不躾な憶断で騒いだりしないで
大変だ大変だ!!
生徒会顧問であるナターリャは学園長室へ急いでいた。
フローラ・イーグス伯爵令嬢。彼女が職員室から出て行った数秒後、彼女の父親から魔道具通信器で連絡が来たのだ。
そのお陰で現在職員室は騒然としている。すぐに学園長に報告をしなければ!
イーグス伯爵はこの国一番の納税者で、世界で五本の指に入る程の資産家である。実質この国の経済はイーグス家が回している状況が続いており、ここ十年の間で没落した貴族の領地をいくつか引き継ぎ復興させていた。
現在、嫡男以外の息子3人にその領地を配分してそれぞれ爵位を持たせているが、来年父親の領地を嫡男に引き渡すと共にイーグス家は伯爵から侯爵の位へ陞爵するらしい。一方父親はその能力を買われて国の宰相になるのではないかとの噂がある。
要するにイーグス伯爵は、とんでもない才覚を持った成功者だということだ。
フローラは四人の息子の後にようやく生まれた待望の女の子だった。父親からは何でも与えられ蝶よ花よと育てられたと噂のフローラが、この学園に入学希望だと聞いた時は、どれだけ甘ったれた我儘令嬢が入ってくるんだろうと思い、先生方全員の気を重くさせていた。
しかしそんな考えもフローラの入学前には無くなっていた。お金もコネクションも持つ父親がいるのに、一般生徒と同じように入学試験を受けたフローラは前代未聞の全教科満点をたたき出したのだ。
後でイーグス伯爵から聞いた話だが、フローラの知識量は家庭教師もお手上げなほどで、未知の計算式をいくつも生み出したという。
更には、新しい発想を次々と出すので、父親の事業では商品開発の部門を新たに作り、そこで企画担当をしているそうだ。
この学園でも三年ほど前から普通に利用しているボールペンや鉛筆、ファイルなどの便利な文具類は全てフローラが考案したものと聞いて、それには度肝を抜かされた。
そんな彼女は自身の功績を隠したいらしく、今のところ世間には知れ渡ってはいないが、フローラと関わった周りの人達には影で“神童のフローラ”と称えられていたみたいだ。
二時間程そんな娘の自慢話をデレデレ顔でするイーグス伯爵に、学園長とナターリャは忍耐強く営業スマイルで聞いていた。
最後の方はイーグス伯爵の顔をお金だと思ったら自然に笑顔になれた。何とも現金な性格だと自分でも心得ている。
他の先生方からも、フローラは好評だ。彼女は家の財力や頭の良さを鼻にかけたりなどは一切せず、むしろ謙虚で控えめで真面目な性格なので、淑女の鑑の様だと絶賛されている。鼻に付く生意気な貴族の令嬢たちには、是非とも彼女を見習って欲しいものだ。
そしてフローラは一般入試で合格したが、入学後に、娘をよろしくお願いしますと、イーグス伯爵から目が飛び出る程の多額の寄付金が贈られた。
ちなみに学園の経理担当に聞いた話では、フローラの兄四人もこの学園に在籍していたが、今回は寄付金の額がゼロひとつ多かったみたいだ。
そのおかげで前回のボーナスは教師全員が上がったので、本当にありがたい。
そんな彼女の婚約者であるマッティア・パルヴィン侯爵令息は、近頃、一般市民のマリアという女の子と親しくしているのを見かける事がある。
はたしてマッティアは分かっているのだろうか?イーグス伯爵のフローラへの溺愛っぷりを。
いくら歴史ある侯爵家といえど、パルヴィン家は没落寸前の貴族と噂だった。それがフローラとの婚約によりイーグス家の財力に守られる形で没落を逃れたのだ。
そして来年イーグス家は伯爵から侯爵として陞爵の栄誉を受けるのは確実だと聞くし、マッティアがこの国の騎士団総長になって軍事を動かす力を持たない限り、もはやイーグス家はパルヴィン家との繋がりなど必要も無いだろう。
フローラを裏切った形でマッティアから婚約解消などしたというのなら、パルヴィン家は没落の道を辿る他はない。そして家の力を失ったマッティアは、よっぽど飛び抜けた実力がない限り騎士団総長になるなど出来はしないのだ。
そんな状況なのに、フローラが真面目に生徒会の仕事をこなしている前で、マッティアがマリアという一般生徒と呑気に仲良くしている場面を見たときは、関係の無いナターリャですら肝を冷やした。
そして先程の二人のあの様子…。私の予想が間違っていないのなら………!!!
