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密ごころで拗らせないで

 




 俺は昨日の夜、ある事を心に決めていた。


 時が来たら、

 アンに結婚を前提に付き合って欲しいと告白する。

 要は、プロポーズする…という事だ。


 俺はマッティアとタイプが全然違うし振られるかもしれないが、それはしょうがない。だってそうしなければ、俺はこの先一生後悔すると思うからだ。


 アンの家は大富豪の伯爵家だ。噂では来年、伯爵から侯爵へと爵位が上がるらしい。

 それに対して俺は下級貴族の男爵家。

 金銭面においてもそうだし身分の差があり過ぎて、今のままではとてもじゃないがアンにプロポーズなんて出来やしない。


 アンの両親に認められる為に、

 そしてアンを幸せにする為に、

 俺が出来る事はただ一つ……。


 その為には、目の前の水龍に背を向けて逃げる事は出来なかった。

 魔獣討伐なんて一切経験も無い俺が、水龍に立ち向かうなんて無謀にも程がある。


 だけど、


 一度でも目の前の困難に背を向けてしまったなら、これからも何かある度に俺は逃げてしまう気がするんだ。

 そして俺が目指す頂には、決して手が届かなくなってしまう。


 そんな事になるなら今ここで死んだほうがマシだ。


 俺の初戦には少々相手がデカすぎるが、今までの鍛錬全てをぶつけるしかないな……。


 額には脂汗が滲んできた。

 足の芯から震えてきて、何故か口元には笑いが込み上げてくる。これが武者震いってヤツか……?


 アンが後ろから何か叫んだが、そこへ意識を向ける余裕は無い。危ないからどうか遠くへ離れてくれ。


 そんな中、右隣から聞こえた一言が脳へと侵入した。



 リヴァイアサン……



 隣にいる男は確かにそう呟いた。

 あの水龍の姿を見て、伝説の怪物だと判別できる人間は限られている。


 顔は目の前のリヴァイアサンを捉えたまま、目線だけで隣の男を(うかが)った。

 男は帽子で覆い隠していた顔が露わになっていた。



「……!!」



 まさか、このタイミングでこんな所に………!!


 隣にいる男が誰だか理解した俺は、この後とる最善の行動を脳内で素早く組み立てた―――



 ―――“身体強化“



 俺は瞬時に後ろにいるアンを抱えてその場から離れる。一瞬で彼女を安全な場所へ降ろして、すぐさま上空へ飛び上がり、川辺全体を見渡す。

 ――ここまで二秒と少し。


 対岸に腰が抜けて動けず川辺にひっくり返っている老人が見えた。

 俺は空中で膝を(かが)めて、脚の筋肉に魔力を込める。同時に風魔法を併用して空に壁を作り、思いっ切り蹴りだした。バネの反動のように遠くの対岸へと飛び、着地しつつ老人を川から引き離す。

 ――ここまでで七秒半。


 そしてリヴァイアサンが反対側の対岸に行ったからか、川辺に近づく怖いもの知らずの野次馬達に風魔法を使い転がしてでも川から遠ざけた。

 ――ジャスト十秒。




「ふむ、いい判断だ」



 手にしていた釣竿を優雅に横へ置き、リアムの行動を横目で捉えていた男は口角を上げて言った。


 荒れ狂うリヴァイアサンが目の前にいる男の上空を覆い、遥かなる高みから見下ろす。男は上から落ちてくる雨のような水しぶきによって濡れていく。

 ついに巨大な口を広げたリヴァイアサンは下にいる男へと顔を落下させた。

 今にも食べられてしまう寸前の男はいつのまにか(つるぎ)を携えて、リヴァイアサンの真下から横へと移動していた。

 男に風が集まり濡れた髪や服は一瞬でサラッと乾いたようだった。乾いた瞬間、その劔をリヴァイアサンへと突き立てる。



「悪いな、少し眠ってろ!!」



 その劔を中心として「カッ」と閃光のように辺り一面が白くなった。眩しくて目が開けられないほど強い光とほぼ同時に、耳を塞ぎたくなる程大きな雷の音が鳴り響く。


 目を開けた時には、大量に泳いでいた魚は全て川の表面を覆い尽くすように浮いて漂い、死んだのか気絶したのか分からないがリヴァイアサンも川辺に激しい音を立てて横たわった。


