その後⑤
「ご馳走様でした。」
「お粗末様でした。ふうっ……お腹いっぱい。」
「俺も。お前って本当に料理が上手いよな。」
「本当?」
「お世辞じゃないって。料理も美味いけど、弁当も美味いな!」
「頑張った!」
「そうか。ありがと!」
二人は縺れ合いながら、芝生のシートに横になった。頭上からは、宝石のような木漏れ日が彼等の周辺に落ちていた。
「白の王宮みたいだ……。」
「うん……。」
そこは、都内の公園だった。土地が広いせいか暑過ぎるせいなのか、夏休み中なのにも拘わらず人の出は閑散としている。芝生の中にぽつぽつと点在する大樹の下で、家族連れやカップル達が、彼等と同じようにシートを広げて思い思いに寝そべっていた。二人に注意を向ける者はなく、彼等がいちゃついていようが、少し多めの鳥が寄って来ようが、空に浮かぶ入道雲と同じように、時はゆっくりと過ぎ去っていた。
「もう、風は少し秋めいて来たわね。」
「ああ。季節は確実に動いているんだな。この前あったことが夢みたいに思えてくる。」
「うん……。皆は元気かしら?」
「あ、この前委員長と、ちょっと電話で話したよ。」
「そうなんだ。何だって?」
「家族で沖縄に行ってるって。」
「あら、いいわね。」
「暫く海から離れたくないって言ってた。」
「はは!気持ちは分かる。」
「そうだ!委員長が言ってたんだけど、先生はニューヨークに行ってるんだって!」
「まあ!」
「な!」
「先生格好いい!……今度こそ、うまくいって欲しいわね。」
「大丈夫なんじゃない?先生の方が年上だし。」
「どう見てもお似合いよね。ふふ、何だか自分が、世話焼きのおばさんのような気がしてきた。」
「俺も。」
二人は顔を見合わせて笑った。木陰の下では、気持ちの良い風がさやさやと芝生を通り抜けていた。
「俺は…………これで良かったんだろうか。」
瑞月はぽつりと呟いた。
「俺はじゃなくて、俺達は、よ。あなた一人の責任じゃない。」
「うん……。でも、俺達のやったことは、自殺幇助だよ。しかも本人が望んだとはいえ、再生しない魂を永久に追放したんだ。」
「私は……良かったと信じている。いえ、本当のところはそんなの分からないのだけど、そうでないと前に進めない。」
「どういうこと?」
「私は、自分の子供を殺されたことを決して忘れないわ。殺されただけでなく、その魂までもが自分勝手な都合で付き合わされた。……一瞬見えた彼の生い立ちは悲惨なものだったけど、彼を救おうとする多くの手も見えたわ。」
「ああ。昔のエヴァの姿が見えて、少し切なくなったよ。」
「私は……そういった、人の優しさを蔑ろにするような、悪意に満ちた魂も少なからず存在するんだと思っている。」
「なるほどな。」
「キュアが言ってたわよね、また人を殺しちゃうよって。」
「あいつって……本当に、黒の資質を持っていたんだな。魂に向かう姿勢が、さくっと明瞭で簡潔で、冷淡な訳でもなく慈愛すら感じる。俺がその結論に至る迄には、相当の時間を要するだろう。その辺の潔さっていうのは、お前に似たのかな。」
「まさか!私にはとても真似出来ないよ。でも、キュアの言っていることはよく分かるの。こっちでも……理解出来ない事件が多過ぎるのよ。無差別殺人とか。恨みつらみがあるのならまだましだわ。でもただ単に、人を殺したかったっていう欲求だけを持つ人も、確かに存在するのよ。で、恐らく酷い環境で育てられたんだろうって思ってても、そうでもなかったりするのよね。まともな親が、申し訳ないって何度も頭を下げていたりして。……私は、自分のしたことを後悔していない。個人的に恨んでいるっていうのとは違って、そういった、人の世に相容れない存在があるんだと思っているだけ。」
「そうか。俺達に出来ることは…………何も無いな。」
「ええ。」
「そうだよな。王だったのに、何も出来なかったんだから。」
「そう思うわ。あらゆるものを手にしていたのに、そうでない社会を作ることが出来なかった。」
