18.聖女の治癒
エルオットは保健室に私を運び込みベッドへ寝かせてくれた後、室内や窓の外の農園の方を眺めて何かを探す様子を見せた。
目的の探し物は見つからなかったようで、苛立つような顔で頭を掻いている。
「フローレス先生は、また草取りにでも行ってるのか」
なるほど、確かに保健室に私達以外は居なかった。
問題の保健室の主は仕事を放っぽり出して、何処かへ行っているようだ。
「仕方ない、フィリアを寄越して貰うようドロシー先生に連絡する。セシリィ、傷が痛むだろうがもう少し我慢してくれ」
自分の全身を見回すと、確かにドン引きするくらい砂塗れの擦り傷だらけだ。しかも熱まで出て来た気がする。
これくらいは我慢出来ない辛さではないが、これでも乙女である。顔に傷が残らないかは心配だ。
それにしても、フィリアを呼ぶというのはどういう事だろう。医療の知識があるのだろうか。彼女は優しいし、清らかな水色の髪に、白衣姿はよく似合いそうではあるが。
しばらくして、保健室にフィリアが入って来た。
ベッドの上の私を見て一瞬ギョッとしたようだが、すぐに冷静な表情に戻りエルオットと話を始めた。
「怪我人は彼女ですね」
「そうだ。名前はセシリィ、よろしく頼む。本当は学生の君にあまり頼るべきではないのだが、フローレス先生が相変わらず掴まらなくてな」
「気にしないで下さい。後は私が引き受けますから、先生は授業に戻って下さい」
「ああ、悪いな。ドロシー先生には私から詳細を説明するから、後の事は気にしないで大丈夫だ」
それだけ伝えると、エルオットはフィリアに私を預け、保健室を出て行った。
フィリアは、私の側に椅子を運んで腰掛けると、頭から足の先まで見回した。怪我の状況を確認しているのだろう。
「可哀想に、酷い怪我だし服も傷んでしまって。だけど、砂だらけだからまずは洗浄した方が良さそうね」
フィリアはそう言うと席を立ち、保健室の棚から何かを探し始めた。薬でも出すのかと思ったら、出てきたのは不思議な模様の描かれた御札のような紙だった。
彼女はそれを二枚手に取り、私の頭と足裏にペタリと貼り付けてきた。
何だろうと思った直後、私の身体を雲が覆った。
この雲は、妖精を色々と試した時に見覚えてがある。清めの妖精だ。
記憶では小さな雲しか出なかったが、御札の効果だろうか。
しばらくして雲が晴れると、砂塗れだった私は綺麗になっていた。
フィリアは私から御札を剥がし取ると、新しい御札を二枚取り出して、もう一度同じ場所に貼り付けた。
「次は治癒の妖精を使うわね。少し気分が悪くなるかもしれないけど、我慢してね」
私は治癒の妖精をまだ知らない為、とりあえず頷いた。
フィリアが私の頭の御札に触れると、今度は緑色の光が私の身体を覆った。
それは、体内から無理矢理何かを引きずり出されるような感覚だった。すぐに気分が悪くなる程ではないが、あまり長時間受けてると酔ってしまうかもしれない。
しばらくすると、少しずつ傷が消え始め、痛みも引いてきた。
さらに緑の光が消える頃には、傷は跡形も無くすっかり綺麗に消えていた。予想以上に凄い効果だ。
「フィリア先輩、凄いですね。傷が消えました!」
「これが治癒の妖精よ。四年生に上がれば習うから、誰でも使えるようになるわ」
私は感動して尊敬の眼差しを向けたが、どうやら上級生は誰でも使えるらしい。
「そうなんですね。じゃあどうしてわざわざ先輩が呼ばれたんですか?」
「治癒の妖精は、本来自分にしか使えないのよ。けれど、私の妖精は特別で、他の人に対しても使えるの」
フィリアはそう言うと、おどけるように悪戯っぽく笑った。
「それがユニーク型の妖精なんですね、凄い!」
本来のユニーク型は、通常の効果の完全上位互換と言える程に、かなり効果に差があるようだ。これでは動き回るだけの効果は、残念な子扱いされるのも納得である。
