【第8話】居残りくらう出来損ない
キーンコーンカーンコーン
授業終了のチャイムが鳴る。大抵の生徒は「よっしゃ! 学校終わった!」と思うかもしれないが、朝霧は違った。
朝の過激登校事件のせいで……いや、結月というバカのせいで職員室に呼ばれた朝霧は、とぼとぼ廊下を歩いていた。
廊下を進んでいくと職員室の目の前に清楚な感じで男子から人気のある黒崎 氷花が立っていることに気がつく。その黒く艶のある長髪、キレイな肌、少しジト目に似たような目を備える黒崎は、まさに男子の心をグッと掴んでいることが、ぱっと見でも伺える。
「生徒会長さんじゃねーか。何してんだ?」
朝霧がそう聞くと「お祖母ちゃんに呼ばれた……」と、返してくる。
学園長か……。
とにかく朝霧は、学園長には関わりたくなかった。偉い先生だからとかそういう問題ではなく人間として問題があるからだ。
とりあえず朝霧は、「そ、そうか。俺先生に呼ばれてっから。じゃーな」と、言い職員室へと急いで入る。
と、朝霧が職員室に入った瞬間……。
「オイゴラァ、餓鬼! 職員室に入るときは挨拶と一礼せんか! 失礼じゃろうが!」
目の前のババアに罵倒される。
誰が餓鬼じゃ……。
「が、学園長……。すみません……」
そう、この顔面シワクチャお化けこそが黒崎学園の学園長、黒崎 雪華である。
まったく……。
人に失礼どうこう言う前に自分の悪態を治せ……。朝霧は、心底そんなことを思うが、相手が相手なので容易には口を出せなかった。
「ったく。これじゃからゆとり教育は…」
「戦前生まれの昭和脳は黙っとれ」
「貴様は、退学にしてほしいのか? 戦前生まれは認めるが、ワシはバリバリの平成生まれじゃわい!」
あ、ついうっかり口が開いちまった……。まぁ不満をため込むのは体に悪いよね?
とにかく、あまりにも酷い性格の持ち主をスルーしながら如月先生を捜すが、学園長はまだ朝霧に対して話し続ける。
「まぁ良い……。どうせ貴様はこれから勉強漬けにされるみたいじゃからな。せいせいするわい」
は?
朝霧は学園長にまた視線を戻した。それだけ学園長の言ったことが少しあり得ない……というか信じたくない内容だったのだ。
勉強漬けってどういうことだ? 説教されるだけじゃねぇのか?
朝霧は、とにかくそんな事実を否定しながら疑問を浮かばせていると……。
「朝霧。きたか! お前さんは今から学習室で自主勉だ」
後ろから鬼教師の坂野 熊重の声が聞こえてくる。坂野というのは、鬼教師として恐れられている身長一九〇越えの中年先生(化学教師)である。だが、ドス太い声やその威圧感から四十歳後半の先生とは思えない。
ちなみに、生徒からは鬼熊と恐れられていたりするが本人は全く知らない。
……嘘だろ。
朝霧は少し絶望に似た感情を覚える。すると、いきなり襟首を掴まれどこかへ……否、学習室へと連れて行かれる。
ファン一人で大丈夫かな?
そんなことを考えていると、誰もいない学習室の一角に座らされた。
「ノルマ達成したら帰っていいぞ」と、坂野は言い残し、小走り気味に消えていく。
学習室にあるホワイトボードには──。
『ノルマ! 漢字五百問』
──と、書いてあるのが見える。
結構キツい……いや、不可能に近い。仮に五百問全ての漢字が朝霧にとって知っているものだったとしても、五百字全て書くなどムリゲーも良いところだ。
ファン腹減ってんじゃ……。
そもそも遅くなったら心配するんじゃ……。
どうしようかと悩んでいると。
「あー……。本当に自主勉させられてる……」
そんな女子の声が扉の方から聞こえてくる。声変わりをしたのか疑問に思うその声……。誰の声かは、すぐ分かった。
「結月! お前のせいだかんな!」
「あはは……。ごめんごめん。そう怒んないでよ。反省しに来たんだから……」
ん? 反省しに?
こいつの悪事は、先生にバレてなかったはずだが……。
「ほら。その問題貸して。解いてあげるから」
結月は、そう言うと朝霧の脇に座り問題を解き始める。
正直なところ、結月が自分の非を認めて手伝ってくれるなど珍しい。
とにもかくにも第四クラス所属の結月の成績は中間らへん。このくらいの問題なら楽勝ってことか。朝霧はボーッと解かれていく問題を見つめる。
スラスラ解き、残り五問となったとき……。本当の問題はそこで発生した。
「何この漢字……」
結月の手が止まる。
問題をのぞき込むと、『虱』『蟷螂』『蟋蟀』『蚯蚓』『鍬形虫』という漢字が並んおり、一番右に『読みを書きなさい』と、書いてある。
これ高校生が習う漢字なのか?
そんな疑問が生まれるほど難しい。二人で頭を悩ませていると「朝霧君、夕霞さん。何をやっているの……?」という声が聞こえてきた。声のする方を見ると、そこには救世主のごとく黒崎氷花が立っていた。
「あっ……黒崎さん! お願いします! この漢字解いて下さい! 何でもしますから!」
朝霧は、とにかく必死に頼み込む。これほどの漢字黒崎レベルでなければ解けないと確信したからだ。
すると、黒崎は……、
「そんな難しいの? ちょっと見せて……」
と、言い結月から問題を取り上げる。
問題を見るなり「お祖母ちゃんったら嫌がらせレベルの問題を作って……」と、呟く。
問題の作り方を見ただけで誰が作ったか分かるとは……。てかあのババア、そんな問題を……! だから簡単に許したのか!。
ババアへの文句を考えているその瞬間──。
「一番左から『しらみ』『かまきり』『こおろぎ』『みみず』『くわがたむし』よ……」
数秒見ただけなのに黒崎はスラスラと、答えを言っていく。その頭の回転の速さは尋常ではないと朝霧はつくづく思う。とにかく解いてくれたのだ。感謝しなければ……。
「あざっす!」
「別に感謝されることはしてないわ……」
さすがは、第一クラスのトップなだけある秀才っぷりだ。
黒崎さんは頭が良いし、優しいし、可愛い……というよりは美しいし、なにより巨乳だし。え? 最後がいやらしい? いやいや。これが健全な中学男子……って俺高校生だったけ。
「黒崎。別にあんたの助けなんかなくても解けてたんだからね」
朝霧がバカみたいなことを考えていると、結月が敵対モード全開で黒崎にそう言い放つ。
いや、解けてなかったんじゃん。そんなツッコミは口の手前まで出たところで飲み込まれた。今そんなことを言ったら結月は俺のことを殺しかねないと直感したのだ。
──これが防衛本能か。
「あらそう? まぁ朝霧君のために解いてあげただけであなたと張り合うつもりなんてなかったのだけど……」
黒崎は結月にそう言い放つとスタスタと帰って行く。
それでもなお、険悪な雰囲気が学習室の中に漂っている。
「と、とりあえず帰ろっか。な? 結月」
「そうね……」
何か不満そうな感じで結月は立ち上がる。
(えーと……こんな雰囲気で一緒に帰りたくないよ……)