美しい世界(上)
縦書きの方が読みやすいです。
1
私、三島ハンナは、その頃彷徨っていた。
フラフラと
ブラブラと
行くあても無く。
いや、
行くあてなら、ある。
行き着いた先が、行くあてだ。
たどり着いた先が、目的地。
何の目的も無い目的地。
そこに着いたら、私は何をするのだろう?
そこに着いたとしたら、私は一体どうなっているのだろう?
そこに着くことが出来るのだとしたら、私は何がしたいのだろう?
分からないから―――彷徨う。
分からないから―――迷う。
分からないから―――惑う。
時々、思うことがある。
生きる事に飽きてしまったら、どうしよう?
これ以上、生きていても同じ。死んでいるのと同じ。
もし、そうなったら私は、潔くこの世にさよならできるのだろうか?
そんなことをふと考える。
私はそんな普通の女の子。
だから、
だけれど、
私はそうならないように、ひたすら上を目指した。
山も登り続けている間は、つまらなくなるはずが無い。
つまらなくなるのは、頂上に着いた後だ。
上り続けていれば、きっとこんな事を考える事もなくなるだろう。
きっと素晴らしい日々が訪れるはず。
きっと、美しい世界へ・・・。
それなのに、実際の私はいつまで経っても、汚い体を引きずっている。
上っていたなら、私も綺麗になれると思っていたのに。
やっぱり、私は汚れた心を必死に抱えている。
そんなもの、捨てちゃえば良かったのに。
それで私は、彷徨っている。
だから私は、迷っている。
けれど私は、惑っている。
所詮、私は、
汚辱に塗れ、
欺瞞が渦巻き
腐敗が蔓延し
歪な太陽が輝く
そんな狂った世界の住人。
そんな腐った世界の住人。
――――――あんたもだよ。
2
「ハンナちゃんちょっといいかな?」
雑誌の撮影を終えた私に、マネージャーが話しかけてきた。
私は自分の可能性を試す為に、積極的に人前に出て目立つようにしていた。その結果、今の私は小さいながらも芸能事務所に所属する、いわゆるアイドルの卵という地位を築いていた。まあ、まだ地位って程じゃないし、それだけなら同じクラスの武者小路イヅミだってモデルとしてやっているぐらいだから、何も偉そうな事は言えないのだけれど・・・。
「何?仕事の話?」
「まあ・・・仕事といえば言えなくも無いんだけど・・・。」
歯切れの悪い言い方。
私には有り余る上昇志向がある。このまま、ここに居てはいけないという脅迫感。急がないと埋もれて消えてしまうという焦燥感。そういったものを原動力にして私はここまで来た。同じクラスのへらへらしているクラスメイト達とは違うのだ。そんな私だから、自分を高める為にはどんな事でもしようと心に決めている。周りの人間は、私にとって利用出来るか、出来ないか、それだけが重要で、それだけの価値しかなかった。このマネージャーも一緒。仕事を取ってこれなくなったなら、お払い箱だ。
まるで胃を悪くしているみたいに常に真っ青の顔色のマネージャーがさらに顔を青くして、もう、まるで死人のような顔で私にこう告げた。
「言いにくいんだけど・・・プロデューサーが・・・・き、君の事を気に入って・・・ぜ、是非うちで使いたい・・・って・・・」
「何よ!いい話じゃない!何でそれが言いにくいんだよ!」
「・・・いや・・・それが・・・」
「おえっ」と一回えずいてからマネージャーは続けた。
「それが・・・条件があって・・・これから言う所に・・・何も訊かずに行って欲しい、いんだよね・・・。」
私の目を一度も見ずにマネージャーは言い終わる。
「何?その条件?意味わかんな・・・い・・・。」
いや、わかった。
あ、なるほどね。『接待』ってやつね。
「いや・・・うちも、小さい事務所だから・・なんていうか、いい仕事っていうのはそんな簡単に取ってこれないんだよ・・・分かってくれるよね・・・?これは、チャンスなんだよ・・・。うちにとっても、君にとっても。」
「そんなことは・・・分かってるわよ!」