「あら、ユニーク型についてもう習ったのね。新入生に発現した子がいたのかしら」
「あはは……」
「まあそんな訳で、私は他人に治療を掛けられるから、たまにこうしてお仕事を頼まれるの。……フローレス先生が、よく留守にしちゃうから」
フィリアは、そう言って苦笑した。
自分の仕事を学生に押し付けてよく居なくなるなんて、噂に違わぬ問題先生だ。
これで笑っていられるフィリアが、天使に見える。
「先輩が聖女って呼ばれる理由が分かった気がします」
「それ、止めて欲しいんだけどね。皆がそう呼ぶから、もう諦めているけれど」
「私は格好良い肩書きって羨ましいです」
「……聖女を格好良いと言われたのは初めてね。ところで、顔色が悪そうだけど大丈夫?」
言われて思い出したが、確かに怪我をした後から熱が上がっている自覚はあった。経験則だが、多分もっと上がるだろう。
「熱っぽいですね。とりあえず今日は授業に戻れなそうなので、保健室で休ませて貰います」
「そう、困ったわね。私、傷は治せるけど病気が治せるわけではないし。いつも授業が終わるくらいの時間にフローレス先生が戻るから、それまで待ちましょう」
そう言うと、フィリアは持参した教科書を開いて読み始めた。
「先輩は授業に戻らないんですか?」
「いいの」
フィリアは教科書から目を離さず、簡潔に返事しただけだった。
本人が問題無いと言うなら、きっといつもの事なのだろう。
それ以上話す元気も無くなってきたので、少しでも熱が悪化するのを抑える為に少し眠る事にした。
誰かの話し声が聞こえ、私は浅い眠りから覚めた。寝る前より熱が上がっており、身体が怠い。
私はもぞもぞと起き上がり、保健室を見渡した。
フィリアはいつの間にか居なくなっており、代わりに白衣の女性がいた。彼女がフローレスだろう。
フローレスは、短い銀髪が印象的で、眠たそうな瞼の奥に、水色の瞳が見える。歳はドロシーと同じくらいだろうか。
彼女は机に試験管を並べて何かを調合していたが、私に気づいて口を開いた。
「起きたね。かなり熱があるみたいだから、今とっておきの薬を試作してる。少し待ってな」
ややぶっきらぼうな口調だが、どうやら薬を作ってくれているらしい。……試作と聞こえたのは、気のせいであって欲しい。
「フローレス先生、ですよね? わざわざ作らなくても、常備薬は無いのですか?」
「あるけど、それでは薬の研究は出来ないでしょ」
何という事だろう。私は薬の研究のため治験体にされてしまうらしい。誰か助けて。
「そんな安全が保証されない薬、いりませんよ」
「解熱するだけの簡単な薬だ。危険性なんてあるわけ無い。ほら、出来たよ」
私は正当な主張をしたつもりだが、何故か睨まれてしまった。
フローレスは、試験管の中の粉末を薬包紙に少し移すと、三角折りにしてこちらに持って来た。
「さ、飲んでみて」
拒否権は無いと言わんばかりに、薬と水を目の前に置かれてしまった。
体調はどんどん悪化している為、私は観念して薬を口に含み、一気に水で流し込んだ。
苦くて少し辛味もある。鼻から抜ける臭いは防虫剤のようだ。何を素材にしているのだろう。
「いいね。もっと駄々をこねるかと思ったけど、潔いじゃないか」
ずっと無表情だったフローレスが、少し楽しそうに笑った。
「怠くてそんな元気無いだけですよ。変な味と臭いがしたので、不安で泣きそうです」
「効果は高いはずだから心配無い。帰る時間には熱も下がるだろう。エルオット先生には連絡してあるから、今日はここで休んでなさい」
「はぁい」
もともと残りの授業は諦めていたので、素直に同意した。
それからしばらくは、静かな室内にカチャカチャと調合の音だけが響いていた。
私は先程少し寝たので、ベッドの上でぼんやりと天井を眺めながらその音を聞いていた。
