【第73話】そこのバカ二人!
「ま、まぁそう言うなら先に行かせてもらうよ」
「うん。行ってらっしゃい、はや兄」
朝霧は、可愛らしく手を振る加奈子を背に校舎へと向かう。
早足で昇降口に入ると、先ほど校庭の真ん中を歩いていた紫色の髪が特徴の翔太の姿があった。さっきは遠目で良く見えなかったが、とても眠そうにしているのが伺える。
「うっす、翔太」
「んー? おぉ! はやてっち、おはよーさん……ってありゃ? なにやら機嫌がえい顔して、どうしたが?」
「なんかエセ土佐弁がバージョンアップしたな……」
「そりゃ、大河ドラマをひいとい中見てたらこうもなるっちゃ」
(なるほど。だから眠たそうにしてるのか。まぁそれだけやっても、エセさは、拭いきれんのだが……)
「……とりあえず、地元の人がお前のそのエセ方言聞いたら絶対にウザイし怒るから止めとけ」
「大丈夫。うちのクラスに九州国出身の奴なんていないぜよ」
そう言う問題じゃないんだよな~なんてことを考えながら朝霧は、ため息をつく。
と、そのとき聞き慣れたビッグベンの鐘の音が耳に入り込んでくる。つまり、始業のチャイムだ。
「──って、はよクラス行かんと遅刻するっちゃ。はやてっち行くぜよ」
「お、おう」
朝霧と翔太は、運動靴と上履きを0.一秒という早業で履き替えると、二階へと猛ダッシュする。なぜ二階かというと、二学年のクラスは全て二階にあるのだ。さらに細かく言えば、一学年が三階、三学年が一階といった具合である。
ちなみに朝霧の所属する第七クラスは、階段から一番近い。と、言うのも遅刻する生徒を少しでも減らすためだとか。いつもは「余計なお世話だ」と、思うがこういう時になると「学校の親切」と思ってしまう辺り俺達バカで単純なんだな~と実感してしまう。
ともかく、ベルの長さは、およそ二十秒。つまり後十五秒あるかないか。
(行ける……っ!)
階段を五秒間で駆け抜け、トップ朝霧、次点翔太という順位のまま直線コーナーに突入する。
ここまで来れば、遅刻は免れた──はずだった。
「そこのバカ二人! 待たんかぁっ!!」
突如響き渡った背後からの怒号に朝霧と翔太は、動きを止めてしまった。これが致命傷だった。
ほんの少し──たった五秒間、身体を止めたそのとき、チャイムが鳴り終わった。教室のドアまで、たった一、二メートルというその距離が、なぜか壮絶に遠く思える。
朝霧と翔太は、恐る恐る後ろを振り返る。と、そこには、予想通り鬼教師と悪名高い坂野 熊重の姿があった。
坂野の顔は鬼の形相という言葉が似合うほど青筋が立っており、その禍々しいオーラは、結月が怒ったときの殺気を軽く凌駕するものがあった。
そんな怒り狂ってるとしか思えない坂野を目の前に朝霧と翔太は、直感的に『平凡な学園生活が、ここで終焉を迎えてしまう』ような気さえした。
「貴様ら……遅刻の生徒は補習室行きということを覚えてるよな?」
そんな獣と化した坂野は、ゆっくりと口を開いた。おそらく最初から、朝霧と翔太を補習室に行かせることが目的だったらしい。
と、言うのもここは腐っても私立高校。つまり、偏差値などは学校の看板になるわけである。そして、そんな私立高校にとって大切で大事な偏差値を異様に下げてる二人の生徒がいる──、
その生徒こそ朝霧と翔太のことなのだ。つまり、彼らは学校のお荷物。教育者の天敵。私立高校に取り憑いた悪霊。ともかく、職員から呼ばれているあだ名を挙げれば、キリがないほどの言われようだ。極めつけに職員内では、朝霧・武村当番という専属教師まで出る始末だ。
そして、その当番で専属教師こそ、この坂野熊重なわけである。
ここまで、青筋立てて怒り散らすということは、昨日か今朝の職員会議で、朝霧と翔太の成績について他の職員から何か言われたのであろう。──全く、どこの職員だか知らんが、良い迷惑だ。
朝霧は、やれやれとため息をつく。
「なにか言い残したことがあれば、聞いてやろう」
「えーと……俺達は遅刻なんて──「よし、これで言い残したことは無くなったな?」」
(ひでぇ……)
坂野は、言い残したことなど最初から聞く気もなかったかのように朝霧の言葉を遮断する。
ここまでスルーが酷くなってくると、清々しさを感じてしまうのが、不思議である。
朝霧も翔太もここまでかと諦めかけた──そのとき、
「坂野先生。なにやってるんですか?」
唐突にそんな女の人の声が、さきほど駆け上がってきた階段から聞こえてきた。大人の感じを漂わせる上品な声を持ったその女の教師は、その階段から坂野の目の前へと歩いてくると、ニコニコとしながら言う。
「補習も良いですけど、私の講習も受けさせないとなんで、この子達の補習は、また後日にしてあげてもらえます?」
身長百九十越えの坂野を前にしながら、淡々と柔らかい抗議をする美人な数学教師──『佐倉 香』は、朝霧と翔太の目に『ピンチのときに駆けつけてくれる自分だけのヒーロー』に見えたというのは、言うまでもないだろう。




