10年越しの片想い 彼の物語
『10年越しの片想い』の彼編です。
先にそちらをお読みいただいた方がお楽しみいただけるかと思います。
軽いファンタジーテイストの恋愛もので、時折少しだけ下品な表現が入ります。ご注意ください。
初めて彼女に出会ったのは、10年も前のこと。
俺はその時17歳で、彼女は24歳だった。
そんな俺ももう27歳になって、彼女は24歳。
え? 計算が合わないって?
そう、合わない。
別に彼女が歳を取らないわけじゃない。
再会してからの2年、彼女は確実に歳を取って、そして確実に、綺麗になった。
かなうわけないよな。
今の彼女に、当時の俺が。
今もよくわかってない。
でも彼女の実家は誰もが良く知るメーカーで医療機器なんかも作ってるから(っていうかまぁ、俺はその会社で営業をやってるんだが)、もしかすると……もしかすると、タイムマシンでも持ってるのかもしれないと、そう思っている。
そして実のところ、それがタイムマシンだろうが超常現象だろうが神様のプレゼントだろうが世紀末のイタズラだろうが、かまわない。
出会えただけで丸もうけだ。
17歳のバレンタインに恋をした。
ちょっといいなって思ってた部活のマネージャーがあっさり友達とくっついた日。
部活終わりに部室の中でキスとか、そういうベタなドキドキイベントはやめてほしいんだよなぁ、あいつら。
そう思いながらくさくさした気持ちで帰り道を歩いていた。
いつからだろうか。
ずっとコツンコツンという足音が聞こえていた。
何だろう、と不思議に思った。
ヒールの足音なのは確かだから女の人だろうけど。
戦利品ゼロのまま家に帰って妹に馬鹿にされるのがなんとなく癪で、何かうまい切り返し方はないものかと考えながら近所をウロウロした俺の後を、ずっとついて来る。
確実に、俺について来てる。
そう確信して振り返った。
一瞬、死んだかと思った。
驚いた顔をした死ぬほど綺麗な女の人が立っている。くそ寒いのにぺらっとしたコート着て、変な柄のマフラー巻いて、華奢なピンヒールで。足首が驚くほど細いのに、ほっぺただけなんかふっくらしてて。
俺の方が驚いたってのに、その女の人がびっくりした顔をしているのがおかしくて、ただ一言「誰?」と聞いた。
それから、公園のベンチで話した。
何でベンチに座ろうと思ったのか今となってはあまりよく覚えていないけど、女の人がキレイじゃなかったら、そして目にうっすらと涙が浮かんでいなかったらそんなことしなかったのは確かだ。
そしてベンチに座った直後、俺はその選択を心の中でほめたたえた。ナイス、俺。
何だこの良い匂いは。
隣に座っていると、身じろぎの度に漂ってくる甘い香り。
香水? こんなにほのかに?
何だこの声。
クラスの女子みたいにキャイキャイしてなくて、静かで落ち着いてるのに、どこか哀しげな。
これが大人の色気ってやつなのか。
何だこの唇。
悲しそうに婚約者のことをぽつりぽつりと話すその唇が、微かに震えている。ぽったりとしていて微かに色づいているけど、グロスぬったくったような光沢があるわけじゃなく、ザ口紅っていうどぎつい色がついてるわけでもない。
そして、時折下唇を軽く噛むように覗く小さな歯。
白い。
何だこの鼻
寒いのか先っちょがちょっとだけ赤くなっていて、時折寒さのせいか鼻を遠慮がちにしゅんとすすると、小鼻がぴくりと動く。小動物か。
何だこの涙。
零れないのだ。瞳にたまった涙が、零れそうで零れない。零れるか、というところで、零れない。
もどかしさに涙をぬぐいたい衝動に駆られ、それを何とか押しとどめる。
そして、何だこの目は。
まるで俺を大好きって感じの目で見てくる。婚約者に似ているらしいけど、潤んだ目でそんなに熱っぽく見つめられたら、17歳にはキツイ。
キツイ。
主に、下半身が。
そんなのっぴきならない事情に俺は思わず立ち上がり、そして「そろそろ帰るわぁ」的なことを言ったのだと思う。細かいことは覚えていないが。
別れ際に彼女がチョコレートをくれた。六角形の箱に入ったチョコレート。
期せずして妹に見せびらかすものを得た俺は、見るからに高級そうなそれを「ちょっとな、年上の女の人から」とだけ説明し、見せびらかすだけ見せびらかして全部自分で食べた。
