グリフォン襲来
「さて、それじゃあ宿屋に行くかな。しかしほんとに、お金を稼ぐ方法を考えないと、服もこれしかないし……、一文無しってのは、不安だな」
言われたとおり歩いていくと、青葉亭の看板が出ているのを見つけた。
「お、ここだな。すみませーん」
「はい、いらっしゃい!」
威勢のいい声が迎えてくれる。優しげな、恰幅のいい婦人だった。
ここでも『外』の人間だと説明すると、すんなり受け入れてもらうことができた。
「あの、それと……」
「どうしたんだい?」
「外の人間って、働くことはできないんでしょうか? 僕、お金を稼ぎたくって……。何か仕事ができるところがあれば、紹介していただきたいんですが」
「なんだ、そうかい。それなら、うちで住み込みで働けばいいよ」
「えっ? いいんですか?」
「いいよいいよ。『外』の人には親切にするのが鉄則だ。ちょうど人手が欲しかったところだしね。部屋と食事は提供するから、掃除と洗濯を手伝っておくれ。あんまりたくさんの賃金は出せないが、あんた一人が贅沢せずに暮らしていけるくらいは、渡してあげられると思うよ」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、あんたの部屋は五号室だ。とりあえず、荷物を置いて一休みしてくるといい。それから仕事の説明をしよう」
「はい」
部屋はこじんまりとしているが、清潔で気持ちの良い場所だった。
荷物を置いてと言われても、持っているものはバイオリンしかない。苦い記憶の残る品だが、手元から離す気にはどうしてもならなかった。
(仕事の邪魔にはなるかもしれないけど、部屋に置いていきたくはないな。仕方がない、背負っていくか)
一息ついてから、バイオリンを背負いなおし、僕は部屋を出た。
「お、来たね。あんたにやってもらうことを説明するよ。まず、掃き掃除。道具はほうきを使っておくれね。それから、客間のシーツの回収。集めた洗い物は、この装置で洗っておくれ。「洗え」と唱えれば、洗浄から脱水までやってくれるからね。乾かすのはこっちだ。「乾け」と唱えればいい」
「はい」
(基本的には、元の世界でやってたことと同じだな。電化製品が魔法具になっただけだ)
「これなら、できそうです」
「うん。それじゃ、よろしく頼むよ」
そんな風に、説明を受けていたとき。
「きゃあああ!」
突如、外から悲鳴が聞こえてきた。
生易しいものではない。絹を裂くような絶叫だった。
よく聞けば、一人や二人ではなく、何人もの人が叫んでいるのが聞こえる。
「何があったんだい!?」
女将さんが宿屋の扉を開けると、
外の通りを、道行く全ての人が走り出していた。
必死の形相だ。まるで何かから逃げ惑うように、全力で駆けていた。
「ちょっと! どうしたっていうんだい!」
女将さんが無理矢理一人を捕まえて、尋ねる。
その男性は、がたがたと震えながら言い放った。
「グ……グリフォンだ! グリフォンが出たんだ!」
「なんだって!?」
女将さんが顔面蒼白となる。
手が緩んだ隙に、男性は脱兎のごとく逃げ出した。
女将さんが扉を勢いよく閉じる。
そしてへなへなと座り込んだ。
「そんな……まさか……」
「女将さん」
何かただ事ではないことが起きたことが、皆の様子でわかる。
「一体、何があったんですか」
「あ……あんたなら知ってるだろう。グリフォンだよ! 『外』の魔物がでたんだ!」
「ええ!?」
(魔物……たしかリートが、外には魔物がいるといっていた。とても恐ろしい存在だと……。まさか、そのことか!?)
「でも、町には魔物は入ってこれないはずじゃ……」
「そのはずだよ。今までだって、一度も魔物が出たことなんかなかったんだ。ああ、なんでこんなことに……。もう、『丘』も終わりだ……」
女将さんはぶるぶると震えている。
(リート……。そうだ、リートは!?)
