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金の小箱を開けたら③

 黒煙が舞い上がった。

 煙はあっという間に空を覆い、幾つかの濃淡なグラデーションを作りながら拡散されてゆく。やがて、濃い部分は塊となり、赤い火の粉を撒き散らしながら物凄い勢いで旋回を始めた。あちこちで火の手が上がり、草木の焼ける匂いが辺りに充満する。

 数え切れないほどいた蛇達は、一瞬にして姿を消した。姿を消したのは蛇だけではない。そこにいたメンバー達も、襲い掛かる火の粉を避けながら、大混乱の森の中を逃げ惑った。その時、


 「ヤグナ!ディ・インパリアーゾ!アウル・ダ・キュア!!」


 突然、翼の口から魔幻語が迸り出た。


 ――ヤグナ!何が可笑しいの!キュアはどこにいるの――!!


 「ウル・ダット・ヤグナ!?」


 ――ヤグナがいるのか――!?


 尋ねる瑞月も、魔幻語になっている。この時から、彼等の言語は自ずと魔幻語に切り替わった。


 「え?皆には聞こえないの!?」


 「聞こえないよ!」


 「そうか!テレパシーで話してたんだわ!分かった、私が受信機となって皆に配信する!」


 翼がそう言った途端、狂ったような笑い声が辺りに響き渡った。

 ――そう。それは確かに、ヤグナの笑い声だった。しかし以前よりも気味が悪く、凶暴性を増している。


 「ハハハハハ!!いい景色だ!燃やせ、燃やせ!焼き尽くしてしまえ!!む……それにしても思ったより火の手が少ないな。噴火ではないのか……?」


 「ヤグナ!どこにいるんだ!姿を現せ!!」


 「ほうほうほう……!これは嘗てのオルテス様。今は随分可愛らしいお姿で。」


 その途端、良平の付近にぱっと火の粉が降り懸かった。


 「大丈夫!?」


 「ああ、翼。……どういうことだ?向こうは魂で俺等を認識していて、こっちの姿も見えている。」


 「そうね。ちょっとテレパシーを映像化してみるわ!」


 「――――!!」


 「これが…………ヤグナ?」


 彼等は目を見開いて、絶句した。

 そこには、一体の骸骨があった。黒々としたぼさぼさの髪が背までを覆い、襤褸を纏っている。襤褸は血塗れで、骸骨自体も血で染まっていた。抜け落ちた眼窩は何も見ておらず、骸骨は右へ左へと浮遊し、何もない目で彼等を見下ろしていた。


