11.王様の魔法
昨日早めに眠りについたせいか、まだ薄暗い時間に目が覚めた。
窓の外を覗くと空が白み始めており、街の上空には薄黄色の膜が覆っているのが見えた。
今日は結界日のようだ。
以前に教えて貰った事があるが、あれは満月の日にだけ街を守るものらしい。何でそんな結界が必要なのかは、詳しく教えて貰っていないので分からない。
今日は天の日、オルターが帰宅する日だ。おねだりしたら教えてくれるだろうか。
オルターは、いつも通り昼過ぎに戻って来た。私とドロシーは玄関で迎える。
彼は家に入るやいなや、いきなり私を抱き上げでくるくると回った。
「なになに、お父さん!?」
唐突な出来事に、私は目を回しながら何事かと戸惑い慌てふためく。
オルターは丁寧に私を下ろすと、今度はぎゅっと抱き締めてきた。
「セシリィ、記憶が戻ったらしいね。本当に良かった!」
なるほど、オルターは私の記憶が回復した事を聞いていて、興奮しているようだ。
「オルター、気持ちは分かるけどセシリィが目を回しちゃってるわ。もっと優しく扱って頂戴」
「あぁ、すまない。でも本当に安心したよ」
私は皆に心配を掛けていたんだなぁ、と改めて実感させられる。オルターに抱き付き返すと、「心配してくれてありがとう」と感謝を伝えた。
その後、家族皆でのんびりお茶を飲みながら、近況について色々と教えて貰った。
まず、私の記憶が戻ったので、入学後はドロシーではなくエルオットという男性教員が新入生を担任する事に決まったそうだ。少し残念である。
「エルオット先生はどういう人なの?」
少しでも情報があれば多少は心の準備が出来るので、私は教師の娘という権利を遠慮なく使わせて貰う事にした。
「私みたいな若い先生ではなく、もう二回も卒業生を送り出しているベテランの先生よ。王国騎士を目指した時期もあったみたいで、武術に関しては学園で一番の実力ね」
なんとなく体育会系の教師のイメージが湧き、不安になった。私は無事生還出来るのだろうか。
「アドラ先生が言ってたフローレス先生はどんな人?」
私が続けて質問すると、ドロシーは少し苦笑いを浮かべた。
「うーん、変わった人ね。保健室の先生なのだけど、薬草を採りによく留守にしたり、新薬の研究をしたりしているわ」
「ああ、彼女の問題行為は私の耳にも入っているよ」
どうやら、役所の職員であるオルターにまで噂が伝わる問題教師らしい。なるべくお世話になりたくないので、健康には細心の注意を払おう。
「……面白い先生が多いんだね」
そんな教師ばかりなのかと皮肉を込めて言ってみたが、ドロシーは否定せず肩を竦めただけだった。そんな教師ばかりのようだ。
「そうそう、今年は区長様の息子さんも入学するそうだ。セシリィは女の子だから話す機会は多くないだろうが、なるべく仲良くするんだよ」
「任せて。私、皆とお友達になるから」
区長の子とは会った事もないけれど、一緒に遊べばすぐに仲良くなれるだろう。問題無い。
「そういえばオルター、入学式の日は休めそうなの?」
「ああ、無理にでも休ませて貰うと押し切ったよ。セシリィの晴れ姿を必ず見に行くからね」
「ありがとう、お父さん!」
オルターはかなり無理して休みをねじ込んでくれたようで だ。私は父の愛が嬉しくて、目一杯の笑顔で感謝を伝えた。
「私もそろそろ始業の準備があるから、何度か学園に行く事になるわ。これまではセシリィには寂しい思いをさせて来たけど、それも入学までね。楽しみだわ」
「私も楽しみ!」
学園の開校期間中はドロシーも夜しか戻らず、オルターも家に居ない為、ほとんどが一人で留守番だった。
そんな私の状況を知っている友達がよく遊びに来てくれたが、やはり一人の時は寂しかった。
学園生活が始まれば、きっと毎日が面白いに違いない。今から楽しみである。