「リート!」
外に出ようとすると、がしりと女将さんに止められた。
「あんた、何しようとしてるんだい! 外になんか出たら危険だよ! とにかく家の中へ閉じこもっておくんだ!」
「でも! 助けたい子がいるんです! 無事かどうか確かめたい!」
必死に言うと、女将さんは驚いたように目を見張った。
「あんたの……想い人かい?」
「違います。でも、恩人です」
きっぱり言うと、女将さんはゆっくりと手を離した。
「自分から危険に飛び込んでいこうなんざ、妙な男だよ……。でも、そんな必死な目をするんじゃあね。……くれぐれも、気をつけるんだよ」
「はい。ありがとうございます」
僕は走り出した。
人波に逆らって、懸命に進む。
「どいて、すみません、どいてください!」
人海をかき分けかき分けて、リートの家の前へ。
勢いよく扉を開ける。
「おばさん! リートは!?」
そこには、おばさんが家の奥の壁に身を寄せるようにしてうずくまっていた。リートはいない。
「ひいっ! あんた! 何してるんだい! 扉を開けるんじゃないよ!」
おばさんは恐慌状態を起こしてばたつく。
その肩をつかんで、強く揺らした。
「リートは! どこにいるの!?」
「か……買い物に行ってるよ。どこにいるか、知るもんか!」
「……!」
それを聞くと、僕は脱兎のごとく家を飛び出した。
「リート!」
やみくもに、町を駆ける。辺りを見回し、リートの姿を探しながら走り回る。
だが、逃げ惑う人だかりに埋もれて、一向に見つけることができない。
「グギャアアアウ!」
突然、けたたましい鳴き声が響き渡った。
「うわああ! グリフォンだ!」
周囲の人が悲鳴を上げる。
見上げれば、空高く、飛翔する何者かの姿が見えた。
力強い獅子の体。羽ばたく大きな翼。鋭い爪と嘴が、太陽の光を反射してぎらりと輝いていた。
グリフォンが急降下する。
地に着いた刹那、再びばさりと舞い上がる。
その足には、幾人かの人ががちりと捕まれていた。
「あああ! 助けてくれ!」
「助けてくれえ!」
捕らえられた人が叫ぶが、無情にもグリフォンの嘴がその身体を貫く。
首がもげ、腸がこぼれた。
「きゃあああ!」
それを見ていた人々から恐怖の悲鳴が上がる。
グリフォンは人を喰っているようだった。
(リート……リート、どこにいるんだ!)
「隊列、前へ!」
そのとき、人垣の中から、整列した一群が進みだした。
揃いの制服を着ている。
(警備隊かなにかか?)
皆剣や槍を装備しているが、それではグリフォンには届かない。
「砲弾、準備!」
一群は、鉄砲に似た細長い装置をグリフォンに向けて構えた。
「撃て!」
「撃て!」
一斉に、その装置から火球が放たれる。だが、グリフォンの巨体に対して、それはあまりにも小さい。
火球は直撃するも、グリフォンがぶるりと身を震わせると、煤をつけた程度で振り払われた。
グリフォンが警備隊に襲い掛かる。
「ぎゃああ!」
鋭い爪がその身体を裂く。
人が何人も、つかみ上げられては引き裂かれる。
広場は阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。
「リート……無事でいてくれ……」
祈るような思いで視線をめぐらせると、
「! いた!」
広場の向かい側、路地の入り口で、呆然としたように立ち尽くしているリートを見つけた。
「リート!」
急いで駆け寄る。
だが、僕が駆けつけるより先に、
グリフォンの爪が、リートを捉えた。
「リート!!」
そのまま、空高く舞い上がる。
幸いにも、リートは掴まれただけだ。怪我はしていない。
それでも、いつグリフォンの爪がリートを襲うかわからなかった。
「くそ……何かできないのか! 何か!」
焦燥が僕を襲う。
そのとき、何故だか思い出した。
リートと共にやった、魔法の実験のこと。
(魔法は、音の「イメージ」と、「情報量」に依存している……)
「イメージと、情報量……」
和音だけであれだけの炎を生じた魔法。
この一刻の猶予もない土壇場で。何を考えたわけでもない。直感で。
気付けば、僕はバイオリンを構えていた。
(なんだ……? 僕は何をしようとしているんだ?)
何って、そんなの考えるまでもない。
バイオリンは、弾くものだ。
りぃん、と弓が弦を滑る。
小刻みに激しく弦をこする。スタッカートが跳ね回る。
音の粒がぱらぱらと虚空に飛んで響き渡る。
(ハチャトゥリアン――「剣の舞」!)
剣を持って舞う戦いの踊りを表した曲。乱舞する刃が脳裏に浮かぶ。
きらめく剣。躍動する筋肉。
見事な剣技をイメージした力強い舞曲を、僕は弾ききった。
ブシャアッ!
血の雨が降った。
何重にも切り裂かれ、四散した身体が、ばらばらと落ちてくる。
――グリフォンの身体が。
見えない刃に、その身を翻弄されて、その巨体は息絶えていた。
「リート!」
グリフォンの爪から解き放たれたリートが、上空から落ちてくる。
僕は慌ててかけより、しっかりと少女を抱きとめた。




