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蘇る記憶⑤

 「――ほら、泣け。そんなに……我慢するな。」


 蒼月を繋いでいた緊張の糸が、ぷつんと切れた。砂塗れで横たわっているキュアの姿が、何度も頭の中を過ぎる。

 どす黒く血で染まった砂地、地球の光に照らされて真白な顔をした子供。それでも諦めずに、必死に子供に話し掛け抱きしめる夫――。

 蒼月は瑞月にしがみつき、泣いた。堰を切ったように涙が溢れ出す。


 「…………ぐ……ぐふっ…………。キュアが……死んじゃった。あんなに可愛いかったのに……。呆気なく殺されてしまった…………。」


 「うん……。」


 「うっ……あんたとの間に出来た……大切な子供……。ずっと一人で頑張ってきたのに……守ってあげられなかった…………。」


 「うん……。」


 瑞月はずっと蒼月の背中を撫で続ける。蒼月は瑞月にしがみついたまま、号泣した。

 彼女は泣いていなかった。泣けなかった。次々と投げ込まれていく、想像を遥かに超えた過去の出来事に、心がついていかなかった。感情を置き去りにしたまま、後から後から知らなかった記憶だけが積み重ねられてゆく。

 抑え込んできた感情を瑞月に誘発され、爆発的に泣くだけ泣いた後、蒼月は漸く落ち着きを取戻し始めた。


 「ごめん……。瑞月、本当にごめんね。辛いのはあなただって一緒なのにね。」


 「謝ったりするなよ。」


 「癒して貰うのは私ばっかり。」


 「そんなことないよ。」


 「そんなことあるわよ。」


 蒼月は瑞月がそうしたように、彼の背に腕を回して軽く叩いた。


 「――泣いて。」


 「え?」


 「あんただって泣きたい筈よ。私が一番よく分かる。だから泣いていいのよ。」


 「俺は――散々泣いたから。もう枯れた。」


 「そうか……。私は何もしてあげられないのね。」


 「そんなことないってば。……じゃあキスしてよ。」


 「うん。」


 「うん?」


 聞き返した瑞月の唇は、柔らかい唇で塞がれた。トクトクトクというお互いの鼓動が、時を奏でるかのように響き合う。


 「…………いいの?」


 蒼月の瞳を覗き込みながら、瑞月は尋ねた。悪いと思ってキスを強制させているのだとしたら、自分は酷い奴だと思った。


 「…………やだ。」


 蒼月は目を伏せて小さく呟いた。


 「やだ?」


 「もう……瑞月じゃないよやだよ。あなたのことがとても好きなの。……何でなんだろう。あんたといい、ソーマといい、何でこんなに私に優しくしてくれるんだろう。私はその半分も返せていないのに。」


 「馬鹿なことを言うな!」


 蒼月が倒れたと聞いた時から、瑞月は癒すことだけを考えていた。しかし、昔とは何一つ変わらずに、驕ることを知らない彼女の言葉を聞いた途端、その箍は外れた。自分の腕の中にいる、小さな肩をした女が愛しくて堪らなかった。瑞月は蒼月の頬に手を当て、再び唇を合わせた。そして、二人は嘗てそうであったように、何度も口付け合った。


 「……返すとか返せないとか言うなよ。こうやってそばにいてくれて、一緒に時を過ごせるということが、俺にとってどんなに支えになっていると思うの。」


 「うん……。」


 「俺は最初からお前のことが好きだって言っただろ。そう言ってくれてどれだけ嬉しいと思ってるの。」


 「うん……。ありがと、瑞月……。」


 「だから、ありがとはこっちだってば。」


 瑞月は胸を震わせながら、彼女の背に掛かる長い髪を撫でた。


 「お前さあ……いつの間にそんなことになってるの。嬉しいけど、ちょっとびっくりだよ。」


 「ねえ……自分でもよく分からない。でも今となっては、瑞月と一緒にいる方が自然な気がするのよ。……キスって嬉しいね。」


 「またお前は……キラみたいなことを言って。変なところで素直なんだよな。じゃ……もっとする。」


 「うん……。」


 二人は再び唇を合わせた。ソーマがそうしたように舌を差し入れても、蒼月はちょっと驚いたように目を見開いたが、再び目を閉じて返してくれる。

 唇から溶けてしまいそうだ…………。こんな風にキスを交わしているうちに、このままお互いに溶けてしまえたらどんなに良いだろう…………。


 「ね、蒼月……。」


 「うん……?」


 「このまま……寝室に連れてったら……やだ?」


 「え……?」


 蒼月は暫くぼんやりとした表情をしていたが、さっと眼に光が宿り、真直ぐな眼差しを瑞月に向けた。


 「嫌じゃない。」


 蒼月の視線を浴びた途端、瑞月は全てを悟った。こいつって……本当にキラだ。


 「……ごめん。」


 「謝らないで。……嫌じゃないって言ったでしょ。」


 蒼月は恥ずかしそうに笑う。

 懐かしさと自己嫌悪で、瑞月は自分の頭を掻き毟りたい気持ちだった。この女は……本物の女王だ。本質というものを良く分かっている。それに比べて……俺は本当に、只の男だな。


 「お前って……本当に良い笑顔で、良い場面で、笑ってくれるよな。こっちに気を遣わせないように、さらっと流してくれるんだ。蒼月さん、かつてのキラ女王、心から尊敬するよ。俺もう、穴があったら入りたい。馬鹿って言われてもその通りだと思うよ。」


 「大袈裟なんだから。あの……本当に嫌じゃないのよ。キラはそうして、とても嬉しそうだったから、えっと…………。」


 「頑張って喋らなくていいよ!……よく分かっている。俺達には子供がいる。」


 「うん……。」


 「俺達には……そうやって愛し合って出来た子供が、その魂のまま、日本にいる。」


 「ええ。私達は……今、そうすべきでは無いわ。」


 瑞月は、自分を真直ぐ見つめる瞳を見つめ返した。このまま吸い込まれてしまいそうだ。


 「キュアが……。」


 「キュアが?」


 「幾つ時代が変わったのだろう。キュアが……気が遠くなる程の長い年月が過ぎ行く中、私達をずっと待ち続けている。ヤグナと離解の魂に囲まれて。キュアの魂を、一刻も早く解放してあげないと。」


 「ああ。何もかも、全てはそこからだ。……キュアの魂を取り戻す。」


 二人はお互いを見つめ、手を取り合った。


 「――行こう、蒼月。もう一度樹海へ。」


 「ええ。私達は――その為に、同じ時代にこの場所で巡り逢ったのだから。」

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