2 わが家はお化け屋敷になってしまった。
とりあえず、宇宙人を居間に通してお茶を出した。生首は、テーブルの上にクッションを置いてその上に安置した。おかげでどこにでもある平凡な民家がたちまちお化け屋敷になってしまった。その生首だが、コップに入った麦茶をストローでおいしそうに飲んでいる。あの麦茶はいったいどこへ行くのだろう。首の切り口からクッションへと流れ出ている様子もないし、謎である。
「えーと、自己紹介が遅くなりましたが、ぼくは山田正といいます。地球生まれの地球育ちで、十六歳です。どうかよろしく」
ぼくが地球人代表としてはずかしくない挨拶をすると、宇宙人二人は顔を見合わせた。男がやや口ごもりながら言う。
「これはどうも、こちらが先に名乗るべきところを、申し訳ありません。ですがちょっと……、困ったな」
「どうかされましたか」
「僕らの言葉は地球の人には発音できないらしいんです。ちょっとやってみましょうか。こんな感じです」
そして男は耳慣れない雑音を発した。カリカリと言おうか、ザリザリと言おうか。強いてたとえれば、軽石をヤスリにかけたような音である。とうてい人間ののどから出たものとは思えない。男はすまし顔で日本語に戻した。
「いまのが僕の名前ですが、発音できますか」
「無理です」
どうしてもと言うなら、軽石とヤスリを持ってこなくてはなるまい。
「だけど困りましたね。そうするとお二人を何て呼んだらいいか」
「そうですよね。名前が呼べないとやっぱり不便ですよね」
そこで生首がなにか思いついたらしくにっこりと笑った。ぼくは生首が笑うととてもこわいということを知った。
「わたしたち、地球にいるあいだは仮に地球風の名前を名乗ることにしましょう。わたしのことはカグヤと呼んでください」
「お、そう来たか。じゃあ僕もなにか月にちなんだ名前を……。ええと、なにかないかな」
考え込んでいるので、ぼくは助け舟を出した。
「月野うさぎなんてどうです」
「かんべんしてください」
さんざん悩んだすえに、生首改めカグヤがツキヒトオトコと名乗ってはどうかと提案した。ぼくはきょとんとしたが、男は納得したようすでうなずいている。
「そうか、そういうのもあったな。でもちょっと長すぎないか」
「じゃあ縮めて、ツキヒトにしたら?」
「よし、それでいこう。山田さん、僕のことはツキヒトと呼んでください」
「正と呼んでくださってけっこうですよ。ところでツキヒトっていうのは何か由来があるんですか?」
二人は意外そうな顔をして、口々に答えた。
「知らないんですか。けっこう有名ですよ。月のことを擬人化して月人男って言うんです。万葉集に出てくるんですよ」
「『秋風の清き夕べに天の川舟こぎわたる月人男』とかね」
ぼくはただただ相槌をうつばかりだった。まさか宇宙人から日本の古典文学を教わることになろうとは。
まがりなりにも自己紹介がすむと、ツキヒトはおもむろに携帯電話を取り出して、あちこちに電話をかけた。相手も月の人であるらしく、通話はくだんのザリザリいう音を用いて行われた。カグヤが教えてくれたところによると、最初の通話は保険会社への事故の連絡、その次は月にいる友人に金を送ってくれるよう頼み、それから地球と月の間にUFOの定期便を運航している会社に月行きの座席の予約のためにかけたらしい。通話を終えるとツキヒトは疲れた様子で首を振った。
「一週間先まで予約がいっぱいだそうです。それまでずっとこちらにご厄介になるわけにはいきません。明日にでも金が届くはずですので、そうしたらどこか宿を見つけます。それで、申し訳ありませんが今夜一晩だけ泊めていただけませんでしょうか」
その話はとっくに片がついていると思っていたので、ぼくは当惑した。どうもこのツキヒトという男、だいぶ難儀な性格らしい。
「いまから宿をさがすのもめんどうでしょう。かまいませんから、一晩といわず一週間うちに泊まってお行きなさい」