こんな時、あの正義の塊、正義の鬼、武者小路イヅミならどうするんだろう?きっと、このマネージャーをぶん殴って、そのプロデューサーの名前を訊いて、そのプロデューサーもぶん殴るんだろうな。あの子はそれで、胸を張って芸能界を辞めてしまうんだろう。でも言い換えれば、それがあの子の限界。私はこんなところで、立ち止まったりしない。
「・・・・で、どこに行けばいいんだよ?」
「行ってくれるかい!助かった!」
いやー良かった良かったと、マネージャーは私の手を取って喜んだ。
結局は、こいつも私を利用する事しか考えてないんだろう。お互い様だ。
私が手渡せれたメモには、大まかな地図と連絡先、あと部屋番号が書いてあり、私の勘は見事に的中というわけだ。学校帰りにそのまま仕事に来ていたので、私は制服を着替える為に一度家に帰る事にする。相手の趣味によってはそのままのほうが良かったかもしれないけれど、夜の街にこの制服のまま出て行くのは、さすがに勇気がいる。まあ、要望があるならそれもやぶさかではないけれど・・・。それでも、私なりのサービスのつもりでホットパンツにタンクトップという元気一杯なファッションに着替えて家を出ようとしたとき、両親に呼び止められた。
「ハンナ・・・あなた、そんな格好で・・・・。」
母が驚いた顔でそう言う。
よくもまあ、そんな台詞を・・・。
私の両親は、簡単に言うと新興宗教を信仰している。かく言う私も子供の頃はそこに通っていたのだけれど、物心がつくころに反発して行かなくなってしまった。親たちは何かと言えば、すぐにお祈りや儀式で問題を解決した気になっているのが、私にとって吐き気がするほど嫌だったのだ。この時も母親が、私に向かって祈りだしたので、私は何というかいたたまれない気持ちになってしまった。
「ちょっ・・・やめてよ・・・気持ち悪いから・・・。」
「あなた!気持ち悪いって、何を言っているの!ああ・・・この子は悪いものにとり入られているのね。今、お母さんが助けてあげるから、ちょっとこっちに来なさい。」
母は私の手を取って、祭壇がある部屋に連れ込もうとする。私はその手を振り払った。
「やめてって言ってるでしょ!離してよ!」
「何を言ってるの!こっちに来なさい!」
「そういうのが・・・・」
私は母を睨みつける。
「そういうのが嫌だって言ってるんじゃない!何でもかんでも神様に結び付けて、私の気持ちとか何も考えないで!お母さんたちは勝手にやってればいいでしょ!それを私にまで押し付けないでよ!そういうのって押しつぶされそうなんだよ!」
私は母を突き飛ばして、玄関を飛び出し、走り出した。後ろから待ちなさいって叫ぶ母の声が聞こえるけれど、私は振り向かなかった。
結局あの人たちにとって私の問題は、文字通り神様に棚上げして放っておくしかないのだろう。自分たちでは何もせず、ただお祈りをして待っているだけ。それも何だか胡散臭そうな神様にだ。子供としては、そんな事されたら、とてもじゃないが親に対してまともな気持ちで向き合えるはずが無い。私のことよりも教団の教理、教則、教祖を大事にされて、しかも自分にまでそれを押し付けてくる人たちと穏やかに接することは私には不可能だ。きっと私のことを考えての事って言うだろうけれど、そんな押し売りのような愛情なら、私は要らない。熨斗をつけて突き返してやる。
さて、
気を取り直して私は指定された住所を目指す。まあ、どうせビジネスホテルかなんかだろうと思っていたのだけれど、そっちの方がまだ良かった。私が地図を頼りにたどり着いた先は、明らかに建設途中のマンションの一室だった。
怪しい・・・。
怪しすぎる・・・・。
怪しすぎるけれど・・・。
その時、ふいに私の携帯電話に着信があった。どうやらメールみたい。待ち合わせている相手からかもと思い私はそのメールを開いてみる。そこには知らないアドレスが表示されていた。やっぱり、今日の相手からかと思って油断した私は本文を読んで、思わず携帯電話を落としそうになった。
『ソウマデシテウレタイノ?カワイイハンナハボクノモノ。』
「・・・・何これ・・・?」
吐き気がするほど気持ち悪い・・・・。どこかから見ているんだろうか?だとしたらかなり危険な奴かもしれない。しかも、自分で誘っといて何のつもりなんだろう?
