第4テスト 転職
街道からほんの少し外れた所で、バウハウンの群れがプレイヤーを襲っているのが見えた。戦闘と言うには、一方的に攻撃を食らっているように見える。ウィリアムもレベルが上がってきたとは言え、バウハウンの群れを殲滅するには決定打に欠けていた。とは言え、回復魔法を掛けるくらいは出来る――と、ウィリアムは戦闘している場所へと駆けだしていった。
湖に、白い神殿が映り込む。ショーレスボウアスにある神殿――テンプレディージーだ。遠くからでは解らないが、近づいてみれば、柱には蔦が絡まり、足下はこけが生えている。回復魔法を使用する神職――パースタへの転職が行える場所だ。
そんな神殿に武久――ウィリアムは、なんとか辿り着くことが出来た。テンプレディージーの北に広がる森で、そこのエリアボス――カピティールブージムに襲撃され、命からがら逃げだし、やっとの思いで到達したのだった。パーティーを組んでいた訳では無いので、散り散りになった転職トレインの一行がどうなったのかは解らない。少なくとも、この神殿に到達するまでの道中で再会を果たすことは出来ていなかった。全滅はしていないとは思うのだが、犠牲が皆無とは思えず――どうか無事でいてくれと祈るばかりだった。
左手に湖の煌めきを、右手に森の静けさを配した神殿を奥へと進む。基本的に転職にしか用の無い施設であるため、すれ違うプレイヤーは少ない。転職をするために来た者、パーティーを組んでやってきた剣士、他の職への転職条件を満たすためのアイテムを入手しに来た者――そう言ったプレイヤー達だ。
最奥の祭壇に5メートルはあろうかという女神像。その前に立つ祭司長のNPC。そして、その前で祈りを捧げ、光のエフェクトに包まれるプレイヤー。また1人、神職のパースタが誕生したことになる。
ウィリアムもNPCへと話しかける。
「神の声を聞くための修行は、遠く厳しい。とは言え、そなたは既にその道を進む覚悟がおありのようだ。パースタへの転職をお望みか?」
「はい」
祭司長が両手を広げ、天を仰ぐ。
「よろしい。それでは祈りを捧げなさい。神がその声を聞き入れてくれたその時、貴方も我が同胞となるだろう」
ウィリアムは言われるがままに、祈りの姿勢を取る。足下に円形の光が広がり、そこからじわじわと光の粒が周囲を上る。その光がウィリアムの身体を包み込んだ一瞬の後、光がパッと周囲へと散った。
「貴方は、今からパースタとして高見へと至る道を進み始めた。貴方に神の祝福があらんことを。パースタの説明はご入り用かな?」
「いいえ」
チュートリアルの要不要を問われたので、簡潔に不要と応える。転職さえしてしまえば、もうここに用は無かった。祭司長の前から移動しつつ、左腕のパネルを操作し、ここまで溜めに溜めたスキルポイントをパースタのスキルへと割り振る。回復魔法にいくつか割り振っていく。枝葉開放条件を満たしたが、分岐したスキルには見向きもせず、更にエアフールへと割り振る。更に上位開放条件を満たし、上位回復魔法を取得する。リックノアフールへポイントを割り振ったところで、ポイントの貯金が尽きた。
「ま、こんなとこだろうな。リックが取得出来たし、マシな方だろう」
回復魔法を会得したことで、精神的な余裕が出来る。まだまだレベルが低いため、連発は出来ないが、それでも保険があるというのは大きかった。
転職さえ果たしてしまえば、この湖畔の神殿――テンプレディージーに用は無い。あくまでも神殿であり、街では無い。そのため、人通りも少なく、拠点とする理由は全くと言って良いほど無かった。首都であるシュタハイトクーニカイトに戻りたい所ではあったが、北の森でカピティールブージムに襲われたことが忘れられない。既に時間が経過していることから、ボスエリアに封じ込められているとは言え、再度、自由に闊歩しているとも限らない。さすがに2度も襲われるのは遠慮願いたい。そんな思いから、遠回りにはなるが、西へと大回りをするコースで帰ることにした。もっとも、それだけ敵との遭遇率が増え、戦闘になる危険が増えることになるのだが――
西へ大回りするコースは、西にある砦――デーベスディレストンへの街道を通るコースとなる。神殿の近くの森を抜けると、ひたすら荒野が続く。岩場あり砂漠ありと変化に富んだ地形ではあるのだが、休憩出来るポイントが少ないのが欠点だった。バウハウンと呼ばれる野犬であったり、上位の狼であったりと、強敵では無いが倒すのが遅くなるとリンクして――仲間を呼んで面倒な事この上ない。ウィリアムは、回復魔法の練習と経験値稼ぎをしつつ、道程を進むことにした。
