魔幻~地球~夢の記憶②
「キーちゃん、向こうに仔馬がいるんだよ。」
彼は、黒い瞳をきらきらと輝かせて話した。
そこはお茶を楽しむ為の優雅なテラス席だったのだが、彼等は椅子などには座らずちょこまかと駆け回り、最終的には怒られて、それでも椅子には座らずに芝生の隅にぺたんと座って遊んでいた。
「仔馬?見たい!」
キラも彼に負けじと深いブルーの瞳を輝かせた。
「行こう!」
彼がキラの手を取って駆け出した途端、二人を呼び止めるエヴァの声が飛んだ。
「ソーマ、何処へ行くの!」
「キーちゃんに仔馬を見せてあげるんだよ!」
「二人だけで行くなんて危ないじゃない!キラに何かあったらどうするの?」
「いや、エヴァ、大丈夫だよ。」
目を三角に尖らせているエヴァに、アークは微笑んだ。
「ほら、キラは……あれだから。」
「え?ああ……そうだったわね。……気を付けて行くのよ!」
お許しの出た二人は、はーい、と元気に返事をしてあっという間に見えなくなっていった。
芝生の庭を抜けた先に柵が現れた。ソーマは慣れた様子で柵を回り込み、木戸の閂に手を掛ける。柵の向こう側には、平たい厩舎と広々とした牧草地が広がっていた。
「すぐに見つかるといいんだけど……。広いから見つからない時もあるんだ。」
ソーマは細い首を伸ばして、辺りを見渡しながら言った。
「大丈夫だと思うよ。」
キラはにこにこと答えて歩き出した。
彼等が歩き始めて数歩もいかない時だった。あちこちに散っていた馬が、彼等を目指してのんびりと歩み寄って来る。それだけでなく、山羊やら羊やら兎までもが二人を取り囲むようにわらわらと近付いて来て、キラはそんな動物達を嬉しそうに眺めながら順番に撫でていった。
「あ、この子が仔馬ちゃんね。」
キラが栗色に光る仔馬の首筋を抱きしめると、仔馬は嬉しそうに彼女の華奢な首筋をぺろぺろと舐め返した。
「……お前、何。」
ソーマは目の前の光景に驚きながら、恐る恐る尋ねた。キラは仔馬を抱きしめたまま振り返る。
「あのね……私、動物使いなんだって。」
「動物使い?」
「うん。王の持つ、とくしゅのうりょくの一つだって。」
「へえ。そんなのがあるんだ。言葉が解るの?」
「ううん、解らないよ。でもね、何となく気持ちが分かるの。」
「へえ。面白いな。」
ソーマは興味深そうにキラと仔馬に近付いた。
「こいつ、可愛いだろ。どういう気持ちなの?」
「仲間が出来て嬉しいって言ってる。私も子供だってことをちゃんと分かっているのね、偉いわ。」
「そうなんだ。ね、こうやって草を千切って手でやると喜ぶよ。」
ソーマは足元の草を毟って仔馬に食べさせてやった。
「私もあげる。」
キラもソーマに倣って草を毟り、次々と辺りの動物に食べさせていった。
「痛!」
ソーマの動きが急に止まった。
「どうしたの?」
「うん、大したことない。ちょっと草で切っちゃった。」
ソーマの小さな人差し指には、すっと一筋の血が滲んでいた。
「舐めるといいんだよ。」
キラはソーマの指を口に含み、ポケットから小さなレースのハンカチを取り出した。それを傷口に巻き付けて軽く縛り、彼の腕を挙げさせる。
「もう大丈夫だよ。」
「へえ。キーちゃんは物知りだな。」
「ううん。私もしょっちゅう傷だらけになってしまうから、こうしなさいって教わったの。」
「そうか。」
二人は何だか可笑しくなってくつくつと笑った。彼等の朗らかな笑い声は、涼やかな風に運ばれて長閑な牧場へと消えていった。
「ね、キーちゃん。僕達、婚約者なんだって。知ってる?」
「うん。大きくなったら結婚するんでしょ?」
「キーちゃんはそれでいいの?」
「いいよ。大きくなったらソーくんと結婚する。」
「よかった!結婚て今したら駄目なのかな。」
「駄目なんじゃないの。私達まだ子供だし。」
「そうか。じゃあさ、ちかいのキスをしようよ。」
「ちかいのキス?普通のキスとは違うの?」
「多分、違うんだと思うよ。なんか約束みたいなことなんだと思う。」
「ふーん。じゃあ、ちかいのキスする。」
キラはちょっと不思議な感じがした。今まで両親をはじめとして、それこそ大勢の大人からキスを求められてきたが、同じ年頃の男の子とするのは初めてだったからだ。それでも、彼女は別に構わないと思った。
「えっと……僕は、キーちゃんをお嫁さんにします。」
「私は大きくなったらソーくんと結婚します。」
二人はちょっと顔を寄せ合って唇を合わせた。
「じゃあ、約束だよ。」
「うん。」
彼等は無邪気に笑った。
「ね、ソーくんのとくしゅのうりょくって何なの?」
「えっとね、僕は……癒者なんだって。」
「ヒーラー?」
「うん。怪我とか病気とかを治せるの。治せるって言っても痛いのが楽になるっていうくらいで本当に治せる訳じゃないけど。それから心のキズも治せるって聞いたけど、よく意味が分かんない。見えないもん。」
「へえー。とっても便利ね。」
「うん。」
「あ!」
「どうしたの?」
「ソーくん、自分の傷を治せばいいのに。」
「あ、そうか。」
ソーマは白いハンカチに手を掛け、ちょっと考え込み、やがて首を振った。
「どうしたの?」
「えっと……やっぱりやめた。これはもういいの。キーちゃんが治してくれたから。」
「そう?」
「うん。ね、向こうに鳥小屋もあるんだ。行かない?ひよこもいるよ。」
「行く!」
二人は手を取り合って、再び走り出した。空はどこまでも青く、陽射しはぽかぽかと彼等を包み込み、その日の牧草地のようにのんびりとしたある午後のことだった。