「・・・やめよっかな・・・。」
怖気ずく私。
―――でも
ここまで来たんだから、今さら引き下がるわけには行かない。親はあてにならないし、私は自分で勝ちあがっていかなくてはいけないのだから。この薄汚れた世界から抜け出る為にも。この、目の前のまだビニールがかかっていて、塗装の匂いが残っているドアを開ければ、また一歩上にあがれるはず。私はまだ、前に進めるはず。そう信じて私はドアを開けて中に入っていった。
「・・・ごめんくださ~い・・・・。」
電気の配線もまだなのだろう、真っ暗な中、手探りで入っていく。少し開けて、眼が慣れてきて周りが少し見えてきた私が目にしたのは、
「・・・これって、ちょっとヤバめかも・・・?」
そこには、まだ壁紙も貼られていないコンクリートの壁に囲まれた部屋の中で、真ん中に敷かれた体操用のマット。それにロープ、手錠、猿轡、あと名前は分からないけどかなり卑猥なアイテムたちが整然と並べられている光景が広がっていた。しかもそれを記録する為のビデオカメラが、マットを囲むように何台も置いてあった。
「これは・・・さすがにヘビーだわ・・・。」
何を隠そう私は初めてなのだ。まあ、こんなもんかなとも思ってたし、初めてのほうが相手も喜ぶんじゃないかと思っていたんだけれど、さすがにこれはちょっと厳しい。ていうか、はっきり言って無理・・・。
その時、ふいにあいつの顔が心に浮かんだ。
最近はあまり会っていないけれど、昔は良く一緒に遊んだなぁ。そういえば、子供の時はあいつと結婚するつもりだったよな・・・。今の私じゃ・・・駄目だろうな・・・・。とてもあいつとじゃ釣り合わないよ・・・。そう思うと、何だか今、私がやろうとしている事がとても恥ずかしくて、小さくて、惨めなような気がしてきた。
「・・・やっぱり・・・」
帰ろう、そう言おうとした瞬間、口元を手で塞がれた。
「んんっ・・・んぐっっ!」
「駄目だよ、騒いじゃ。ほら、お仕事、欲しいんでしょ?それとも僕を喜ばそうとわざと嫌がっているふりをしているのかな?」
耳元でそう囁いて、男は私を羽交い絞めにした。
男の力に私がかなう筈もない。私はいとも簡単にマットへ押し倒されてしまった。暗くて顔は良く見えないが、この声には聞き覚えがある。
「あんた・・まさか・・・・。」
「君が悪いんだよ。僕の言う事、全然聞いてくれないから。ほら、こうなっても僕の名前も出てこないでしょ?」
車のヘッドライトが部屋に照りこんで来て顔が見えた。
やっぱりこいつ―――マネージャー!
「何で・・・何でこんなことすんのよ!こんなことして、ただで済むとでも思っているわけ?」
私は勇気を振り絞って、精一杯強がってみせる。
「お前が・・・お前が!お前が!僕を馬鹿にするから!だから、これからは僕の言う事をちゃんと聞くように、調教してやるんだよ!」
私は、少しずつ後ずさりして、距離を取る。
「そんなに怖がらなくても、痛いのは初めだけだよ。すぐ気持ちよくなるから、心配しないでいいからね。」
そう言うとマネージャーは私に背を向けて、ロープをほどいたり手錠や猿轡の強度を確かめたりしだした。この隙を見逃すほど私は迂闊ではない。私は手元に有った棒状のもの(多分、卑猥なアイテム)で思いっきりマネージャーの頭をぶん殴った。
「いってええええええええ!」
不意打ちだったし、マネージャーは頭を抱えて転げまわっている。
「私に何かしようだなんて、百万年早いんだよ!」
そう言うと、私はマネージャーの腹を蹴り飛ばして、部屋から逃げだした。後ろから、何かを叫ぶ声が聞こえるけれど、私は必死に逃げた。階段を一気に駆け下りて、夜の街をひたすら逃げた。
―――最悪だ。
走るのにも疲れた私は、ふらふらと人ごみの中を歩いている。
―――最低だ。
すれ違う人たちがみんな、私を見て笑っているように見える。
それはそうだ。
あんなに偉そうな事言っておいて、結局、心が揺らいでやめようとした事。
私が利用しているつもりだった人間が、実は私のことを利用さえもしていなかった事。
何が、自分の可能性を信じるだ。
何が、有り余る上昇志向だ。
何一つ、自分でつかめてない。
何一つ、自分の力じゃない。
まるで、お経やお題目みたいに自分に言い聞かして。
まるで、教理、教則みたいに自分を誤魔化して。
それで、幸せになったつもり?
