ターゲットの心を掴むのもスパイのお仕事だからな。
「では早速迎え入れたばかりで悪いんだけど最初のお仕事をお願いするわね」紅茶をすすりながら、ソファーに座るセーラは思案するように僕のことを注視する。この紅茶は結構な物で本場のイギリスでもこんなに美味しいものはそうそうない。
「その前に質問があるんだが」
「何かしら」
「レジスタンスっていうのはつまり反乱軍。で、軍なんて名前に付くぐらいだからクーデターを起こすということでいいか?」
「あってるわ」
「そのためになんで僕がお呼びなんだ?別に僕は戦闘員としては役に立たないと思うが」意外かもしれないが、スパイなんていうのは、生き残って情報を残すことに長けた人達であって、戦闘能力ならそこらの傭兵でも余裕で僕に勝るだろう。
「大蛇様はおっしゃったわ」紅茶を飲み干したセーラはカップを音を立てずにテーブルに置く。「森で迷子の加護持ちの人間族、彼は荒事には向かないが、狡い技術にかけてはこの世界一だと。そしてハヅキ、あなたが私達の手助けになろうと」
「狡い……」あの蛇め、何が狡いだ。
「だから、レジスタンスに取り込んだのよ。大蛇様がいうなら国の間諜なんてこともないだろうしね」もっとも処刑されかけるぐらいならそんなことは絶対にないでしょうけど、なんて小声で付け加える彼女は紅茶のおかわりを淹れ始めた。
「わかった。まぁ僕も大蛇様からはレジスタンスに入れと言われたからな、何をすればいい」
「ガンサー、地図を」
「はいはーい」キッチンにいたエプロン姿のガンサーは片手に古びた羊皮紙を、もう片手にはお菓子の入ったカゴを持ってきた。
「ありがと!やっぱりガンサーの作るお菓子は美味しいわね!」そう言ってセーラは口いっぱいに頬張る。
「男の子のくせに……」そういうティルは不満そうにしながらもポリポリとガンサーのお菓子を消費していく。実際にすごい美味しいのだから、人は見た目じゃない。というかこの場合は狼は見た目じゃない、とでも言えばいいのか。
「で、何をすれいいんだ」
「そうだった、この地図を見て」そう言って机に開かれる地図には赤丸が記してあった。
「ここは?」僕はそれを指差す。
「伝統のあるろうそく屋よ。あらゆるろうそくを扱ってるわ。それこそ照明用だったり、貴族のインテリア用だったり……」
「貴族様の使う封蝋だったりか。それもその貴族専用の」封蝋。中世じゃ手紙に赤い蝋燭にスタンプを押して第二の署名としたらしい。
「そういうこと」セーラは地図の別の場所を指差す。「ここに住んでいるのがその貴族様、名前はヘリム・ヴォン・デルーチェ。兵舎の警備についての書類を持っているはず。ただその書類はしばらくしたら国に返還されるのだけどね」
地図を見ていたガンサーはセーラを引き継ぐように続ける。
「だけどデルーチェは明日パーティを開くんだ。そのパーティの招待状は封蝋で偽造できないようになっているんだ」
「そこで僕がデルーチェ家専用の封蝋を手に入れるってところか?」
「そういうことになるわ。幸い、封蝋以外ならもう全部手筈は整ってるからね、残りはあんたの働き次第よ」
「いつまでだ?」
「明日まで」黙っていたティルが僕を殺せるぐらいの視線で睨みつけてくる。
「随分と急だな」
「あんたにできるとは思わないけどな」そう言ってティルは踏ん反り返るように足をテーブルに乗せる。
「行儀が悪いぞ」ティルに注意する。が、ティルは特に臆した様子でもなく。知ったことかと一蹴した。「ティルはいつもこんななのか」
「僕が加わった時もこんな感じだったよ」こんな優しそうなガンサーにも高圧的だったのか。
