俺と引きこもりの姉と柴犬のザビ助、異世界へ転移する
「癒由ねえ、飯置いとくから食っとけよ」
俺はいつものように、一つ年上である姉、癒由ねえの部屋の前に、母さんの作った手料理を置く。
ジャガイモを極限まですり潰した具が入ったクリームシチューだ。俺がペロリと平らげてやってもいいのだが、さすがに姉が餓死されても困るので、そのまま置いておく。芝犬のザビ助がおいおいおいおいと鳴きながらクリームシチューを食べたそうに俺の周りをウロチョロしているが、俺はザビ助を抱えて階段を下っていく。ひとまずは犬用のクッキーを与えて満足させておいた。
リビングに戻ると、母さんと一つ年下の妹、七璃が食卓にクリームシチューを並べて待ってくれていた。
「お兄ちゃん、いつもありがとう!」
天使の微笑みを携えて、七璃はペコリと頭を下げる。可愛い。可愛すぎる。小動物か。ハムスターか。
高校生になったばかりだと言うのに、大人っぽくなるばかりか、ますます可愛げがましていく妹は化け物なのではないかと疑いたくなる。よーしよしよしとムツゴロウがごとく頭を撫でまわしてやりたいが、母さんの手前、それはやめておく。
ぺろりとシチューを平らげたところで、姉の皿を回収しにいく。
姉の部屋の前には、空っぽになった皿が置かれていた。相変わらず食べるのは早い。
姉の姿は、中学生の頃から五年以上は見ていない。いったいどんな姿かたちだっただろうか。それこそ、化け物じみた風体をしているかも知れない。髪も切っていないし、風呂もろくに入っていないはずだ。
姉と妹。
癒由ねえと七璃。
どうして、ここまで差がついてしまったのか。
早いところ、癒由ねえにも自立してもらいたいところだ。
そうでなくては、七璃に悪影響を及ぼしそうで、俺は怖い。
そんなある日のことだった。
母さんも七璃も、友人の家に泊まりに行くとのことで、俺は自宅で一人、母さんのクリームシチューを真似て作るために、ジャガイモを極限まですり潰していた。
シチューが出来上がったところで、俺はいつも通り、癒由ねえの部屋の前に置いた。おいおいおいおいと鳴くザビ助を抱えて、階段を下る。母さんと七璃がいないこと以外は、全ていつも通りのはずだった。
俺はシチューを食べ終えて、姉の皿の回収に向かう。
しかし、シチューはそのまま残っていた。
異変を感じた俺は、癒由ねえの部屋をノックする。
「おい、癒由ねえ! 腹でも壊したのか!」
返事がない、ただのしかばねのようだ――いやいや、洒落にならない。本当にしかばねになっていたとしても、不思議ではないぞ。
「癒由ねえ! 生きてるなら、なんか音を立てろ! 大丈夫なのかよ!?」
俺の叫ぶ声と、ザビ助のヘッヘッヘッヘという荒い息遣いだけが廊下に響く。
これはいよいよ、やばいのではないか。
「開けるぞ、癒由ねえ!?」
もう五年以上触れてこなかったドアノブに手をかけて、ゆっくりとひねる。
そこには――暗闇が広がっていた。
ただの暗闇ではない、と本能的に思わされる。
足元にいるザビ助も、不安げにきゅいきゅいんきゅと鳴いている。
「おい、癒由ねえ! いたら返事しろ! 」
と、一歩足を踏み入れた、その瞬間だった。
「うお、まぶし!」
青白い光が、突如として床から放たれ、部屋の全貌が明らかになる。
「こ、これは……!」
壁一面に、写真が貼られていた。
俺の、写真が、壁一面に。
「ストーカーか!? 家庭内ストーカー!? 俺の幼稚園時代の写真もあるじゃん! え、こわっ!? あ、ザビ助の写真もある……」
なんて、写真を見ている場合ではなかった。
床から放たれている光の光量がどんどんと増していき、光に包まれていく。
床を見ると、どこぞのファンタジー漫画に出てきそうな魔法陣がデカデカと描かれていた。
「あ、あのバカ姉貴は、何やってんだあああああ!?」
「うぉーんうぉーーーーん!」
ザビ助の遠吠えが響く。
部屋を出ようとするが、なにか重力のようなものに引かれて一歩も動けなかった。
「ザ、ザビ助ええええええええ」
「うおおおおおおおおおおおおおん!」
俺とザビ助は、そのまま光に包まれて。
俺の意識は、ぷつりとそこで途絶えたのだった。