これじゃあの両親と一緒だ。
最低。
最悪。
もう、涙も出ない。
それで私は
この自分の現実に惑い。
暗がりの道に迷い。
夜の街を彷徨う。
3
すれ違う人たちがみんな、自分よりも幸せに見える。
こんな最悪な世界で、何を陽気に浮かれているの?
私だけは違うと思っていたけれど、所詮、抜け出るなんて出来るはずなかったんだよね。
思い上がりも甚だしい。
私はそんなことを考えながら、夜の繁華街をあても無く彷徨っていた。
彷徨い。
さ迷って。
私はとある所にたどり着いた。ボロボロでフラフラでギッタギタな私は、自然と癒しを求めていたのだろう。私がたどり着いたのは、いつも嫌な事があったときに行く、そんな場所。お気に入りの場所。私の大切な場所。
そこは―――
街の中心から少しだけ離れた、雑居ビル。一階はトルコ料理屋が入っていて、二階からは怪しげな店や事務所が入っている。その屋上。そこが私の好きな場所、居場所なのだった。結構広い屋上で、昔は誰かが住んでいたのか(まさかね・・・。)ちょっとしたプレハブもある。私はここから街を見下ろすのが好きだった。柵が無いから、縁を歩いてスリルを楽しむのも好きだ。ここにいると自分を小さく感じないし、縁を歩いて恐怖を感じ生きてる実感を得たりしていた。
私が『私』を感じられる場所。
この時も私は屋上の縁をフラフラと行ったり来たり歩いていた。もちろん、足を滑らしたら十分に死ぬ高さだ。だけれど、このときの私にはもう恐怖はおろか、スリルさえ感じる事が出来なくなっていた。それだけ心をすり減らしてしまっていたのだろう。
「・・・このまま、落ちちゃおうかな・・・・。」
呟いてみる。
そのあまりの現実感の無さに、笑いがこみ上げてきた。
「フフ・・・アハハ・・・なんだこれ?・・・・馬鹿みたい・・・。」
縁に腰を下ろして、街を見下ろす。
「・・・ていうか、何言ってんだろ私・・・。」
目の前に広がるこの街。この世界。私一人が今、消えたとしても何も変わらないだろう。同じように日々は続く。私が終わったとしても。
ここで少し―――世界との共存、そんなことを考えてみる。
何だか、大それた事みたいだけど、みんな一度は考えた事があると思う。この世界は自分がいるべき場所じゃない。本当はもっと違う居場所があるはず。まあ、そういうこと。私は本当はこんな世界に生れ落ちたくなかった。この世界に生まれてしまった事、それこそが私の最大の失敗だ。そのことに気付くのに、十五年もかかってしまった。もう、手遅れ。タイムオーバー。この十五年で私は心を汚してしまい、周りに対して絶望し、未来に対して諦めを覚えてしまった。
―――それでも
それでも、何とかしようと足掻いてみた。それでも結果としては、さっきみたいな事になるだけ。
結局、私は世界に見事なまでに裏切られてしまった。
そうだ。
敵対しよう。
何で私が世界に対してここまで、卑屈にならなくちゃいけないの?
私が消える代わりに、こんな世界消えてしまえばいいのに・・・。
「じ、じじ、じゃあ、ぼぼ、僕が殺して、あ、あ、あげ、あげるよ。」
後ろから急に声がして、驚いて振り返るとそこには見たことの無い男が一人、立っていた。
「あ、あんた、誰?」
男はニヤつきながら近づいてくる。
「い、い、いつも、い、い、一緒に、にいるじゃ、な、ないか。ほ、ほら、さ、さ、さ、さ、さっきもめ、め、メール、メール送った、よ。」
「メール・・・?」
あっ・・・!