 「翼……これは……何?」


 「イ、イメージなんだと思うわ。自分が嘗て持っていた筈の、肉体のイメージ。よく見ると骸骨の向こう側の景色が見える。」


 「…………。」


 「胸の辺りに金の光が見えるでしょう。あれだけが本物ね。ヤグナの魂よ。」


 確かに骸骨の胸には、細々と光る弱々しい光があった。そう言っている間にも、骸骨はあちらこちらへと浮遊し、気味が悪いことこの上ない。


 「――何故だ!!火の量が全然足りないじゃないか!魂よ、怒れ!!」


 ヤグナが叫ぶと、各地で新たな火の手がぱっと燃え広がった。


 「うわ!!まずいな、脱出出来ないかもしれない!!もうここは放置して帰るか?」


 「良平、それもまずいんじゃないの?世界遺産の消失は仕方ないにしても、この火の海をみていると民家まで焼き尽くしそうで怖いわ!」


 「取り敢えず、キュアが解放されているという確認だけは取りたい!蒼月、金の小箱は確かに開けたんだろうな?」


 「ええ、ほら!」


 瑞月が尋ねると、蒼月は空になった金の小箱を開いて瑞月に渡した。


 「キュアー!!キュアー!!どこにいるんだ!!」


 瑞月は燃え上がる森に向かって叫んだ。


 「……あああ!いる!」


 「何っ!!」


 「ごめん、キュアが呼んでる!!」


 翼がそう言った途端、キュアの姿がすぐ近くに現れた。勿論骸骨などではなく、以前と全く変わらない綺麗な顔をした子供が、キラが縫った服を着てちょこんと立っていた。


 「もう、セシルったら!さっきから何度も呼んでるのに!」


 「ごめん、ヤグナに気を取られ過ぎた!」


 「キュア……!」


 蒼月は思わずキュアを抱きしめた。しかし彼女の腕は、虚しく宙で空振りする。


 「肉体は無いんだ。在るのは魂だけ。」


 それでも蒼月は、キュアの頬の辺りをなぞった。


 「そう。ごめんね、本当にごめんね。あなたをこんな目に遭わせて。」


 「母様が遭わせた訳じゃないでしょ。……待ってた。ずっと待ってたよ。父様と母様は、絶対助けに来てくれるって!」


 「皆も来てくれたよ。」


 そう言いながら、瑞月はキュアの光る魂にそっと手を触れた。


 「うん、ありがとう!ふふ、父様も母様も可愛くなっちゃって。」


 「まだ十七なんだ。それよりキュア!お前はここから早く出なさい!後のことは何とかするから!」


 「何とかすると言われても、これを放置しては行けないよ。」


 「いや、行きなさい!もう二度とヤグナに捕まるなよ!」


 「大丈夫だって!っていうかさ、あのヤグナを放置してっていいの?」


 「うっ…………。」


 瑞月は言葉に詰まった。瑞月だけでなく誰もが、あのヤグナをどうしたものかと頭を悩ませていた。


 「ヤグナは……あの骸骨を放置したら、どうなるんだ?」


 「思う存分森を焼いたら、月へ帰るでしょ。魔幻人の魂ってそういうものだから。」


 「……だよな。」


 「で、地球人として生まれ変わる。」


 「…………。」


 「あれ、生まれ変わっちゃうよ。いいの?僕はミラリーナスークじゃないからそんな権限はないけど、また誰かを殺しちゃうよ?」


 「…………。」


 長い沈黙が、彼等の間に舞い降りた。遠くで木が倒れる音がする。森は更に燃え広がったようだ。火の粉はまるで紙吹雪のように乱舞し、常に辺りを焼き焦がし続けている。やがて、瑞月が決意したように視線を上げた時、蒼月がずっと自分を見つめていることに気付いた。彼女の射るような眼差しには揺らぎが無い。二人は目を合わせたまま、無言で頷いた。


 「……分かった。キュア、俺達はどうしたらいい?お前には何か案があるのか?」


 「うん。考える時間は山程あったから。皆で来てくれたのは本当に良かった、出来ることが増える!」


 「俺に何が出来る?」


 「父様は……癒して。」


 「癒す?お前を?」


 「違う、ヤグナを。」


 「なっ、何だって――――!?俺はヤグナに、自分の息子を殺されたんだぞ!!それを癒せって!?」


 「うん。もう、ヤグナは以前のヤグナじゃない、訳の分からない存在なんだ。僕が癒し続けてきたから。自分が何をしたいのかも分かっていない、我儘なただの甘えん坊の餓鬼だよ。そりゃ同情すべき部分も確かにあるんだけど、それ以上に単に破壊したいだけ、傷付けたいだけの、どうしようもない性質を持っている。」


 「それを癒せだと?」


 「そう。僕も癒してきたけど、父様じゃないと無理だ。所詮子供の力なんだもん。」


 「…………癒せばいいんだな。」


 「癒して、許して、話を聞いてやって。」


 「うう……何て難しいことを……。」


 「セシル。」


 「何!」


 「父様に付いていてくれないかな。」


 「分かった!」


 「父様とヤグナの間で何が起こっているのか、皆に送ってくれる?」


 「いいわ!でも、作業が複雑過ぎるから送りっぱなしで大丈夫かしら?他のメンバーからの受信はシャットアウトしたい。」


 「充分だよ。」


 「私はどうすればいいの?」


 「母様。母様は、竜を呼んで。」


 「りゅ、竜……?」


 「コアっていうんだ。」


 「あなたのサイドネームじゃないの!」


 「そうだよ。サイドネームまでは覚えている自信が無かったから、竜につけた。」


 「そうか……。ええっ!?竜がいるの!?」


 「うん。ここから北にある、大きな湖に住んでるって言ってた。この辺にある沼と繋がってるんだって。コアは何とか僕を出そうとしてくれたんだけど、どうしても箱を開けることが出来なかったの。だけど、時々遊びに来てお話してくれた。」


