クラス委員長の分析
「美味いコーヒーだ。」
燻るコーヒーの香りに目を細めて、良平は呟いた。
「そりゃどうも。何故か昔からコーヒーを淹れるのが得意なんだよね。実家でもずっとコーヒー係。」
「へえ、何が違うんだろうな。金取れるよ。」
「そう?普通に市販のを使ってるんだけど。」
「うん、美味い……。ところで蒼月、体調は大丈夫なのか?」
結局、蒼月は学校で倒れた後、二日間学校を休んだ。今日は学校の裏の公園で別れて以来、四人で会う最初の会合となった。
「大丈夫だよ。夢もかなり見るけど、最近はちゃんと深い睡眠も取れてる。」
「そうか。……皆はどう?」
「俺も大分見て、大分落ち着いたとは思う。」
「僕も。見ていない部分も結構あるだろうけど、何故僕達が日本人に生まれたのかは分かった。」
「そう。では、俺の認識していることは、大体認識してると思っていいな。じゃあさ、先生。俺達は揃いも揃って、キャンプファイヤーの炎が燃え広がった時に失神して、白昼夢?っていうか悪夢を見たじゃない。それは何故?」
「え……?そんな風に考えたことは無かった。でも、考えてみればおかしな話だよな。……怖かった。ずっと見ることを拒絶していた夢を見てしまって。でも、それも怖かったけど……何だろう、それとは別のところにも恐怖心があった。…………そう。富士山の周辺で火を見るのがとても嫌だった。」
「そう!そうなんだよ!あの場所であんなに大きな火を焚くのは、物凄く危険なことなんだ!」
「それは何故?」
「…………黒の魂があるからだわ。」
「それは何故?」
「……眠りを妨げられた離解の魂は、様々な厄災を引き起こした。中でも、大火で街や山を焼き滅ぼすことが有名だった。起こされた魂が怒り、燃え狂っているから。……そうよ、私達は知っていたんだわ!離解の魂の付近で火を焚くのは危険だって!」
「俺もそう思うよ。その恐怖は何となく知っていたのに、余りにも無防備な状態で大きな火を見てしまった。あの時、一気に触発されたんじゃないかな。」
淡々と答える良平に、皆は驚きの目を向けた。
「委員長、君って……本当にオルテスだな。何か視点が違う。」
「そう?……質問を続けるよ。何故俺達は、この時代に生まれた。」
「え…………?」
思い掛けない質問に、三人はぽかんと口を開けた。
「俺には分からない。」
「私も。……良平ちゃんには分かるの?」
いいや、と彼は首を振った。
「俺にも分からない。只ね……恐ろしく突拍子も無い推測を立てたんだ。」
彼等は目を瞬かせながら良平を見たが、彼の意図していることは見当も付かなかった。
「俺はね……ひょっとしたら、富士山の噴火が近いんじゃないかと思うんだ。」
「――――!!」
「思い過ごしだと良いけど、最悪な事態を想定しておいた方が良いのかなって……。最近、日本列島では火山の噴火が相次いでいる。富士山がそうでないと誰が言える?溶岩が流れ出し、焼け爛れた山に呼び起こされた黒の魂は、怒りと、更に強大な力を手に入れるだろう。ミラリーナスークが何を考えているかは分からないけど、そうなる前にどうにかしろと。」
はああ……と、三人は溜息を付いた。
「可能性として……無くはないわね……。」
「いや、俺は大有りだと思う。富士山は歴とした活火山だ。」
「それだ!」
遥眞は突然声を上げた。
「そうなんだよ、それなんだよ、何かもやもやしてたのは!」
「先生、どうしたの?」
「うん。僕は……シューバはちゃんと言ったっけ?いや、言ってないな。きちんと整理が出来なくて言葉にしていない筈だ。……ヤグナはふざけた奴だ。そう、その辺も含めて僕はそう言ったんだ。ヤグナは、富士山が噴火して自分達の眠りを妨げたとしたら、及ぼす被害が尋常じゃないことを知っていた。それは明日かもしれないし、ずっと先のことかもしれない。……要は面白がってるんだ。」
