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2 二年前に結ばれた契約  

 

「確かにこれまでのことは悪かったと思う。心から詫びよう。

 妻の看病や息子の女性問題、孫娘の教育、その上侯爵家の家政まで全て任せてしまって。

 しかしこれからは君の負担をできるだけ軽減したいと思う。だからどうか離婚などと言うのは止めてくれ」

 

「薄っぺらな謝罪でございますね、旦那様」

 

「それはないだろう。父も私も本当に悪かったと思っている。

 あの未亡人は……()()()()()()()()()()だ。絶対に愛人などではない。間もなく()()()()()()()()()し、今後は絶対に君に心配をかけるような真似はしない。だから許して欲しい」

 

 執事の言う通り、親子共々なんて薄っぺらいのだろうと妻は思った。

 三年前義母が病に倒れると、義父は若い愛人を作って別邸を構え、それまで支え続けてきてくれた義母を切り捨てた。その上、この屋敷や領地に対しても全く関わろうとはしなかった。

 

 そして夫は二年前、突然腹の膨らんだ若い子爵令嬢を屋敷に連れて来て、彼女が自分の真実の愛の相手だと宣った。

 

「君とは兄妹のように一緒に育ち、母親から勧められて何も考えずに結婚してしまったが、しょせんそれは恋愛感情ではなく肉親のような情だった」

 

 と。

 

 しかも彼女の産む子供を跡取りにしたいから、娘を連れて出て行ってくれとまで言った。

 

 夫はそれまでにも何度か女性問題を起こしてきた。

 しかし、母親が病で長いこと伏せっている状態で、まさか若い女を家に引き込もうとするとは思わなかった。

 そして妻としてだけではなく、幼い頃から共に過ごしてきた家族としての情愛まで平気で捨てられる人間だとは思ってもみなかった。

 ましてや、妻だけでなく自分の娘まで追い出そうとするとはもはや論外だ。親として人として終わっている。

 

 全てにおいて鷹揚な妻でも、さすがに夫に対する愛情をその場で切り捨てた。

 その時、スーッと何かが体から抜け出るような感覚があったが、それは不要になった夫への思いに違いないと彼女は思った。

 

 妻は顔色一つ変えずにこう言った。

 

「真実の愛のお相手が()()()()見つかったのですか。それは喜ばしいことですね。わかりました。離婚に応じましょう。ただし、今すぐというわけにはまいりません。

 今お義母様は病で伏せっていらっしゃいますが、身重なその方にそのお世話をさせるのは酷ではありませんか? 

 それに無事にお産が済んでも暫くは無理ができないでしょう。

 ですから、落ち着くまで、そうですね、後一年後くらいに結婚なさった方がよろしいのではないですか?」

 

「そんな上手いことを言って、本当は出て行く気なんてないんでしょう。

 あなたはとうの昔に親兄弟を亡くして天涯孤独な身の上なんですってね。そしてみんなの同情を買ってこの侯爵家に入り込んだしたたかな女なのでしょう? 

 そんな人は信じられないわ」

 

 子爵令嬢のこの言葉に妻はなぜか頷いた。

 

「そうですね。簡単に人の言うことを信じて()()()()()()()()()()ね。ですから契約をきちんと結びましょう。

 一年後に離婚する旨の契約を結びましょう。

 二枚の離婚届にサインをし、それを互いに一枚ずつ持ち、一年が過ぎた時点で離婚したい方が提出するということでどうですか?

 もちろん一年が経つ前にそちらから勝手に出されても困るので、役所に契約書を提示して、離婚届けの不受理申請はさせてもらいますが。

 

 ああ……その際、娘の親権を父親から抜き、母親だけにする手続きもしてしまいましょう。そうしておけばあなた方も安心でしょう?」

 

 まるで離婚を言い渡されるのが分かっていたかのように、妻はスラスラと離婚に向けての道筋を示したので、二人は呆気にとられた顔をした。

 

「それとおわかりだとは思いますが、誰が見ても夫側の有責による離婚になりますから、慰謝料はきちんと頂きます。

 それに親権は私になっても、貴方が父親であることは間違いない事実なので、娘が成人するまでは養育費もお願いします。もし払って頂けないようでしたら、裁判所に訴えます。

 後は……、これはお願いになりますが、私や娘とは会わなくてもかまいませんが、お義母様にはできるだけお顔を見せてあげてください。後悔されないように」

 

