9 離婚宣言の結末
これで最終章になります。
侍女頭が侯爵家から暇を出された時、次期侯爵夫人である妻は彼女に実家の鍵を渡し、とりあえずはそこに住んで、新しく興す人材派遣の商会の準備をしていて欲しいと告げた。
もちろん、その後で辞めた子達にもそこへ行くようにと言った。
何故今回女性使用人ばかりが辞めたのかというと、貴族の家とはいえ、それほど広くはない屋敷の中で男女一緒に住むというのはまずいだろうと、男性陣を引き留めたからだ。
いずれ商会の目処がたったら、男性使用人達にも声をかけるからそれまで待っていて欲しいと。
ところがだ。
そもそもの離婚原因となった子爵令嬢の件は、夫の浮気でも裏切りでもなかった。夫は罠にかかっただけで、もちろん子供も夫の子供ではなかった。
離婚も娘を捨てる話も本人の意志ではなかったようだ。
そう。私が何に一番傷付いたのかというと、いとも簡単に妻である自分と娘への情愛を捨てようとしたことだった。
しかし子爵令嬢と別れて本宅に戻ってきた後、別邸の娘の部屋の窓の下でずっと佇んでいる夫を何度も見た。
出張から帰ってくる度に物珍しいおもちゃや入手困難なお菓子を買って帰ってきて、メイドに頭を下げて手渡していたことも知っている。
偶然庭で娘と鉢合わせして話しかけられた時、涙ぐんでいたことも。
いくら薬のせいだとはいえ、娘はいらないから出て行け、と言った自分のことが許せなくて辛かったのだろう。
それにあの男爵の未亡人との密会も浮気じゃないのなら許してあげてもいい…………(かな?)
うーん…………。
「まさか、兄のことを許してあげてもいいかも、なんて思ってはいないわよね? お・ね・え・さ・ま?」
妻が悩んでいると、義姉の心を読んだかのように義妹が振り向きながらこう尋ねてきたので、妻の肩はびくんと大きく跳ねた。
「えっ? ええまぁ……」
思わず彼女がこう返事をすると、不満気な男達の声が上がった。
「「お前は余計なことを言うな!」」
「余計なことなんかじゃないわ。
二年もの間悩み苦しんで出した結論なんだから、そんなに簡単に情に流されてはだめよ。
子爵令嬢に騙された被害者ですって? ふざけないでよ。お兄様が普段から女性にチャラチャラしているから、そんな小娘にターゲットにされたのよ。
私の旦那様みたいに妻を誰よりも愛してる、妻だけしか愛せないと口に出し、みんなの前で堂々と愛妻家を演じていれば、それがたとえ嘘でも本当でも滅多なことでは女性は手を出してこないのよ。
「誤解を呼ぶような言い方はしないでくれ!本当に君だけを愛しているんだから」
それなのにお兄様ったら昔からヘタレというか、天の邪鬼っていうか、本人を前にすると何も言えないんだから!そのくせに、なんとも思ってない相手には平気で愛を語っていたわよね?
そんなんだから軽い下品な女性に言い寄られて、遊んでいるとか浮気しているとか、でたらめな噂を流されたんでしょう?
今までの浮気だって、お父様とは違って本当は女性には一切手を出していないのよね?
それなのに妻に焼き餅を焼かれたいから、言い訳もしなかったなんて最低よ」
「エーッ?」
義妹のびっくり暴露話に妻は絶句し、周辺もざわついた。
そしてそのざわめきがようやく収まった頃、彼女もまた逡巡し終えていた。
妻は大きく深呼吸をした。それから妻は夫に向かって鮮やかな笑みを浮かべると、再びこう宣言したのだった。
「本日を以って私は離婚することに致しました。娘を連れてこの屋敷を出て行きます。
そして、今後は人材派遣、及び人材育成のための商会を立ち上げようと思っております。
それに際して従業員を募集しております。こちらにいらっしゃる方々でしたら即決で採用させて頂きたいと思っておりますので、ご応募お待ちしています。
それとこちらの侯爵家では使用人がいらっしゃらなくてお困りのようですから、もしご依頼がありましたらどうぞお申し込みになって下さいませ。
我が商会には、今は亡き淑女の鑑と呼ばれたとある侯爵夫人に教育された、超一流のその道のプロが揃う予定になっております。それ故に顧客の皆様には必ずやご満足頂けると確信しております」
✽✽✽✽✽✽✽
あの最悪の夜会の後、侯爵家ではスキャンダルが相次いだが、その直後に社会的な大事件が起きたことで打ち消されて、幸いなことにあまり話題に上ることはなかった。
某伯爵家による闇の組織グループが摘発され、違法薬物や危険物を使った様々な犯罪が明らかになったのだ。
人の心を自由に操る薬を人に使うなど、天を欺く悪魔の所業であり、国家転覆罪にも等しい。
一網打尽にされた犯人達は裁判の結果、自分達が所有していた薬物を服用するという刑を受けて処罰された。薬の効果や副作用を確かめるための人体実験にされたのである。
しかしその後、その薬物が世に出ないようにしっかりと封印された。
この判決は不要な者と物が同時に処分できると、国民や役所からも絶賛された。
平民落ちしてからも闇の組織で暗躍していたあの元子爵父娘も、その後もちろん逮捕され、他の罪人達と同様の処分を受けた。
そして、その元子爵家の娘が産んだ赤ん坊は、その父親である使用人の若者に、子爵家が没落した時点で押し付けられていた。
疎ましい女が産んだ子だとはいえ、自分に瓜二つの息子を見捨てることができず、彼はその子を自分の弟として育てることにした。
