後悔の砂時計
少し長いです。そして暗いです。すいません。
あれはフローラ嬢と婚約してから初めて迎えた誕生日に、私の家で催したパーティーでの事だった。
十二歳になったお祝いに、フローラ嬢から淡い緑色の砂が入った砂時計を貰った。
今は魔力で動く時計が主流の中、どうして一昔前の砂時計?と思ったが、私の瞳と同じ砂の色があるなんて知らなかったので聞いてみた。
「緑色の砂は珍しいですね。これは何処の地方の品ですか?」
フローラ嬢は恥ずかしそうに答えた。
「マッティア様の瞳の色にしたくて私が砂を染めたのです…」
どうやら砂時計の器のデザインもフローラ嬢が手がけたらしく、ガラス細工職人や木彫り職人と共に作ったそうだ。
すごいな……
温かい木の木目にシンプルな柄の彫刻が施されていて、そこに小さなエメラルドの宝石が派手過ぎない間隔で付けられている。緑色の砂と見事に調和しているこの砂時計が、まさかフローラ嬢の手作りだとは思わなくて心底驚いた。
砂時計を逆さまに置くと、見事なガラスの曲線美からサラサラ…と緑色が落ちて時を刻んでいく様は、見ていてとても心地がいい。
魔道具が広まった今ではもう見られない砂時計の価値に改めて気づかされる。
緑以外にもいろんな色の砂時計を販売したら、インテリアとして貴族受けしそうだなと思った。
「とても綺麗ですね。他の色の砂時計も作って販売してみてはどうですか?確実に売れると思いますよ」
「ありがたい提案ですが、今後砂時計を作る事はありません」
私の言葉にフローラ嬢はとキッパリと答えた。
その頑なな返答に、当時の私は勿体ないなと思うと同時に、イーグス伯爵家は大富豪ゆえ、そんな小さな商売などするはずが無いか…と幼心にも思ったのだ。
あれから何度砂時計を逆さにしただろうか……
私が学園に入り忙しく過ごすうちに砂時計が隅で埃を被ってしまった頃、フローラ嬢が後輩として入学してきた。
彼女は入学試験を首席で合格して、女性でありながらもその成績を考慮されて生徒会に名を連ねる。
最初は、彼女の優秀さが“フローラ”という名前の由来を見事に継いでいると思い感心していた。
フローラとは彼女の曽祖母の名で、イーグス家の歴史において唯一の女性領主だった。
父親が若くして亡くなり、一人娘だったフローラが襲爵したが、周りには女性領主がいない為それはそれは苦労したという。女でありながらも、父親の代以上に民の信頼を得て領地を潤した功績から、並並ならぬ努力と才覚の持ち主である事が伺えた。
その女性領主だったフローラ以降しばらくイーグス家には男児しか生まれなかったが、ついに待望の女児が生まれた。
それが、フローラ・アン・イーグス嬢だ。
アンというミドルネームは曽祖母から受け継いだ名前と区別する為に付けたらしく、知っているのは家族と幼馴染のリアム・フォードだけだと聞いた。
リアム・フォード……。確かイーグス家の領地の近くにそんな名前の男爵家があったような。
政略結婚だから過去の事を問うつもりは無いが、少し気になりロナルド・イーグス伯爵に尋ねてみた。
どうやらフローラ嬢とリアム・フォードはいつも野山を駆け回っていた仲らしい。好きだとか嫌いだとか、そんな恋人みたいな関係では無かったよ。と笑いながら教えてくれた。
それに少し安心したけれど、フローラ嬢のお淑やかな雰囲気からは全く想像もつかなかった。いつか、そんな無邪気な部分を私にも出してくれたら嬉しいな…とその時は思っていたのだ。
しかし残念ながら、それは最後まで叶わなかった。
フローラ嬢が生徒会に入り最初の頃は、その優秀さに感心していただけだが、仕事を重ねる度に自分よりも早くて正確な要領の良さに引け目を感じていった。
次第にフローラ嬢には敵わないと思い知らされるようになり、私のプライドは呆気なくヒビ割れてしまう。全て崩れてしまわないようにとギリギリの所で必死に毎日保っていた。
ただでさえ、没落寸前の我が侯爵家をイーグス伯爵家によって立て直してもらった事は周知の事実なのだ。これ以上、無様な姿を皆の前で晒すなど到底耐えられない。
対面上では彼女と上手く会話をしていたが、心の内では周りから婚約者より劣って見られているのかと思う度に負の感情が湧いてきては止まらなかった。
将来夫となる私より仕事が出来ると見せつけたいのか?フローラ嬢は女性なのに生徒会に入って一体何になると言うんだ。辞めてくれたらどんなに気持ちが楽になる事か……。
そう思い始めた頃にマリアは生徒会室に度々やってきた。一般市民で生徒会役員でもないマリアが何故…?と思ったが、その愛らしい性格と自分が支えてあげなければ消えてしまうんじゃないかという弱々しい儚さに庇護欲が掻き立てられた。
マリアと会う度に癒されて、心に湧いてきた嫌な気持ちが浄化されていたのだ。私はフローラ嬢から逃げるようにマリアの元へと行くようになった。
そして私が学園で過ごす最後の夏が終わる頃。リアム・フォードが私にすごい剣幕で詰め寄ってきた。
会話もした事がない年下に、いきなり罵られるとは思いもよらなかった。
彼は婚約者がいるのにマリアに目を向けるなと言ってきた。確かにそれは正論だった。一般的に考えて、婚約者がいるのに他の女性と懇意にしてはいけない事は理解していた。
だけど、今の私の状態からマリアがいなくなるなんて考えられなかった。
彼は最後の方泣きそうになりながら、フローラ嬢に寂しい想いをさせるなだとか、守ってあげろだとか好き勝手に言ってきた。
だけど彼がフローラ嬢とよく会っていたのは五年も前の話だ。今のフローラ嬢は優秀だし、私が守らなくても…むしろ曽祖母の“フローラ”のごとく、私よりも立派に生きぬけるんじゃないのか?