うまかった、のだと思うけど、お子様な舌には正直、板チョコ3枚の方が嬉しかった。
俺の受難はそれからだった。
「あー、大人の女、いねぇかな」
ぼんやりと机に肘ついて、親友相手にぼやいてみせる。
親友は本気で驚いていた。
そりゃあそうだ、昨日まで一緒に同級生の女子かわいい番付作ったりしてたのに、突然この変わりよう。
「お前、あいつのことマジだったんだろ。すまん」
「え?」
「だから、俺の、彼女」
そう言った親友の顔が緩みきっていて、思わず鼻をフンと鳴らしてしまった。
そうだった、こいつ昨日チューしてたもんな。部室で。彼女、ね。ハイハイ。
自分の彼女に失恋したせいで俺がおかしくなったとでも思ったのか。おめでたい奴め。
「ちがうよ。昨日一目ぼれした」
一目ぼれ? いや、まぁ、一目ぼれでいいのか。振り返った瞬間に女神かと思ったくらいだし。でもあの色気……くそっ思い出したらヤバい。
「ヤバいわ、大人の女」
それから俺は8年もの間、7歳年上のその女の人を捜し続けた。
近くはないと言ってたから、また会える可能性なんてほとんどないとわかってはいた。あの人には婚約者がいるって言ってたし。でも、ほんの少しでも可能性がある内は諦めちゃダメなんだって、漫画の主人公が言ってた。
手がかりは、あの変な柄のマフラー。高級そうだったから、もしかしたら有名なブランドなんじゃないかと思って色々調べまくった。そうこうする内に、気づいたらブランドに詳しい男になっていた。
それから、再会した場合に彼女が言ってた「かっこよくて優しくて仕事ができる婚約者」とやらに負けないために、勉強も頑張った。
顔はね、婚約者に似てるらしいからね、もうOKっしょ。
学校の成績はうなぎのぼりだった。
男なんて、こんなもん。単純だと笑うがいいさ。
もちろん、捜し続けてる間彼女がいなかったわけではない。
それは色々ムリ。主に下半身とか、それに下半身とか、あとは下半身とかが。
全然見つからないまま25になって、ああもう無理かもって思った。
彼女は今頃32歳。
結婚だって、もうしてるだろう。
俺もこのまま誰かほかの人と結婚するんだろうか。
そんなことを思いながら、起き抜けに、ずっと部屋に飾ってあったチョコの空き箱を手に取って、弄んでいた。
このチョコ高級そうだよなぁ。
どこのチョコだろ。
そんな疑問がふと湧いた。
だが次の瞬間、脳みそが沸いた。
製造年月日、未来なんですけど?
賞味期限も、未来なんですけど?
慌ててスマホで調べたら、そのチョコは2年前に表参道にできた新進気鋭のショコラティエの店だった。10年前にあるわけねぇ。その頃はこのショコラティエ、修行中のペーペーだ。
悪いとは思ったが、一度も開かないまま捨てることもできずに箱の中にしまってあったカードを開く。宛名に俺の名前。差出人は篠原百合。
バカ、俺。このカードみればあの女の人の名前わかったのに。
8年も何やってたんだ。
いや、待て、俺。そこじゃない。そこじゃないぞ、なぜ、俺の名。
頭が爆発しそうだった。
煮えたぎる頭とまさに爆発した髪の毛を携えて出社したら、新入社員があいさつ回りに来た。
「し、篠原百合です。よ、よろしくお願いします」
小さな声に顔を上げて、今度こそ魂を全部持って行かれた。
色気、減ってる。
いや、ちがうのか?
これから、増えるのか?
それからは、必死だった。
まず、手に入れないことには。
ずっとずっと会いたかったんだ。
10年前に出会ったときよりも幾分幼い(という意味不明な状況の)彼女は男慣れしていない様子が危なっかしくて危なっかしくて。周りによる男をすべて威嚇し、蹴落としまくってやっと手に入れた。
彼女といると優しくなれた。
彼女も幸せそうだった。
付き合いだしてから、彼女はどんどん綺麗になった。俺の好みもさりげなく取り入れてくれているのがわかる。俺の好みドストライクは、10年前の彼女だ。
穏やかな関係が続いた。
自然な流れで婚約した。
親友に婚約を報告したら、驚かれた。
「10年越しの片想いはどうした」
俺は勝ち誇った笑みを浮かべて見せた。叶ったんだよ、馬鹿野郎。
彼女も婚約して幸せそうだ。
本当に良かった。
婚約。
婚約?