「せいぜい……そっち側に行かないように、頑張って生きることぐらいか。……俺の中にも、お前の中にも、誰の中にもそういった部分が存在する。それを大きくさせてしまわないように、それに飲み込まれてしまわないように、一生懸命生きるしかないんだな。」
「うん。」
「俺には……お前がいてくれて良かった。」
「私だってそうだよ。」
「ありがと。今世でもずっと仲良くしてこうな。楽しい思い出をいっぱい作ろうな。」
「うん!」
二人は笑いながら、お互いの手を取った。
「何だか……お腹がいっぱいになって、急に眠くなってきた。」
「私も。ちょっとお昼寝しようか。皆寝てるし。」
「そうだな。」
二人は手を繋いだまま、うとうとと眠りに落ちていった。
★★★
「全く……私達ときたら、困っちゃうわね。最後の最後までこんなことをしてていいのかしら。」
「だって身体は元気なんだもん。」
「歴代の王達は、皆こんな風だったのかしら。」
「案外そうなんじゃないの。キラ、お前大丈夫なの?具合悪くない?」
「全然。ソーマ、ありがとう。髪も大分乾いたわ。」
「うん。」
ソーマは、熱を発散させていた指輪の威力を止めた。
「後は……この白い服に着替えなきゃか。あなたも一緒に着替えたらいいわ。」
「俺はまだいいよ。」
「駄目よ。本当はあなたがこんな服を着てるのは見たくないのだけど、私が死んだ後、黙々と一人で着替えてると思うともっと嫌だわ。ちゃんと着付けてあげる。」
「分かったよ。それよりキラ。」
「何?」
「もう一回身体見せて。」
「たった今、散々見たじゃないの!」
「もう、見納めだ。」
「そうか……。じゃ、あなたも。」
二人はお互いのローブに手を掛け、一糸纏わぬ裸になった。
「綺麗だな……。」
「あなただって凄く綺麗よ。」
彼等は抱き合って、手触りを確かめ合うかのように、お互いを何度も愛撫した。
「こんなに綺麗なのに、もう動かなくなっちゃうんだな……。」
「信じられないわね。」
「うん……。」
ソーマは、もう大分色の薄くなった、キラの左胸にあるほくろにキスした。キラも、ソーマの右胸にあるそれにキスを返す。
「ソーマ…………そろそろ着替えないと。」
「うん。」
二人はそれぞれ相手の服を手に取って、一つ一つ丁寧に着付けていった。それがお互いに出来る、最後の仕事だった。
★★★
「どうぞ。」
ソーマの前に、お茶が置かれた。
「ありがと。お前、まだ大丈夫なの?」
「全然平気。日にち……間違えてないわよね。今日だったわよね。」
「だと思うけど。元気なのはいいことだけど。」
「うん、お茶も美味しいし。……あら。」
「どうしたの?」
「あら……変だわ。……来た。急に来た。」
「ええっ!?」
「きゅ、急過ぎよね。まずいわね、ベッドに行った方がいいみたい。」
「どんな感じなんだ?」
「貧血みたいな感じ。ふわふわする。」
「掴まって!ベッドへ行こう。」
キラはソーマに支えられながら移動し、ベッドに倒れ込んだ。
「うーん、あっという間ね。急に意識が遠のく。」
「痛いとか苦しいとかは?」
「無いわ。そんなに辛くなさそうだわ。」
「頑張れよ。俺もすぐ逝くからな。」
「はは!頑張れって……笑っちゃうじゃない。あなたったら最期まで笑わせてくれるのね。」
笑いながら、キラの眼から一筋の涙が零れ落ちた。
「どうにも出来ないんだから、楽しい方がいいだろ。」
明るく笑いながら、ソーマの眼からも涙が零れる。
「あなたの笑顔、大好きよ。最期までありがとう。」
「ありがとうはこっちだよ。俺と結婚してくれてありがとう。来世でも絶対結婚してね。」
「うん。私達は再び巡り逢って一緒になるのよ。そして、キュアを見つけるの。」
「ヒミコだからな。ヒミコのフジサンの近くだからな。間違えるなよ。」
「あなたこそ間違えないでね。」
「俺は方向感覚がいいから大丈夫だ。それから……。」
「それから?」
「出来たら、もう一度一緒に学生をやりたいな。俺にとっては格別な時間だったから。」
「私にとってもよ。素敵ね……もし再び、あんな時間が持てるとしたら。ね、ソーマ。」
「何?」