「なるほど、奴の性格からして有りそうなことだ。富士山が最後に噴火したのっていつだっけ?江戸時代?」
「瑞月、それ位覚えとけよ。1707年。宝永の大噴火と呼ばれている。」
「江戸の方にも火山灰が降り積もって大変だったのよね。」
「そう。俺は魔幻で、富士山は活火山だと言ったと思うが、恐らくこの時の記録を読んだのだと思う。」
「ええっ…………?ということは……私達が魔幻で生きていた時代というのは、1707年より後だということよね!?」
「…………?」
「どうしたの、良平ちゃん?」
「どうしたのって……君達、自分等がどの時代にいたのか、覚えてないの?」
「覚えてないよ。ひょっとして、良平ちゃん、分かるの!?」
「何故分からないんだ!!」
良平は頭を抱えた。
「もう!君達三人もいて、誰も分からなかったの?」
「頭の出来が違い過ぎるのよ。」
「…………。あのね、そういうのは細かいことよりも大きいことを考えるんだ。宇宙的に大きくね。……嘗て、大きな事件があった。遠い夜空に、煌めきながら邁進する美しい流星――。それはどんどん近付いて来て、まっしぐらに魔幻へと向かっているように見えた。」
「あああ!!」
「ハレー彗星か!」
「そうだ、僕が王位に就く五、六年前のことだ!あれは……そう、セシルが王位に就いたばかりの頃だ!」
「だんだん思い出して来たじゃないか。」
「でも、あれよね。それがいつの時代のハレー彗星かは分からないよね。魔幻でも定期的に周回しているという記録はあったけど。確かこの星が現れると、災いを連れて来ると言われて恐れられていた……。いや、違う。何か違うわ。あの時の彗星は……もっと特別な、恐怖の対象だった。あ……思い出した。」
「思い出しました?」
「そうだ。この数年前にも星が落ちて来て、それは魔幻を通過して地球へと向かったんだわ。私はアークの指輪を通してその一部始終を見ていた。燃え盛る星は地球の北側へと到達し、大爆発を起こした。この事実があったから、ハレー彗星も楽観視出来ないと言われていたんだった。」
「良く出来ました。」
「ふうぅ……。」
三人は脱力して肩を落とした。良平が一人加わっただけで、見えなった事実がどんどん明らかになってゆく。
「うーむ、そうだったのか。ということは、地球へ落ちた隕石はツングースカ?」
「だと思うよ、先生。ツングースカ大爆発は、地球時間で1908年。その二年後にハレー彗星が現れている。一度、地球時間と魔幻時間の時差を計算してみたことがあるんだ。その時に出た結論は、この二星の間にタイムラグは余り無い。間違っているかもしれないけど、もう二度とあの計算はやりたくない。で――この計算が合っていると想定したら、あの頃から今に至る迄、百年以上の時間は経過している。」
「そうか……。」
余りにも長い時の喪失に、彼等は慄き、考え込んだ。
「あの……今更だけど、皆助けてね。いえ、助けて下さい。そんなに長い時が経っていたなんて。…………可哀想に。」
「当たり前だ!」
頭を下げた二人に、良平は一喝した。
「だって……実際、命を落とすことになるかもしれないのよ?まずは樹海で金の小箱を見つけること自体が、かなり危険で困難だとは思うけど……何とか箱を発見出来たとしても、金の小箱を開ける為には、その前に黄の箱を開けなければならない。黒の魂の眠りを起こしてしまうことは必然なのよ。間近にいて絶対に死なないとは言い切れないわ。」
「そんなことは重々承知だよ!いいか、将来がある筈の子供が一方的に命を奪い去られただけでなく、その魂までもが理不尽な方法で勝手に持っていかれたんだ。それを見過ごせるとでも思うか?」
「僕達は何の為に約束をして、同時代に生まれたと思っているの?」
「ありがと……。」
