【第11話】出来損ないは用済みです
だが、そうは思っても策がないにはどうにもならない。
朝霧が、どう切り抜けようかと悩んでいると、女が口を開く。
「逃げようとは思わないで下さい。その少女に危害を加えるつもりはありません」
女は、朝霧の心を見透かしたように、そう重い口調で言った。が、朝霧達の間に緊張の糸は解けない。本当に危害を加えないなどという確証などどこにもないからだ。
「さっき回収って言ったよな? じゃあ、なんの目的があってそんなことをする? 答えろ」
朝霧は女に問いかける。だが女は「あなたに話す必要性がありません」と答え茶を濁す。その答えに朝霧は少しイラつく。と、同時に「この女は、自分が怪しまれているということを自覚しているのか?」とも思った。
この場合は、自分の潔白を証明するため言うのが普通なのではとも思う。朝霧は、イラついてると言わんばかりに、吐き捨てるように女に言う──。
「なぜ必要性がない? ただ単に話せないからじゃねーのか?」
すると、女は無言で首を横に振る。これでは、話にならない。そう思った矢先だった。朝霧は、女の放った言葉に己の耳を疑った。
「いいえ。あなたが、この場で死ぬからです」
朝霧の思考と周りの時間が止まった感覚がする。いや、女から出ている異様な空気がそうさせているのだ。
生まれて初めて朝霧は、本気の“殺気”を体験した。
──と、その瞬間、女は二本の刀を同時に抜き交差させるように空間を切る。『虚空を切る』という表現の方が正しいのだろうか。
とにもかくにも、女の刀から衝撃波のような物が発生し朝霧を襲う。それは、まさに可視化した鎌鼬だ。
「なっ……!?」
朝霧は、とんでもなく間抜けな声を出す。避けようにも殺気に恐怖が加わり完全に身体が硬直してしまっていた。
──や、ヤバい!
体が危機を感じ取り、とっさに回避行動をとる。こればかりは自分でどうこうではなく、防衛本能のなした技だった。
右側に転がり、ギリギリで避ける。だが、あまりの衝撃波の速さに朝霧は避けきれず、脚に少しあたる。薄く切れたのか、燃えるような痛みが朝霧を襲った。
ヤンキーとの戦いで経験した死にそうなほどの激痛とは、また違った痛み……。だが、そんなことを気にしてる余裕はない。朝霧は、ファンのことが一番心配だった。
ファンの方へと視線を送ると、呆然と立つ無傷の少女の姿が見えた。朝霧は、少しばかり安堵する。
的を失った二本の衝撃波は、遠くの橋を破壊したようだ。爆音が少し遅れて聞こえてくる。
あんなものが俺やファンに直撃していたら──と、朝霧は想像すると、全身に鳥肌が立つ。それと同時にイラつきが絶頂に達した。
「……てめぇ! やっぱりファンを狙って……! 答えろ! なんの理由があってファンを回収する!」
朝霧は、女を怒鳴りつける。今の朝霧の感情をそのまま表したものだった。もし、ファンに──と、考えれば無理もないことだ。
すると、女は少し考えこう答える。
「……まぁ冥土の土産にでも教えてあげましょう。つまり、あなたは用済みなのです。この少女を覚醒させるには、誰かと契約させる必要があった。あなたは、それに選ばれてしまったのです」
女の冷静な話しかけに朝霧は、少し正気を取り戻す。完全に取り乱していたことに朝霧は、少しばかり驚いた。
だが、正気を取り戻し、冷静な思考になっても女の言ってることが理解できない。
少女というのはファンのことだろうが……覚醒? なんだそれは……?
今までもそうだったが、竜やら契約やらといったことを朝霧は受け止めてはいたが、理解はしていなかった。
つまり野球のルールは知らないが、ボールを打つ競技ということは理解してる、みたいなことだ。詳しいことが分からない人間に審判をやれといっても無理に決まってる。それと同じことである。
そんな無知で、右も左も分からない朝霧のことなど気にせず女は説明を続ける。
「覚醒が完了すれば、契約者は邪魔な存在になります。なぜなら契約をした竜は、契約者に力を貸すことができても自身だけでは力を使うことができなくなるからです」
全く無駄な説明をしてくれない女の正確な説明を、聞き逃すまいと朝霧はしっかり聞き、それを今知ってるルールのなかで処理していく。
つまり、ファンは俺に力を貸すことができても、ファン単独では力を使えないということか……。
朝霧は、足りない脳みそでどうにか理解した。
女は更に説明を続けていく。
「そして、この少女の覚醒が完了した今……あなたは邪魔な存在になったということです」
このとき、ようやく朝霧は気がつく。
こいつはファンを何かに利用するだけで、殺したりなんかしないんだ。
けど、利用するためには契約なるものをすることが必須。
それが完了したから、回収しにきただけ。
そして、必要がなくなった俺は──いや邪魔となった俺は殺される。
そこまで考えたところで、朝霧は自分に迫る衝撃波に気がついた。とっさに体を転がしギリギリのところでそれをかわす。
ようやく殺気から解放されたのか、はたまた女の長い説明のおかげで緊張が解けたのか……とにかく身体の自由は利くようになったらしい。
だが、女の異様な雰囲気が変わったのかと言えば、そうではない。女はいきなり自分の手を薄く切り、出た血を自身の刀につける。
……なにを?