街道からほんの少し外れた所で、バウハウンの群れがプレイヤーを襲っているのが見えた。戦闘と言うには、一方的に攻撃を食らっているように見える。ウィリアムもレベルが上がってきたとは言え、バウハウンの群れを殲滅するには決定打に欠けていた。とは言え、回復魔法を掛けるくらいは出来る――と、ウィリアムは戦闘している場所へと駆けだしていった。
「アークにぃ、アークにぃ!」
女性――と言うより、女の子と言った方が良い外見のプレイヤーが、地面に倒れているプレイヤーに覆い被さるようにして叫んでいる。そんな女の子に対して、バウハウンが情け容赦なく噛みつき、引っ掻き――攻撃を加えていた。
攻撃されるがままになっている少女――海原綾は、泣きじゃくるしか出来なかった。兄と父親の3人一緒に、このクローズドβテストに参加していたのだが、父親と同じ街に出ることが出来ず、兄と2人でデーベスディレストンの付近を彷徨っていた。少なくともデーベスディレストンでは、父親らしきプレイヤーを見かけることが無く、父親と合流するためには他の街へと出向く必要があったのだ。そのため、兄と2人でレベル上げをしつつ、首都シュタハイトクーニカイトを目指していた。道中、バウハウンを見つけ、戦闘を開始したが、じわじわと増える敵に不安を覚え、逃げることにしたのだが回り込まれてしまった。兄が、彼女を護るために盾となり、そして命を落としてしまった。横たわり、彼女の問いかけに応えることの無い兄を前にして、彼女は、ただただ泣きじゃくりながらも呼び続けることしか出来なかった。
HPも残り僅かという彼女の身体に淡い光がまとわりつく。その光と共に、彼女のHPが回復した。何事かと顔を上げたその時、再度、光がまとわりつき、HPが全快する。自分が回復魔法を掛けて貰ったのだと理解した直後、相手――ウィリアムがダッシュで駆け寄り、バウハウンの1匹に殴りつけるような攻撃を加えた。身体をくの字に曲げながら、バウハウンがノックバックする。
ウィリアムは焦っていた。焦ると言うよりも混乱していた。パーティーを組んでいないため、少女のHPがどの程度残っているのかが解らない。経験則の目分量で回復を行ったが、万全である自信が無かった。ひとまず、すぐに死ぬ心配は無くなっただろう。次に死体の男――こちらも見た目少年と言った風体だった――をどうするのか悩んでいた。ウィリアムの手元には、蘇生する手段がある。――15万もする貴重なアイテムだが。見ず知らずの人間に15万をポンと与えるのか――ケチくさい話だが、そういうことを悩んでいた。死んでから何分経ったのかは解らないが、ほんの数分で、彼は消えるだろう。それを見捨てるのか――短い時間ではあるが、延々悩みながらバウハウンを攻撃していた。
少年は、叫んでいた。色を失い、モノクロームとなった世界で必死に叫んでいた。いつまで経っても少女――妹が逃げ出さないことに対し、逃げろと叫び続けていた。その声が聞こえているのか聞こえていないのか――聞こえていないのだろう。一向に逃げ出す気配は見受けられず、バウハウンから攻撃を受けるがままに自分の身にすがりつく妹を何とかして逃がしたかった。
剣士に転職し、攻撃スキルも取得し、そこいらの敵には負けることはない――と、調子に乗っていた。バウハウン程度、楽勝のハズだった。気がつけば、バウハウンの群れに取り囲まれ、妹が攻撃を食らうようになっていた。必死になって、妹を攻撃するバウハウンを攻撃し、こちらへと意識を向けさせるが、ダメだった。両手から水がこぼれ落ちるかのように――全ては決壊し、回復薬が間に合わなくなり――そして、色を失った。モノクロームの世界――死を待つしか無い。自分の力不足を呪った。
ウィリアムは、回復職だ。いくら回復魔法があり、HPの心配が少ないとは言え、バウハウンの群れは手に余る。彼は、少年を蘇生することにした。これは自分の命を守るための投資なのだ。決して15万を捨てる訳じゃ無い。そう言い聞かせて、左腕のパネルを操作し、身代わり人形を少年へと放り投げる。赤い光を放ち、一瞬、その身を大きくしたかと思うと、パーンと人形がはじけ、赤い粒が少年へと降り注ぐ。赤い粒が少年の身体に触れる毎に、赤い光を放ちながら身体へと吸い込まれていった。
少年の身体がぴくりと震えたかと思うと、ゆっくりと動き出した。子鹿が生まれて初めて立ち上がるかのように、プルプルと震えながら、腕で上半身を押し上げるようにして起き上がっていく。少年が顔を上げ、ウィリアムの方を見ながら口を開く――
「お、お前――」
「おい、剣士だよな」
「え、ああ、――そうだけど」
「援護するから、こいつらを蹴散らせ」
驚いた顔からにやりと言った表現が相応しい顔に変わる。