「ハヅキが一仕事すれば態度も良くなるわよ」セーラはため息をついていつものことだとでも言わんばかりだ。「じゃあハヅキ、ティルと一緒にこの仕事は受けてらうわ」
「一人じゃダメなのか?」
「まぁ研修をかねてるしティルは保護者だとでも思えばいいわ」
「保護者ならガンサーみたいなのが僕は好みだな」
「なんか文句ある?」ティルの視線は相変わらず世間のように冷たい。
「ないですよっと」
「じゃあ私は爆薬を用意してくるから、戦闘の準備でもしてるといいわ」
「おいおい、ちょっと待てよ。爆薬?なんでそんなもんがいるんだ」そういうとそこにいる面々はポカンとした顔で僕を見る。
「いや、だって明日までなんだし普通は強盗して奪うでしょう?」なんだこの野蛮人どもは
「いや、僕のやり方でやるよ。爆薬もいらない」
「いや、でも……」セーラは戸惑うようにこちらを見つめる。ティルは僕の態度が気に入らないのか小さく舌打ちした。
「いや、明日なんて言わずに今日取ってくるよ。もしそれで失敗したならあんたらのやり方でやろう」それだけ言うと僕は体を起こし、隠れ家をあとにしようとする。「あ、その前に偽耳みたいなものはあるか?」
「ハァ?」ティルを筆頭にレジスタンスは新しいメンバーの僕に困惑しっぱなしのようだ。
「痛い、痛いって!」そう叫ぶ僕は本気で目が痛い。
「動くなっつってるでしょ!」ティルは親の仇とでも言わんばかりに叫び返す。今、僕は隠れ家の地下でティルの爆弾作り以外の特技の一つである、変装を受けていた。要はメイクアップである。手足を拘束されて、目に痛みを受けている以外にはなんの変哲も無いメイクアップだ。
「なんで瞼を挟まれにゃならんのだ……」今は目を二重にするメイクアップ中である。
「あんたみたいな真っ平らな顔、トリス人には絶対に見えないわよ」そう言いながら目を挟むティルは楽しそうだ。被虐主義者め。
「お前は僕の何が気に入らないんだよ……」
「存在」
「要は新人いびりってやつか?」
「私はね……あんたみたいなやつは絶対信用しないのよ」
「なんでだ?」
「どうせ男なんてみんなケダモノよ。どうせあんたもセーラ狙いなんでしょ」そう言う彼女はギロギロと僕の目を睨む。
「ハァ?」
「だから!あんたもセーラの美貌に目が眩んだってところでしょ!」そう言う彼女は僕に迫るようにハサミを手に取った。
「な訳ないだろう!僕だって入りたくてレジスタンスに入ったわけじゃない!」
「だったらなんで加わったわけ!」
「神託で仕方なくだよ!」ティルはハサミを大きく開くと顔の前でちょきちょきと動かす。体をよじって拘束を解こうとするが解ける様子はない。
「もう一度聞くわ。なんでレジスタンスに加わった?」
「し・ん・た・く・だ!」
「そう、目ぇつぶりなさい」これまでか、異世界での生活がこんな形で幕を閉じるとは。そう僕が目をつむった時だった。チョキチョキと音がする。目を開けると眉毛をカットされていた。
「あんたの眉毛、濃すぎるわ」ティルはニヤニヤとした顔で目を瞑っていた僕を見ていた。この被虐主義者め……
ティルのメイクアップ後、僕はまぁトリス人に見えなくもないかなといった様相だった。このつけ耳の素材が妙に重たいが、これでも一番軽いやつらしい。さて、僕は一度自宅兼地下墓地に戻って兵士の格好をした。幸いローブの男が取りに来るのは明日。だから十分時間はある。その格好で地図の赤丸の場所へ足を進めた。
ジハールろうそく店。古びた木製の看板にはそう書いてある。大通りとはとても言えない場所に位置するその店は風が吹けば倒れてしまいそうな老木からできていた。さて、久しぶりのスパイとしての仕事だからか、僕は手にうっすらと汗をかいていた。手汗を裾で拭うと店のドアに手をかけて堂々と開ける。
