金の小箱を開けたら①
「ここか…………。」
太陽が中天に掛かる頃、延々と続いていた蛇の道は漸く終わりを告げた。その流れは、今迄に見て来た樹海の光景の中でも最もありふれた、一つの洞穴を指示していた。蒼月達が通り過ぎる度に、先へ先へと道を作ってくれた何千、何万もの蛇は、もうそれ以上先へ行こうとはしない。代わりに、まるで大きな蜷局を巻いているかのように大きな円を描いて彼等を取り囲み、見守っていた。
「あ……!」
蒼月が小さな声を上げた。皆はどうしたのだろうと、彼女を見る。此処まで来たら、もう蒼月と蛇に頼るしかない。
「ほら、最初に会った蛇さんだよ。来てくれたんだ。」
ほら、と言われても、他の蛇とどう違うのか、他の者には皆目見当も付かない。
「シューシューシュー、君のお陰だね。本当にどうもありがとう。一緒に来てくれる?」
蒼月は巻き付いた蛇の背を優しく撫でている。それからにこっと笑い、
「来てくれるって。私、行って来る。」
彼女は首に蛇を巻き付けたまま、立ち上がった。
「蒼月、一人で大丈夫なのか……?」
瑞月が心配そうに声を掛けた。
「大丈夫だよ。皆で入っても狭くて身動きが取れないよ。」
「そうか。……分かった、何かあったら直ぐに呼べよ。」
「うん。行って来る。」
蒼月は懐中電灯を灯し、蛇と共に洞穴の中へと消えて行った。
どれ位時間が経ったのだろうか。ほんの十分か十五分に過ぎないのだが、待っている者にとってはそれが何時間にも感じられた。蒼月の叫び声が聞こえないだろうか、思いも掛けない動物がいたのではないだろうかなどと、それぞれが息を殺して考えを巡らせていると、漸く蒼月の姿が現れた。彼女の胸にはしっかりと、泥だらけの黄の箱が抱えられていた。
「待たせてごめんね。丁度木の根が這ってる所にかっちり嵌ってて、時間が掛かっちゃった。」
蒼月は、地面にそっと黄の箱を置いた。彼女を見つめていたメンバー達は、溜息を付きながら思わず四方から手を伸ばした。
「本当に…………あった。」
「ああ……懐かしいわ。こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけど、余りにも懐かしい感触だわ。」
「分かるよ。この箱は僕等の生活の一部だったんだから。いや、違うな。生活の全部だ。その為の王だったんだもの。」
「信じられないわ……。これ、私が作ったのよね、生まれる前の私が。」
「そうだよ。そしてこの中に…………キュアがいる。」
瑞月がそう言うと、誰もが思わず息を呑んだ。――そう。メインは箱では無い。中に在る魂だ。
「キュアにテレパシーを送ってみようか。」
翼が箱を摩りながら提案した。
「頼むよ。キュアがどんな状態なのか、俺等にどうして欲しいのか聞いてみてくれ。」
「分かったわ、瑞月。」
「日本語で話し掛けるなよ。魔言語で話せよ。」
「おおっと!盲点だった。……じゃあ、やってみる。」
翼は黄の箱に手を置き、静かに目を閉じた。数分間、遠く近くに聞こえる鳥の囀りと、しゅるしゅると移動する蛇の音だけが、彼等の周辺を満たしていた。
「…………。ごめん、やっぱり駄目だわ。何の応答もなくって。」
翼は残念そうに振り返った。
「いや、如何なるものも介在しないようにと、何重にも呪が掛けられた箱だ。オールジー、この箱でも介在する何かってあるの?」
「物凄く考えているのだけど、何も無いわ。しいて言うなら人の手だけ。皆、自分の持ち場で箱を放置したでしょ?獣が悪さをしないようにと、人の手によってのみ開けられるようになっている。今の私達にとっては、何の解決にもならないけど。」
「そうか……。」
誰もが再び考え込んだ。この中には金の小箱が入っているが、それと共に相当数の離解の魂も入っている。黄の箱を開いた途端、眠りを妨げられた魂は怒り、一気に燃え狂うことだろう。一瞬にして森を焼き、全員即死の可能性だってあるのだ。そんな中、遥眞が声を掛けた。
「あのさ……。」
遥眞はしげしげと黄の箱を見つめている。
「この箱を読んでみるよ。もう何百回も言ってるから分かると思うけど、僕が読むのは物の念じゃない、人の念だ。人の目に晒されていないこの箱が、何かを記憶しているとは思えないけど……一応。」
「そうか!先生、お願い!あ……。でも、これはかなり特殊な物だけど、先生の魂は大丈夫なの?」
「分からない。でも蒼月、折角此処まで来たのだから、やれることはやろうよ。もし何かあったら……瑞月、頼んだぞ。」
「うん。ありがと、先生。」
遥眞は掌を広げ、黄の箱に翳した。そして、そっと箱に触れた途端、彼は後ろに大きく飛び退いた。
「うわっ!!」
「どうしたのっ!?」
遥眞は崩れるように地面に手を突き、肩で息をした。
「……ハア……ハア…………。いきなり宇宙空間が飛び込んで来た!そうだよな、普通の物じゃないんだもんな。こっちが考えてるよりも、ずっとハードなものを抱えている。」
「無理して見なくてもいいんじゃないの?」
翼が心配そうに声を掛けたが、遥眞は首を振った。
「いや、見るよ。この中に入っているものは、箱なんかより途轍もなくハードだ。少しでもヒントが得られるのなら……。」
「……そう、分かったわ。なるべくいい加減に見るのよ。深く入り込んじゃ駄目よ!」
「うん……。ちょっとこれは危険だ。3秒間だけ見る。3秒経っても僕が手を放さないようだったら、無理矢理引き剥がしてくれ。」
遥眞は再び、箱に掌を翳した。
「あ――――っ!!」
彼はきっかり3秒後に、自ら手を放した。しかし意識は無く、そのまま地面へ倒れ込む。
「――瑞月!!」
言われるまでもなく、瑞月は遥眞を抱きしめた。半身を起こさせて腕を回し、脱力している遥眞を強く抱きしめる。周りで見守っているメンバー達は、それが嘗て起きた悪夢の続きを見ているようで、思わずぞっとした。しかし、振り返った瑞月の目は澄んでいた。忠実に、確実に仕事をしようとしている、王の目だ。
「翼!」
「はい!」
「ぶっ叩いて!容赦するなよ!」
返事もせずに、翼は遥眞の頬を打ち叩く。右に、左に、遥眞の表情を一つでも逃すまいと、冷静な眼で彼を打ち続けた。
「う…………。」
遥眞の顔が苦痛で歪んだ時、翼は打つのを止めた。
「セシル……?え、翼?あれ、僕はどっちにいるんだ……?」
「地球よ。」
「あ……そうか。何だか混乱する。」
遥眞は訳が分からないような様子で、瑞月の肩に顔を埋めた。
「落ち着いて。ゆっくり整理すればいいわ。」
「ああ…………。夢の続きを見ているみたいだ。以前、こんなことがあった……?」
「…………あったのよ。でも、無理に思い出さない方がいい。」
翼は、遥眞の腫れている頬をそっと撫でた。
「うん……やっぱり君は翼だ。」
「?」
「セシルより優しい。」
その途端、遥眞の頬はパンッと叩かれた。




