
何故ジークリフが狙われたの?
家の問題は解決したんじゃなかったの?
お兄さんが反応しないのは何故?
だが、状況を整理する暇も無くヴァルクリオは再び動いた。
「邪魔……するな……」
生気の無い声でそう呟くと、先程の風の刃をいくつも放った。それはジークリフだけを狙うものではなく、教室中に飛散して他の子達を切り裂いた。
「うあぁ!」
「ぐあっ!」
「きゃああっ!」
ジークリフを庇っていたギード、リックの友人のディーツ、そして、ベラが風に切り裂かれた。皆、裂けた服からジワッと血を滲ませ、痛い、痛いと泣き出した。それに釣られ、他の子も泣き声を上げる。
更に、私の隣でゴッと音がした。見るとエイミーが机に伏せている。繊細な彼女は、この凄惨な光景にショックを受けて気を失ってしまったのだろう。
エイミーが倒れる様を見て、ベラが更に大粒の涙を流して大声で泣き出した。
……何……これ。
私は友人が受けた理不尽な負傷に冷静に考える余裕も無くなってしまい、ベラとエイミーを呆然と見ている事しか出来なかった。
そんな中で、私の頼もしいもう一人の友人が動いた。
「セシリィ、ベラとエイミーは無事かっ!?」
リックが血相を変えてこちらへ駆け付け、すぐさま二人の安否を確認する。
その声に、私はハッと我に返った。そうだ、まずは動かなくてはならない。
私が冷静さを取り戻し、周囲の状況を確認しようとした時、ギードが叫んだ。
「ジークリフ様、逃げて下さい! 話が通じていません! あれは、妖精憑きです!」
妖精憑き!?
それは、大人達が今まで幾度となく警告してきた存在だ。だが、私達は本当の意味でその危険さを分かっていなかったようだ。このように目の当たりにするまでは。
ギードは何故知っているのか。その疑問はすぐに一つの答えに辿り着いた。
そうだ、ギードが怪我をして来た時だ。あの時フローレスは妖精案件だと口を閉ざした。あの時にギードは妖精憑きの被害を受けていたのだろう。だから知っているのだ。
兎にも角にも妖精と分かった以上、まずは全員の安全を確保しなくてはならない。私にはその手段があるのだ。
そう決意した時、マルティアが耳元でこそっと呟いた。
「わたくし、先生に救助を求めて来ますね」
驚いて彼女の顔を見ると、そこにはいつものおっとりぽわんな雰囲気は無く、真剣な表情を浮かべていた。
私が頷くと、マルティアは机の陰に隠れながらヴァルクリオがいない方のドアを開けて廊下に出て行った。
流石は豪商の娘だ。この非常事態の中で冷静さを失わず、優先的して採るべき行動を決めている。
私も彼女を見習って出来る事をしようと考え、改めて皆の状況を確認する。
ギードは怪我をしながらも、ヴァルクリオにしがみついてこれ以上の攻撃を阻止しようとしているようだ。命に関わる程ではなさそうだが、傷が深いようでヴァルクリオが暴れる度に、服に血が広がっている。
ディーツは傷は浅いようで、痛みに耐えながら状況を見守っている。
ベラも大泣きしてはいるが、服に滲んだ血があまり広がっていないので、傷は深くはないだろう。
ジークリフはショックで呆然としている。あの位置は少し危ないかもしれない。傍らでフリッツが震えながら涙をぼろぼろ流して彼を庇おうてしていた。
エイミーは気を失っているが、他の子は机に隠れて身の安全を確保したようだ。
とりあえずの現状は確認出来た。一番危険な状況にあるのは、傷が深く更なる攻撃が来た時に逃げられないギードだ。一刻も早く妖精を封じなければならない。
「ベラ、怪我してて痛いだろうけど、私が絶対に守るからね」
私が少しでも安心させようと声を掛けると、ベラは泣き声を潜めた。
「ぐすっ、……セシリィ?」
「守るって、どうするんだ?」
私は不思議そうにこちらを見たベラとリックに微笑みかけ、頭の中にイメージを描いた。
(ジージョ、妖精を防ぐ結界を出して! 教室の皆を守れるくらい大きいやつ!)
『はい、姫様! 少し大きいですが、やってみます!』
私の勢いに釣られてか、ジージョも張り切った返事をくれた。実に頼もしい相棒だ。
結界は即座に展開された。薄黄色い膜が教室を覆うように広がる。
途端、周囲が暗くなった。皆が出した光の妖精が封じられて消えた為だ。何故か私の妖精ちゃんだけ消えずに光を放ったままだが、今はそんな事はどうでもいい。
私はヴァルクリオを見た。
先程まではギードに抵抗して暴れていたが、今は静かになっているようだ。妖精が封じられて攻撃手段を失ったせいだろか。
本当は彼だけ結界の外に出したておきたかったが、立ち位置的に無理そうだったので一緒に結界で覆った。妖精が封じられたならば、それだけでも危険はぐんと小さくなっただろう。
「け、結界!? 何だこれ、何が起きたんだ!?」
突然現れた結界に、リックが混乱をしている。他の子達も、唖然としたように頭上を見上げていた。普段街を覆うのは見慣れていても、突然現れれば驚くのも無理はない。
これは先生達が知ったらまた色々と質問責めにされそうだ。
そんな事を考えていたら、突然激しい目眩に襲われた。
いや違う。今気が付いただけで、ずっと身体が不調を訴えていたのだ。
まずい、今倒れたら結界が消えてしまうかもしれない。そしたらまた皆が危険に晒される。
何とか耐えなければと思っても、身体はもう限界に近い。
『姫様、今扱えるギリギリまでイデアを実体化したので負担が大きかったようです。結界は消えませんので、少しお休みになって下さい』
(そう……なの? でも、先生に……事情だけでも……伝えないと……)
現状を正しく説明出来るは私くらいだ。意識が朦朧とする中で、何とか踏ん張ってエルオットを待つ。
しかし、ジージョに何かを出して貰う事がこんな風に体力を消耗するものだとは思わなかった。次からは規模を考えた方が良さそうだ。
どんどん目眩が酷くなっていくのが自覚出来る。今にも気を失いそうだ。
だが、まだ倒れる訳にはいかない。
……先生、早く来て!
私の願いが通じたのか、直後、エルオットが教室に飛び込んで来た。
「皆、無事かっ!?」
良かった。後は先生に任せれば安心だ。
「先生……ジークリフの……お兄さん……妖精憑きです……。妖精……は……封じたので……後……頼……」
最後は上手く伝えられたか分からないが、そこで私の意識はプツリと途切れた。
意識が途絶える間際、誰かが私の名前を呼ぶ声が聞こえたが、もう応える事は出来なかった。