さっきの気持ち悪いメールって、こいつからだったんだ。そうだよね、マネージャーならアドレス知ってるし。
「ていうか、一体、何の用なのよ!殺すって、あんた、自分が言ってる意味分かってる?」
―――怖い!
「何考えてんだかわっかんないけど、あんたみたいのをストーカーって言うんじゃないの?まじ、キモいんだけど!」
―――誰か!
「ちょっ!こっち来ないでよ!何で、来んのよ!ちょっ、あっち行きなさいよ!何?何する気なの?」
―――助けて!
男は興奮したような顔で私に迫ってきた。
「し、死にたいんでしょ・・?ぼ、ぼ、僕が一緒にし、し、死んで、あげる、よ。」
男の両手が、私の肩に触れそうになる。
「あ、あんなの、嘘に決まってるでしょ!ちょっ、やめ・・・やめてよ。そんなこと・・・頼んでないでしょ・・やめてって・・・お願いだから・・・!私・・・まだ・・・死にたくない!」
屋上の縁を逃げながら私は必死の抵抗を続けた。しかし、その隙を突いて男は私の肩を力任せに押してきた。避けようとした私はバランスを崩してしまい、縁から足を踏みはずした。私はとっさに掴もうとして、男の腕に手を伸ばす。もう少しで届く―――その時、男は腕を引っ込めた。
腕を、引っ込めた!
「・・・・えっ?」
お前、一緒に死ぬんじゃなかったのかよ!
バランスを崩して落ちていく時に男の顔を見てみると、驚いた様に目を見開いて、でも口元はニヤけたままだった。こんな顔を最後に見て死ぬなんて、ほんとに最悪。死ぬ覚悟も、殺す覚悟も無かったのかよ!
あ~あ、こんな事なら、もっと色々欲しいものとか買っとけば良かった。あの白いワンピ、可愛かったなー。エスティローダーの新色のリップもケチらずに買っとけばよかった。夏に向けて、新しいサンダルも欲しかったし、海に行くなら水着もいるよね。まだまだ、欲しいものが一杯あるのに、何でこんな事になるのよ!でも・・・死ぬなら・・・もう、死んじゃうなら、買ってもしょうがないか・・・・。
『・・・死ぬのか・・・私・・・。』
そんなの・・・・
そんなの・・・・
そんなの・・・・
そんなの・・・・嫌!
嫌!嫌!嫌!嫌!嫌!
嫌よ!
「・・・私は・・・・死にたくない!」
―――その時
不思議な事が起こった。
不思議どころか、とても信じられない事が。
地面に向かって、落下を始めようとしていた私の体は、空中で逆さまのまま止まった。ピタッと。まるで、ビデオの一時停止みたいに。
「・・・・?・・・あれっ・・・・??」
これは一体なんだろう?