大掛かりな一斉逮捕が行われた時、若者自身は裏家業とは全く関係がなく、娘とのことも半ば強制された関係だったことが早々に証明されて無罪放免となった。
全ての事情を聞かされた元次期侯爵夫人は、離婚後、その若者によい仕事を斡旋した。ある意味彼も自分達同様、子爵令嬢の被害者だと思ったからだった。
ちなみに侯爵家の次期当主が飲まされた薬の影響は一過性のもので、副作用や依存性は認められなかったので、関係者は全員胸を撫で下ろしたのだった。
✽
あの夜会の後、侯爵は結婚してまだ一年も経っていなかった妻と、妻の有責で離婚した。
侯爵夫人は夜会を最後まで仕切ることなく、友人達と街に繰り出した後、乱交パーティー会場にいるところを警邏に見つかって、公序良俗違反で補導されたからである。
侯爵はこの再婚と離婚のことを深く恥じ入った。それ故に息子に爵位を譲ると、彼は一人で王都を離れて領地へと向かった。
✽
「父上、お元気そうですね。以前より顔色が良くなっていますよ。
独り身になって寂しくて萎びているんじゃないかと心配していたのですが、余計なお世話でしたね。
もう、新しい恋人ができたんですか?」
領地にやって来た息子がこう言うと、父親は自ら息子のティーカップにお茶を注ぎながら、幸せそうに微笑み「ああ」と答えた。
領地の屋敷や庭園は、母親の生前の頃のままだ。家具の配置からカーテン、食器、花壇に植えてある花の種類に至るまで。
今でもまだ母親が生きているような気がして、思わず涙が溢れてきた。
何故もっと母親を見舞わなかったのだろう。何故妻と妹だけに押し付けて自分は逃げてしまったのだろう。
「昔は忙しくてなかなか一緒にいられなかったが、ここでならずっと私は愛する人と一緒にいられる。
彼女が愛したこの領地を守り、彼女が愛した領民と共に彼女のことを語り、彼女の愛でた植物を育てる。今は満ち足りた生活だ。
それに、離れて暮らすようになったというのに、以前よりむしろ愛する子や孫達がこうやって訪ねて来てくれるのだから、今私は本当に幸せだよ」
父親の顔は本当に幸せそうだ。母の望みは叶ったようだ。
「それでお前の方はどうなんだ?
初恋の相手に結婚してもらえそうか?離婚してもう二年経ったのだろう?」
「ん?どうかな?
八年も彼女を放置したんだから、同じくらい待たされるかもな。
でももしそうなっても仕方ないよ。諦めずにアプローチし続けるよ。愛しているから」
「へぇー、ようやく本人の前でも正直な気持ちを言えるようになったんだな。
だが、何もあの時離婚を認めなくても良かったんじゃないのか?
あの離婚届を記入した時は、薬のせいで正常な判断ができなかったのだから、取り消すことも可能だったんじゃないのか?」
「可能だったかもしれないけど、そもそもの結婚届を彼女が正常ではない時に書かせたんだから、元々無効だったんだよ。
妹の言う通りだよ。最初に好きだと打ち明けて、彼女に好きになってもらってから結婚すれば良かったんだ。
それなのに他の男に奪われるのが嫌で無理矢理関係を迫った挙げ句、あんな男では君は幸せにはなれない。あんな男は忘れさせてやるって言って彼女を抱いたんだ。最低だろう?
母上にも死ぬほど殴られた。そして絶対に幸せにしろと言われたんだ。それなのに罪悪感で冗談でしか彼女に愛してるとは言えなかった」
「だが、彼女がお前を愛してくれていたことには気付いてはいたのだろう?」
「ああ……」
「やっぱり親子だな。馬鹿なところがそっくりだ。一番愛している人に愛されて、誰よりも幸せなはずなのに、そのことに気付かなかったんだからな。
だが、お前の方が私よりずっとましだ。まだまだやり直しができるんだからな。
頑張れよ!」
「ありがとう。頑張るよ」
親子でこんな風に語り合うなんて初めてだったが、既に恥も外聞も捨ててしまっていた二人は、照れることなく微笑み合った。
しかしその後ふと思い出したように父親がこう言った。
「そういえば、お前達が離婚していることは世間には知られていないんだって?本当なのか?」
「ああ。態々公表することもないからな。
その上侯爵家のパーティーは彼女の商会に外注していて、彼女が現場で直接差配をしてくれてるんだ。そして私が他所のパーティーに参加する時は、彼女にパートナーになってくれるように依頼してる。だから気付かれていないんだろう。
娘の誕生日やお祝い事は三人一緒でやってるし。あ、でもこれは有料じゃなくて、お得意様サービスだってさ」
幸せそうに思い出し笑いをしている息子を見て、父親も満ち足りた気分になった。そして、
「三人で一緒にここへ遊びに来てくれる日も、そう遠くはなさそうだ。楽しみだね」
と、息子の座っているソファー後ろの棚に置いてある、愛する妻の写真に向かってこう彼は呟いたのだった。
本文中には描けませんでしたが、執事以下侯爵家の男性使用人達は結局屋敷に残りました。それは若旦那様に同情したからです。そして新しい侯爵を支えました。
侯爵(特に父親)の結末、甘過ぎると思われる方も多いでしょうが、ご容赦下さい。作者は基本微ざまぁ専門で、本格的なざまぁは苦手なもので……
しかもご都合主義ですが、そこも大目に見て下さると助かります。
最後までは読んで下さってありがとうございました!




