神との対話
「ここには何も無い」
感情のこもらない乾いた声で、彼は呟いた。
その瞳は暗く、何も映ってはいない。
「そうかしら?」
答える声があった。声だけが。
姿は無い。しかし、彼にそれを気にする様子はなかった。
声は続ける。
「ここには色々なものがあるわ。あなたには、それが感じられないだけ。……もっとも、人間にとって、感じられないものは無いのと一緒だけれど、ね」
「そうかな」
「そうよ。どんなに美しいものも、見る人がいなければ無いのと変わらないわ。少なくとも、人間にとってはね」
彼は暫く黙っていたが、やがて自分からその沈黙を打ち破った。
「でも君は、ここには色々なものがあると、言った」
「ええ。だってここには、あなたがいるもの。……耳を澄ませてみて」
彼はおとなしく声に従った。
「……何が聴こえる?」
「君の声が」
「それ以外は?」
彼はまた、少し黙った。
「――風の音」
ざわっ。
風が吹き、彼の髪を揺らした。
彼の足元からは、草が葉を擦り合わせるさわさわという音が聞こえる。
少し考え、彼は言った。
「――いい香りがする」
途端に、甘い香りが辺りに満ちた。
「きれいな花ね」
また声が聞こえ、彼は首を傾げた。
「花……?」
「そうよ。手に取ってごらんなさい。」
彼が手を伸ばすと、指先が何かに触れた。
「これが花……?」
彼はそれを少し千切って、おもむろに口へと持っていった。少し噛んでみる。
「……苦い」
彼は顔をしかめた。
声はくすくすと笑った。
彼は初めて、声の聞こえてくる方に顔を向けた。
「――君は誰? どんな姿をしているの?」
声は、今までで一番用心深く、言った。
「……見てみたい?」
彼は、頷いた。
「うん」
瞬間、世界が光で満たされた。
明るくなった世界で目を細めながら、声の主は満面の笑顔で言った。
「素敵な世界をありがとう、神様!」