私が守ってあげたいのはマリアなのだ―――
その時初めてマリアに対してここまでの感情がある事に気付いてしまった。
こんなに熱い感情は初めてだった。これが愛なのか……?
マリアへの想いに気づき、フローラ嬢と接するのが限界になった私は、次の日に彼女へ婚約解消の旨を伝えた。
伝えた時にフローラ嬢はひどく動揺しているように感じた。
それもそのはずだ。フローラ嬢との関係は側から見てるだけだと順調だったし、私と話す時に彼女が恥じらう姿からは自分は好かれているんだろうと少なからず感じていたからだ。
残酷なことだとは分かっていたが、これ以上婚約関係を続けていると私の精神が壊れてしまうと共に、マリアに依存してフローラ嬢を今以上に傷つけてしまうだろう。
私は覚悟を決めた。
マリアを愛しているんだとフローラ嬢にはっきりと伝えたのだ。
私はフローラ嬢の涙を見る覚悟で言った。
それなのに彼女の顔からは涙ではなく、あたかも私から婚約解消を申し出る事実を知っていたかのような笑みを浮かべて、あっさりと了承されてしまった。
………?!!
彼女に少しでも好かれていると感じていたのは錯覚だったのか……?
驚きのあまりに自然とフローラ嬢ではなく、彼女の固有名詞を呼んで引き止めようとしてしまった。
過去に二人きりの時に呼んでいた名前、学園に入ってからは一度も呼んでいなかったであろう、“アン”という名前を……。
それでも振り返らずに去って行ったフローラ嬢を見て、私のことはもはや好きではないのだと思い知らされた。彼女より能力のない私など好きに値しなくなったのかもしれない。結局、リアム・フォードには見せていた無邪気な姿を、私には五年間一度も見せてくれなかったしな……。
婚約解消を持ちかけた罪悪感のせいか、少しだけ安堵した。
そしてその気持ちとは裏腹に、好かれていなかったという事にひどく悲しくて寂しい気持ちが湧いてきたけれど、それはあまりにも虫が良すぎると思ったので気持ちに蓋をしてしまった。
食事の帰りに学園の門をくぐったら、案の定リアム・フォードが待ち構えていた。
私は例えフローラ嬢に好かれていなかったとしても、他の人を愛していると伝えた上で婚約解消した罪悪感を消したかったのかもしれない。
リアム・フォードに全てを話して殴られた時に、何故か救われたのだ。
これで明日私が生徒会を辞めたら、今後フローラ嬢と比べられる事も無くなるだろう。
将来の為を思うと生徒会を辞める事は自身の経歴に傷をつけるようなものだが、劣等感に苛まれて周囲の視線に怯える事も無くなる。
生徒会に属さなくても学園内でマリアとは会えるのだし、これからは少し穏やかに過ごしたいと思っていた。
そう思い早朝に生徒会顧問のナターリャ先生の元へ向かうと、フローラ嬢がいた。
気まずさの中、生徒会を辞めたいと懇願すると、フローラ嬢が先に先生の許可をもらい既に辞めたと言う。
私が婚約解消したせいで申し訳ない……と思いつつ、心の底では安堵の気持ちがあった。これで生徒会を辞めなくて済むし、マリアともしょっ中会える。
……!!