「学園長!!」
ナターリャがノックもせずに、おもむろに扉を開けた先には、高級そうな壺を丁寧に磨いている最中の学園長がいた。
「……不躾に何かね?」
学園長の長く下に伸びた眉毛が中心に寄った。垂れた瞼に隠されつつも瞳は鋭くナターリャを射抜く。
「大変です!先程イーグス伯爵から連絡がありました!」
「!!…何があったんだね?!」
イーグスの名前が出た途端、学園長が慌てて壺から手を離して顔色を変えた。
「昨日、イーグス伯爵令嬢のフローラさんとパルヴィン侯爵子息のマッティア君が婚約解消の合意をしたみたいなんです」
「なっ、何?!」
「フローラさんはイーグス伯爵に頑なに理由を話さなかったみたいで、学園側は当然掌握してるだろうなと言うように、理由は何だと問いただされました。イーグス伯爵はかなり御乱心の様子でして、午後に学園を訪問されるそうです。その時に学園長に対応して頂きたいと……」
「なっ、ななな何だと!!!」
「因みに先程フローラさんが生徒会を辞めたいと言いに来たので、そちらは私が許可しました」
「なっ………!!!!」
学園長がパニックになったのを見て、ようやくナターリャは落ち着いてきた。久しぶりに入ったこの部屋を見渡してみる。
はぁ……。
まるで王宮にある一室と言っても過言ではない程豪華な部屋に、半年前の至ってシンプルなこの部屋を知っている人は、訪れるたびに驚愕するだろう。
この部屋の変貌ぶりは、全てフローラの父親から贈与された寄付金の賜物である。
美術品には疎いナターリャでも、部屋の奥に飾られた有名な絵画は見たことがある。…まさか本物なのかしら。学園長はこの部屋に一体いくら注ぎ込んでいるんだろう……。
「……イーグスご令嬢が生徒会を辞めるのはかまわん。むしろ、最近の報告を聞いていたら辞めてくれた方がありがたいと思っておったからな」
そう言って、学園長はフローラが辞めることに賛同してくれた。
最近の生徒会はマリアという生徒が来始めてから緩くなっていた。そんな中、唯一仕事を真面目にしてくれていたのはフローラだけだった。
自ら他の人をサポートしつつ要領よく仕事をさばく姿は、まるで過去に激務の仕事を長年経験してきたような見事なものだった。
そんなフローラの仕事ぶりに感謝しつつ、彼女の負担を心配していた所だったのだ。
勿論マリアの事も学園長に報告はしていたが、生徒会長の王太子が許可しているので、未だに学園側は手を出せない状態だ。
フローラが抜けた後の生徒会で仕事が回るのかは本当に不安だが、彼女の心と体の安全が第一である。
「それと、マッティア君にも生徒会を辞めたいと言われましたが、そこは止めました」
勿論マッティアとマリアの情報も学園長には伝わっている。
「……!!まさかとは思うが、パルヴィンご子息からイーグスご令嬢に婚約解消を言い渡したというのではないだろうな?!」
「私の予想でしか無いのですが、今日の二人の様子を見た限り、その線が濃いと思われます……」
「何っ?!!」
パルヴィン侯爵家の嫡子が血迷ったか…?と学園長は呟き、お互いイーグス伯爵が瞬時に頭をよぎって、青い顔になった。
もし予想が当たった場合、イーグス伯爵の怒りは計り知れないだろう。そして、パルヴィン家に捨てられた令嬢という汚点が学園中に広まった場合、最悪フローラの自主退学も考えられるので、それだけは阻止しなければならない。
学園長はすぐさま、まだ職員室で騒然としていた先生全員に、フローラの婚約解消に対して箝口令を敷いた。




