【第75話】時空のおっさん
朝霧は、気がつくと真っ白な天井の下で寝ていた。周囲を見渡すと、柔らかそうな白い仕切りで囲まれていることに気がつく。
何の変哲もない保健室だった。
関節技を決められ、気絶していた朝霧は、翔太か誰かに運ばれたのだろう。まぁ、そんなことは、どうでも良いのだが……。
朝霧は、まだ鈍い痛みの残る身体に鞭を打ちながら起き上がる。ベッドの上で上半身を起こすと、少しの間ぼーっとした。と、いうのも、この時点で二つ分かりたくないことが、分かった。
一つは、時計の針が、十二時を指してるということ。つまり、補習は気絶している間に終わっていたことになり、彼の成績は絶望的になっていることを。
そして、もう一つは保険室内に人の気配がないということ。普通、気絶している人間を置いて、保険教諭がどこかに行くだろうか……。そもそも加奈子までいないというのは、どういうことだ!? 普通、身内が気を失っていたら心配して、ここに駆けつけてくるのが普通なんじゃないのか!?
いろいろ考えた末、朝霧は、はぁとため息をつく。というか、もう何も考えなくなかったというのが、実情。
ベッドから降り、無意識に伸びをする。補習が終わってしまった以上、仕方がないので、朝霧は家に帰ることにした。
朝霧は、無人の保健室から出ると、加奈子を迎えに……また気を取り戻したことを伝えに職員室へと向かった。
既に補習が終わった学校というものは、静かなもので、何百人と生徒がいる大学校とは思えないほどの静寂さに包まれている。
いつもなら男子生徒がたむろう階段も、いつもなら女子生徒がお話をしてる廊下も、いつもならガリ勉がペンの音をたてている教室も。全てが全て無音である。
そんな学校内を歩いているうちに、朝霧は、なんだか幽霊やらなにやらがでてきそうな恐怖心にかられ、無意識のうちに早歩きになる。その甲斐あってか、かなり距離の離れた職員室と保健室の間をわずか一分ほどで踏破した。
朝霧は、コンコンと、ノックをし「失礼しまーす」と、言いながら扉を開けた。
と、「学年と名前を言わんかボウズ!」という学園長のイヤミが飛んで──くるはずだった。
だが、返された返答はシーンという擬音が似合いそうなほどの無音。
職員室には誰もいなかった。あるのは、先程まで書いていたのであろう書類や飲みかけのコーヒーのみ。
朝霧は、なんだか寒気がした。と、いうのも飲みかけのコーヒーには湯気がたっていたのだ。まるで、その光景は、突如先生が全員蒸発したかのような……。
朝霧は、嫌な予感がし、職員室を飛び出した。自分でも、なぜ飛び出したのか分からないが、このままここにいては、いけない気がしたのだ。
寝ぼけた頭をフルに回転させながら階段を駆け下がる。昇降口まで行き、急いで校舎を飛び出す。
そして、目の前の光景にギョッとする。
いつもなら、補習が終わっても部活をし続ける野球部やサッカー部の姿がない。あるのは、校庭のあちらこちらに散らばる野球ボールと、校庭のやや左側に転がるサッカーボールくらいだ。
朝霧は、スマホを制服のポケットから取り出し、結月に電話をかける。
だが、結月は出ない。プルルルルという呼び出し音が延々と続くのみであった。
「──くっそっ!」
朝霧は携帯の通話を終了すると、校庭を通り抜け、大通りまで疾走する。変な興奮状態になっているため、大疾走してもあまり疲れなく感じる。と、ついに大通りに出る。だが、大通りには信じがたい光景が広がるだけであった。
車は路上に全て放置されており、自転車は路上に転がっていた。まるで、人類が自分を除いて滅亡したかのような……そんな光景だ。
いつものような日常的な風景があるとすれば、それは街灯や電柱、植木やビルといったものくらいだ。
「はは……なんだよ、こりゃ……」
朝霧は、目の前の意味不明な光景に呆然と立ちすくんだ。いや、立ちすくむしかなかった。
街から人が消えた。
なんの超常現象だと思われるかもしれないが、現実に目の前で起こってるのである。と、朝霧は不意にある都市伝説を思い出した。
『時空のおっさん』。それは、時空の狭間で仕事をするおっさんの世界に人間が迷い込んでしまうという都市伝説なのだが──、
(確か、時空のおっさんって、一定時間以上その世界にいると、自分の世界に戻れなくなるとか……)
朝霧は、そう考えた瞬間ゾッとした。もう自分の住む世界に戻れないのかと思うと、得体の知れない恐怖がこみ上げる。
朝霧は、そんな恐怖を振り払うかのように『ただの都市伝説、ただの都市伝説、ただの都市伝説……』と、自己暗示をかける。
と、そのとき唐突に朝霧は、ファンのことを思い出した。
「もしかして……っ!」
朝霧は、思考よりも少し先に足が動く。朝来たときと逆の方向に大通りを走り出した。
こんな超常現象じみたことは、都市伝説の通り、時空のおっさんでもない限り、人間にはできない。だが、逆に言えば、人間にはできないのだ。つまり──竜と呼ばれる人間ならぬ者達なら可能ということになる。
だが、それは、ある真実を証明することになる。その事実というのは、これをやったのが黒龍会と呼ばれる者達の仕業という可能性が非常に高く……そして、黒龍会に命を狙われてるファンの身が危ないということだ──、
(くっそ……っ!!)
朝霧は、更に走るスピードを上げる。いつもなら五~十分程度の道のりだが、全力疾走をしたおかげもあり、二、三分で学寮に着いた。




