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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ある早朝の蜜月

作者: 白湊ユキ

 夏の始まりに結んだ想いは、次の夏の終わりと同時に解けた。

 太陽すらもかすんで見えるほどに眩しい人だった。

 胸を焦がし続ける鮮烈な憧れを抱いたまま季節は巡り——。


 私は今、その人の妹と付き合っている。


   *


 窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。とても煩い。

 しかも、揺らぐカーテンの隙間から、早朝とは思えない強烈な朝陽が差し込んでくる。とても眩しい。

 昔から朝だけは弱いのだ。

 仰向けの姿勢のままうんと手を伸ばして、カーテンを開け放ち————。


「あれ……?」


 その手が空を切った。よくよく考えてみたら、陽の差し込む角度もいつもと微妙に違う。


「そっか」


 泊まったんだっけ。

 何度か見た木張りの天井とにらめっこしながら、そういえばそうだったと思い出す。

 後輩が一人で暮らす家、先輩が使っていた部屋。

 インド象の隣にエッフェル塔が建ち、その近くにスフィンクスが鎮座していて、壁にはどこかの民族からもらったという派手な仮面が何枚も並ぶ、まさに異空間と呼ぶのが相応しいような部屋だ。他にも土器やら装飾品やらよく分からないけど考古学的に価値のあるらしい物体が、部屋のそこかしこを占拠している。全部先輩とご両親のお土産らしい。

 異文化交流ここに極まれりというか。毎度のことながら、こんな落ち着かない部屋でよく眠れたなと思う。実際、暗がりに見る仮面三兄弟はかなり不気味だし。


 ——でも。


 階下からお味噌汁の匂いが漂ってくる。


 ——先輩が寝てたベッド……。


 まるで火傷の跡のように、意識してしまうと胸がひりつく。仕方のないことだと分かっていても痛いものは痛いし、そのくせ想い出はとめどなく溢れてくる。

 じわりと目頭に染みるものを感じて、慌てて布団を引っ掴んで顔を隠す。

 耳を優しくノックするように近づいてくる軽快な足音。この涙を彼女にだけは見せたくないと思った。


「朝ですよ〜! ほら、起きてください!」


 感傷すら吹き飛ばしてしまうような勢いで、陽だまりみたいな声が飛び込んでくる。


「せんぱーい?」


 ふと思いつく。

 布団を被ったまま反応しない私を訝しんでか、彼女がステップを踏むように近づいてくる。その気配がベッドのすぐ側に来たタイミングを見計らって布団を蹴り飛ばし、無防備な腕を掴んで引っ張り込む。


「おわっ!」


 不意を突かれてバランスを崩した少女が布団に倒れる。

 私は何が怒ったかまだ理解していないだろう彼女の背中に素早く組みつく。

 当然ここまできたらやることは一つだ。

 ——こちょこちょこちょ、と。


「ちょ——、きゃ、あはははっ。くすぐった、ひぃ……っ」


 じたばたと暴れる小柄な身体を後ろからがっちりと押さえ込む。脇が弱いのは先刻承知の上。脚もばっちり絡めて動けなくして、集中的にくすぐってやる。


「も、や……めっ! ギブ、————ぎぶぅ!!」


 さすがに声が必死っぽくなってきたのでくすぐる手を止めた。

 ホールドを解除しつつ、くったりと力の抜けた彼女を抱きすくめる。

 荒く上下する背中。丸っこい頬が少しだけ膨らんでいるのが見えた。


「おはよう」


「おはようございます」


 いつもより低い声。


「怒った?」


「——もう、制服シワになっちゃうじゃないですか」


「ふふ。ちーちゃんは柔らかくていいなぁ。ずっとこうしてたい」


 それが一時の衝動にすぎないとしても。

 ブラウスに手をかけて一番下のボタンを外す。腕の中で身を固くする気配を感じたものの、抵抗はしないみたいだ。調子に乗って、さらにボタンを一つ一つゆっくりと外していく。


「せんぱい?」


 ほんの少しだけど声に動揺が滲んでいる。それはまるで生き物のように、むずむずと私の腹の底へと這い下りていく。

 滑らかな曲線を描くお腹を伝って、お臍の下に指を這わせる。くすぐったそうな身じろぎを腕に感じながら、薬指の先でプリーツスカートのウェストを爪弾く。


「——キスしよっか」


 抱きしめる腕に力をこめ、可愛らしいつむじが見える頭の上から目一杯優しく囁いてみる。

 果てさてどんな顔するか楽しみだな————、


「そんなこと言ってぇー。出たくないだけなの知ってますからね」


 ——って、あれあれ……?

 間髪入れずにそんな返答をして、猫みたいにするりと私の懐から抜け出てしまう。

 すっかり取り残された気分だ。私の浅い下心なんて見え見えなんだろうけれども、そう軽くあしらわれると少しへこむ。


「ざんねん。せっかく目が覚めると思ったのになぁ」


「朝ご飯が冷めちゃいますから、早く行きますよ」


「はぁい……」


 諦めて、しかし可能な限りのろのろと布団から這い出る。

 ベッドから足を下ろし重い瞼を引き上げると、後輩の顔がすぐ近くにあった。普段よりちょっぴり強ばっているように見えるポーカーフェイス気味の笑顔。


 ふわりと唇が押し付けられる。


「————はい。これでいいですか?」


「うん」


 まさか向こうから乗ってくるとは思わなかった。

 耳まで真っ赤にしちゃってまぁ……。


「ちょっと待って。ブラウス直してあげるから」


「いいです! それより早く着替えてきてくださいね!」


 後輩はそっぽを向いたままそう告げて部屋を駆け出していく。軽快な足音はあっという間に階下へと遠ざかっていった。

 部屋に元の静けさが戻る。すると、待っていたようにお腹の虫が鳴った。


「さて、着替えますか」


 いつの間にか胸の痛みも治まっていた。


 もうすぐ新しい夏がくる。


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