 俺は腰を抜かした老人を木の下に運んで降ろし、すぐにアンの元へ戻った。


「アン、大丈夫か?怪我はないか?!」


 時間が無かったのでアンを雑に扱ってしまったと思い、怪我をしていないか心配になった。


「リアムは?!リアムは大丈夫なの?!」


 アンは手を前で祈るように組んで、震えるように質問を質問で返してきた。アンを見た感じ怪我は無いように思うけど、また後で聞いてみよう。


「俺は何ともない。大丈夫だ」

「良かった……」


 そう言ってアンの震えた手を包んで落ち着かせる。

 その震えの分、アンが俺の事を心配してくれているんだと思うと心の底から温かいものが湧き出てきた。

 自分の事よりも俺の心配をしてくれるアンに、愛しさが込み上げてくる。


 この子を一生守りたい……!!!


 その気持ちを現実にさせる為にも、俺はアンの震えが止まったのを確認して、転がっているリヴァイアサンの隣にいる男の元へと向かう事にする。


「アン、ここで少し待ってて。何処か怪我してたり痛い所があったら、すぐに教えてくれ」

「私は大丈夫よ。……分かった待ってる」


 少し涙目のアンが可愛すぎてたまらない。

 ゴクリ……

 そんなアンに今すぐキスしたいと思ってしまったが、俺の全ての理性をかき集めて何とか(とど)まることができた。

 ………あ、危なかった!!!



 必死に理性を大集合させたまま川辺へ向かう。


 頬に傷のある体格のいい男の前に立ち、俺は大きく息を吸う。全身全霊を込めて姿勢を正し、騎士の敬礼をした。



「王国騎士団ヴァルトフェルド総長!!!この度はありがとうございます!!!」



 リアムの気迫ある声を聞いてその男ヴァルトフェルトは、答礼をせずに微笑んだ。


「ふ…、バレてしまったか。今日は総長としてじゃなくて趣味の釣りをしに来ただけだから、そんなにかしこまらなくてかまわんよ」

「はっ!!しかしそれは無理な話です、ヴァルトフェルド総長!!」


 ヴァルトフェルドは釣りをしている最中にリアムにずっと睨まれていた事を思い出して、そのかけ離れた態度に笑ってしまった。


「はっはっは!!なら、君の彼女を連れてきてくれ。もし怪我をしているのなら、総長の私が特別に付きっきりで治してやろう」

「かっ、かか彼女ではありません!!………そしてそれは…いくらなんでもヴァルトフェルド総長には任せたくありません……」

「くっくっく……悪かった。冗談だ。」


 何ともからかい甲斐がある奴だ。男前だし見た感じモテそうだが、片思いを(こじ)らしている感じかな?そんなに顔を赤くして、彼女にはバレバレなんじゃないのか?まぁ、初々しくて宜しい。


「君は学生かな?騎士団には居なかったと思うが」

「大変失礼致しました!!私は、王宮学園の騎士学科を専攻しているリアム・フォードと申します!!」


 なるほど。学園の騎士学科を専攻していたなら、何度か講演や実技で顔を出している私を認識していたのも頷ける。私が雷魔法を最も得意としている事も知っていたから、あの判断が出来たのか。


 しかし、今日は平日だ。授業をサボって好きな女とデートしていたのか……?

 ふっ、ますます気に入った。若い頃に真面目なだけの奴より、上手く欲望を発散している奴の方が伸び代があるし、鍛え甲斐もあるというものだ。


「リアム・フォード君、先程の判断力と流れるような素早い魔力操作はとても学生の(もの)とは思えなかったよ。来年、君が騎士団に入隊してくるのが楽しみだ」

「いえ、私は今年一年なので、入隊するとしたらまだ先になります!!」

「ほぅ…」


 それは驚いた。彼の剣さばきこそ見ていないが、あの状況であれ程の動きを出来る者は騎士団の中にもなかなかいないだろう。それが一年生とは…とても信じられん。


「失礼ながら、ヴァルトフェルド総長に質問する事をお許し頂けますでしょうか!!」

「さっきも言ったが、今は総長として此処(ここ)にいる訳ではない。気を使わず何でも聞いてくれ」


 リアムは少し躊躇(ためら)うように間を空けて、より真剣な顔つきへと変わった。



「では、失礼ながら言わせていただきます!!