「任せとけ」
泣きじゃくっていた少女も、起き上がった少年が元気そうなのを見て、止まっていた時間が動き出したかのように喜んでいる。
「アークにぃ、アークにぃ」
先ほどまでの涙と違い、嬉しい気持ちが目からしずくとなってあふれ出していた。少年は、剣を真上に構え、スキル名を叫ぶ。
「ハウンカーツン!」
剣を振り上げ、上段から叩き下ろす剣士の基本的な戦闘用スキルだ。
「ハウンカーツン!」
2度、3度とバウハウンへとスキルを叩き込んでいく。群れの攻撃が少年へと集中し、噛みつき、引っ掻き、体当たりと攻撃が繰り返されるが、ひるむこと無くなぎ倒していった。時折、ウィリアムから回復魔法が飛び、少年の身体を光が包み込む。HPの心配をしなくてよいからか、先ほどまでの悔しさをバネにしたからか――1匹、1匹と徐々にバウハウンが倒されていった。
「これで――最後だーッ!」
下段というより、大きく下から振り抜くようにして剣をバウハウンの腹へと叩き込む。その勢いに吹き飛ばされ岩に叩きつけられる。その攻撃がとどめとなり、最後のバウハウンが光となってはじけ消えた。
「はぁはぁ――」
システムとしてスタミナ切れはあるが、息が上がるような仕組みは存在しない。単に少年が精神的に追い詰められ、息切れをしているだけではあったが――息を整えつつあった。
「アークにぃ!」
少女が少年の後ろから飛びつくようにして抱きつく。少年が慌てふためきながら振り返った。
「な、名前で呼ぶな」
「だって、だって――アークにぃ、死んじゃうし」
怒られた少女が泣き始める。少年としても泣かせるつもりは無かったため、慌ててなだめ始める。ウィリアムは、そんな2人をほっと息を吐き出しながら見ていた。その様子に気がついた少年が、ウィリアムの方を向き、声を掛ける。
「その――いくらだ」
「は?」
「生き返らせるのって、タダじゃ無いんだろ?」
「まぁ、そうだな」
「いくらだ」
ウィリアムは、少年の顔を見つめる。キャラクターとしてデフォルメされているので、実年齢は解らない。声もいじろうと思えばいじれるため、声から推測した年齢があっているかも解らない。解らないが、ウィリアムには、かなり若い――下手をすれば子供なんじゃないかと思えた。
「15万だな」
「15万!?――15万タリクか!」
「いや、円だな」
「え?」
少年どころか、少女までが驚愕という言葉を顔に貼り付けて、こちらを見上げてくる。ゲームであるがゆえ、顔色までは解らないが、言葉を失っているところから察するに青ざめていることだろう。ウィリアムは、ため息を1つ吐くと、少年少女に提案する。
「まずは、ここから動かないか。今はいいが、また群れに囲まれるのはごめんだ」
「そ、そうだな」
移動しようかと周囲を見回していると、少女がウィリアムを見上げてくる。
「ん、どうした」
「えっと――お兄さん、ありがとう」
「ああ、まぁ、なんだ。死ななくて良かったな」
そう言いながら、少女の頭を撫でた。一瞬、びっくりしたような表情を浮かべていたが、すぐに笑顔になる。
「ありがとう。私、アヤ。海原綾」
「おい」
名乗りを上げた少女、それを聞いて慌てて止める少年。
「アークにぃも」
「だから、本名で呼ぶな」
「え、――あっ」
少年に言われ、慌てて口に手を当てる少女。ばつの悪そうな顔をしながら、ウィリアムを見上げてくる。
「えっと、――私、フィーネ」
「うん。フィーネ。よろしく」
そう言ってフィリアムは手を出し、少女――フィーネと握手をした。少年は、少しぶすっとした顔をしながら口を開く。
「オレは正宗だ」
それを聞いてウィリアムは、驚いていた。正宗がキャラクターネームってことで、アークが本名ってことになる。正宗――本名を海原或駆と言い、世間一般で言うところのエンジェルネーム――昔で言うところのDQNネーム、キラキラネームというヤツであった。或駆自身、自分の名前を嫌っており、ゲーム内ではせめて普通の名前を――と、正宗と名付けた。妹の綾は、兄をアークにぃと昔から呼んでおり、ことある毎に注意されていた。
「ウィリアムだ。取り敢えず、パーティーを組まないか?」
「なんでさ」
「体力ゲージが見えた方が回復しやすいし、安心だろ」
「じゃぁ、まぁ、いいけど」
どこか不承不承と言った体で、正宗が了承すると、フィーネは嬉々として了承した。
「改めて――よろしくな」
「おう」
「はい」
一行は、ひとまず補給をするべく、西の砦――デーベスディレストンを目指すのだった。
Twitter @nekomihonpo
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