有難さが身に染みて、蒼月は俯いた。言葉で言う程簡単でないことは、皆分かっている筈だ。それでも、当然のようにそう言ってくれる二人の気持ちが有難かった。
「本当に、二人ともありがとな……。あのさ、俺と蒼月は、夏休みにもう一度樹海へ行こうって話していたんだ。行って何が分かるか分からないけど、行ってみないと何も分からないからさ。」
「――あ。」
「何?」
「あ……あのさ。俺も君達と一緒に行こうと思ってたんだけど、日程を決めるのはもう少し待ってくれないかな。」
「別に構わないけど。塾でもあるの?」
「塾?塾って何だ?えっと……ちょっとこれを見てくれないか。」
良平はそう言いながら、鞄の中から一冊の雑誌を取り出した。雑誌名はMyDanceNumberとなっていて、表紙には、長い銀髪を靡かせて翻るような銀の衣装を身に着けた女性が、大勢の黒いダンサーに持ち上げられて複雑にリフトされている写真が載っていた。高いピラミッドの頂点のような所から彼女は右腕を差し出して、まるで世界を睨め付けるかのように、観客に向かって指をさし向けていた。
「え、何?委員長、君ダンスなんてやるの?」
「……そう見える?」
「見えないけど。でも、そうだとしても驚かないかも。」
「うん。何か良平ちゃんだと、ダンスでも料理クラブでも七宝焼き教室でも、納得しちゃうんだよな。」
「……やってませんから。もう!!君達本当に王だったの?俺ですら本屋で見掛けてあれって思ったのに。先生を見てみなよ。」
二人が遥眞に視線を遣ると、彼は食い入るように雑誌を見ていた。
「え……?先生、どうしたの?」
「…………。」
「その雑誌が何か特別なの?委員長が馬鹿にするんだけど、俺には全然分からない。」
「分からない?何故分からないのかが分からない…………。」
遥眞は再び雑誌に視線を移して、沈黙した。どうやら、今の彼には何も答える気が無いようだ。穴が開く程雑誌を見つめた後、遥眞はぼそりと呟いた。
「…………セシルだ。」
「ええ――――っ!?」
二人は驚いて遥眞を見た。やがて蒼月は、張り詰めた空気で雑誌を凝視している遥眞に、恐る恐る声を掛けた。
「ね、先生……?」
「何?」
「何でこの人が、セシルなの?」
「何でってどこからどう見てもセシルじゃないか。」
「え……?そうなの、良平ちゃん。」
「うーん、どこからどう見てもっていうのは分からないけど……兎に角!俺が見て欲しいのは、此処!」
良平はそう言いながら、差し出された彼女の右手首を指差した。
「ああ――――っ!!ほくろだ!!」
蒼月と瑞月は、奪い合うように雑誌を覗き込んだ。
「中に略歴が書いてあるよ。かつてのセシル・ユナ・ミシェル・アリシア・グリーン――。現在のTsubasa、こと中洲川翼は、中学卒業後ニューヨークの超難関ダンスカンパニーに合格。十七歳でブロードウェイデビュー、現在ブロードウェイで公演されている「SOUL!」で初主演。埼玉県出身、二十歳――。」
「…………。」
「日本でも幾つか取材を受けてるよ。テレビも10分位で終わっちゃう短い枠だけど、ドキュメンタリー番組とかに出てた。でも、本人が喋っているシーンは割りと少ないんだよな。やっぱり舞台映像の方がメインになっちゃう。」
「…………。篠原、これいつ出たんだ。む、3月か。うーむ、セシル……いや、翼さんはそんなに有名人だったのか。」
「うん。俺には余り耳にすることのない名前の人だったけど、ちょっとダンス部の連中に聞きに行ったら、もういいっていう位熱く語られたよ。」
「そうなの……?ああ、会いたいな、セシルに。いえ、翼に。何とか会える手立てはないものかしらね。それに……先生には悪いけど、手首に纏まったほくろがあるというだけでは、彼女がセシルだという確信は無いわよね。その辺の是非も確かめたいわね。」
「俺、会ったよ。」
良平はさらりと言った。
