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4 母はいきなり一万円札を取り出した。

 あくる朝の食事の席でのこと。母はいきなり一万円札を一枚取り出して、ツキヒトの前に置いた。

 「わるいけど今日はツキヒト君とカグヤちゃん二人で過ごしてちょうだいね。あたしは仕事だし、正も学校に行かないといけないし。で、これは軍資金」

 当然ツキヒトはそれを返そうとした。

 「いえ、泊めていただいたうえにお金までもらうわけにはいきません」

 そうだそうだ、とぼくも心の中で言った。そんな財源があるなら、息子の小遣いをベースアップしやがれ。だが母は引き下がらない。

 「ほんとうならあたしか正が地球案内をしてあげなきゃいけないところなんだから、この一万円はいわばあたしたちの代理よ。これでどこでも好きなところに行ってらっしゃい」

 「母さん、ちょっと待った」

 ぼくは重大なことに気がついて、あわてて口をはさんだ。

 「ツキヒトさんはともかく、カグヤさんが外出するのはまずい」

 「どうして?」

 心底ふしぎそうな顔で聞き返してくる母。

 「どうしてもなにも、ほら、こんな姿で外を出歩いたら騒ぎになるだろ」

 「こんな姿って、首だけしかないってこと? だいじょうぶよ、カグヤちゃんはかわいいから」

 「いや、そういう問題じゃない」

 「じゃあなに、あんたカグヤちゃんはうちに滞在してるあいだずっと外に出ないで閉じこもってろって言うの? ひどい子だね。そんなふうに育てたおぼえはありません」

 うちの母はどうしてこんなにも話が通じないのであろうか。困り果てていると、母は追い討ちをかけてきた。

 「そんなに言うのなら、カグヤちゃんが人目に触れないですむような方法をあんたが責任もって考えればいいでしょ。さ、あたしはもう行くね。あんたも遅刻するんじゃないよ」

 母はそう言い残すと、ばたばたと席を立って出かける支度をはじめた。やむをえない。ぼくは学校に行くまでの短い時間でなんとか善後策をさぐることにした。

 「カグヤさん、申し訳ないんですが、かばんかナップザックの中にでも入ってもらうわけにはいきませんか」

 「ええ、いいですよ」

 「いや、だめです」

 カグヤは了承してくれたのに、ツキヒトが異議をとなえた。

 「せっかくの地球見物なのに、そんなところに入っていては景色が見られません。そんなんじゃつまらないじゃないですか」

 意外にも筋のとおった意見だった。ぼくは鼻白む。

 「しかし、カグヤさんがまわりの景色を見ることができるっていうのは、まわりからカグヤさんを見ることもできるってことですからねえ」

 「マジックミラーっていうものもありますよ」

 ツキヒトが当座の問題に関係のないことを言った。が、おかげでぼくはひとつアイデアを思いつき、とある品物を取りにガレージに走った。居間に駆け戻ってテーブルの上にそれをどかりと置くと、宇宙人の兄妹は興味ぶかげにのぞきこんだ。

 「どうですか、これ。これに入ってもらえば、カグヤさんは外の景色を見られるし、外からは内側の様子はほぼ見えないし、ツキヒトさんが持ち歩いてもそんなに不自然じゃないと思います」

 「これ、正さんのですか?」

 「いえ、うちの親父のです。勝手に借りちゃってもだいじょうぶですよ。あの人はそういうことを気にしませんから」

 「これなら良さそう。ね、かぶってみていいですか?」

 テーブルの上でカグヤがはしゃいだ声をあげた。ぼくがうなずくと、ツキヒトはそれを取り上げてカグヤにすっぽりとかぶせた。カグヤの姿は完全に見えなくなった。さもあろう、それはバイク用のフルフェイスヘルメットである。バイザーが鏡面加工されているため、外からヘルメットの中を見ることはできない。まさかこれを見て中に生首が入っていると思う人はいないだろう。

