あの大蛇風に言えば予定は正されたというやつだ。
夢の中で出会った白い大蛇。真っ暗な空間に佇むそれは神々しさを放っていた。鱗は真新しく、白いタイルをさらに漂白したかのようだった。鋭く睨みつける目は血の色をしている。「何と言うか、人の厚意を無駄にするのが得意というか。何と言えばいいかねぇ……」そして、その大蛇はため息をついていた。
「人の厚意が何だか知らんが誰なんだ?」僕はぼやく蛇に話かける。
「私かい? 私はそうだねぇ。人々は私を大蛇様、なんて言って崇めてるよ。まぁ私は君に取り憑いているのさ」
「お前のせいか、みんなが自分に加護があるだの何だの言ってたのは」
「そうだねぇ、普段は私の分身を与えるのだけど、君には私自身が取り憑いているからねぇ、さぞ大きな力に見えるでしょうよ」
「なるほど、じゃぁ早速で悪いんだが、俺に取り憑くのをやめてくれないか?色々と困るんだ」
「ふふふ、それは出来ない相談だ。あんたにはやってもらわなきゃいけないことがある」
「それこそ出来ない相談だ、タダ働きはごめんだからな」
「ほう……タダ働きはごめんとな。ならそうだね、報酬に元の世界へ還してやる、なんてのはどうだい」元の世界への帰還。こっちの世界で目を覚ましてからずっと考えていた。あれから日本で自分はどうなったのかだとか。彼女は元気にしているかだとか。
「悪くないが、本当に元の世界に帰れるのか?」
「あんたの本当の体自体は治療を受けているよ。ほら」そういうと、蛇は床をスクリーンのように変えて自分の様子を映し出す。確かに自分は集中治療室で眠っているようだ。「つまるところあんたの魂を移し替えればいいだけの話さね」
「わかった、何をしてほしい」
「そうだね、いきなり大きなことを言ってもあんたには理解できないだろう。まずはそうだね、予定狂いを正すとしよう」
「予定を正す?」
そういうと大蛇は長い説明といかに僕がプランを台無しにしたかという説教を始めた。ようはあの牢屋のスープは自分が飲むはずだったもので、夢であらかじめ僕と大蛇は会う予定だったそうだ。その際に加護を隠す力を授かり、反乱軍に加わる。その手引きをセーラがするというのが正しい予定だ。ちなみにセーラも加護持ちで、あの食事を僕に運ぶように神託を受けていたそうだ。
「というとセーラも寝るたびにあんたを見るのか?」
「いや、みんなが寝るたびに神託を受けるわけじゃない、必要な時にしか私には出会えないのさ。あの子も神託を受けて喜んでいたねぇ」
「つまり僕も必要な時だけ、あんたと会うってことか」
「そうだねぇ。でもあんたにはたくさん神託を出す気がするよ、ふっふっふ」
「で、結局何をして欲しいんだったか」
「ハヅキ、君の任務と言えばいいかね、それはあの子、セーラの暗号本を解読して明日公開処刑を見に行くことだね」ぼんやりと視界が視界が暗転すると僕は石造りの部屋で目を覚ました。
体を起こして腕時計を確認しようとするが、僕が見張りの兵士の格好をしていることに気づく。ああそう言えば僕は脱走して逃亡生活中だった。とりあえず公開処刑は朝の予定らしかったし、急ぐべきだろう。
体を確認すると確かに体から神々しい感じがする。それを引っ込めようとすると体から神々しい感じが消え、僕がいかにも平凡な男に見えた。これがあの蛇の言っていた力だろう。
すると、こんこんとドアがノックされる。
「新しい住人か」警戒してドアを開ける、するとそこには顔をローブで隠した男が立っていた。
「お隣さんか?」
「そうだ、だが隣の部屋に一歩でも立ち入ってみろ、お前の命はないぞ」そういう男はそれらしい雰囲気を身にまとい、いかにも話しかけてはいけない人間に見えた。
「別に入る気は無いよ」
「いいか、我々は精製所には道具しか置かない、材料も商品も全部別の場所だ。探るだけ無駄だ」
「だから、僕は麻薬なんてやらないよ」
「ふん……」そう言ってドアを閉めようとする男は興味が薄れたようで声も落ち着いたものになっていた。
「ちょっと待った」その男を引き止めると怪訝そうにこちらを見つめる。
「そのローブを貸してくれないか」
「……」ローブの男は興味なさそうにドアを閉めようとする。
「この装備、正規品でどうだ。いい金になるのは知ってるぞ?」どこの国の正規装備でも大抵はブラックマーケットでよく売れるものだ。
ローブの男はパタリとドアを閉める。これは交渉失敗だろうか、まぁローブぐらいならどこでも買える。そう思い、ドアを開けて処刑場に急ぐと床にはローブと、置き手紙が無造作に放り投げられていた。「明日使いを送る」無機質な字で書かれた置き手紙、手紙の送り主はすでに地下墓地から去った後のようだ。僕は装備を脱いで、ローブ姿に着替えると足早に地下墓地を去った。
ローブと新しい力のおかげで特に怪しまれることもなく街に出ることができた。街は人間ならざる人たちで溢れていた。皆耳は細長く、黒い艶のある尻尾が生えていたが、それ以外は人間と特には変わらない中世の街だ。僕はパンの中に入っていた暗号の鍵と暗号である本を眺めながら少しずつ解読していく。わかったこととしてはこれは日本語の発音をこっちの文字で表したものらしいということだ。短い文章だったことも幸いして解読に時間はかからなかった。だが、いまいちこのメッセージの意味自体がわからない。