一瞬でもそう思ってしまった自分に気がついて、自己嫌悪に陥った。こんなにも私は邪で卑怯な人間なのか……。
教室までの帰り、自分の醜さに耐えれなかった私はフローラ嬢に意を決して謝ろうと思った。
生徒会を辞めさせてしまった事、私が婚約解消を申し出るに至った不甲斐ない理由も……。
口を開こうとした瞬間、リアム・フォードが現れた。
彼の目は私への怒りで満ちていた。
なんて嫉妬深いんだ。こんなにもフローラ嬢を愛している男がいるのなら、私と共にいるよりも彼女は幸せになれるだろう……。
私は去って行く二人を直視する事が出来なかった。
そしてその日の午後、ナターリャ先生に学園長室へ呼び出された。
部屋の中にはナターリャ先生と学園長の他に、イーグス伯爵と私の父親のパルヴィン侯爵が揃っていた。
フローラ嬢との婚約によってイーグス家に没落寸前だった侯爵家を救われた事を思い出して、この後の展開を一瞬で理解した。
私は逃げる事ばかり考えていたのだ。私の侯爵家嫡男としての現状からも、フローラ嬢と向き合う事からも。
私の浅はかな考えに父親からはこれでもかという程罵られて、逆にイーグス伯爵には、それでもフローラ嬢の事を考え直してくれないかと真剣な表情で切願された。
私はただでさえ弱っていた精神が父親に責められて完全に崩壊してしまったせいなのか、イーグス伯爵の娘を愛するがゆえの強い願いにコクリと頷き、その後は父親と共に最大限の体勢で謝罪をした。
そしてフローラ嬢が現れて、婚約解消を撤回したいと伝えた時に、マリアの事が頭によぎった。
私の発した言葉と奥底にある心の矛盾を、聡い彼女は見抜いたのだろう。
その場で婚約解消を彼女からされたのには驚いたが、ここまで地に落ちてしまった私には妥当だと思えた……。
マリアが生徒会に入ってフローラ嬢から引き継ぎをしている際、嫌な予感がした。
フローラ嬢がマリアにとても丁寧に分かりやすく教えていた分、その後に生徒会の皆んなが自身の仕事の傍らに教えても、マリアは理解できずに不満な顔をするようになっていった。
そしてフローラ嬢がいなくなってから五日目。
とうとうマリアが、教えてくれている生徒会の皆んなにすごい剣幕で暴言を吐きだした。
あの愛らしくて、か弱いマリアがだ。
豹変した彼女を見て、私も含めてほぼ全員がショックを受けた。(若干一名、アルファルドだけは何故か笑っていたが…)
そんなマリアに教えたい人などいるわけも無く、フローラ嬢の事もあって、全員から押し付けられる形で私がマリアに仕事を教えるようになった。
マリアの事を愛していると、守りたいと思ったじゃないか…!!そう自分に言い聞かせるも、あまりにも理解力の無いマリアに疲労困憊してしまい、自身の仕事が全く進まなくてイライラが募った。
マリアが仕事をするたびにミスをするので他の皆んなの仕事にも影響する。
生徒会は崩壊直前だった。
そんな時にアルファルドは何の感情も無さそうな声で、マリアにキツイ言葉を連発しだした。
キツイ言葉とは、的確にマリアの現状と事実を述べただけだったが、アルファルドは容赦がない上に、まるで刃物で心臓を抉るかのように言葉で攻め続けた。
それを言われたマリアは猛反発したが、もはや愛らしいなんて今後思えないような顔と怒号だった。
反論が終わり飛び出して行った彼女を誰も追いかけはしなかったが、やはりフローラ嬢の事があるからか、皆に強制されて私がなだめに行った。
それからというもの、マリアに異様に懐かれてしまう。私の前では元の愛らしいマリアで接してくるが、話していてもあの怒り狂った場面を思い出してしまい、彼女の全てが取り繕ったものに見えてしまうのだ。
私は以前のようにマリアに愛を感じる事は無くなってしまった。
そしてフローラ嬢が戻ってきた生徒会は、彼女を中心として順調に歯車が動き出した。マリアのせいで女性不信に陥りそうだった皆は、マリアとは逆に愛想が無く淡々と仕事をするフローラ嬢に対して安心するようになり、時折見せる彼女の笑顔に心を奪われているように思えた。
……もちろん私がそれを思う事は許されるはずもない。
フローラ嬢と婚約解消をして彼女と比べられる事に対して意識が薄くなった私は、面白いことに以前よりも仕事の効率が上がっていた。
生徒会長の王太子と比べても遜色ないほどに、仕事を捌けている自分がいる。
婚約していた頃はあんなに思い悩んでいた事がこうもあっさりと変わるなんて……なんとも皮肉なものだ。
そして月日は経ち、騎士団入隊試験の決勝戦前の事だった。
今では懐くなんてものじゃなく、しつこく付きまとってくるマリアと、フローラ嬢が何やら言い争っているのを偶然見かける。
マリアがフローラ嬢に、マッティア様が優勝しても惚れたりしないでよ!と叫んでいた。
私に取り繕っているマリアの化けの皮が剥がれている事よりも、もし私が優勝したらフローラ嬢が惚れてくれるのか…?という事にしか意識が向かなかった。
しかし、今更私が優勝したってそんな都合のいい事などあり得るはずもない…。
そう思ったが、もしかして…という微かにも浮ついた欲が、今まで無意識に蓋をしていた感情を動かして脳裏に顔を出してしまった。
婚約して初めて迎えた誕生日に貰った砂時計。
学園に入るまで、彼女をアンと呼んで過ごした二人だけの穏やかな時間。
フローラ嬢に婚約解消を伝えて呆気なく立ち去られた時の身勝手にも悲痛な思い。
自身の劣等感の眼鏡を外してフローラ嬢を見てみれば、ただ単に一生懸命に頑張る健気な彼女。
そしてふとした時のあの笑顔……。
全てを失ってやっと気づく愚かな自分。
この胸を鷲掴みにされているのに自分ではもうどうしようも出来ない現状……。
辛い……苦しい……なんて私は馬鹿なんだ……。
せめて優勝して、彼女の目に少しでも良く映りたい……!!
