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明鏡止水を荒れ狂わせないで

 




 石畳の上を人々がせわしなく歩いている。

 すれ違う人との距離が狭い。

 食べ物を売っている露店では、ふくよかな婦人が快活な声で店主に物を値切っていた。

 広場の奥からはバイオリンの優雅な音と子供達の弾ける笑い声が聞こえる。

 美味しそうなパンやコーヒーの匂い、人々の飛び交う声と馬車が闊歩(かっぽ)する足音の中を通り過ぎては、リアムの手を頼りについていく。


 私達のいる学園は王都の西寄りに位置しており、中央の城下町を抜けて東の川へ向かう途中だ。

 王都の中心の貴族街から少し抜けたここは平民が多い地区で、フローラは初めて訪れる街に落ち着かない様子で顔をキョロキョロさせていた。


「そんなに見回していると田舎者だと思われるぞ」


 私へと振り返ったリアムは左の口角を釣り上げながらニヤリとしている。


「じゃあ今日は田舎から来た二人っていう設定で会話をしましょう」

「どんな設定だよ。そもそも伯爵令嬢が田舎者の事なんて分かるはず無いだろ」


 リアムは少し小馬鹿にした感じで笑った。

 ムッ…。前世では実家から一番近くのコンビニが車で三十分という何も無い田舎に住んでいたから実は分かるのだよ。日本語が通じるなら盛大に(なま)りを披露したいところだわ。

 …とは言えなくて私は黙りこくる。


 リアムは何度かこの地区に来たことがあるらしく、スイスイと迷う事なく道を進んで行く。

 貴族街に比べて狭い歩道を掻き分けて進むこと数分後、婦人服が置いてある店の前で止まった。随分と可愛らしい外観の建物だ。


 制服姿のままでは周りの目があるから、私達は上のブレザーを脱いで歩いていた。脱いだら私は(そで)のないワンピースみたいな格好になるけど、暑いしそのままでもいいかしらと思ったら、リアムに絶対ダメだと言われてここまで連れてこられた。

 リアムはゴクリと息を飲んで扉を開ける。


 カラン…


 店内には若い女性が五、六人いてリアムを見て数秒間息が止まったように(ほう)けていた。

 リアムは今、上半身がシャツ一枚の姿になっている。シャツ姿のリアムはボディーラインが露わになり、男らしい体つきがはっきり分かって私でも少しドキドキする。

 二の腕から胸筋にかけてはシャツが少し小さく感じる程たくましいし、腕をまくってさらけ出した肘下の筋肉も鍛えられてガッチリしていた。リアムは学園で騎士学科を専攻している騎士見習いだから腕が太いのは当然か。


 リアムは店内をサッと見渡し、これはどうかと言ってワンピースを一枚持ってきた。

 それは私の瞳と同じ薄紫色で、品のある清楚なワンピースだ。


「可愛い…。だけどスカートの(すそ)が少し長いんじゃないかしら」


 長袖の割と露出が少ないワンピースは、今着ている制服のスカートよりも裾が長かった。これから水辺で遊ぶのに、これでは動きにくいんじゃないかなと思う。


「却下。制服のスカートより短いのは駄目だ」

「え…」


 前世で彼氏と初デートをする時に、私の服を見てお父さんが言ってきたセリフと被った。幼馴染の幼かったリアムは、成長してお父さんになってしまったのかもしれない。


 しょうがないから試着室で着替えてみた。触り心地もいい生地だし、これ結構高いんじゃ…?値札を探しても既に切られていて分からなかった。サイズもピッタリで思ったより動きやすいし、何より自分に似合っている気がする。

 少しテンションが上がって試着室を出たら、リアムはスマートにお会計を終えた後だった。あら、意外に出来る男だわ…。


 私はスカートの端を摘んで綺麗にカーテシーでお辞儀をした。

 リアムは少し目を開いた後、微笑んでボソッと呟いた。


「……似合っている」

「え?」

「……いや、さすが俺が選んだだけあるな。馬子にも衣装だ」

「ヒドイ!!」


 そんな悪口を言いながらほんのり顔を赤らめたリアムは紳士に手を差し出してきた。私は口を膨らませながらリアムの手に自分の手を重ねる。


 店外へ出る時に羨ましそうな眼差しで見てくる女性と目が合った。

 リアムは顔も体も少しイカつい方だけど、攻略キャラ達と比べても見劣りしない程見た目はカッコいいと思う。……やっぱり攻略キャラになれなかった原因は口の悪さかな?