「セシリィ、フィリアから治癒を受けただろ? 出来ればでいいが、聖女フィリアの力として、君の学年にも広めておいて欲しい」
私は唐突なお願いに驚いて、フローレスの顔を見た。その顔は、変わらず無表情だった。
「フィリア先輩は、聖女の肩書きを嫌がってましたよ。まさか、噂の出どころって先生なんですか?」
私の問いに、フローレスは「そうだ」とだけ答えた。
それでは納得出来ないと追求しようとしたが、フローレスの方が先に口を開いた。
「あの子の治癒の妖精は、将来的に王都でもかなり重宝されるだろう。ただ、実績が足りない。実績の代わりに聖女という名声があると、あの子の将来は明るいものになる」
「治癒の妖精は、自分に対してなら誰でも使えると聞きましたよ。そんなに重宝されるんですか?」
私は、いまいちその重要性にピンと来なかった。怪我をしたら自分で治せば良いのだ。
だが、それは素人考えだったようだ。
「君は幼いから、怪我人と言っても擦り傷程度しか想像出来ないだろう。だが現実の怪我人は、意識を失っていたり妖精も使えぬほど疲弊していて、自分で治療出来ない者も多いんだ」
説明されてよく分かった。そう考えると、治癒の妖精というのもあまり万能ではないらしい。
「なるほど、よく分かりました。フィリア先輩の将来の為に、聖女の噂は私も広めておきます」
「ああ、助かるよ」
フローレス先生が意外にも生徒思いだった事に驚いたが、そういう事情なら協力したい。
聖女の肩書きを嫌がっていたフィリアには悪いが、許して貰おう。
話がひと区切りつき、しばらく休んでいると保健室に来客があった。級友の女の子三人だ。
エイミーは、私の鞄も持って来てくれていた。
「セシリィ、怪我は大丈夫?」
私の全身を心配そうに見回したエイミーは、怪我が残っていない事に安堵した表情に戻った。
ベラは、少し傷んで血も付いている私の服を見て心配してくれた。
マルティアは、いつも通りおっとり笑顔だ。
「心配してくれてありがとう、皆。怪我は大丈夫。フィリア先輩が治癒を施してくれたの。まさに聖女様ね」
折角なので、私は聖女フィリアを宣伝しておいた。
女の子は噂話が大好物なので、お弁当を食べながら聖女フィリアの話をする事になった。
保健室を食堂代わりに使う事になったが、フローレスは特に何も言わなかった。今後も昼食にここを使わせて貰えれば、良い穴場かもしれない。
私はお弁当を取り出したが、食欲はほとんど無い。仕方がないのでサンドイッチを一つだけ手に取り、残りを皆にあげた。
皆喜んでいたが、マルティアは特に嬉しそうに食べていた。
「先生も良ければどうぞ」
私がフローレスにも勧めると、彼女はひょいと一つ手に取って口に運んだ。無表情のままだが、ペロリと平らげたので口には合ったようだ。
それからフローレスは私の額に手を当てて、苦々しい顔になった。
「あの薬でも熱が下がらんのか。セシリィの病弱さはドロシー達に聞いていたが、予想以上に酷いようだ」
その言葉に、エイミーは表情を曇らせた。
「セシリィの状態は、そんなに悪いんですね」
「あぁ、今ドロシーを呼ぶから今日は一緒に帰りなさい」
「分かりました」
その後、すぐにドロシーが部屋に来てくれた。
私の血の滲んだ服を見て少し青褪めていたが、フローレスの説明で怪我の方は問題無い事が分かると、いくらか安心したようだ。
先に友人達を帰らせ、私もドロシーに背負われて帰る事になった。
「お母さん、お仕事中なのにごめんね」
「セシリィが気にする事じゃないわ。これから一度家で着替えて、アドラ先生の所でちゃんと診て貰いましょうね」
この後の予定を聞いて、私は小さく溜息をついた。またアドラに皮肉を言われそうだ。
仕方ないので、準備しておいた絵本を寄贈して機嫌を取ることにしよう。