 「これで地球観光にいけるね、兄さん」

 「そうだな。正さん、ありがとうございます」

 喜ぶ二人をあとに、ぼくは学校へむかうべく家を飛び出した。


 昼休みになると、ぼくはツキヒトに電話をかけた。ツキヒトとカグヤを二人だけで外出させるのにはやはり不安があったので、様子を聞いて多少なりとも安心したかったのである。ちなみにツキヒトの携帯電話が地球の電話とも通話できることは昨日のうちにたしかめてあった。電話に出たツキヒトは機嫌のよい声だった。

 「どうしました、正さん」

 「いえ、べつに用事はないんですが、お二人のほうはどんな様子かと思いまして」

 「おかげさまで楽しんでますよ。いま遊園地に来てるんです」

 「遊園地? なんでまた、わざわざ地球に来てまでそんなところに」

 「僕たちのあいだでは、遊園地は地球観光の定番です。なにしろジェットコースターも絶叫マシンも月のやつの六倍のスピードが出るんですからね。スリル満点です。最高です」

 それはそうかもしれない。地球は月にくらべて重力が六倍だから、物が落ちる速さも六倍だ。とはいえ、この二人はきのう成層圏のはるか上からロープなしのバンジージャンプをやらかしている。それにくらべたら遊園地の乗り物など子供だましではあるまいか。

 「あ、妹も話したいそうです。ちょっとお待ちください」

 「正さん、お電話代わりました。ヘルメットを貸してくださってありがとうございます。おかげさまで、すごく楽しんでます。わたしはお化け屋敷がとても気に入りました。すごく迫力があって、何か出るたびにキャーキャー悲鳴をあげちゃいましたよ」

 ぼくは、ツキヒトのかかえたヘルメットがキャーキャー悲鳴をあげるところを想像してみた。お化け屋敷など問題にならない怖さだ。当のカグヤはけろっとした口調でつづける。

 「これからお昼ごはんなんです。遊園地の中の食堂で食べることにしました」

 「いや、ちょっと待って。それって大丈夫なんですか。その、カグヤさんは……」

 「正さんのうちでごはんを食べるときと同じように、兄さんに食べさせてもらうから大丈夫です」

 それははたから見れば、ヘルメットに飯を食わせているように見えるのではないだろうか。いささか問題のある光景のような気がしないでもないが、まあいいだろう。なんだかもう、つべこべ言うのがめんどうになってきた。

 「じゃあ、あまりお二人の邪魔をしても悪いんで、そろそろ切りますね。うちに帰ってきたらまたゆっくり話を聞かせてください」

 「ええ。それでは」

 どうやら午後も授業に集中できそうになかった。


 長い長い授業が終わり、ぼくは急いで家に帰った。家の前に着くと、おりしも一台の乗用車が停まってツキヒトが降りてくるところだった。

 「ツキヒトさん!」

 声をかけたあとで、ぼくは人違いをしたかと思った。というのも、ツキヒトは朝とはまるで服装が変わっていたのだ。ジーンズとポロシャツではなく落ち着いたグレーのスーツ、白のワイシャツに派手すぎず地味でもない趣味のよいネクタイをして、足元もぴかぴかした革靴。上から下まで一分の隙もない。見おぼえがあるところは顔だけだ。もしかしたら他人の空似かもしれないと思ったが、相手は駆け寄ってくるぼくに目をとめると、親しげに「やあ」と手を上げた。