 店を出てリアムはホッと一息ついた。私と一緒でも男性が女性だらけの店に入るのはなかなか勇気がいる事だったと思う。服のお礼と共に、心の底からリアムにありがとうと伝えた。





 一通り街で用事を済ませ、学校にも一日お休みすると連絡を入れてから、私達は川辺で釣りを始めた。

 リアムが買ってくれた折りたたみの椅子に座って、釣竿にルアーを引っ掛けて川へ落とす。


 目を閉じれば、川のせせらぎの音に乗せて鳥や虫の音が奏でている自然の演奏に酔いしれる。

 私達が座っている場所は木陰の下で気温も涼しくいい気持ちだ。温かいそよ風が肌の上を撫でるように滑っていく。

 ()()()()()()()()()()()、私は早速釣れた魚を引き上げてはまたルアーを垂らす。


「アン、狭くないか?もう少しこっちに寄れ」

「寄れって言われても、もうリアムにピッタリくっついてるじゃない。これ以上無理よ」


 私の左側にいるリアムは、私の右側にいる帽子を深くかぶった体格の良い男性を睨んでチッと舌打ちをする。

 その間にも私のルアーにはまた魚が掛かって引き上げる。


 現在、この雄大な大自然とは相反する何とも(せわ)しない中に私達はいた。





 ―――私とリアムが川辺に着いた時、辺りを見渡して騒然となった。


 目の前には大勢の人が列をなす様に川に沿って座り、皆んな黙々と釣りをしていたのだ。全員隣の人との間隔は一切隙間も無くピタリと座っている。なんとも滑稽(こっけい)な状況だ。


 なんでも今日からサーモモンという魚を釣るのが解禁になったらしく、竿を振ればすぐに取れる程大量にその魚が泳いでいるらしい。

 若者から老人まで、川沿いは沢山の男の人で溢れかえっていた。


 リアムはその状況を見て帰ろうと言ったが、私がせっかくだから釣りをしたいと駄々をこねて、丁度帰ろうとしていた人を目掛けて間に割り込んだ。


 大きな川で対岸は遠いけど、向こう側もビッシリ人で埋まっている。


 私達は無言でサーモモンを釣ってはバケツに入れて、またルアーを投げ続けていた。


「…あ」


 またやっちゃった!右隣の人の釣り糸に私の投げた釣り糸が絡んでしまった。これで三回目だ…。


「申し訳ございません…」

「あはは、大丈夫ですよ。貸してください」


 隣の人が私の手から釣竿を受け取り上手に糸を外してくれる。


「はい、どうぞ」

「あ…ありがとうございます」


 深い帽子から垣間見えた顔には頬に大きな傷が入っていた。年齢は一回りくらい上かな…?

 体も大きいし全体的に見た目が怖いけど、強面の人が微笑むとギャップでドキリとしてしまった。


 正直、顔だけで言ったら、私はマッティアのような正統派イケメンよりもワイルド系イケメンの方がタイプだ。

 ただマッティアの場合は、アイドルのような顔をしているのに体がガッチリしているというギャップと、真面目でしっかりしていそうなのに天然ボケしている所が大好きだった………な。

 あ、だめだ。こんな所で泣いたら……。せっかく現実逃避しているのに、思い出したら意味が無いじゃないか。


 目の前がジワっとボヤけてきたけど、釣り上げた魚の水しぶきのせいにして目元をハンカチで拭いた。


「そろそろバケツもいっぱいだな。次釣ったら終わりにするか」

「…そうね」


 無言で釣りをしていると嫌なことを考えちゃうし、早いとこ釣ったお魚でお腹を満たして元気になろう。


 ――と思っていた矢先だった。



「に……逃げろ!!!」



 川の上流から叫び声が聞こえると共に大きな物体が動いているのが見えた。


 ……何?


 

「水龍だ!!!」



 その声に周りの人は一斉に川から離れる。

 私も二、三歩後ずさりしたら、リアムが私の前に庇うように出てきた。


「アン、下がってろ」


 リアムの背中がやけに大きく感じる。荒れ狂う水龍がすぐそこまで迫ってきている中、木漏れ日がリアムに降り注ぎ、一瞬映画のワンシーンかと思ってしまった。

 だけどここは映画じゃない、現実だ。


「リアム危ないわ!!」


 水龍を見据えたまま微動だにしないリアムは私の声に反応しない。

 驚くことに、私の右隣にいた男性は水龍が現れる前と変わらない体勢で未だに釣りをしている。


「リヴァイアサン……」


 右隣の男性が深く被った帽子を取って呟いた。


 リヴァイアサン……って伝説の?!!


 あ………!!

 そういえば、乙女ゲームのイベントで出てきた怪物がそうだった!!

 だめだ、焦って細かい内容が思い出せない……!!


 リヴァイアサンは大量の魚を平らげながら、一直線にこちらへ向かってきた……


 こんな巨大な生物は見たことがない!!


 荒れ狂ったリヴァイアサンは太陽を隠すように、リアムともう一人の男性へと大きな影を落とす。



 リアム…………!!!!






ファンタジー要素はこれ以上濃くならない予定です。ここまで読んでくれた方々、ブックマークや評価をつけてくれた方々、本当にありがとうございます。

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