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Last Journey

作者: 尾藤ゆたか

ガタ―ゴト―ガタ―ゴト―


妙に間隔の長い目覚まし音だ。レールの隙間を越える時に響く、鈍い音。

六人乗りの馬車で、私はひとり。


旧T市から、旧N市へ行く道中、一人もこの馬車に乗り合わすことがなかった。

屋根付き、車輪は最近では珍しいゴムタイヤ、座席は白木だがザブトンを置いているのでまだマシ。

材が軋む音が気になるが、総じて乗り心地は悪くない。

他に理由を求めるものと言えば、やはり"人"だろう。


「いまどのあたりだ」

眠気覚ましに両の手で頬を軽く叩きながら、窓から身を乗り出し、昨日からの付き合いである御者の男に訊ねた。

御者は答えない。


―なんだ、またか。

と、思ったのも束の間、手綱から離した手で、左手側を指さす。

見てみれば、と言ってみれば解ったような気になるかもしれないが……山しか目に映らない。

あの山の名と形が記憶の中で一致すれば、すぐにでも解るだろう、と言いたげな後ろ姿。

「すまない、"あれ"が何て名前なのか解らんのだよ」

初めて顔を合わせたときから変えていない親しげな口調で弁解しても、何も発さない、発してくれない。

「生まれてこのかた、T市を出たことがなかったからな。解らないのは当然といえば当然だか……鉄道馬車の連中は、みんな解るのか」

僅かに生きていた期待を込めた質問も、虚しく殺されてしまった。

私は諦めることにした。考えてみれば、昨日一日ほとんど無視を貫き通した相手と一応の話をするなど、どだい無理だったのだろうと思い至る。


車窓から臨む風景は、何一つ変わらない荒野ばかり。

かつては、一面に広がる田畑や、生い茂る青葉、文明の象徴である近代建築が立ち並んでいたとは、到底思えない。

私が生まれたのは、戦争が始まり終わった年だったから、かつての大地の姿を話で聞かされた以外はわからなかった。

いま私が乗る鉄道馬車が走っているレールは、旧時代の遺産らしい。掌大の石が一直線に敷き詰められた上にマクラギとかいう木片を等間隔に置き、長い鉄棒を二本決められた位置に並べただけ。高度な文明が作ったとはいえ、私にはお粗末に見える。これなら、今の人間にだって作れるだろう。


隣のレールを別の馬車がすれ違う。二人ほどの客が乗っていた。

遠ざかるそれを、戸のない出入り口越しに見つめ続ける。荒野の地平線へ、それは吸い込まれていった。


車窓からは、人っ子ひとり見当たらない。

私は段々と、自分がこのまま地獄へ連れていかれる錯覚に襲われた。いやしくも烏の大群が馬車の上を横切ったときにである。

「おい、N市まではあとどれくらいだ」

言わずもがな、御者はいったいどういうつもりだ。

客の質問に答えないとは、いくら口下手だとしても喋ったところで、まさか死にはしないだろう。

それとも、私を地獄に類する場所―無許可で内臓を取り出し売り飛ばす闇市や、今では珍しくないタダ働きの鉱山などに連れて行くのを悟らせないためか。

ならば、さっさと逃げればいい。金はすでに払っている。だから、ここで飛び降り行方をくらましたところで、御者が追いかけてくることは考えられない。警察だって、今ではあってないようなものだ―昔が如何ようなものだったかは知らないが。

そうだ、逃げよう。なんたって御者が怪しすぎる。

逃げよう、逃げよう。

「…………」

どうした、早く飛び降りろ。

早歩き程度のスピードじゃないか。飛び降りただけで死にはしないし、ましてや骨が折れるなんてありえない。

さあ、降りるぞ。御者は気づいていない。いくぞ。

「…………」

くそ、なんでできない。何を怖がっている。金は問題ないから無賃乗車にはならないぞ。むしろ、N市までの乗車賃の半分ほどが無駄になる愚行だ。それでも私は―

ああ、なんだ。そういうことか。これが、"善意"というものか。

何だかんだ言っても、御者に気遣いをするのか。

確かに、彼は不気味だと思うが、さすがに妄想が過ぎてしまったようだ。


道中、前方に駅が見えた。遠目でも、そこには市場らしきものが開かれていることに気づく。それほど大きくはないが、久々に人だかりに出くわす。

野菜、干し肉干し魚、工芸品にサルベージした遺物。寂しく荒れた時代とは思えないくらいの、充実した露店が島型ホームの中心線上に並んでいる。

馬車が止まった。買い物をしたければ降りろ、ということか。

制限時間があるなら、聞いておくべきだと思うが、口をきかぬと心に決めているらしい彼には、もはや話しかける義理もないか。

気の向くままに買い物をさせてもらおう。これで置いてきぼりを喰らっても、他の馬車を見つければ良い話だ。代わりを見つけるのは、多少骨が折れるが仕方ない。

私は馬車を降りて、

「買い物をする。待っていてくれ」

と、言っておいた。無論、返事はなかった。

軽食にできるものを探し、握り飯をふたつ買う。

ふと、馬車のほうを見やる。馬車はまだいた。彼は煙草を吸っている。

「うへぇ、以外と贅沢なやつだな」

発車する様子ではない。もう少し物色するとしよう。


美人な看板娘との座談が長引いてしまった。

私は早歩きで馬車へ急ぐ。

以外に律儀な御者は、定位置で座禅を組み、瞑想に入り込んでいた。

「すまない、おそくなって……」

私は生来歩くのが遅く、すれ違い様に相手の細かい人相を観察することなど他愛もない。それで、御者の細かいシワ一本に至るまで、事細かに観察したのだが。

「……あんた、口がきけねえのか」

御者は、酷く日焼けした柔和な笑顔で頷く。

左手首に、最低身分を表す刺青。

そして僅かに見える彼の喉仏あたりには、バツ字型の切り傷が頭を覗かせていた。


「すまなかった」

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