7 愚かな侯爵夫人
7 愚かな侯爵夫人
侯爵が再婚して半年後、ようやく喪が明けたということで、久しぶりに侯爵家ではホームパーティーが開かれた。
これまで侯爵家のパーティーを仕切っていたのは次期当主の妻だったが、今回は完全に裏方に回り、彼女は侯爵夫人の指示通りに動いていた。
そしてその夫人はベテランで前侯爵夫人の懐刀だった侍女頭の指導の元で準備を進め、主催者としてパーティーを開催して、無事にそれを終えることができた。
夫人は侍女頭の指示通りに振る舞っていただけだったのだが、それは外からではわからない。
近頃不機嫌な夫にも久し振りに笑顔で褒められた。
そしてその初めてのパーティーは世間からもそれなりの評価を得たので、夫人はすっかり自信を付けた。これくらいのことなら人に頼らずとも、自分だけでもパーティーくらい開けると思い込んだ。
そのために、最初のホームパーティーの一月後に開く予定だった夜会を、なんと自分の思うままにやってみたくなった。
しかしそれは貿易の仕事関係者も多く招待する夜会だったので、前回より注意が必要な難しい会だった。
そのことを侍女頭は何度も注意をしたが、夫人は全く聞く耳を持たないどころか、彼女を邪険にするようになった。
そしてなんと実家から若い侍女を連れて来ると、いきなり侍女頭の首を挿げ替えてしまった。
使用人達は皆激怒した。ところが、侍女頭はそれに対して何一つ文句を言うこともなく、すぐに荷物をまとめると、長年勤めた屋敷をあっさりと出て行った。
目の上のたんこぶだった侍女頭を追い出すことができて、夫人はせいせいした気分になった。しかしそれは、ほんの一瞬のことだった。
というのも本宅で働いていた侍女やメイド達が、全員次々と辞めてしまったからである。
いきなり他所から若い女を引き入れて、その者を侍女頭に据えたから彼女に従うように……そう命じられても、侯爵家のことを何一つわかっていない者に諾々と従う者などいるはずがない。
これにはさすがの夫人も慌てて、勝手に辞める者には紹介状を出さないと使用人達を脅した。そして紹介状が欲しければ、最低でも夜会が終わるまでは働くようにと。
以前の職場の紹介状がないと、なかなか新しい職場では雇ってはもらえないのが現実なのだ。
ところが、誰一人その脅しには屈する者はいなかった。
「貴女の紹介状なんて何の意味もないので要りません」
異口同音そう言って、皆揃って辞めてしまった。
屋敷に残ったのは執事、侍従、護衛、御者、庭師。そして料理人といった男性ばかりだった。
夫人は義理の息子の妻に頭を下げて、別宅の侍女を貸して欲しいと頼んだ。彼女は快く貸してくれたが、それだけでは焼け石に水だ。
侍女の募集をしてもすぐに見つかるはずもないし。
結局夫人は実家の伯爵家に頼んで侍女やメイドを回してもらったのだが、他家、特に侯爵家となれば格式高いので、接待のし方が違う。
しかも仕事関係の情報がないので、何をどう準備すれば良いかさっぱり要領を得ず、使用人達は右往左往した。
伯爵家から駆り出されていたメイド達は、的確な指示をしてくれない元お嬢様を腹立たしく思った。
しかしそれよりも、さっぱり動こうとしない別邸から来たメイド達に、彼女達はなお一層頭にきた。
そして、何故働こうしないんだと文句を言った。
すると彼女達はこう答えた。
「奥様から命じられているのです。
『私が今日からこの侯爵家の女主です。これから私は新しい侯爵家のルールを作ります。そしてそのやり方に従ってもらいます。ですから今後は私の指示だけに従って行動するように』
と。
ですから私達は、奥様の指示をこうして待っているのです」
そう言われて夫人の実家のメイド達は、絶望的な気分になったのだった。
✽
そして夜会の前日になって、ようやく侯爵とその息子が隣国からの長期出張を終え帰国した。
しかし屋敷に一歩足を踏み入れて彼らは仰天した。
数名の使用人に出迎えられたのだが、執事以外は見知らぬ使用人だったからだ。
「侍女頭はどうした? 体調でも崩したのか?」
「彼女は半月ほど前に辞めました。いいえ、正確には奥様にクビにされました」
「なんだと!
