再会③
ゴトン……ゴトン、ゴトン……ゴトン、ゴトン…………
電車は単調な音楽を繰り返している。遥眞はふわあ、と欠伸をして、端の座席の手摺に凭れ掛かった。
……あいつ等、元気だよなあ……。これが十代との体力の差か……。
彼の三人の教え子達は、飛行機を見る!と言って、目を輝かせながら手を振った。先生も一緒に行こうって言ってたけど……僕も……飛行機を見るのはとても好きなのだけど……今日は疲れた……眠すぎる…………。
ゴトン……ゴトン、ゴトン……ゴトン、ゴトン…………
「――ねえ、遥眞。」
彼等は、ショップが立ち並ぶ空港の通路を足早に駆け抜けていたのだが、翼が横に並んで声を掛けた。遥眞が顔を向けると、翼は酷く深刻な顔付きをしていた。
「何?」
「あ、あのさ……。」
「どうしたの。」
「えっと、あの…………私が死んだ時って覚えているのかしら。」
翼は俯いたまま尋ねた。
「え……?いや、覚えていない。キラやソーマの死だってここ数日で思い出したんだ。辛くて……思い出せないよ。」
「そ、そうか。そうよね。私が死んじゃったら、あなた一人になっちゃうんだもんね。そりゃそうだ。」
翼はそうかそうかと何度も頷いている。
「翼、君は覚えているの?」
「え?な、何を……?」
もごもごと口ごもりながら、彼女は目をぱちぱちさせた。
「自分が死んだ時を。」
「も、勿論覚えてないわよ!蒼月と瑞月もそうだったじゃない?でも、ほら、気になるじゃない。自分が死んだ時ってどうだったのかなって。」
「うーん、そりゃ気になるだろうな。僕も気になる。君が嘘をつく時は、必ず目をぱちぱちさせるんだ。」
「へ……?あはは!何言ってるのよ!」
翼は遥眞の背中をばしんと叩いた。
「あ!東京ばな奈だ!」
「欲しいの?」
「うん。お土産に喜ばれるし、私も好きなの。」
「買ってあげようか?」
「うーん、そうしたいのは山々だけど、乗り遅れると大変だから今日は我慢する。」
「そうか。後で送ってあげようか。」
「そこまでしなくて大丈夫よ。どうせまたすぐ来るんだから。」
「あ、そうか。」
「ありがと。」
翼は再び遥眞の背中をばしんと叩いて笑い、足早に彼の脇を擦り抜けて行った――。
ゴトン……ゴトン、ゴトン……ゴトン、ゴトン…………
……これこれ、長いよ――。何だっけ……妙に聞き覚えのある……。何処かで聞いたことがあるような……。あ、そうか、今日翼がそう言っていたんだっけ…………。
遥眞はまどろみながら、いつしか深い眠りへと落ちていった。
★★★
彼の足取りは重かった。彼と擦れ違う人々は、丁寧に会釈をしたり彼が通り過ぎるまで深々と腰を折ったりして、非常に好意的に迎えられていたのだが、彼には全くそれが目に入らない程重苦しい気持ちで足を運んでいた。実際彼は、泥沼の中を前進するかのように歩いていて、何処をどう通っているのかまるで分からなかった。道程は遠い――。しかし、思ったより早く着いてしまった。
一の扉は、二人の衛兵の手によって恭しく開かれた。二の扉の前でも同じだった。三の扉の前には――誰もいなかった。彼は、ふうっと息を吐いて扉をノックした。――応答は無い。もう一度叩いてみても、扉は微動だにしなかった。彼は不審に思い、そっと扉を開いた。
彼女は――いた。大きな執務机の前の、背凭れのある椅子に深く凭れ掛かって、すやすやと居眠りをしていた。随分疲れているみたいだ、出直して来ようか……。そんなことを考えながら、彼は彼女を見つめた。
★★★
人の気配がした。……あら、私ったらいつの間にか寝ちゃったのね。ここのところちょっと立て込んでいたから……。って言うか、何で人がいるのよ。誰も通すなと言っておいたのに。ったく、気が利かないんだから…………。
彼女は渋々と重たい瞼を抉じ開けた。
――――――!?!?
セシルは目を見開いたままフリーズした。目の前には、彼女と同じように目を見開いたまま凍り付いているシューバの顔が、間近にあった。
「な、な、な、何――――っ!?」
彼女は声にならない声を上げたが、シューバは床に膝を突いたまま、目を白黒させて相変わらず凍り付いている。それでも、しどろもどろになりながら漸く喋り始めた。
「えと、あの、あの……君に用があって来たんだ。女王様はお部屋にいらっしゃいますよって言った切り誰も先導とかしてくれないし、先触れもいなくてここまで来てしまったんだ。良く寝てるみたいだから出直して来ようかと思ったんだけど……えっと、何か君って……凶暴な獣が一時の安眠を楽しんでいるみたいで、あの……可愛いなって……ついふらふらと…………。」
「あ、そう。で、これは?事前なの?事後なの?」
「……じ、事前です……。」
「ふうん。で?いつまでこうしてんのよ!」
「ね、どうしよう……?」
「どうしようじゃないでしょう!するんならしなさい!」
「い、いいの……?」
「こ、こんなところで寸止めされたら、あたしだって消化不良だわよ!するんだったら女王様にちゃんとキスしなさい!」
「噛み付かない……?」
「噛み付かれたいの!?」
「うん……。」
彼は呟きながら、そっと彼女の唇に口付けた。
セシルは噛み付かなかった。目を閉じたまま、じっと大人しくしてくれている。……ああ、こうやって彼女とキスするのは何年振りだろう。もういつが最後だったのかも思い出せないくらい、遠い昔のことだ……。でも子供の頃とは全然違う。唇がとっても柔らかいし、凄く良い匂いがする……。
愛おしさが胸に募り、彼は彼女の肩を抱き寄せた。と思ったら不意に唇は離れ、肩を軽く押し返された。
「これこれ――長いよ。」
セシルは不思議そうな眼をして彼を見つめている。まじまじと見つめられて、彼を満たしていた幸福な気持ちは、風船の気が抜けるかのように急速に萎んでいった。
「で?」
彼女は不思議そうな顔をしたまま彼に問う。
「え?」
「えって私に用があって来たんでしょ。」
「あ、そうか。えっと、あの…………縁談の話が挙がってるんだ。」
「あなたの?」
「そう。」
「あら、おめでたいじゃない。私の知っている人?」
「いや、知らないと思う。父方の伯母の知り合いの娘だって。」
「じゃあ知らないわね。で?」
「や、ほら。一時は君とそんな話もあったじゃない。いいのかなって……。」
「まあ、何て律儀な。勿論いいわよ。って言うか、そんな話があったこと自体、覚えている人なんてまずいないわよ。あなたの伯母さんがいい例じゃないの。」
「そうなんだろうけど、一応。…………君はそれでいいの?」
「いいか悪いかを決めるのは私じゃないわ、あなたでしょう。流石に私だって、そんな大事なこと口出し出来ないわよ。」
「そう…………。もう、いい。」
「ん?」
「疲れているところ邪魔しちゃってごめんね。分かったから……もう、いい。」
彼は踵を返して扉へと向かった。数歩進んだところで、シューバ、と声を掛けられて彼は立ち止まった。
「おめでとう。」
セシルの明るい声が虚しく彼を通過する。彼は振り向きもせずに小さく頷き、部屋を後にした。
来る時も酷い気分だったが、帰りの方が最悪だった。泥沼を歩くのではなく、泳ぐようにのろのろと進んで行く。
キスなんて、するんじゃなかった…………。