 

 夫と愛人である子爵令嬢は、妻を見下して捨ててやろうと意気揚々と侯爵家へ乗り込んだ。

 しかし、妻の理路整然とした提案に一切何も口をはさめずに、結局彼女の申し出をそのまま受け入れたのだった。

 

 妻は正直なところ今すぐにでも夫と離婚してしまいたかった。散々浮気を繰り返した挙げ句、年の離れた令嬢を連れて来て真実の愛だとほざく夫にホトホト呆れた。いや、お花畑過ぎて気持ちが悪かった。

 

 しかし、育ての母でもある義母を見捨てて屋敷を去ることはどうしてもできなかった。

 義母は、両親に死なれて親戚中から引き取りを拒まれて行き場のなかった彼女を、侯爵家に引き取ってくれた恩人なのだ。

 彼女は夫の従兄弟の娘で、自分とは何の血の繋がりなどなかったというのに。

 そして実の息子と娘同様に彼女を愛情たっぷりに育ててくれた。優しく、そして時に厳しく……

 彼女にとっては実母と同じ、いや実母以上に大切な人だった。

 

 実母は彼女が七つの時、病死した父の後を追うように川に身を投げた。世間では愛する夫を失って絶望した妻の悲劇として取り上げられた。

 確かに彼女の両親は仲睦まじかった。しかし母は父に依存し過ぎていた。何でも夫に頼り、全て言われるままに行動していた。

 だから夫がいなくなって何の指示も与えてもらえなくなって混乱した。生きる術を無くしたのだ。

 母は守ってもらうだけの人で、誰か(娘)を守れる人ではなかったのだ。

 

 しかし義母は全身で彼女を守ってくれた。社会の悪意や軋轢から。

 そして自分の大切なものは自分で守る術を身に付けさせてくれた。

 だからこそ彼女はその術を使って、大切な義母や娘を守るのだと、その時思ったのだ。

 

 

 離婚までの一年という猶予期間。

 まるでそれまでに義母が亡くなると予想しているようで、そんな期限を設定するのは本当に嫌だった。彼女は義母にはいつまででも長生きをして欲しかったから。

 しかし期限を設けなかったら即離婚をさせられてしまうだろうと思った。だから、彼らが我慢できるギリギリのラインだろうと踏んで一年を提示したのだ。

 

 そして一年後のことは、また何か策を考えようと。

 ところが実際には彼女が何の策を練らずとも、彼女は今日まで二年間、この侯爵家に居続けることができた。

 何故そんなことになったのかと言えば、あの日から半年後、夫は()()()()見つけた運命の女性と別れてしまったからだ。

 

 子爵令嬢が産んだのは元気なかわいい男の子だった。侯爵家が望んでいた待望の跡取り息子……のはずだったのだが、その赤ん坊は夫に全く似ていなかったのだそうだ。

 というより、子爵家の若い侍従に瓜二つだったらしい。

 赤い髪に黒い瞳。あまりにも特徴的な容姿の赤ん坊だったので、あちらも誤魔化しようもなく、平謝りしたそうだ。

 夫と侯爵は怒り心頭になった。しかしこちらとて結婚している身で、いくら身持ちが悪かろうがまだ未婚の娘に手を出したのだ。だから彼らは子爵家に強くは出られなかった。

 

 しかし、妻からすれば夫同様に浮気相手からも傷つけられた事実は変わらなかったので、子爵家へ慰謝料を請求した。

 するとなんと相手方は慰謝料を請求するなら、今回の件を公にすると脅してきた。

 こんなスキャンダルが流れて困るのは子爵家ではなく侯爵家の方だろうと。

 

 だがそんな脅しに妻が屈するはずがなかった。

 

「私はそちらの娘さんのせいで夫と不仲になって離婚することになっているんです。

 ですから侯爵家がスキャンダルにまみれても私には何の関係もありません。いくらでも噂を流せばいいでしょう。

 そちらが支払わないというのなら私はただ裁判所に訴えるだけです」

 

 子爵家が噂を流すと脅したことで、侯爵家も腹に据えかねて、この子爵家を潰した。

 娘ばかりか父親まで悪どい人間だということにようやく気が付いて、今後まとわりつかれることのないように、貴族社会から消し去ったのだった。

 

 読んで下さってありがとうございました。


 

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