「学生時代も良かったけど……私、今の時間もとても素敵よ。これから死ぬというのに、思い描ける未来がある。あなたのお陰だわ。」
「お、俺のお陰なんかじゃないよ。」
ソーマは、言葉に詰まった。
「ごめんね、ソーマ。……たった一日だけど、先に逝くことになってしまって。」
「違うよ!お、お前はっ、散々キラにやって貰ったんだから、最期くらいお前がやりなさいって、ミラリーナスークがそう言ってるんだよ!」
「馬鹿ね、そんな訳ないでしょ。あなたが隣にいてくれて、私がどれだけ幸せだと思ってるの?ソーマ、大好きよ。今も、昔も、これからも、ずっと愛してる。」
「俺だってずっと愛してるよ。」
「ありがとう……。ああ……本当にお別れみたいだわ……。ソーマ、もっと強く抱いて。」
ソーマは、抱きしめているキラの身体を、更に強く抱きしめた。
「私って本当に幸せ者だわ。愛する人の腕の中で、こんな風に死ねるんだから……。キュアを……探しにいかないと…………。」
「そんなに急ぐなよ。俺もすぐにいくから、ちょっとだけ待っててよ。」
「うん、待ってる。それまで、少しだけお別れね。……またね、ソーマ……。」
「また後でな、キラ…………。」
ソーマはキラに、最期のキスをした。彼女の身体は、目を閉じたまま次第に重みを増してゆき、やがてがくりと彼の腕の中に落ちた。
★★★
…………キラ?
ぼやけた視界の先に、キラの顔が間近にあった。
……いや、キラじゃない。ここは地球で、彼女は蒼月だ。
蒼月は、細い指先で瑞月の涙を拭ってくれている。やがて蒼月は彼の頬に唇を当て、零れている涙を吸った。そのまま蒼月の唇は、ちょいちょいと何度か瑞月の唇を啄み、不器用な感じで彼の舌を探し始めた。ちゃんとここにいるよ――。そんな思いで蒼月の舌に触れると、彼女はほっとしたかのように肩の力が抜けた。その後のことはよく覚えていない。夢中で彼女を抱きしめ、何度もキスを交わした。気が付いたら二人は横になったまま抱き合い、瑞月は泣いている蒼月の背を撫でていた。
「う…………ごめっ、瑞月。」
「ごめんって謝るようなことじゃないだろ。」
「……び、吃驚した。」
「俺も吃驚した。」
「いっぱい泣かせてごめんなさい。」
「泣くだろ。俺の最愛の奥さんだったんから。」
「だって……あのまま、あなたが一人残されたと思うと……。」
「だったら、俺達は出会わなかった方が良かったの?」
「良くない。」
「だろ?だから、いいの。二人でそうしようって決めたことなんだから。」
「……うん。」
「それにさ。」
「うん?」
「俺、一人じゃなかったんだだよ。」
「どういうこと?」
「俺、キラの魂を見たよ。」
「そうなの!?」
「そうなんだよ。亡くなって暫くすると、胸から金の光が出て来て俺に付いていてくれたんだ。最期の方は俺もよく覚えてないけど、ずっとキラとお話してるような感じがした。」
「そうか……。」
「そうだよ。俺はお前のお陰で、実は思っているほど悲惨な感じは無かったんだよ……。」
――この人、本当に好きだな――。
蒼月は心の底からそう思った。……辛くなかった訳がない。それでもそれを発条にして、次へ進む明るさがある。瑞月にとっても、私がそんな支えになれたら…………。
そんなことを考えながら、蒼月は間近に見える瑞月の頬を撫でた。
「それより蒼月、お願いがあるんだけど。」
瑞月はにこにこ笑っている。
「なあに?」
「今度はお前が俺を看取ってよ。」
「え?……やだ。」
蒼月はたった今決意したことも忘れて、否定した。
「やだって何だよ。前回は俺だったんだから代わり番こに。」
「それは駄目。今度も私が先。」
「何だよ。お前、ごめんねとか言っておいて矛盾してないか?」
「それとこれとは話が別。」
「ったく、もう……。」
「あ、ほら。次はキュアがいるから、一人じゃないわよ。」
「あ、そうか。……って、思わず納得しちゃうとこだった。」
「兎に角駄目。この件に関しては譲れないわ。」
「ずるい。」
「ずるくないもん。」
二人は、ずるい、ずるくないと言い合いながら、いつまでも論争を繰り広げていた。




