<40>Eランクにお引っ越し2
このまま見なかったことにしようか。
そんな思いを胸に道を進むも、やはりその姿が気にかかる。
「こんなところで、どうかした?」
「……なるかわさん」
見上げた瞳は、やはり涙で濡れていた。
いつからここにいたのだろうか。
頬は寒さで青白く見えるのに、鼻の頭だけが赤く染まっている。
手の甲で目元を拭った彼女が、口元だけで微笑んで見せた。
「なんでもないんです。ちょっと落ち込んじゃっただけなので、気にしないでください」
「…………」
ひどく無理をしているとわかる微笑み。
突然消えてしまいそうな儚さが、目の前にあった。
確かに落ち込んではいるのだろうが、彼女のすべてが不自然に見える。
横に投げ出された荷物に視線を向けると、彼女が慌てて体の後ろに引き寄せた。
「えっと、これは……」
彼女の視線が地面を彷徨っていく。
口を開きかけて息をのみ、また口を開いて閉じられる。
「……、……ごめん、なさい」
消え入りそうな小さな声が、その口から紡がれた。
溢れ出る涙をおさえるように、彼女が両手で顔を覆う。
やはり何かを抱えているのだろう。
クラスメイトにペアを断られていたあの時よりも、今の方が辛そうに見える。
そんな彼女の肩に、脱いだ上着をふわりとまとわせた。
「落ち着いたら話を聞かせてくれるかな? ゆっくりで良いからね?」
花吹雪の下で、彼女は静かにうつむいていた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「ゆずは飲めるかな?」
「あの、お金……」
「気にしなくて良いよ。もし俺が寒そうにしていたら、そのときに買ってくれたらいいさ」
ふふっ、と小さく笑って、温かいゆずのペットボトルを彼女に差し出す。
ためらいがちに受け取った水谷さんが、両手で握りしめて小さく口を付けた。
ホッと吐息を吐き出して、初めて会ったときと同じような笑みを見せてくれる。
「おいしい……」
どうやら少しは落ち着いたらしい。
話しくらいなら出来るだろう。
「何かあったのかな?」
「……、えっと……」
ペットボトルを握りしめたまま、彼女が視線をうつむかせた。
「寮に、いられなくなりました。家賃が払えなくて……」
消え入りそうな小さな声で、彼女が言葉を紡いでくれる。
「そっか」
口元だけが悲しげに微笑んでいた。
寮の支払いは、月に1万円。
食事の代金を含めても2万円に届かない。
これまでの動画で得られた収入はその数倍になるはずなのだが、それでも彼女は払えないと言う。
「誰かに取られたとか、騙されたとか、そういうのは?」
「ありません。私の意思で使いました」
「そっか……」
まっすぐ見上げる彼女の瞳に、後悔の色はない。
ほかの言葉に比べて、今の言葉にだけは意思の強さが感じられた。
短い付き合いだが、彼女が散財したとは思えない。
訳あり、なんだろうな。
そう結論付けた俺は、ふー……、と大きく息を吐いて目を閉じる。
脳内に、今から向かう先の間取りを思い浮かべる。
「これから引っ越す先の部屋が1つ余っているんだ。こんなオッサンと一緒で怖いかも知れないけど、来るかい?」
優しく微笑んで、彼女に手を差し伸べた。
見上げていた瞳が大きく見開いて、彼女がギュッと目を閉じる。
その瞳から、大粒の涙があふれ出す。
「……成川さんなら、そう言ってくれるだろう、って、思ってました。だからここで……」
俺を待っていた。
なるほどね。
「でも、ダメなんです。私、成川さんに甘えてばかりで、入学式の時も、ペアの時も……! でも、どうしようもなくて、友達はみんな寮のままだから頼れなくて……」
追い詰められて、考えもまとまらず、ずっとここで泣き続けていた。
そういうことなんだろう。
彼女の頭に手を回して、自分の胸に抱き寄せる。
「お願いがあるんだけどさ。ひとりで住むのも寂しいし、一緒に来てくれないかな?」
きっとそれは、彼女が望んだひとつの未来。
自己嫌悪にさいなまれながらも、選んだ道筋。
「辛かったね。でも、良いんだよ。キミはもっと甘えても良いんだ」
「成川さん……」
小さな子供のように、彼女は俺のワイシャツにギュッと顔をうずめていた。