 「どうしたんですツキヒトさん、そのかっこう。まさか買ったんですか」

 「ああ、これはですね、荷物の中に入ってたんです」

 「えっ? 荷物? 事故でなくしたんじゃなかったんですか?」

 「あ、いえ、そうじゃなくて、こっちにいる、ええと、友人に、その、あずけてあったんです」

 「そうですか。あれ、カグヤさんは一緒じゃないんですか?」

 そう、ツキヒトはカグヤを連れていなかった。ヘルメットもなければ、ほかにカグヤを持ち運べそうな入れものもない。

 「ああ、それはですね。ええと、あいつは買い物がしたいって言って、別行動してます」

 「えっ? まさか、カグヤさん一人でですか?」

 「えー、あー、いえ、さっき言った友人と一緒です」

 「そうですか。まあ、うちに入りましょう。地球観光の話も聞かせてください」

 そんな話をしながらぼくは玄関の戸をあけて、大声で呼ばわった。

 「ただいまー」

 母は夕方まで仕事だし、父も夜にならないと出張から帰ってこない。ツキヒトはいまぼくと一緒にいて、カグヤは別行動で出かけている。となると家にはだれもいない。したがってぼくが帰宅のあいさつをしたのは返事を期待してのことではなく、単なる習慣である。ところが。

 「おかえりなさい」

 どういうわけか家の中から返事があった。男と女の声である。はっきり言うと、ツキヒトとカグヤの声に聞こえた。首をかしげる間もなく、居間からポロシャツとジーンズのツキヒトが姿を現した。

 「えっ?」

 ぼくはあわてて振り返った。スーツ姿のツキヒトが、見るからに邪悪な笑みを浮かべながら玄関に入ってくるところだった。

 「やあ、わが親愛なる兄弟。事故に遭ったそうで、たいへんだったね。見舞いにきたよ」

 「きさま……!」

 家にいたほうのツキヒトがこれまでぼくの見たことのないけわしい表情でもう一人をにらみ、ついでその顔をぼくにも向けてきた。

 「正さん、これはどういうことです。どうしてこいつを連れてきたんですか」

 「おっと、この人を責めてはいけないよ。ちょうど家の前でいっしょになったものだから、ちょっと君になりすましてからかっただけなんだ」

 別人だったのだ。それにしてもそっくりである。双子かもしれない。ぼくが立ち尽くしていると、にせツキヒトが振り向いて親しげに話しかけてきた。

 「そうだ、遅くなりましたが自己紹介しておきましょう。僕は、あなたがツキヒトと呼んでいるその男の兄弟で、月政府の地球駐在所に勤めています。仮にツクヨミと名乗ることにします。以後よろしく」


 とりあえず居間に通してお茶を出した。招かれざる客ツクヨミは遠慮なくごくごく麦茶を飲み、ツキヒトとその膝の上のカグヤは険悪な表情でそれを見ている。どうも兄弟仲はあまりよくないらしい。

 口火を切ったのはツキヒトだった。

 「おまえ、いったい何しに来た」

 「これはごあいさつだな。見舞いに来たと言っただろう。保険会社にいる知人から、君が事故に遭ったと聞いたものでね。ついでに帰りの足も手配してあげたから、そのことも知らせておこうと」

 「いらん。帰れ」

 ツキヒトはけんもほろろである。だがツクヨミはそれをにこやかに無視して、今度はカグヤに話しかけた。

 「ところで、君はずいぶんな大けがをしたようだね」

 「かすり傷です。ご心配なく」

 「いや、かすり傷とはとても言えない」

 この意見には、ぼくは思わず声を大にして賛成しそうになった。ツクヨミはさらにつづける。

 「公僕としては、これほどの大けがを負った納税者を放置することはできない。僕は君にただちに月に戻ったうえしかるべき医療機関で適切な治療を受けるよう勧告する。もしどうしてもいやだというなら強制措置をとることになるから、そのつもりで」

 「ふざけるな! 公務員横暴!」

 「そうだよ! もっともらしいこと言って、わたしと兄さんのハネムーンの邪魔をしようっていうのが本心なんでしょう。最低!」

 「それがどうかしたか?」

 ツキヒトとカグヤが大声を出したが、ツクヨミは平然としている。

 「帰りの便はもう手配した。今晩八時にこの近くの市民公園とやらに来る手はずになっているから、遅れないように。では山田さん、おじゃましました。お茶をごちそうさま」

 ツクヨミが席を立ったので、ぼくはいちおう見送りに出た。玄関を出たツクヨミは停めてあった乗用車に乗り込み、そしてぼくの肝をつぶすできごとが起こった。その乗用車、いきなり飛び上がって空を走っていったのである。まるで空中に目に見えない道路があるといわんばかりの光景だった。乗用車が雲の向こうに消えてしまうまで眺めてから、ぼくはわれに返ってあたふたと家のなかに駆けもどった。