「ジハールさん?」大きめの声でジハール、ろうそく屋の店主であろう人物の名前を怒鳴る。
「はいはい、兵士様がいったい何の用ですかな」奥から出てきたのは顔がシワシワでヨボヨボのおじいさんだった。杖をつきながらよろよろと歩く様子は見ていて辛くなるものだった。
「注文の物を貰い受けにきました」
「注文の物ですかい?」疑問形で返すおじいさんは身に覚えのないようだった。実際身に覚えがあるはずがない。
「ああ、一週間ほど前に手紙が来たはずだ」
「はて、そんなもの知らんよ」
「ハァ?おじいさん何いってるんだ?確かにうちの使いが手紙を送っているはずだが……」
「知らんもんは知らん。まずお主、誰の使いなんじゃ」
「知らないって……デルーチェ様だよ」
「なんじゃ、あの方なら最近封蝋をたんまり送ったばかりじゃないか」おっと、これはちょっとまずいかもしれないな。
「デルーチェ様は近々パーティをなさる。あの方は神経質だからな、招待状一つにも封蝋でしっかりとエンブレムを刻まれる。まぁそれで使い切ってしまったんだよ」
「あの量をか?」
「そうだよ」
「ふん、知ったこっちゃないわ。だいたい前来た使いの態度が気に入らんかった。あれが人に物を頼む態度か。だいたい今回は通知も来ていない。ともかく、きちっと手紙かなんかよこしてから来い。さぁ帰った」そういうと老人は奥に戻ろうとする。どうしたものかな。
「ちょっと待った」とりあえず引き止める。
「なんじゃ?」何か材料に使えそうなものはないか。羽ペン、羊皮紙、ボロついた壁、奥にあるろうそくの束、絵画。そうあの絵画だ。
「あの絵、もしかしてあんたとお孫さんか?」
「だとしたらなんだ?」
「いや、いい絵だと思ってね」あんな豪華な額縁に入ったものならさぞ大事なものだろう。ふむ……
「そうか、ありがとうよ」
「お孫さん、まだ若いんだな」
「いや、あの絵はもう十数年前に描いてもらったものだ。今は世界中を見て回るとかいって出ていっちまったよ」そういう爺さんは機嫌を少し悪くしたようだ。失敗だったか。いや、待てよ……
「なぁ、ちょっと話に付き合ってくれないか?」
「なんでわしがお前と時間を無駄にせにゃならん」
「いいじゃないか、数分さ。実を言うとだな、一つ前に仕事でやらかしちまったんだよ。なに、書類をもらってこいなんて言う簡単な仕事だったはずなんだけどな。トラブルにトラブルが重なって結局もらえずじまいになったんだ」
「それがどうした」おじいさんは機嫌を一層悪くしている。
「いや、その晩は結局こってり上に叱られて夜遅くまで始末書を書かされた。何、罰みたいなものさ。その夜は家に帰らず徹夜してゴタゴタを処理したよ」爺さんは壁にもたれかかって聞いている。「実を言うとさ、俺の爺さん寝たきりなんだ」そう言うとおじいさんの眉毛はピクリと反応する。「俺が普段は一緒にいてやるんだけどな。でもあの夜は違った。次の日に帰った時俺の爺さん、泣いてたんだ」おじいさんは俯いて考え込んでいる。「なぁ頼むよ、もし俺が手ぶらで帰ったら夜中まで働くことになって、爺さんをまた悲しませる。何本デルーチェ様が注文したのかは知らないけど。一、二本あれば最悪始末書は免れるだろう。だから……」
「仕方あるまい」おじいさんはため息をつく「そこで待っておれ、二本ぐらいなら今からでも作れる」そう言うとおじいさんは奥の部屋に帰っていく。いい仕事をするスパイってのはスピーチが得意なんだが、これが理由だ。あのおじいさん孫のことを懐かしく思ってた。親思いの孫を装えばうまくいくかと思ってやったが、あたりだったみたいだ。ターゲットの心を掴むのもスパイのお仕事だからな。