そんな気持ちが湧いたのをリアム・フォードは気づいたのか、決勝戦で剣を交えながら話してきた。
「今頃後悔してももう遅い!」
私の心に念を押すように言ってくる様は、少し焦っているようだった。
何故……?と思ったら、
「マッティア先輩に勝ちは譲れない!俺が優勝してアンを幸せにする!!」
そう言って剣を激しく重ねた時、ふとその瞳には不安で震えそうになっている弱さが垣間見えた。
彼がフローラ嬢をどれ程愛しているかは痛いほどよく知っている。そして宰相令嬢となったフローラ嬢と男爵家の生まれである彼の身分差によって、これから多くの苦難を乗り越えなければならないという事も……。
彼の不安を目で捉えた瞬間、それを押し込むかのように彼がニヤリと笑った。その瞬間、足元の地面にいきなり雷が落ちて、私は立つ事が出来なくなってしまう。
気づいた時には喉元にキラリと光るリアム・フォードの勝利の切っ先が見えた。
そして彼の視線は私へと向くことは無く、遠くの未来を見据えている。
遠目から見たら全てが余裕に見えるだろう。しかし、私の喉元に突き立てられた光は小刻みに揺れていた。
自分の弱さを乗り越えてでも前へ向かう彼の姿勢に、私は試合でも人としても完敗したのだ―――
寮の自室に戻って、棚の隅にある緑の砂時計の埃を払う。
そしてゆっくりと逆さにして眺めていた。
サラサラと真っ直ぐに落ちる私の瞳の色。
世界に一つしかない手作りの砂時計。
………!!
あの時にフローラ嬢が砂時計をもう作らないと言った意味に今更になって気づく。
商売を勧めたのに頑なに断られたのは、私への想いが詰まった砂時計を量産したく無かったのだと。
これは他の誰も…リアム・フォードすら持っていない、私だけへの贈り物。
私が彼女に大切にされていたんだと……確かに愛されていたんだという証ではないか……!!
なんっで……わ、私は………ッッ!!
淡い緑色に感情が押し寄せて、冷たい何かが頬を流れていく。
砂時計をいくら逆さにしても、フローラ嬢に愛されていた頃へと時間は巻き戻らない。
積もって行く砂のように、これからも時を重ねていくしかないのだ……
その後、マリアに別れを告げようと会った日に、奇しくもフローラ嬢とリアム・フォードに会う事となる。
そしてマリアが凶行に及び中央騎士団へ身柄を連行した後、別れ際にフローラ嬢は私を真っ直ぐに見つめてきた。
来週から、私は北の辺境地へ向かうこととなる。
もしかしたら、私の人生で彼女と会うのはこれで最後になるのかもしれない。
きっとお互い同じ気持ちだったんだろう。
フローラ嬢の薄紫色の瞳が少し揺れて口を開いたので、最後の彼女の声を、言葉を、心に残したくて耳に意識を傾けた。
「マッティア様、さようなら」
「あぁ……、さようなら、フローラ嬢」
大切にしてあげられなくてごめん……アン………。
後悔してちゃんと気づいたマッティアは、いつか必ず良い男になるでしょう…。
暗い話を長々と読んで頂いてありがとうございます!!
番外編次でラストにしようと思います。
もちろん明るく!ラブで!笑
ブックマーク、評価ありがとうございます!!
誤字脱字、結構あって驚きました。笑
報告してくれた方々に感謝です!!