08 グッドナイト
「この調子じゃあ、町を見つけるころには日が暮れちゃうわ。」
マコが所在なげにガットの背中をトントンと叩いた。
のんびり水浴びした上、川辺に落書きまでしていた人の言葉とは思えない。
「ドラゴンは魔力も使って飛びますから、風に乗るだけの鳥などよりは相当速いのですよ。」
「……魔力で飛んでいるのならやっぱり翼はいらな――」
「魔法で勢いをつけた後は翼で滑空できるのです。魔力だけでは長距離は飛べません。」
翼不要説を即座に否定した。
この話を続けると、もがれかねない。
「ご心配であれば引き返しましょう。今なら日が沈む前に城に着きます。ネオ様もすぐお戻りになりますよ。」
「やだ。『ヘイスト』!」
魔法を唱える声が聞こえると、ガットは自身の体が軽くなるような感覚に襲われた。
『ヘイスト』は全ての行動をより素早く行うことができるようになる魔法だったはず。
当然、移動の速さも上がる。
「マコ様は魔術師の心得もあるのですね。流石です。」
そう。ガットの知る限り、ヘイストは魔術師が使う魔法である。
「ガットには言ってなかったかしら。あー、どう説明すればいいのか。ネオもそうだけど、わたし、色んな生き方をしてきたの。回復魔法も攻撃魔法も使える。なんと、剣も弓も盾も持てるし、歌えるし、盗みもできるのよ!」
「それは……、素晴らしいですね!」
後半はそこらの人間でも造作なくできるような気がしたが、何やら得意気であったのでガットは褒めたたえることにした。
このあたりの機転が、人間に育てられたドラゴンの処世術である。と、ガットは自負している。
人を褒めておいて損は無い。
「ネオ様も、いろいろな武器や技を扱うのですか?たとえば……勇者のあの技など。」
「『スマイト・ヘレティック』のこと?勇者の技は勇者になったことがある人しか使えないから、ネオは無理だと思うわ。でも、色んな武器や技は使えるはずよ。わたしも詳しくはないけどね。」
ガットは、ネオが人間の軍隊に対して使った技を思い浮かべた。
多くのドラゴンは記憶力も好奇心も収集欲も強い生物である。
ガットも例に漏れず、人間の書物を読みあさったりしたものだが、地面をえぐって土砂と衝撃波で攻撃するという技は聞いたことが無かった。
「なるほど。おや、ヘイストが切れますね。」
ガットの体に重さが戻ってきた。
速さが落ち、マコはつんのめったようで、ガットの首に抱き着く感触がした。
「もうヘイストが切れたの?1分ぐらいしか経ってないじゃない!」
「いえ驚くほど長く持続したと思うのですが。」
普通はこの半分も持たないだろう。
それでも十分有用であるほど、ヘイストは強力な魔法である。
実戦でヘイストを使えば、相手が1度剣を振るう間に2回は攻撃ができる。
1分もの間それができるのならば、もはや負けることは無いだろう。
「もう一回、ヘイストー!」
投げやり気味な声に合わせて、また体が軽くなった。
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休まず飛び続け、2時間ほどは経っただろうか。
野を越え、また山を越え、ちらほらと孤立した家や農場は見えている。
まもなく、町か村が見つかるだろう。
夕焼けで、空は赤くなっていた。
地上を見渡しながら、ガットは風景とは関係の無い部分で驚愕していた。
なにせ、マコは延々とヘイストを使い続けていたのである。100回以上は唱えている。
単純作業を繰り返し続ける精神もおかしいが、より問題なのはその魔力量である。
当然魔力切れなど起こしておらず、平然とガットに雑談を持ちかけて来る。
昨晩『時間さえあればずっと戦ってた』とは聞いていたが、どれほどの生物から魔力を奪えば、それだけの魔力をその身に宿すことができるのか、ガットには想像もつかなかった。
いま魔法を唱え続けているのと同じように、延々と、作業のように、命を奪い続けてきたのだろう。
背に乗っている人物が、自身の想像をはるかに上回る存在であると知って、ガットは畏怖の念を抱いていた。
「マコ様。」
「なに?」
「まもなく村か町が見つかるでしょう。」
「ふふふ、そうね。」
「ここまでお連れしたのは、このガットであることをどうかお忘れなく!」
「わかっているわよ。何?急に。」
恩に着せることを忘れてはいけない。
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間もなくして、遠くの山のふもとに人工物の影が見えた。
「マコ様、建造物が見えます。砦でしょうか……いえ、もっと大きいですね。」
ガットは速度を変えずにまっすぐ進んだ。
ヘイストがかかったドラゴンの飛行速度をもってすれば、なんだろうと悩むより、その影の規模が分かる距離に近づくほうが手っ取り早い。
それは、大都市であった。
山のふもとに巨大な城。見張り台の機能を持つ灰色の尖塔が十数本も突き出ている。
城を囲む城壁の周りには、いくつものガーデン付きの屋敷が建ち並ぶ。
その屋敷群もまた石壁に囲われており、その外側に庶民でも住めそうな家々が建っていた。
それら全ての建築物を守るように、外周をぐるりと別の城壁が巡らせてある。
三重もの城壁と背後の山に守られた扇型の都市。たとえ城攻めを受けてもびくともしないだろう。
外壁からは3つの太い道と川がそれぞれ別の方向にのびていた。
おそらく山から湧いた水が都市の中を流れている。
「わお!スゲー!こういうところを旅行してみたかったの!」
「明らかに戦争を想定した造りの強固な都市です。危険です。離れましょう。」
「え。なんで?」
「空からの襲撃にも備えてあるはずです。これ以上近づくと討たれます。私が。」
「あーはいはい。分かったわ。一度地上に降りましょ。」
山の周りを旋回するように、ゆっくりと高度を下げる。
都市の周辺は広大な畑になっていたが、少し離れた場所にはいくらか森が残っているのが見える。
ガットは体を隠すように木々の間に着地した。
マコは背中から飛び降り、ガットに向き直る。
「マコ様とはここでお別れなのでしょうか。」
ガットはわざとらしく残念そうに言った。
無論、自分の身を守ってくれる者がいなくなることを気にしている。
「ここで?いいえ。ちょっと試したい魔法があるの。」
ニヤリと笑い、ガットの前足に触れた。
前足不要説は一度も出なかったので、もがれることは無いだろう。
おそらく無い。
無いはず。
ガットが息を飲むと同時にマコが呪文を発動した。
「『テレポート』!」
次の瞬間、ガットは見覚えのある城砦の前にいた。
先ほど眺めた城郭都市とはだいぶ見劣りのする城は夕焼けに照らされている。
足元には昨晩マコが振り回していた十字架が転がっていた。
「成功!魔法って便利だわ~。」
行きは半日、帰りは一瞬。なるほど、便利である。
ガットはため息をついた。何やら急に疲れた気がする。
「おかえりなさいませ。フライトも楽しんだことですし、ごゆっくりとネオ様の帰りを待つことに――」
「じゃ、さっきの都市に行ってくるわ!たまに様子見に来てあげるから安心して。おやすみ~!」
嬉しそうに再度『テレポート』を唱え、マコの姿はかき消えた。
ガットは深くため息をついた。