「会ったあ――――!?」
「うん。て言うかさ、俺がこういうのを見つけて、どうしようか手を拱いてるとでも思った?」
「そ、そうよね。」
「手紙を出したんだ。出版社とカンパニーと事務所と3通。封筒は普通に書いたんだけど、中身は魔幻語で書いた。もし全くの見当外れだったら彼女には気持ち悪い思いをさせちゃうけど、何が書いてあるんだか解らないからまあいいかって。」
「で、どうだったんだ!?」
瑞月が意気込んで尋ねた。
「電話を掛けてくれたよ。向こうもかなり驚いていた。俺が年下でびっくりしたみたい。で、何としてでも会いたいと言ってくれて、時間を作って来てくれた。成田で会って、その日のうちに出国してしまったけど。」
「凄いな!君、テレポーテーションでニューヨークまで行けば良かったのに!」
「いや、無理。こういうのって時間とか距離とか関係無いと思ってたけど、そうでも無いんだよな。ニューヨークに一度も行ったことがないし、遠過ぎる。それに、地球は魔幻よりもずっとでかい。試したところで太平洋に落ちるぞと、本能が訴えているんだ。せいぜい韓国位迄かな、行けそうなのは。」
「へええ。」
「因みに翼のテレパシーもニューヨークからここまでは届かない。一度時間を決めて試してみたけど駄目だった。成田でやってみた時は大丈夫だったのにね。……翼が愚痴っていたよ。特殊能力があったって、こっちでは何の役にも立たない。オルテスの気持ちがよく分かるわって。ふはは……!やっと俺の気持ちが分かったか!」
「あ、あの、篠原……。で、どうだったんだ?」
「どうだったって?」
「だから、翼と会って。」
「え、ああ。……ま、皆と同じ感じだと思うよ。思い出した過去の出来事を話し合ったり、現在の存在意義を考えたりとか。今でも月に二、三回電話で話している。やっぱりいいよな、共有出来る相手がいるのは。だからまさか、同じクラスにこんなに知り合いがいたなんてびっくり。灯台下暗しってこういうことを言うんだな。」
「そうだったのか……。」
「あ、それでね、彼女どうしても皆に会いたいって。来週こっちへ来るって。平日だけど、もう夏休みに入っているから大丈夫だよね。また成田で会って成田でさよならだけど。しかも夕方にニューヨークに着いて、その夜のショウには出るらしいんだ。」
「何だって?大丈夫なのか?こんなに危ないアクロバットみたいなことをするんだろ?」
「本人は大丈夫だと言ってる。それよりここ最近の方が大変だったみたい。俺が、林間学校であったことを話してしまったから。触発されて不眠の日々が続いていたらしい。」
「何てことだ!こんなに高い所から落ちたら死ぬぞ!」
「先生、心配のしすぎだよ。彼女はプロなんだ。世界のTsubasaなんだよ。生半可な鍛え方をしていない。皆よく知っているよね?彼女が一番厳しいのは自分に対してだ。……翼は本当に忙しい人だ。本人はステージだけに集中したいらしいけど、色々と柵があるみたいで、ダンス講師や振り付けの依頼など忙殺される日々を送っている。それでも、皆に会いたいと言っているんだ。」
「そうか……。」
「私も会いたい。」
「俺も。」
「じゃあ、それで話を進めておくよ。それとも先生、番号教えるから先生が話す?」
「やだ。怖い。」
「怖いって、子供じゃないんだから。」
「だって怖いもんは怖いもん。」
「あ、そう。翼はセシルと同じように優しい人だよ。」
「そうなんだろうけどさ。それより篠原、この雑誌まだ売ってるかな。」
「さあ、どうだろう。欲しかったら先生にあげるよ。」
「本当?下さい。」
「どうぞ。じゃあ来週の詳しい日程を決めておくから。皆それでいいね?」
彼等は揃って頷いた。
「翼、喜ぶだろうなあ……。」
良平は満足そうに呟いた。それから、嬉しそうに冷めたコーヒーカップを傾けた。




