01 流浪の少女
フランリング王国の首都エクスは、高くそびえる切り立った山脈と、山肌に繋がるように造られた三重の城壁によって守られている。
大いなる山と、厚い壁と、東・西・南の三方に築かれた堅固な城門に守られているはずのその街が今、騒然としていた。
魔族との決戦において、魔王が出現し、大敗北を喫した。
早馬によってもたらされた情報は瞬く間に国内を駆け巡っていた。
誰もが勝利を確信していた戦争での敗北。死傷者は5万にのぼるという。
国王は、人間・エルフと言った種族を問わず、隣接する他国に救援を求めた。
魔王が現れた戦場は遥か西であったが、首都エクスに至るまでの道のりに堅牢と呼べる城砦は2つしかない。
その二つの城砦も、元から王国領であった南と南西の平原にあるため、いくつかの山を越えて回り込めば首都に到達してしまう。
シャール王による魔族打倒があまりに性急だったため、魔族から奪った土地には拠点と呼べる場所が少ない。
エクスという城塞都市は、フランリング王国の首都であると同時に、人類にとって最後の防衛線になり得る地であった。
南門前の広場では、国内外からの人・物資の輸送に備え、夜になっても人々があわただしく行き来している。
それに対し、広場の正面にある大聖堂の中は静まり返っていた。
教会という組織は、人類の医療を一手に引き受ける機関であり、戦争と無関係ではいられない。
神官たちは出払っており、大聖堂には残っているのはわずか数名。
そんな聖堂の裏手で、風を切る音が響いていた。
「おおお!神よ!この新たなる試練、我らは必ずや乗り越えて見せますぞ!」
物々しい刺繍入りの白いローブを着た老齢の男が、異様な速度でロングソードの素振りをしている。
月の光をハゲた頭に浴びながら、流れた汗がもみあげと襟足に残った毛に吸い込まれた。
「ふうむ。やはり相手が要るのう。」
特注のロングソードを地面に突き立てて汗を拭うと、いつの間にか聖堂の裏口に立っていたシスターから声を掛けられた。
「大司教様。お客様がお見えです。」
「かような時間に?はて、書状などは届いていたかな。」
「いえ、面会の約束はありません。旅のエルフ様がここで働きたいとのことで。」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
シスターと共に応接室に入ると、金髪を腰まで垂らした少女が部屋の調度品をまじまじと見つめていた。
「お待たせしましたな。」
声を掛けると少女はすぐにこちらを振り向いた。
身を包む黒いドレスは見たことの無い意匠。
エルフ特有の均整のとれた顔だが、この少女の場合はあまりに整いすぎていて作り物の様にも見える。完璧な左右対称である。
緑色の瞳も珍しい。
「はじめまして。私はマコ。
人々の治療をしたいのならココ、と門番さんに紹介されて来たのだけれど……もしかして結構身分の高い方をお呼びしてしまったかしら?」
「いや、他に対応できる者が居りませんのでな。気にすることは無い。わしの名はテュルパ、大司教の地位に就いておる。」
「あら!『大司教』なら私と同じ……とは、言わないか、この場合。
こほん。
実は私、修行のために旅をしているエルフでして。
戦争で多くの人が傷ついたと聞いて、私の力が一助に成ればと思い、ここに来ましたの。」
言葉を選ぶようにしてマコと名乗るエルフは話す。
テュルパが目を見ると、マコはあからさまに視線を逸らした。
見た目は少女だが、振る舞いは少し大人びた落ち着きがある。エルフの実年齢と見た目が合わないのはよくあることだが、本人は気にしている場合があるので触れないのがマナーである。
「魔王という試練に人類は一丸となって対峙すべき時。この出会いも神の導きでしょう。喜んで歓迎いたしますぞ。ささ、席にお掛けなさい。」
テュルパはわざとらしく喜んでみせてから、革張りのソファに腰を下ろした。
マコもつられて笑顔になって対面に座る。
「ところで、治癒の使い手としてはどれ程の腕をお持ちですかな?」
「あー、えーっと。あらかた使えるわ!」
「……質問が曖昧でしたな。手っ取り早く魔力量を見せて頂きましょう。」
「うえっ!?それはちょっとま――」
「『アーケイン・サイト』」
膨大な魔力がマコの体を包む光のオーラとなって、テュルパの眼に映った。
「ほう!これは素晴らしい。最高位のキュアはもちろん、毒や病気の治癒もできるのではないですかな?」
「え、あれ?まあ、そのくらいはできるわ。」
「もしや『レイズデッド』も?」