「そうだよ兄さん。親切に甘えさせてもらえばいいじゃない」
「いや、でも、正さんはよくてもご家族は何と言うか。宇宙人を家に泊めるなんてとんでもないって言ったりしませんか。日本では外国人に家を貸すのを嫌がる家主も多いそうです。まして宇宙人ですよ」
そんな話をしているところへ、当のご家族が帰ってきた。いきなり玄関のドアがひらいて、家じゅうにひびきわたる大声で、
「息子よ、母上さまのお帰りだぞう」
ぼくは頭をかかえた。この人は酔っぱらっているわけではなく、いつもこうなのである。
「あ、お出迎えをしなきゃ」
カグヤが言いかけたが、そのときにはもうわが母は居間に顔をのぞかせていた。
「おや、お客さん? あらま、かわいらしいお嬢さんだこと。なかなかやるじゃない、正」
どこからツッコんだらいいのだろうか。カグヤはかわいらしいと言われて照れている。こっちにもツッコみたい。とりあえずツッコミはすべて先送りして、ぼくは母に事情を説明した。聞き終わると母は大きな笑顔を浮かべた。
「わかったわ。そういうことなら何日でもうちに泊まってってちょうだい。遠慮無用!」
それからぼくにむかって余計なことを言う。
「あんた、カグヤちゃんがかわいいからって変なことをするんじゃないよ」
生首に何をするというのだ。
「さて、それじゃ晩ごはんは腕によりをかけるわね。そうそう、お二人はアレルギーとか好き嫌いはある?」
「いえ、ありません。動物、植物、鉱物、なんでも食べます」
「あら、立派ねえ。うちの正なんかいい歳して偏食がはげしくて」
母はさらっと会話をつづけているが、ぼくは聞き流せなかった。
「鉱物も食べるんですか?」
ツキヒトはこともなげに答えた。
「食べます。土でも石でも金属でも、なんでもいけます。鉱物が大好物、なんちゃって」
ぼくは断然聞き流した。カグヤがさらに言う。
「瀬戸物やガラスやプラスチックなんかも食べられますけど、ひとさまのうちの食器をかってに食べちゃったりはしませんから、どうかご安心ください」
「すごいわ。まさに鉄の胃袋ね。料理のしがいがあるわ」
はたして料理をする意味があるのだろうかとぼくは疑問に思ったが、賢明にも口には出さなかった。
カグヤは料理を手伝うと言い出して、すぐに撤回した。理由は言うまでもない。
ぼくも料理を手伝うと言ったのだが、血相を変えた母に追い払われた。ツキヒトとカグヤを毒殺する気かというのである。ぼくの料理は毒か。失敬な。
そんなわけで、母の料理を手伝っているのはツキヒトだけである。台所から漏れ聞こえてくる話し声からすると、けっこう料理上手であるようだ。
のけもののカグヤとぼくは、居間でおしゃべりをしながら料理ができるのを待っていた。
「つかぬことをうかがいますけど、ご家族はほかにもいらっしゃるんですか」
「父がいますが、ちょうど仕事で出張してまして、明日の夜までは帰れないそうです。もしこっちにいれば、さぞかしお二人を歓迎したでしょうけど。なにしろあの人はSFファンですから、月からお客さんが来るなんて大よろこびですよ」
「そんな大したものじゃありませんよ。月から来たって言っても、地球の生きものとあまり違わないでしょう?」
カグヤはにこやかにそんなことを言うが、いかんせん当人が生首なので説得力にとぼしい。
「それにしても、ぼくは月に生物がいるなんて今回初めて知りました。いままでたくさんの探査機が月に行ってますけど、そんなものを発見したって話はついぞ聞いたことがありません」
「それはですね、最初のころは月にまだ生物がいなかったからですし、最近では地球の人たちは月には生物がいないものだって思い込んでしまっていて、探査機が月から地球に生物を持ち帰っても気がつかないからなんです。思い込みってこわいですね」
「ほんとですね」
なにげなく相槌を打ってから、ぼくは疑問に思って問い返した。
「いや、ちょっと待ってください。いまのお話だと、月にはほんの何十年か前には生物がいなかったってことになるんですけど」