 私はヴァルトフェルド総長の様に、いつかこの国の騎士団総長に必ずなってみせます!!!しかし、私は男爵の地位であります!!自分の実力だけで総長になる事は可能でしょうか!!」



 リアムの姿勢は綺麗に正されているのに、まるで前に突っ込んで来るかのような気迫に襲われつつ凛とした空気を放ってくる。

 ヴァルトフェルドは、リアムの輝くような黄金の若い芽から発した言葉に感化されて、その輝きを取り込むかのように最大限に目を見開いた。


 現在、この国の軍事の最高権力者であり、その全てを自在に動かせる騎士団ヴァルトフェルド総長の目の前で、自分が騎士団総長になると臆せず進言したのだ。


 これは質問などではない。リアムの宣言でしかない。

 例え男爵の地位では無理だと私が言っても、リアムはどんな手を使ってもそれを覆すだろう。それ程に彼は揺るがない決意を宿した目をしている。


 その揺るがない決意の根源は何なのだろうか…?


 ヴァルトフェルドは、地位も、名誉も、金も、昔の自分が欲して目指していた全てを手に入れていた。

 それはヴァルトフェルド自身が特に苦労をして手に入れたものでは無かった。

 ヴァルトフェルドの生まれた身分の高さや、自身の能力がずば抜けて高かったからなのか、はたまた運が味方してくれたからなのか…。

 結局それら全てがあって、気付いた時には当たり前のように騎士団総長という地位についていた。


 若い頃はヴァルトフェルドにも、リアムのような熱い魂を持っていたはずなのに。

 今はこれ以上何を目指せばいいのか分からなくて、生き甲斐も目標も無く途方に暮れていたのだ。

 贅沢な話かもしれないが、全てに置いて満たされてしまった毎日に、幸せというものは無かった。

 これ以上欲するものが何も無い…それの何とも虚しいことよ…。


 久しく忘れていた若々しく輝かしい気持ちが胸に響いてきたが、経験でそれを包み込んでリアムへと意地悪に言葉を詰める。


「爵位は関係ない、実力があればなれるよ。だが、例え君が騎士団総長になれたとしても、私は君が幸せになれるとは決して思えないがね」


  ヴァルトフェルドはリアムと近しいものを感じていた。生まれてきた環境は違くても、自身が若かりし頃の気迫はリアムと同じだと思ったからだ。

 しかし、貴族の爵位が低いとなると、彼はこれから嫌でも困難に立ち向かう事となるだろう。


 ヴァルドフェルドは自分の経験を通して彼に警告しておきたかった。


 地位と幸せは違うと。

 名誉と幸せは違うと。

 お金と幸せは違うと。


 果たして騎士団総長という座に、彼は果てしない苦労をしてでもなる価値を見い出せるのかと。


 さぁ、どんな答えが返ってくるのかな。

 ヴァルトフェルドは久し振りに他人に興味を持ち、返ってくる言葉を想像して胸を高鳴らせた。


 リアムはアンが離れている所に居る事を目で確認して、ヴァルトフェルドに返答した。


「それを聞いて安心しました!!ですが、私が騎士団総長になったら幸せになる自信があります!!……そもそもフローラ嬢を幸せにする為には、総長になる事は不可欠ですから……」


 先程まであんなにも凛とした空気を放っていたリアムは、フローラの話をした途端、モジモジと顔を赤くさせた。


「はっはっは!!!」


 ヴァルトフェルドはリアムの予想外の答えに腹を抱えて笑った。

 それこそが、リアムの揺るがない決意の根源にある(モノ)なのだろう。

 彼の幸せは総長という地位と名誉と金にあるのではない。総長になった自身がフローラと共にいる事が幸せなのだろう。

 総長という座はフローラ(幸せ)への踏み台でしかないというのか…。


 青い…なんとも青臭いが、嫌いじゃない。



 ひとしきり笑い終わった後、なんとも言えない顔をしているリアムに向けて爽快な気分で言う。


「私は君が気に入ったよ!来年の二月に、今の三年生が受ける騎士団入隊試験がある。その試験を是非、君にも受けて欲しい。私が斡旋(あっせん)するよ」


 さぁ、早くここまで来てみろリアム。

 お前が来るのを心待ちにしているぞ。

 だが、リアムに総長の座を易々(やすやす)と譲る気は決して無いがな……。


 この時、何の欲も無く虚しさの中で生きていたヴァルトフェルドに、若い者には負けないという新たな欲が芽生えた瞬間でもあった。


 そのせいなのか、ヴァルトフェルドはどこか仏のように悟った顔つきだったが、今は生き生きとした意地の悪い笑みに変わる。

 彼の突然の提案に驚いていたリアムは、それを見て底知れない恐怖を感じ取ったのだった……





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