1 息子の嫁の離婚宣言
人の名前を覚えるのがとにかく不得手(とくに外国名)で、自分で付けた名前でもすぐに忘れてしまう作者。
そこで今回登場人物が少なかったので、名前無しで話をつくってみました。
わかりにくいかもしれませんが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
「本日を以って私は離婚することに致しました」
何の脈絡もなく、突然彼女は人々の前でこう宣言した。それは侯爵家で催した夜会が終わった直後のことだった。
彼女の夫はその発言を聞いても、言われた言葉の意味を理解できずにポカンとした。
しかし夫の父親である侯爵の方は彼女の言葉にすぐに反応した。
「突然何馬鹿なことを言っているんだい?
息子と離婚したら、君にはそれこそ行く所がないだろう?」
侯爵の息子の嫁は遠縁の子爵家の娘だったが、七歳の時に両親が亡くなり、この侯爵家に引き取られた。そして家族同様に育てられ、やがてそのまま幼馴染みの嫡男の嫁になっていた。
侯爵は義父として、そして育ての親として真っ当なことを言った。しかし嫁は慌てもせず平然とこう答えた。
「ご心配はいりません。
お義母様がずっと管理をして下さっていた、亡き両親の家があります。だからそこへ帰ります」
「しかし、君の両親は領地を持っていなかった。生活費はどうするんだ」
「もちろん働きますわ。以前よりあちらこちらからお話は頂いておりましたので。
家庭教師やマナー講師、侍女、ああ……パーティーコンサルタントというのもございますわね」
パーティーコンサルタント……この言葉に男二人は固まった。先程終わったばかりの侯爵家主催の夜会が散々な結果だったからだ。
そう。ここ数年侯爵家が主催して開かれていたパーティーは、彼女が全て仕切っていたのだが、それらはとても評判が高かった。
しかし、今回の夜会には一切彼女は関わらず、完全に裏方に徹していた。何故そんなことになったのかというと、この侯爵家の新しい女主人が手出し無用だと言ったからだ。
ところが実際に蓋を開けてみると、その侯爵夫人は自分の知り合いにばかり注意を払い、夫や義息子の関係者などはまるっきり無視をした。
その挙げ句に最終的には他のゲストを放り投げて、学生時代の友人達の輪の中で、まるで女学生のようにハイテンションで盛り上がっていた。
おそらくこの醜態は明日には社交界中に広まることだろう。貿易関係の仕事をしているこの侯爵家にとってはさぞかし痛手になるに違いない。
しかし、彼女にとってはそんなことはもはやどうでもいいことだった。いや、むしろ現侯爵夫人との能力の違いが明確になったことで、彼女の価値が上がって好都合かも知れない。
彼女がそんなことを考えていると、義父の侯爵が今度はこう言った。
「しかし、君は孫娘を置いて行く気なのか? 君はそんなに冷たい女だったのか?」
侯爵が咎めるような目で嫁を見た。そして父親のこの言葉でようやく意識を取り戻した息子が妻に向き直った。
「お前は娘を溺愛している。娘を置いて出て行くはずがないよな。
いや、そもそもお前がここを出て行く理由がない」
夫のこの言葉に、妻は呆れたような目をしてこう言った。
「愛する娘をこんな所に一人置いていくはずがないでしょう。もちろん私が連れて出て行きますよ。
それに私が出て行く理由がないですって? よくそんな馬鹿なことを言えますね。この屋敷にいる者達は全員その理由を知っているというのに」
「た、確かに何度か浮気の真似事をしたし、君には辛い思いをさせた。しかしそれは過去のことで、君も許してくれたじゃないか!」
「許した覚えはありません。それに過去の話じゃないでしょう。
確かに私と離婚して一緒になりたがっていたあの子爵令嬢様とはお別れになったのでしょうが、今はどこぞの男爵の未亡人の方と関係をお持ちでしょう?
私と離婚してその方と結婚なさればいいではないですか。
あちらには何人かお子様がいらっしゃるそうですから、引き取られたら寂しくはないでしょう?
ああ、貴方は子供がお嫌いですもの、お子様はいらないのかしら?
まあ、どちらにしても娘は私が連れて行きますから、ご心配はいりませんわ」
何故今の浮気相手を知っているんだというように、夫はまたポカンとアホ面をした。そこでまたもや父親の侯爵が口を開いた。
「息子の愚行は確かに悪かったと思っている。しかし二年前の件は、離婚をしたくないと、この家に居座ったのは君の方だっただろう?