「そうですよ。最初のころ地球から月に来た探査機に微生物がくっついていたんです。それが月に居着いて進化したのがわたしたち現在の月の生物なんです」
「ええっ? 月の生物は月で生まれたんじゃなくて、地球原産なんですか?」
「そうです。なにを驚いてるんですか、正さん。あんな空気も水もない場所で生命が生まれるわけないじゃないですか」
生首からこんな常識を聞かされてももうひとつ腑に落ちない。
「あの、そうすると微生物がたった何十年かでカグヤさんやツキヒトさんみたいな知的生物にまで進化したことになるんですが」
「ええ」
「いくらなんでも進化のスピードが速すぎませんか。地球では最初の微生物が誕生してから三十億年もかかってここまで進化したというのに、地球よりももっと環境の厳しい月で、こんなに速く進化が進むなんて」
「おっしゃるとおり、月の環境はたいへん厳しいものです。ですが、だからこそ何億年もかけて悠長に進化している余裕はなかったのです。すばやく、果敢に、最大限の進化を。これがわたしたち月に生きる者のモットーです」
その結果この連中は首だけになっても生きていられたり、しかもなくなった胴体がまた生えてきたり、生身で大気圏突入ができたり、岩石でも金属でも食べることができたりといった存在になってしまったらしい。少々進化しすぎじゃないかと思う。
和気藹々と話をしているうちに夕飯ができあがった。カレーライスと漬物とサラダ、それにカブと油揚げの味噌汁である。わが家ではカレーのときにも味噌汁がつくのが通例だ。ただ、ぼくはカブが苦手なのでそれはちょっと困った。ついでに言うとカレーには当然ニンジンが入っており、それもちょっと困った。
なお、サラダはツキヒトの作品である。そう聞いてぼくは反射的に身構えたが、おそるおそる食べてみれば何の変哲もないレタスとトマトのサラダだった。
宇宙人二人はさきに宣言したとおり好き嫌いなくカブもニンジンももりもり食べている。ツキヒトは箸の使いかたが上手だった。初めて使ったそうだが、こんなもの簡単だと言う。カグヤは箸の使いかたが上手かどうかわからない。例によってテーブルの上のクッションに鎮坐しており、ツキヒトがかいがいしく食べさせてやっている。
「兄さん、次はお味噌汁ちょうだい」
「ちょっと待ってくれ、妹よ。僕はいま自分のぶんのお代わりをもらいに行こうとしていたところなんだ」
「わたしにお味噌汁を飲ませてからにして。ほら、早く」
「わかったよ。ほら、どうぞ」
「ちょっと、兄さん。もっとそっとお椀をかたむけてよ。少しこぼれちゃったじゃない」
「悪かった、妹よ。つぎから気をつける」
すっかり妹の尻に敷かれているツキヒトだった。
いっぽう、ぼくもいつものように母からくどくど言われていた。
「正、ちゃんとニンジンも食べなさい」
「うぐ」
「ツキヒト君とカグヤちゃんをごらん。二人とも好き嫌いなく食べてるじゃないの。月の人が地球の食べものをおいしそうに食べてて、地球人のあんたが残したら格好がつかないわよ」
むちゃくちゃな理屈だが、好き嫌いがあるのは事実なのでぼくは抗弁できない。ニンジンとカブが対消滅でもしてくれないものかとなすすべもなく妄想していると、ツキヒトがはげましてくれた。
「だいじょうぶですよ、正さん。僕も子供のころはニンジンが苦手でしたが、妹にむりやり食べさせられてるうちに食べられるようになりました。正さんもきっと食べられるようになりますよ」
「そうですか」
うなずいてから、ぼくは待てよと思った。
「月にもニンジンがあるんですか」
「まあ、地球のニンジンによく似た別の食べものですけどね。味も歯ざわりもそっくりですよ」
「へえ。平行進化ってやつですかねえ」
ぼくは感心した。ツキヒトは付け加える。
「あ、でも、地球のニンジンは自分で歩き回ったりしないんですよね。そこが違うかな」
どこが平行進化か。ぼくの感心を返せ。