13.入学式
「セシリィ、起きなさい」
布団を引っ剥がされ、私は無理矢理叩き起こされた。
視界はぼやけているし、頭もうまく働かない。間違いなく睡眠不足だった。
「ん、おふぁよ」
今日は二度寝するわけにもいかないので、私はなんとかベッドから抜け出すと、ふらつく足取りで顔を洗いに向かった。
何度も水で顔を濡らしたが、一向に眠気は覚めなかった。
オルターはすでに帰宅していたようで、今日は家族揃っての朝食だ。
私はウトウトしながらトーストをかじる。
「セシリィ、随分おねむのようだが大丈夫かい?」
「ん」
眠そうな様子を見たオルターが心配そうに聞いてきたので、私は問題ないと簡単に返事をした。
食事を終えたらお着替えだ。ついに制服を着る時がやって来た。
私は急いで着替えようとしたが、どうにも手元がおぼつかない。見かねたドロシーが手伝ってくれて、なんとか着替えが完了した。貰った髪留めも完璧だ。
姿見鏡に映る自分の制服姿に満足し、通学用に準備して貰った鞄を背負って、指輪も装着しておいた。
「うん、寝惚けた顔以外はバッチリね」
ドロシーのお墨付きが出たので、そのまま玄関へ向かう。
「準備出来たようだね、セシリィ。よく似合っているよ」
すでに玄関前で待っていたオルターも、私の制服姿を褒めてくれた。彼も今日は正装で身を整えており、いつもの無精髭も綺麗に剃られていた。
私は綺麗に磨かれた靴を履き、皆で家を出た。
学園は街の東に位置しているらしい。私はドロシーとオルターの間に挟まれ、二人と手を繋ぎながら学園へ向かった。
春も半ばになると朝の空気もだいぶ和らぎ、心地良いそよ風を肌に感じた。このまま草原にでも寝転がって眠りたくなる。
まだ眠気でぼんやりした頭のまま、二人に導かれるままに歩いていると、眼前に白い大きな門が見えて来た。近づくと、その大きさに圧倒される。
「この正門を抜けたら学園よ」
「わぁ、凄い!」
門を抜けた先には、青い屋根と白い壁の建物が広がっていた。莉絵時代に写真で見た外国の有名な美術館のような、歴史を感じる建造物だ。
正門から学舎の入口まではレンガで舗装された道が続き、道の両側にはよく整えられた生垣や芝生が広がっている。
「中に入ったら上級生が待機していて、教室へ連れて行ってくれるわ。セシリィはその子に着いて行くのよ。私は五年生の担任だから自分の教室に行くけれど、オルターはそのまま広間に向かってね」
「はぁい」
「あぁ、また後でね」
私達はどうやら、一旦バラバラに分かれるようだ。
建物に入るとドロシーが言っていた通り上級生徒達が並んで待っており、その中に「セシリィ」という私の名前が書かれたコサージュを持った女の子がいた。
私がその女の子に近づくと、彼女はニコリと微笑み挨拶してくれた。腰の辺りまで伸びる綺麗な水色の髪と、青緑色の瞳の美人さんだ。
「セシリィ、ようこそ我等が学び舎へ。私が教室まで案内しますね」
「よろしくお願い致します」
互いに挨拶を交わすと、彼女はコサージュを私の左胸に付けてくれた。そのまま手を引かれ、新入生の教室へ導かれる。
「セシリィはドロシー先生の娘さんなんですってね。私達の担任なんですよ。いつも、大変良くして頂いています」
いきなり世間話を振られるのは予想外だったので、とりあえず「自慢の母です」とだけ返しておいた。
教室に着くと、案内してくれた女の子は笑顔で手を振って去って行った。
私が教室に入ると、すでに何人か席に着いている。
長机に椅子が並んでおり、どうやら座る場所は自由のようだ。席数は少なく、教室は思ったよりは小ぢんまりとしていた。
私は着席してる子の中からベラの姿を見つけ、隣に座ると挨拶を交わした。
「おはようベラ。制服姿も可愛いね」
「おはよう。セシリィはいつも以上に凛々しく見えるわ」
「凛々しく見えるの? そんな事言われたの初めてだけど、嬉しいよ。制服効果は凄いね」
私は病弱なので凛々しいとは真逆だろうが、今の私の姿はなかなかに決まっているようだ。
しばらく二人でお喋りしていると、リックやエイミーや他の子供達も次々と教室に入って来た。
エイミーは私達の隣に座り、挨拶を交わす。
「セシリィ、ベラ、おはよう。二人とも早いね」
「エイミーおはよう。制服だと優雅さに磨きが掛かって見えるよ」
「ええ、エイミーは何だか大人っぽくみえるわ」
私達は互いに褒め合って、しばらくは楽しいお喋りをして時間を過ごした。
リックは離れた席に座っているが、彼は誰とでもすぐに打ち解けるので、すぐに新しい男友達が出来たようだ。
ちなみに、男の子の制服はブレザーになっている。ワンピースと同じく肩に学園の紋章が刺繍されて、襟には蝶ネクタイを結んでいる。
リックも制服姿だと、普段の元気な印象より知的に見え、なかなか決まっている。