近況については一通り聞けたので、私はオルターに結界の事を教えて貰えないかおねだりしてみた。
「お父さん、今日は満月でしょう? 私、あの結界についてまだよく分からないから教えて欲しいの」
私のお願いにオルターは指でばってんを作りかけて、少し悩んだ後に手を下ろした。予想はついていたが、妖精絡みのようだ。
「今日は結界があるから、まあいいかな」
オルターの判断にドロシーは少し戸惑いを浮かべたが、止めはしなかった。
「満月の日は、妖精がもの凄く元気になるんだ。何も対策しないと、影響が起きる可能性がある。だから昔の王様が、各地区に結界を作ったらしい。今も区長様が管理義務を負っていると聞いた」
どうやら例の頭に住み着くという妖精が、満月の日に大暴れする事を防ぐ結界だそうだ。アロマのようなリラックス効果でもあるのだろうか。ひょっとしたら、良い香りがするのかもしれない。
それにしても、街全体を覆うほどに大規模な結界を作れるなんて、王様というのは予想以上に凄い人らしい。そんな王様に文句を言って大丈夫なのだろうか。
お姫様計画を進める事が、ちょっとだけ心配になった。
夕食も終えると、私はドロシーと一緒にお風呂を済ませた。
オルターは一緒に入りたがっていたが、ドロシーに突っぱねられてしまっていた。残念だったね。
お風呂が済んだら私は就寝だ。
指輪を着けてベッドに潜ると、ジージョに声を掛けた。
(ジージョ、お話しましょ)
『かしこまりました、姫様』
今日はジージョに聞きたい事が出来たので、先にそちらの用件から済ませる。
(ねぇ、王様ってどんな人なの?)
『その質問に正確にお答えする事は難しいですね。王様は多面性を持つお方ですから』
(どういう事?)
『真面目でもあり、不真面目でもあり、寛容でもあり、厳格でもあります』
あまり有用な情報は得られなかった。どうにも掴み所の無い人のようだ。
『あまり姫様のご期待に添えられなかったみたいですね。ああ、では王様の昔のお話を少しお聞かせしましょう。こちらの方が、姫様の好みに合うかと思います』
なんと、気を使ってくれたジージョが王様の昔話をしてくれるらしい。
そんな話をして怒られないか心配だが、もちろん止めるつもりは無い。ぜひ聞かせて欲しいと頼んだ。
『王様は昔、悪戯好きで有名でした。色々と問題を起こしたようですが、中でも有名な話があります。王様は好意の向き先を変えてしまう魔法を使って、先代の王様と女王様の関係を引き裂きそうになった事があるそうです。その後、何とか和解出来たようですが、今でも先代女王様にその時の騒動について突かれ、頭が上がらないみたいです』
今の王様は随分とやんちゃな時代があったようだ。先代の仲を引き裂くとか凄い事をやらかしたものだ。
昔の王様みたいに結界を作れる凄い人もいるのに、そんな悪戯する為の魔法を使う王様もいるらしい。
今は王様も落ち着いたみたいだけど、この国は大丈夫なのだろうかと心配になる。
せめて今の女王様が手綱を握ってくれている事を願おう。
何はともあれ、面白い話を聞かせて貰えたので下がり気味だった気分は一気に上向いた。
(ありがとう、とても面白かったわ。では、今日も寝物語をお願いね)
『かしこまりました』
私はご褒美に大きな棒付きキャンディーを贈ると、読み聞かせを楽しみながら、先程の王様の話を思い返していた。
悪戯好きの王様なら、やはり文句を言っても大丈夫かもしれない。もしかしたら、女王様も手を焼いているのではないだろうか。
それならば、女王様にも感謝されるかもしれない。
女王様に認めて貰える可能性が、ぐっと高まりそうだ。
私のお姫様計画に僅かに生まれかけた躊躇いは、跡形もなく霧散し、やる気だけが残った。