そんな様相で、街を歩いていると時折こちらを興味と不信感半々に見てくる人がいる。やはり、この姿じゃ怪しいか。
「ゴホゴホ」病人のふりをすれば誰も自分に近づかないだろうし好都合だ。中世では病人は隔離されていたというし。探りを入れられないように歩くならこれが一番だろう。
「病気なの?」後ろから声がかかる。この声は知っているが、今回は反射的に逃げたりはしない。
「セーラか」振り返るとやはりそこには黒髪の美女、セーラがいた。相も変わらず、右足を露出させた布を纏っている。
「あら、今回は逃げないのね」
「神託をもらってね」
「奇遇ね、私もよ。公開処刑を見に行かなきゃダメなのかしら」
「そういうことらしいな」
「まぁ、もう終わっちゃったけどね」僕が処刑されるはずだった公開処刑。一体誰が処刑されたのか
「そうか、まぁ見に行くだけ見に行くか」
「こっちよ」
誘われるように向かう先には人ごみでごった返していた。人ごみの中央には大きなギロチンが二つ並んでいる。人が多く、よく処刑対象は見えない。が、ギロチンの刃に滴る血が何があったのかを物語っていた。聴衆は見世物でも見るようだ。
「誰が処刑されたんだ?」セーラなら知っているだろう。見たところ表向きには国の歯車の一人のようだし。裏じゃ反乱軍なんかに加入しているが。
「あんたの見張りたちね片方は居眠りしていて、もう片方は職務を放棄して医者を探していたそうよ」
「ああ、あいつらか」僕の行動が彼らの死につながったというわけか。地球でもこんなことはよくあったが、何度経験しても気持ちのいいものではない。
「ま、あんまり近づいて気づかれでもしたら困るのは私たちなんだし、さっさと行きましょ」
「ああ、そうだな」僕とセーラは公開処刑場を胸糞悪い気分とともに後にした。
「ここが反乱軍の秘密基地みたいなものよ」セーラに案内されてついた場所はスラム街と政府関連の建物群のちょうど間にある家だった。この街じゃ珍しくない大木をくりぬいてできた家。家自体は特に変なところがあるわけでもなく周りによく溶け込んでいた。僕がドアを開けようとするとセーラがその手を掴む。「メンバー以外が触ると警報が鳴るわ」そう言ってセーラはドアを開ける。この光景はデジャビュというやつか。死ぬ少し前にあのフランスのエージェントともこんなやり取りをしたな。
内装は予想外に平凡。てっきりテーブルで黒色火薬で爆弾作りでもしているのかと思ったら、二人の男女がお茶を飲んでいた。ソファーに胡座をかく女はつり目の金髪ポニーテール。その隣で威風堂々と座る筋肉質の男は黒の短髪、だがその全体の見た目と違って、顔自体は随分と優しそうだ。そして極め付けに、犬耳が生えている。また違う種族というやつだろうか。
「それがハヅキ?」金髪ポニーテールが自分を面白そうに吟味する。
「うーん、自分には加護を感じられないかなぁ」犬耳がぴこぴこと反応する。
「加護は今は抑えてる」自分から神々しいオーラを出すイメージで加護をあらわにする。「これでどうだ」
「へー、自分でも加護がわかるぐらい大きいや」犬耳男も自分と同じく魔力がないのだろうか
「紹介するわ、ティル、ガンサー。この亜人、もとい人間族が神託にあったハヅキよ」ティルとガンサー二人に握手しようとするが、ガンサーしか応じなかった。ティルはこちらを値踏みしてるようだ。「で、ハヅキ。この金髪の女の子はティル。私と同じトリス人よ」トリス国家におけるマジョリティ、トリス人か。
「よろしく、ハヅキ。あたしの専門は爆弾作りとかそういうこと」そういうと先ほど拒否した握手を求めてくる。一瞬拒否してやろうと思ったが特に理由もないため、手を握っておく。
「この犬耳の男の子はガンサー、あなたと同じ亜人よ。とは言っても獣人族だけどね」
「よろしくハヅキ、自分のことは気軽にガンサーって呼び捨てしてほしいな。専門は戦いかな。あと、この国の括りじゃ自分は獣人族なんて言われてるけど、故郷じゃ老狼の民なんて呼ばれてるんだ。よろしくね」
「よろしく」聞いていて少しだけ気になったことをセーラに聞いてみる。「なぁ、これだけか?」
「まさか、私たちをトップとして国中にレジスタンスは散らばってるわ。まぁお互いの名前も住所も知らないけど」なるほど、捕まってもメンバーなんて知らないものな。情報漏洩対策もきっちりしてるわけか。
「で、レジスタンスなんて言ってるが、要はこの国の何が不満なんだ?」
「ハァ?あんた大蛇様から聞いてないの?」
「聞いてないな」
「全くもう……本当にこの人であってるのかしら……」セーラは腕を組み深くため息をついた。「私たちレジスタンスはこの国の原理主義を掲げた亜人差別に立ち向かう。そして、自由国家の樹立、それが私たちの理念よ」
「亜人差別ねぇ」
「まぁ細かいことは後々説明するわ。まずはともかくレジスタンスへようこそ!」
「ようこそ!」
「……ようこそ」ティルの覇気のない掛け声とともに、僕のレジスタンス入りが決まったようだ。あの大蛇風に言えば予定は正されたというやつだ。