合体忍者 七
七
朝の通学路で出会った忍者たちに、「シャチハタでも何でもいいから、とにかく書類に判を押せ」と迫られてしまことになってしまった。
なんでこんなことになってしまったのか。
考えてみるけれどもわからない。なんでか。そりゃ僕が遅刻したらでしょう。僕が学校に遅刻しそうにさえならなければ、こんなことにはならなかったはずなのです。
もっと平和で、ありきたりな朝が僕の今日のエピソードになっていたはずなのです。
今日の僕のエピソードだってさ。
何を言っているんだか。一人称に、僕、だなんて使うからだ。そんな言葉を使うからおかしくなってしまう。我ながら気持ちの悪いセリフ回しだ。僕、だなんて人格は死んでしまえばいい。超巨大な焼肉の網の上で焼かれて死ね。
「ここが君の家か」赤忍者が言った。
当然、学校に行こうと思っていた金剛朗は、印鑑もシャチハタも持っていないのだった。指でこう、ぺったんとするのじゃまずいんですか、と思ったのだけれども、相手からそういう言葉がきけなかったので、こちらからたずねることは控えておいた。
何をされるかわからん。もはやこの人たちには何をされるのかわからんのである。だってあの尋常じゃないスピードをみたか。
あれは確実に人ではない。人ではないことだろう。
忍者なんだ。
この人たちはまかりなりにも忍者で、本物の忍者で、たとえば本気を出したら、俺みたいな中学生は一瞬のうちに葬られてしまうんだ。
で、結局おずおずと家の前まで連れてきてしまった。連れてこさされてしまった! 印鑑もシャチハタもないです、と言ったら、じゃあ君の家まで連れて行ってもらおうか、どうせそう遠くはないんだろう、ということになったのである。
今の僕の心境?
今の僕の心境ですか? もちろん怖いですよ。ほんのついさっきまで、この人たちのことをただのギャグのすべっているおかしな人たちだと思っていたんですがね、やっぱりあのスピードですね。あのスピードが僕の心に恐怖を植え付けたんですよ。
恐怖って奴を植え付けたんです。
書類に判を押すことは怖くないのかって? もちろん怖いですよ。そもそも書類ってどんな内容のものなんでしょうかね。まあ今の僕としては、それがどんなものであっても、判は押すつもりですけれどもね。だってここで下手に彼らに逆らったところで、やられてしまうのは僕なんですから。
僕の方なんですから。
忍者にかなうわけ何てありません。そういえば忍者って暗殺者、みたいな側面もあるんじゃないんですか? そういう側面もあるんじゃなかったでしたっけ?
だったらなおさらですよね。
なおさらたてつこうなんて考えのよぎるはずがないですよね。大人しく判を押してそれで何もなかったことにしてもらいますよ。
幸い彼らもそういうつもりみたいですし……
それでいいのか、それで悔しくないのかですって? あんたさっきから一体何なんですか。あんた僕の何打っていうんですか。心の声? 僕の心の実況を長年担当しているアナウンサー? しょうもな! お前みたいな微妙な存在が一番おもんないんじゃ。お前こそ巨大な焼肉の網の上で焼かれて死ね。
「印鑑とっておいで」
「はい」
金剛朗は、赤忍者の言うことを素直にきくことにした。判さえ押せばもうそれで見逃してくれるといっているのだ。本当にその条件に何を逆らうことがあるだろうか。
ここは絶対に素直に押すべきだ。
押して見逃してもらうんだ。さて、印鑑どこにあったかな? 確か母親が、いつも玄関の下駄箱の上に置いているはずだけれども(両親たちはもう仕事で家をあとにしていた。兄弟はいない。金剛朗は一人っ子)。
「ありました」
玄関で無事に印鑑を見つけて、それを赤忍者に見せる。赤忍者は、するすると金剛朗のあとをついてきていて、今二人は玄関でお互いに向き合って立っている。
「これが君の家の印鑑?」
「ええそうです」
「じゃあここに判子をもらえるかな」
「はい」
「その前にこの契約書の内容を確認してもらいたいんだけれども」
「結構ですよ」
「どうして?」
「どうせ押しますから」
「いかん!」赤忍者が急に声を大きくした。「そんなことじゃいかん! 契約書っていうのは大切なんだ。大切なものなんだ。それに目を通さずに判を押すなんて、そんなことしちゃいかんのだぞ。契約書一枚で狂ってしまう人生だってこの世にはあるんだ。君はまだ子供だから知らないかもしれないけれども、知らないからこそちゃんと形に添ってやっておかなければならないことだってあるんだ」
すごい剣幕だな……
金剛朗は赤忍者の言うことに無言でうなずいて、それから小一時間ほどみっちりと書類の内容についての説明を彼から受けることになった。
小一時間。
遅刻するかしないかなんてもう遠いかなたの問題だった。遠いかなたの問題になってしまった。それどころか、問題は今日無事に出席できるのかどうか、ということである。
説明の最中に、居間の方の電話がなっていたような気がするけれども、あれは学校の先生からだっただろうか、それとも先生から連絡を受けた母親からだっただろうか。赤忍者は、説明の最中だから集中して、と電話に出ることを許してくれなかった。
「以上で説明を終わります」
「はい」
「同意してくれるかな?」
「します」
「ではここに判子を」
そう言って赤忍者が書類を差し出してくる。あまり印鑑って押したことがないけれども、結構うまく押せたのではないのかなと思う。同じものにもう一度印鑑を押すと、これは君の控えの分だから、といって、コピーした書類を一部ゆずってくれた。
「では我々はこれで帰るから」
「はい、すみませんでした」
「いやいや、悪いのはこっちだよ。ご足労かけたね。学校に行く途中だったんだろ?」
「はい」
しかし本当に何だったんだろう。彼らは一体何者だったんだ。本当に忍者だったのか。忍者じゃなかったのか。そして彼らはなぜ合体と称して、あんなところであんな時間に組体操っぽいことをやっていたんだろう。
書類の内容をいくら説明されても、とにかく今日見たことに関しては他言無用、言ったらどうなるか知らんぞ、ということしか書かれていなかった。
なぜ他言するのがダメで、なぜ彼らが今日のような活動をしていたのかよくわからなかった。
すべてはまだ謎のままだけれども、とにかくこれで終わる。これでいいのか。知らんけれども、俺はまたここから学校を目指さなければならないことだろう。休むわけにはいかないのだ。しかしちょっと休憩しよう。何が何やらわけのわからないまま疲れた。金剛朗は、ちょっと一息つくために、彼らが帰ったら家のキッチンへ向かおうと思った。キッチンの冷蔵庫の中にあるお茶でも飲もうと思ったのである。牛乳でもいいな。
「そうだよね。だって君どこからどうみても中学生だもんな」赤忍者が言う。
「まあそうですね」
「申し訳ない。よかったら送って行ってやろうか?」
「学校まで?」
「そうだよ」
「いえいいんです。一日くらい大丈夫です」
「でも俺たちが合体巨大忍者ロボになって、それで君がその上に乗って移動したら相当早いよ?」
いや知らん。
合体巨大忍者ロボになったら移動速度が速くなるとか、その上に人が乗れるとかそういう話しらん。もうこれで何もかもいったん終わったんだから、もう巻き込まんといて欲しい。
もう巻き込まんといて。
赤忍者たちの申し出を断ると、彼らは、それじゃあ、と言ってさわやかに帰って行った。