ちょっと待て。
ちょっと待てよ。
俺が10年前に出会った24歳の彼女は、確か婚約者に大切にされていないことを悩んでいたはずだ。
それって俺か。
なぜだ。
俺は大切にしているつもりだったけど、足りないか。
大変残念なことに、当時彼女の唇やら鼻やら瞳やら涙やらの考察に忙しく、また脳みそに向かうべき血液の大半を下半身に集中させていた俺は、彼女の話の大半を覚えていなかった。
思い出せ。
あの時、なぜ彼女は悩んでいた。
おぼろげな記憶の中で蘇って来たのは、彼女の親父さんのことだ。金目当て的なことを言ってた気がする。
だから必死で親父さんのことは関係ないと言った。
結婚は、君が好きだからしたいのだと。
それを言い募るほどに胡散臭くなるのだということに気づきつつも、言わずにはいられなかった。
そのせいか、彼女が少しずつ元気を失っていくのがわかった。
マリッジブルーというやつがあると聞く。
それだろうか。
突然彼女が婚約を解消しようなどと言って来たら、俺はどうしたらいい。10年の想いをどこへ放り投げればいいのだ。彼女に直接確かめるのはものすごく怖い。
「あの、バレンタインだけど……忙しい、かな?」
もう婚約者だというのに、付き合い始めた頃から決して崩れない遠慮がちな態度。
かかってきた電話に、俺は「忙しくない! 会う!」と答えようとして、はたと考え込んだ。
彼女が24歳で迎えるバレンタイン。その日は確か、17歳の俺と彼女が出会う日。
出会った日。
出会う日。
出会った日。
ややこしいな。
もしその日に今の俺と彼女がデートをしたら、彼女はもしかして17歳の俺に会えないんじゃないか。
そうしたら、俺はどうなるんだ。
過去の俺は。
今の俺は。
どうなってるんだ。
ややこしいな。
とりあえず、その日に彼女に会うのはやめておかないと、過去と未来がこじれるとえらいことになる気がする。
「いや、その日は忙しいから」
内心の混乱を押し殺しながらどうにかこうにか告げた。
そして、今日。
10年前に彼女からもらった箱を片手に自分の部屋のベッドに寝転がる。
今頃彼女は俺に会っているのだろうか。
10年前の俺に。
なんだ、この感覚は。
俺なのに無性に腹が立つ。
どうしよう、10年前の俺、彼女に何を言ったんだ。
「そんな婚約者やめて俺にしろよ」とか言ってたらどうする。いや、そんなことを言えるほど生意気なガキではなかったはずだ、俺。
思い出せ。
あの日、彼女は何て言った。
俺は何て言った。
ダメだ。
思い出せない。
思い出せないって言うか、たぶん全然聞いてなかった。記憶の引き出し自体がそもそも空っぽだ。
何かに追い立てられるように彼女の家に向かった。
寒空の下彼女の帰りを待つ。
どこから帰って来るんだ。
タイムマシンが降って来たら痛いかもしれない。
いや、タイムマシンといえば机の引き出しか。彼女の家の中で待つか。いや、でも、合鍵をもらっているとはいえ無断で入るのは良くない。
コツン。
ヒールの音がした。
10年前と同じ。
俺は顔を上げた。
「百合」
顔を上げた百合を見て、死んだと思った。
まただ。俺は何度だって、百合に惚れるんだ。
「え、どうして……」
百合は10年前と同じ目で俺を見る。
ああ、この目は、俺のことを好きなんだ。10年前と変わらず、今も。
どこから話そうか。
戸惑うばかりの百合を、腕におさめて。
彼の好みに合わせて2年間で少しずつ変わった百合ちゃん。
そんなだから、お化粧も服装も、香りも、そのすべてが10年前の彼の好みドストライクだったんですねぇ、というお話。
こちらも勢いで書いたお話ですが、お楽しみいただけましたら幸いです。