 「そうか。箱を介在するものってあったんだ。ドラゴンは魔幻でもかなり特殊だったけど、こっちでも凄いんだわ……。」


 オールジーは思わず呟いた。


 「そう!凄いんだよ!雨を降らせることが出来るって言ってた!」


 「何ですって!?」


 「母様は、コアと一緒に森を沈めて!」


 「分かったわ!」


 「皆もコアの背中に乗ってね!火傷をすることはまず無いから。それから――シューバ!」


 「何!」


 「あなたは黄の箱を持って乗るんだ!」


 「何故?」


 「この箱には、キアリの多くの願いが込められている。そして僕は、離解の魂もずっと癒し続けて来て、魂の威力は半減している。本来の彼等の力はこんなもんじゃない。――あるべきものは、あるべきところに。この意に添えるのは、今はキアリでなくあなたなんだ。雨に打たれた離解の魂は、ふとその言葉の意味に気付くだろう。あなたはそれを回収するんだ!」


 「分かった!」


 「キュア、俺とキアリはどうしたらいい?」


 「なるべく遠くへ、箱を放って!」


 「了解!」


 「急いで!今はまだ大丈夫だけど、臨界点を超えたら森は全て燃えてしまう!地に根を張るもの、森に宿るもの、空を舞うもの、地を這うもの、長い年月を掛けて出来た全ての生態系が、一瞬にして消失してしまう!頼むよ!彼等は……僕なんだ!」


 叫びのようなキュアの言葉に突き動かされて、瑞月と蒼月はそれぞれの対象物を呼んだ。


 「ヤグナ!」

 「コア!」


 その途端、水色の大きな竜が、滴り落ちる水滴とともに垂直に舞い上がり、空を旋回すると蒼月の脇へと滑り降りた。


 「うわ――――!!」


 「あら!可愛い竜さんね!……そう、ありがとう。」


 蒼月は竜の首筋を抱きしめて、炎に包まれた森に目を遣った。


 「蛇さん達が、コアを呼んでくれてたんだって。すぐそこまで来てくれてたんだわ。――さあ、乗って!彼は何もかも理解しているわ!」


 蒼月は竜の首筋に跨り、その後に遥眞、オールジー、良平と続いた。竜の体表は水で濡れていたが、不可思議な吸着性があって落ちることはなさそうだ。


 「コア!お願い!」


 竜は高く空へと舞い上がり、燃え盛っている火の中心部へと、目も眩むような速さで直進した。


 コアは大火の上で、まるで踊っているかのように身体をうねらせた。時折、ㇰオーンと空に向かって咆哮すると、何故か黒い雨雲が集まってくる。空は忽ちのうちに真暗になり、劈くような落雷を皮切りに大粒の雨が降り出した。雷は眩しい閃光とともに間断なく落ち、雨はまるで台風の暴風域に入ったかのように、上から下から彼等を打ち続ける。気が付くと、森は一瞬にして白い煙に包まれ、その後には消えずに残った若干の火種だけが、ちろちろと舌を出していた。


 「コア、ありがとう!凄いわ!!」


 蒼月はコアの首筋を何度も叩いた。


 「竜の力って凄え……。」


 「手の付けようのなかった炎が一瞬で……。」


 他のメンバーも、魔法のような光景に目を奪われながら竜の背を優しく叩く。

 そんな中、遥眞は煙で染みる目を見開きながら森を凝視していた。掌でしっかりと黄の箱を持ち、ほんの少しだけ能力を解放する。


 ――君の気持ちに添うつもりだからな。あんまり脅かさないでくれよ……。


 遥眞が箱を撫でても、さっきのように失神するような映像は入って来ない。


 ――ありがとう。そうだよな、あるべきものは、あるべきところに、だよな。一緒に戻そうな。


 掌が、ちょっとだけ温かくなった気がした。遥眞は竜の背に乗りながら、白い森を見続ける。そして、真白い煙の中にも、黒い空間が幾つか点在することに気付いた。黒い魂はもう火を放ってはいない。ゆらゆらと宙を漂っているだけだ。


 「蒼月、あそこ!」


 「うん!」


 蒼月はコアを魂の方へやり、遥眞は魂に向かって腕を広げた。


 ――あるべきところに帰ろう――


 祈るような気持ちで手を差し伸べると、黒い魂は自ら遥眞の掌へ入り、黄の箱へと納められた。


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