他には取巻き二人を従えた男の子がいる。恐らくあれが区長の子だろう。
教室は大きく三つのグループに分かれた。
私達がいる女の子の三名グループ。
区長の子とその取巻きの男の子三名グループ。
取巻きになる気は無いリック達の男の子三名グループ。
あとはもう一人、身なりの良い女の子がいる。私達のような入学前からのお友達もいないようなので、後でお話してみたい。
私達の学年は、この十名で全員だ。思ったより少なくて驚いた。この街の子供が少ないのか、どこの地区もこのくらいなのだろうか。
そうこうしていると、教室に男の先生が入って来た。彼がエルオットだろう。
短く整えられた青い髪に黒い瞳を持ち、肩幅があり正装の上からでも筋肉質な体躯をしているのが分かる。
先生が教壇前に立つと、子供達はお喋りを止めて前を向いた。
エルオットは教室内を見渡すと、爽やかな笑顔で元気に挨拶を行った。
「皆、入学おめでとう! 私が皆を卒業まで六年間受け持つエルオットだ! 気軽にエルオット先生と呼んでくれ!」
聞いていた通りの体育会系だった。
以前にドロシーが教えてくれたが、この学園にクラス替えは無く、先生も生徒も卒業までの付き合いになるそうだ。
学園生活をつつがなく送る為に、学年内に不和が起きた場合は早めに解決する必要があるらしい。
「この後、君たちは広間へ移動し入学式を行う。その後、学園長による生徒登録の儀を行い、そのまま帰宅になる。今日は親御さんも来ているから、一緒に帰る事になるだろう」
どうやら今日は、入学式だけで終わりのようだ。
生徒登録の儀というのがよく分からないけれど、今も眠気と戦っている状態なので早く帰れるのは助かる。
エルオットが一通りの連絡事項を伝えると、いよいよ広間へ移動だ。私達は、先生に続いて教室を後にした。
広間に入ると、既に人が沢山いた。
見たところ、上級生、教員、保護者の席に分かれているようだ。
広間の奥は少し高くなっており、真ん中に演台が置かれている。
その手前に広間側へ向いた椅子が十脚並んでおり、そこに私達は引率されて順番に腰を下ろした。
全員が席に着くと、広間に集まった人々から拍手が巻き起こり、入学式が始まった。
皆に注目されているのを感じたが、私は気にせず家族を探してみた。
ドロシーは上級生の中にいたので、すぐに見つかった。あの辺が五年生なのだろう。私を出迎えてくれた、水色の髪の子も座っていた。
オルターはなかなか見つからず、一人でお父さんを探せゲームをしているうちに、式はどんどん進んでいく。
一度、新入生だけが起立するタイミングがあり、視界が高くなったところでようやく保護者席の中に父の姿を見つけた。ハンカチを片手に泣いている姿を見て、少し笑ってしまったのは内緒だ。
家族を見つけて集中力が切れたせいか、再び眠たくなってきた。一瞬落ちかけたところで大きな拍手が巻き起こり、ギリギリで踏み留まって無事入学式は終わった。
その後、私達新入生と担任のエルオット、学園長だけこの場に残る指示があったため、私達は皆が退場して行くのを見送った。
退場が済むと、私達はエルオットに率いられ、学園長が立っている演台の前に移動した。
学園長は結構なお年寄りで、短く整髪された白髪姿で灰色の瞳を持ち、綺麗に整えられた白い髭を貯えている。
彼は一度私達を見渡すと、満足したように微笑み深く頷いて口を開いた。
「ようこそ子供達。我が学園は、王国建国から続く伝統ある学び舎です。近年は王都の学園への入学を目指す子供達も多い為、生徒数は少ないですが、王都と遜色無い最高の教育環境を約束致します」
どうやら今の初等教育は、王都の学園で学ぶのが人気らしい。私はドロシーがここの教員なので打診すら無かったが、他の子達はそういう検討もしたのだろうか。
「では、これより生徒登録の儀を行います。これにより正式に入学が承認され、低学年教育用の妖精の使用制限が解除されます」
学園長の説明に、子供達が皆ざわりとした。
今まで大人達が頑なに遠ざけてきた妖精に、いよいよ私達も接する事になるらしい。御守りをくれたのは、こういう教育課程があるからだったようだ。
「では、順番にこちらへ来て下さい。この円盤の真ん中にある魔石に触れれば登録は終わりです。先に全員を登録し、最後に制限解除を行います」
私達は順番に、不思議な模様の描かれた円盤の中央に嵌められた黒い石に触れていく。
円盤の外周に十人分の光が灯ると、学園長が黒い石に手を当てて目を閉じた。
次の瞬間、周りの子供達が驚いた声を上げた。
「うわ、何だっ!?」
私は何が起きたのだろうと不安になり、周りを見回す。
リックは驚いた顔で頭上を見つめ、エイミーやベラは戸惑ったように頭を押さえている。他の生徒達も似たような反応をしていた。