実際にこの家を出て行ったのはむしろ息子の方だったではないか!
それなのに、何故今頃になって出て行くなどと言うのだ」
彼はまるで嫁が自分勝手だとでもいうように、責める目で見た。
すると嫁ではなくて、彼女の側にいた執事が深いため息をついた。
「旦那様。旦那様は二年前に何故若奥様がここに残られたのか、本当に気付かれていなかったのですね。
使用人、いや親族の方々までもがみんなご存知だというのに。まったく以て呆れました」
「なんだと?」
執事の言葉に周りを見渡すと、侍従や侍女、メイドまでもが心底呆れたというか、憎々しげな目で自分を見ていることにようやく彼は気が付いた。
「あの時若奥様がもしこの家を出て行かれていたらどうなったのか、それがおわかりにならないのですか?
ご病気だった前侯爵夫人のご看病を誰がなさっていたのか、まさかご存知なかったとはおっしゃいませんよね?
そしてその前侯爵夫人の代わりに誰がこの家をお守りしたのかも……
旦那様や若旦那様は貿易のお仕事であちらこちらに出かけられていることが多く、家や領地のことは顧みられなかったですよね。
もし二年前、若奥様が出て行かれたら、どうなされるおつもりだったのですか? ずっと私どもはお聞きしたいと思っておりました。
お聞きできるのもこれで最後だと思われますので、どうかこの場で教えて頂きたいものです」
「それは……」
普段とは違うはっきりと侮蔑のこもった冷たい物言いの執事に、珍しく侯爵は面食らって言い淀んだ。
確かに二年前は前妻が病で床についていて、執事や侍女頭にいちいち細かな指示ができる状態ではなかった。
侯爵家の使用人は前妻がしっかりと躾けていたので全員優秀ではあったが、女主人の指示なしでは勝手に動くことはできなかったはずだ。今更それに気付いて侯爵や息子は唖然とした。
「よもや現在の奥様や、若旦那様の愛人だった子爵令嬢を引き入れて女主人の真似事をさせるおつもりだったわけではありませんよね?」
「まさか、そんなことは考えたこともない。本当だ」
いくらなんでもそんな非常識なことをしたら、社会的信用を無くしてしまう。いくら恋愛に現を抜かしていたとしても、それだけはないと断言すると、周りから失笑が溢れた。
なんて無礼なやつらなんだ。後で皆クビにしてやる! そう侯爵は思った。
「それではどうなさるおつもりだったのですか?」
執事の追求は終わらない。いや終わりそうもないと悟った侯爵はとうとう諦めてこう言った。
「妻(前妻)がなんとかしてくれると思っていたんだ。彼女は私などいなくてもいつどんな時でも一人で何でもこなしていたからな」
「それはお元気だった頃のお話でしょう。そもそもそうやって無理をされたからこそ、奥様は体調を悪くなさったのではないですか?
お医者様は以前から、奥様が日常的に働き過ぎ、無理し過ぎ、睡眠不足、栄養不良だと仰っていましたよ」
「なんだと!」
「いくら私どもがお止めしてもお休みにならないので、助けて欲しいと私や侍女頭が何度も旦那様や若旦那様にはお手紙をお出ししましたよね?
そして、奥様のご様子もきちんとご報告させて頂いておりました。
ですからお二人とも、三年以上も前から、奥様のお体が相当悪くなっておられたことは、よくおわかりになっていらしたはずです。
ですからそんな状態で奥様が家を取り仕切るなどということは、到底無理だったということも一目瞭然でしたよね?」
「いや、本当にわからなかった。確かにそう報告は受けていたが、文面だけでは信じられなかった」
侯爵は顔面蒼白になってそう呟いた。
「仕事が忙しいとおっしゃっていた割には、愛人の方の所へ寄られるお時間はあったはずなのに、どうしてお二方とも屋敷にはお戻りにならなかったのでしょうね?」
妻はいつでも元気で明るくて、どんな時でも自分に微笑んでいなければならない。病気になって細く窶れた顔など侯爵は見たくなかったし、今更思い出したくもなかった。
しかし、嫁の突然の離婚宣言で、忘れようと努めてきた暗くて辛い過去の過ちを、再び思い出さざるを得なくなった侯爵とその息子だった。
読んで下さってありがとうございました!
話は完結しています。最後まで読んで頂けると嬉しいです。