彼女ほどの女性が一体何をやらかしたのだ」
「彼女が失敗などするわけがないでしょう」
「それでは何故クビにしたのだ!」
「彼女が今回の夜会の注意事項を奥様に告げたら、余計な口を挟むな、新しい侯爵家にそんな古い考えの使用人はもう要らない、と仰ってクビになさったのです。
そしてご実家からお呼びになった若い侍女を新しい侍女頭になさったのです。
そのせいで、別館以外の女性使用人達も次々と全員辞めてしまいました」
「それでは今ここにいる者達は新しく雇い入れた者達なのか?」
「そんなにすぐに新しい使用人など見つかりませんよ。彼女達は奥様のご実家からお手伝いに来て下さった方々です」
「何故こんなことになったんだ……」
侯爵は頭を抱えたくなった。
夜会の前日だというのに、なんの準備もできていないどころか、屋敷の中が満足に掃除もされていないなんて。
「明日は高位貴族や大事な商売相手も招待しているというのに、なんていうことだ。
これでは我が侯爵家の面子は丸潰れだ。信用を無くしてしまう。何故もっと早くなんとか対策を取らなかったんだ」
侯爵はもっとも信用していた執事に向かって怒りを表した。
「対策と仰っても侍女頭をクビになさったのは奥様で、私にはそれを止める権限はございません。それに辞めたいという者達を無理に引き止めるわけにもまいりません。
もちろん旦那様やご親類の方々にご相談しようとは思ったのですが、そんな格好の悪いことはできないと奥様に止められまして」
「格好が悪いとかそんなことを言っている場合か!
これは我が侯爵家の信用問題に関わることなんだぞ! お前の下らない見栄やプライドなんかとは比較にはならない話なんだぞ!
お前は一体どうするつもりなんだ!」
一言も喋らず実家の使用人の後ろで隠れていた夫人が、夫に怒鳴られて飛び上がった。
「だって、だって、まさかみんな一斉に辞めるだなんて思わなかったんだもの」
「あの侍女頭は使用人全員のまとめ役で、誰よりも信頼されていたんだぞ。そんな彼女を理由もなくクビにしたら、みんな辞めてしまうに決まっているだろう!
人は力だ。侯爵家の素晴らしい使用人を育てるのに、亡き妻がどれほど苦労したと思っているんだ!」
侯爵は妻にこう怒鳴りつけると、商会に援助を求めるようにと息子に命じた。そして自ら親類の家へ向かう為、踵を返して屋敷を出て行ったのだった。
そしてその翌日、親類宅の使用人と商会スタッフの助っ人のおかげで、どうにかこうにか夜会を開催することができた。
しかし、かつて催されてきた侯爵家のパーティーとは雲泥の差があった。
その原因が、ゲストを放りっぱなしにして、友人達と盛り上がっている主催者の妻であることは一目瞭然だった。
そしてそもそもの原因がその夫であることも。
前妻が亡くなってからたった半年で再婚したことで、侯爵は前妻が亡くなる前から現夫人と付き合っていたのではないか。皆がそう噂をしていた。
葬式に出なかったのも前妻を嫌っていたからに違いないと。
前妻は数年前から寝たきりだったのだから、他所に女を作っていたとしてもしょうがないという者もいた。
しかし前妻を知る者達の多くは、彼女がいかに夫や侯爵家のために尽くしてきたかを知っていたので、侯爵の裏切りを快く思ってはいなかった。
そして夜会において新妻のみっともない失態を見せ付けられた多くの招待客は、侯爵に対して本当に失望した!という目を向けていた。
佳人薄命を地で行った素晴らしかった奥さんを見捨ててまで選んだ女性が、まるで淑女教育を受けたことがないような振る舞いの者だったとは。
しかも、自分の娘くらい若いというだけで、何の取り柄もなさそうな、いや下品な女だったとは。
侯爵はなんて人を見る目のない愚かな男なんだろうと。
父親に対する侮蔑の声があちらこちらから聞こえてきて、侯爵の娘であり今現在は公爵夫人となっている淑女がブルッと身震いした。
「大丈夫かい? 少しバルコニーに出て風にでも当たるかい?」
夫である若き公爵からこう労りの言葉を掛けられて、妻は少し引きつった笑顔でこう言った。
「これくらいのこと平気よ。
それにしても噂って凄いのね。家族や使用人が誰も漏らしていないのに、噂されていることは、ほとんど本当のことだもの。
疑わしい行動をすると、すぐに世間様にわかってしまうものなのね。勉強になったわ。これから私も気を引き締めて行動しなきゃ」
それを聞いた夫の公爵は苦笑いを浮かべながら、夜会後に始まる新たな舞台を思い浮かべて、少し憂鬱な気分になるのだった。
読んで下さってありがとうございました!
夕方あたりにあと二章投稿予定です。それで完結となります。最後までは読んで頂けると嬉しいです。