「制限解除が終わりました。妖精と繋がる感覚に驚いたと思いますが、これで生徒登録の儀は完了です」
学園長は、仕事は終わったというようにさっさと立ち去ってしまった。
私だけ眠くてぼんやりとしていたせいか、そんな感覚に気づかなかった。円盤はきちんと人数分光っていたし問題ないと思うが、大丈夫だろうか。
そんな私の不安が届いたのか、頭に声が聞こえてきた。
『大丈夫ですよ、姫様。限定的ですが、イデアの制限が一部解放されました』
どうやら大丈夫だったらしい。優秀な侍女だ。
妖精ではなくイデアの制限というのが解除されたらしいが、多分同じ意味なのだろう。
頭の中で、教えてくれた事に感謝を伝えていると、エルオットが退場を促してきた。
「さあ、私達も教室に戻ろう!」
まだ戸惑っている生徒達は、ハッとしてエルオットに続き広間を後にした。
「明日からは授業が始まる。楽しみにな! では皆、また明日!」
「先生、さようなら」
教室に戻るとエルオットと別れの挨拶をし、鞄を持って学舎の入口に向かった。
そこには保護者達が待っており、子供達が駆け寄って行く。
ドロシーやオルターを見つけ、私も後に続いた。
「セシリィ、立派だったぞ!」
「寝ちゃいそうで心配しながら見ていたけれど、最後まで我慢したようね。偉いわ」
二人は私を軽く抱き締めて、それぞれに今日の晴れ姿を褒めてくれた。
ちなみに、私の状態はドロシーが正しい。今はとにかく眠いのだ。
「そろそろ限界かも、眠い」
私がそう伝えると、オルターは私の頭を撫でた後、ひょいと背負ってくれた。
「お疲れ様。父さんがしっかり家まで運んであげるから、セシリィはもう寝てしまって大丈夫だよ」
「ありがと、お父さん……」
エイミー達にもお別れの挨拶したかったが、父の背中の温かさに私はあっという間に眠りに落ちた。
目が覚めると、自室のベッドだった。
窓の外は既に暗く、月明かりが差し込んでいる。
いつの間にか寝巻き姿になっているが、ドロシーが着替えさせてくれたのだろうか。
時計など無いので、どのくらい寝ていたのかは分からない。
私はベッドを抜け出して、部屋の外へ向かった。
廊下に出ると、キッチンのドアから光が漏れているのが確認出来た。まだ皆が寝静まる時間ではなかったようだ。
私がキッチンに入ると、ドロシーは何かの書き物をしていた。教師の仕事だろうか。
彼女は私に気がつくと、手を止めて微笑んだ。
「あら、目が覚めたのね。お夕飯は残してあるから、食べちゃいなさい。すぐ準備するわ」
私は頷いて席に着き、夕食が出てくるのを待つ事にした。
そういえば、オルターは何処だろうか。
「お母さん、お父さんは?」
「セシリィを家まで運んだ後、公務館から連絡が来てね。急ぎの用件だったみたいで、すぐに出掛けて行ったわ」
オルターは、私が思っている以上に忙しいようだ。そんな中で入学式を見に来てくれた事が、とても嬉しかった。
「本当に忙しいんだね。私、寝てしまってあまりお話出来なかったからガッカリしちゃったかな」
「うふふ、そんな事無いわよ。昔はよくセシリィを背負っていたって懐かしみながら喜んでいたわ」
「そっか」
確かにオルターは、忙しくなる前にはよく私を背負ってあちこちに連れて行ってくれたのを朧気に覚えている。今日のような家族三人でのお出掛けは、とても久しぶりだった。
懐かしさとオルターが忙しくなった原因の王様への憤りを感じ、溜息が出た。
「ほら、スープを温めたからお食べなさいな。寝起きであまり沢山は入らないだろうから、足りない分はパンを食べるといいわ」
「ありがとう、いただきます」
いつの間にか食事の準備が出来ていたので、私はスプーンを手に取った。
私が食べ始めると、ドロシーは書き物の続きをしながら明日の予定を教えてくれた。
「セシリィも明日からは授業でしょう? 朝は少し早めになってしまうけど、私と一緒に学園まで行きましょうね」
「お母さんと一緒に行けるの? やった」
「問題は帰りね。私は一緒に帰れないけれど、セシリィ一人では何処かで倒れちゃわないか心配だわ」
なるほど、行きは良いが帰りが心配というのは私も同意だ。
まあ、友人達と行動するなら問題無いだろう。なんといっても街の外から家まで連れ帰ってくれた頼もしい子供達だ。
「エイミー達と皆で帰るから心配しないで」
「そうね。絶対に一人で行動しちゃ駄目よ?」
「はぁい」
行動時のお約束事が決まり、これでひと安心だ。
相変わらずの過保護っぷりだが、体力に自信の無い私にはありがたい。過保護上等である。
食事を終えると洗い物をし、お風呂を済ませて床に就いた。
もう寝不足は絶対に避けたかったので、お風呂上がりで身体が温かいうちに早々に眠りに付いた。