 「ちょっと、聞いてください。ツクヨミさんの自動車が空を飛んで行っちゃいました」

 「ああ、それはUFOですよ」

 こともなげに答えるツキヒト。

 「UFOですって? どこから見ても自動車でしたが」

 「そうです。自動車の形をしているほうが目立ちませんから」

 「ええっ? 自動車が空を飛んでたらめちゃくちゃ目立つじゃないですか」

 「いえ、自動車が空を飛んでいるのを見た人は自分の目か頭がおかしくなったのだと思って黙っていてくれますから、結果としては目立たないことになります。そのためにわざわざ自動車の形になっているのです。アダムスキー型ではこうはいきません」

 罪つくりな話だった。ぼくは全世界の空飛ぶ自動車目撃者のかたがたに同情した。

 「それはそれとしてあいつの話だけど、兄さん、どうする?」

 「どうもこうもない。あいつの言うとおりにするしかないだろう。冷静に考えるとそんなに悪い話でもないさ。ハネムーンを中断させられるのは業腹だけど、ともかく帰りの足は確保できたわけだしな」

 「それはそうだけど」

 そこでぼくは野次馬根性を発揮して、さきほどから気になっていたことを聞いてみた。

 「あの、ハネムーンの邪魔をするとかさっきから言ってますけど、ひょっとしてツクヨミさんって……?」

 「お察しのとおりです」

 苦々しげな表情で答えるツキヒト。ぼくはまじまじとカグヤを見た。こちらも憮然としている。

 「ふうん、カグヤさんもモテてたいへんですねえ」

 「は? なんの話です?」

 「なんのって、とぼけちゃって。ツクヨミさんはカグヤさんに横恋慕して、お二人の邪魔をしようとしてるんでしょう?」

 「正さん、なんか勘ちがいしてません? あの男はわたしじゃなくて兄さんに横恋慕してるんです。まったく、おぞましい」

 「へ、へえー」

 意表をつく真相だった。なるほどこれはおぞましい。

 「あれ、でも、月では兄弟でも結婚できるってきのう聞きましたが。それに、男どうしであっても、どっちかが女になれば問題ないのでは?」

 疑問を呈すると、ツキヒトがむっつりした顔で答えた。

 「ふつうの兄弟なら問題ありませんが、あいつは僕の、その、なんと言いますか」

 「なんなんです」

 「じつはですね、まだ知り合って間もない正さんにこんなことを白状するのは恥ずかしいのですが、あいつと僕はもともとは一人の人間でして。ところが、若かったころに分裂生殖して二人に分かれたのです。若気のいたりでした。おはずかしい」

 ぼくはもう言葉もない。

 「もともと同一人物なのに結婚するなんて、生物学的に無意味ですよね。有性生殖っていうのは互いの遺伝子を交換して新しい組み合わせを作るためにやるものなんですし。それに、自分自身とムニャムニャするなんて、何よりもまず気持ち悪いじゃないですか」

 じゃないですかと言われても、その気持ちが理解できる地球人はいないと思う。

 「それで、お二人はどうするんです。今夜八時にツクヨミさんの言ってた場所に行って、月に帰っちゃうんですか」

 「そうせざるをえないでしょう。あいつは自分で言ってたとおりれっきとした公務員で、十分な理由があれば僕らを月に強制送還することができます。妹のこのけがは、まあ、十分な理由と言えば言えますから」

 ツキヒトとカグヤはそろって深々とためいきをついた。


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