そんな疑問を浮かばせた瞬間、女の姿が消えたことに気づく。闇夜に消えるとか、そんな次元の話ではない。テレポートのように視界から完全に──それも突然消えたのだ。
そして次の瞬間。まるで最初からいたかのように、女は朝霧の目の前に現れる。
「ぁグがっ……っ!!」
そして、なにが起きたのかを理解するより先に、朝霧は声を上げた。朝霧は異変の起こった自身の左太ももを見やる。
刀が己の肉を貫いていた。
どこかグロテスクな赤色が刀を伝い、地面に落ちる。
まるで水時計のようだ。
ただ幻想的な水時計とは違って、とても狂気じみてるのだが。それでも、あまり見る機会のない光景という意味では幻想的なのかもしれない。
朝霧は、それを見てるだけで激痛が強まる気がした。
痛みにこらえるのに必死で反撃はできそうにない。というより、痛みのせいで身体に力が入らない。いや、力みすぎてるせいでそう感じるのかもしれない。
とにかく、戦意を喪失させるには充分な一撃だった。
先ほどの瞬間移動のような挙動。衝撃波を起こす人間離れした剣さばき。足を簡単に貫く突き。
それらに手も足も出せなかった事実が、朝霧に勝ち目はないと、冷酷に言い渡す。
だから朝霧は反撃を諦めた。
女はそんな朝霧の諦めを感じ取ったらしい。もう充分だなと言わんばかりに、刺さった刀を引き抜いた。さらなる激痛が朝霧を襲うが、もはや声すら出ない。
だがそれに反して、血はどんどんと溢れ出す。血だまりを作る。脚を貫通したためか、その出血量は異常であった。
「は、はやて! 大丈夫!?」
ファンの心配する声が聞こえてくる。だが、あまりの痛みに返答する暇がない。
すると、女は冷酷にファンに向かい吐き捨てるように言った。
「安心なさい。この契約者は、じきに死にます。知っているかもしれませんが、私の血は人間にとって毒……傷口から侵入すればまず助からないでしょう」
「そ、そんな……っ!!」
ファンが涙を浮かばせながら、驚いている。
──だが、女は。
「たった数日の付き合いでしょう。何を悲しむことがありますか?」
そう冷酷に言い放つ。確かな現実を冷酷に。もはや生き物としての温かみは感じられなかった。
しかしそれでもファンは「そんなの関係ない。私を助けてくれた……大切な人に代わりない!!」と、怒鳴る。
朝霧にとってその言葉はとても嬉しかった。なぜ嬉しいのか自分でも分からなかったが、とにかく嬉しい。
しかし、それと同時に自分に腹がたった。そこまで言ってくれる少女に俺は…………何かできただろうか?
朝霧の心の中で、そんな悔やむ気持ちの方が次第に強くなっていく。
一方で女は、そんなファンの……朝霧の気持ちなど気にする素振りもなく更に残酷なことを言い出す。
「では、この人間を今、あなたの目の前で殺しましょうか?」
ファンの動きが止まる。この女の放つ殺気に怖じ気づいたのか、それとも今動けば朝霧が死ぬと思ったのか。とにかく動きがピタリと止まった。
すると、女の殺気のこもった視線がファンへと向いた。
大の男子高校生である朝霧の動きさえも止めた殺気だ。ファンなら泣き出してもおかしくないだろう。
しかし予想に反して、ファンは絶対に泣こうとはしなかった。
女はため息をついた。
そして、なにかを吹っ切ったような表情になりながら、刀に手を伸ばす。
「ま、待って、分かった……!分かったから! あなたについていく。だからこれ以上……はやてを傷つけないで!」
ファンが、身体を震わせながら哀願する。彼女にしてみれば、たった独りだった自分を助けてくれた命の恩人──朝霧を今度は自分が救おうと、精一杯の恩返しをしたつもりだ。
そんな彼女に対して、朝霧は地面に転がりながら“自分自身”に腹が立っていた。
何時間前かに少女の笑顔を守りたいと思ったばかりではないのか。なのに、それなのに──なぜ少女は泣くのをこらえて震えているのか。
朝霧は痛みにうずくまりながらも身体を小刻みに震わせていた。それは少なくとも痛いからではない。
しかし女はそんな朝霧を尻目に、少しだけ微笑むと、ファンを連れて闇夜へ消えていった。
結局、朝霧はなにもできなかった。そんなやりとりを黙って、震えながら見ていることしかできなかったのだ。
だが、女の完全勝利ということではない。彼女は、獲物を手に入れたことに安心して、見落としてまったのだ。
朝霧疾風という男の中に、ふたたび灯った戦意と覚悟を。