「ええ、ええ。使えるわ。」
「これは何たる僥倖!貴方のような高位の神官は、王国にも片手で数えるほどしかおりませぬ。」
テュルパはまた喜んで見せた。今度は本当である。
すると、マコは考え込むかのように頬に手を当てた。
「恥ずかしながら、『アーケイン・サイト』という魔法を私は使えないの。詳しく聞いても良いかしら。」
「やや、これは失礼しましたな。高位の魔術師が使う魔法であるため、使える者は限られております。神官であるマコ殿が使えないのも致し方ない。
生物のもつ魔力の量を見る魔法でしてな。相手の持つ魔力に応じた光のモヤが見えるのです。
相手の力量を見極める時にも使えますが、魔力が減るとモヤも弱くなりますから、慣れてくると敵が残り何度魔法を使えるかも知ることができますぞ。」
説明を聞くとマコは納得したように頷き、「なるほどー。そういうことかー。」などとつぶやいた。
「早速明日からお力を借りたいところですが、まずは貴方のような高位の神官が首都に来たことを王城にお知らせしなければなりませんな。
数日で勇者一行も戦場から帰ってくるでしょうから、彼らにも――」
「それはマズイ!」
突如マコが血相を変えて、話を遮った。
「こほん。ええと、私のような流浪の少女の存在をわざわざ王様に知らせる必要はありませんわ。も・ち・ろ・ん、勇者様にも。
明日から早速現場に出ますわ!」
「……左様ですか。では、明日の朝から診療所の場所や規則を覚えて頂いて、動いていただければと。
今日は日も沈んでしまいました。もう、宿はお決まりですかな?」
「いえ、決まっていませんわ。まあ、どうにでもなります。」
「それは良くない。これからはこの聖堂の隣にある診療所に泊まるとよろしい。」
「あら、では、お言葉に甘えますね。よろしくお願いしますわ。」
「わしもシスター達もそこで暮らしておりますから手間ではありません。
シスター達にも良い刺激になるでしょうから、色々言いつけて構いませんぞ。
おーい、シスターエイ。」
テュルパはマコの手元や部屋の中を見渡しながらシスターを呼んだ。
長い茶髪を後ろに一つでまとめた女性がすぐに部屋に入ってくる。
顔立ちは悪くないのだがソバカスが目立ち、エルフを見た後ではやや劣って見えてしまう。
「明日からお力を貸して下さるマコ殿だ。
寝食を共にすることになるから、案内を頼む。
高位の神官であるから失礼の無いように、の。」
「かしこまりました。どうぞこちらへ。」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
シスターエイとマコが聖堂を出ていくのを確認してから、テュルパは応接室のソファにまた腰を掛けた。
「さて、旅をしているというのは明らかな嘘。あの妙な名前は偽名かの。
少し言いかけていたが、エルフにとっての大司教にあたる地位の者じゃろう。
まさか、あの見た目でわしを上回る魔力を持つとは、世界は広いのう。」
旅をしているという割には汚れのない美麗なドレスをまとい、手荷物すら持っていない。
誰かが色々と手配をして遣わせた助っ人と考えるのが自然だ。
エルフというだけで面倒な手続きは省いて都市にも出入りできる状態である。名前や立場を偽るのは造作もない。
というのも、フランリング王国はエルフ族やドワーフ族の周辺国とは同盟を結んでいるのだ。
経済的な同盟では無く、人材の交流が主。
エルフの国は人間の国に比べれば物資が少なく、深い知恵と知識を持った魔術師・神官達こそが一番の財産であるため、このような形に落ち着いている。
「しかし、此度の戦争ではエルフも相応に負傷したはず。
エルフの民を差し置いて有能な神官を外に遣っては非難を受けるじゃろうに。
いや、もしや。」
エルフも参戦はしていたが、被害数は人間が突出して多い。
同盟国として支援をしないのは非道徳的である。
しかし、自国も被害受けており蔑ろには決してできない。
そこで選ばれたのが彼女か。
そもそも、大司教ほどの地位になると現場に出向いて治療をすることはほぼなくなる。
国内の治療体制を変えることなく、実力ある者を他国に遣るには他に手段が無かったのだろう。
「表立った支援はできないが、嘘だらけの有能な人材を送るから、後は察してくれ。ということじゃな。
勇者達はともかく、王だけにはそれとなく伝えなければならんのう。
エルフの王も難儀じゃ。ほっほっほっ。」
納得のいく理由を見つけたことに満足して、テュルパは静かに笑った。