理解できない。
逆さまで浮いている私が今の状況を、自分で何とか納得できるように整理していたら、目の前に光の粒が集まりだした。その光はみるみる集まって、形作られていく。
「これ以上、変な事、起こらないでよ・・・。」
そんな私の願いも空しく、光が集まってそこに現れたのは、真っ白で頭に角のある馬だった。
「娘よ、我が見えるか?」
「はあ~私はどうやら頭がおかしくなってしまったのね・・・。困った・・・。いくらなんでもこれは無いわ・・・。」
「我は、均衡を保つ為、貴様の前に現れたのだ。」
「あ~あ。もう、何なの・・・。訳わかんないし。誰か説明してー。お願いしまーす。」
「貴様の願いの力を・・・貴様、我の話を聞いているか?」
「誰かー。教えてくださーい。何なんですかー?ああ!ドッキリか!ドッキリなのね!もうバレてますよ~。」
「おい。聞いていないだろう。おい、答えよ。おい、無視をするな。おい、こっちを見ろ。おい。」
「あああああああ!もう!おい、おい、うっるさいわね!さっきから見えてるし聞こえてるわよ!」
「そうか。それならば、なぜ我に答えぬ。」
「わざとよ!わ、ざ、と!無視してるの!こんなのありえないじゃない!夢でももっとマシだわよ!大体、何よあんた!馬なのにしゃべるんじゃないわよ!あと、何で宙に浮いてんのよ!私も!ていうか、もしかしてあんたが助けてくれたの!だったらありがとね!ああ!変な感謝の仕方になったじゃない!ていうか、突っ込みどころが多すぎて疲れるわ!」
一気にしゃべって息が切れた。ちょっと休憩。すると肩で息をする私に馬が話しかけてきた。
「馬ではない。我は均衡を守るもの、ユニコーン・・・・・。」
「・・・・・・・ってそれだけかい!」
休憩もさせてくれない・・・。
「・・・で?何の用なのよ?何か用があるならさっさと言いなさいよ。」
「我は、願いの力の均衡を保つために現れたのだ。」
そのあと、ユニコーンが私に話した内容は簡単には信じられるようなことではなかった。
「・・・・・なるほどね。じゃあ、私が死ぬか、私の力を使い切らないと世界がおかしくなると。」
「そういうことだ。娘よ、どうする?」
「まあ・・・・ぶっちゃけどっちでもいいってゆうか、好きにして。」
私が死んでも、世界が滅んでもどっちでもいい。
その私の言葉に、ユニコーンが笑った―――ように見えた。
「そういうと思って、すでに貴様の力を具現化しておる。」
「へえーそうなんだ。ああ、それでこうやって宙に浮いてるってことね。これが、私の力なんだ。」
当たり前だけどまったく現実感が無い。まあ、そうだよね。
「宙に浮くだけではないがな。背中の方を見てみろ。」
「何?何があるって・・・・?」
背中の方を振り返った私は、正直に驚いた。ただただ驚いた。
そこには―――
私の背中には、真っ白で大きく立派な翼が生えていた。
私は私の力で浮いていたのだった。
「おおっ!なんじゃこりゃ!」
「貴様の願いが具現化した姿だ。」
「そうなんだ。私って空を飛びたかったんだ・・・ってそんなこと考えた事もねぇよ!」
「貴様の根源の願いというのは、自分で知り自分で得るものだ。翼が生えたというのは、その一面でしかない。それを心得ることだ。」
そんな、謎の忠告を残してユニコーンはキラキラと空に解けていった。
「・・・・何のことやら。ところで、これってどうやって降りればいいんだろう?」
んんん~、と力を込めて下に降りようとしているのだけれど、全く動かない。手足をジタバタとさせているだけだった。一しきり暴れてみるけれど全く動かない。このまま逆さまでいつまでいればいいんだろう?大体、私の羽で浮かんでるはずなのに自由に動けないなんて、一体どういうこと?このことからなんて何も得るものが無いんだけれど・・・。
「はあ・・・最悪。こんな羽、無くなっちゃえばいいのに。」
私が、ため息混じりにそう言った瞬間、立派な翼がみるみるかわいい大きさに、まるでキューピーちゃんについている羽みたいになってしまった。羽が小さくなるということは・・・・そう!落ちます!
「!!!!!!!!!!!!!」
急に落ちるものだから、驚きすぎてエクスクラメーションマークしか出なかった。
どんどん地面が近づく。
もう一度飛ぼうとしても、もう遅かった。
私は地球の引力に引かれて落下するしかなかった。
ぐんぐん落ちて、見る間に近づく地面。
地面にぶつかる―――という瞬間。
その刹那。
目の前が眩しいぐらいに光った。
・・・様な気がしたのだった。
そして―――
「あいたっ!」
ゴンッという鈍い音と共に、私は頭をしたたかに打ち付けた。
「あ、痛ぁぁ~・・・・ってあれ?生きてる?」
私が目を開けると、目の前にはさっきまでとは全く違う景色が広がっていた。目の前に広がっていた、その景色は・・・。
「ここって・・・私の部屋・・・・?」
見覚えのある壁紙。
見覚えのある家具。
ビルから落ちたと思っていたのだけれど・・・そんな私が目を開けると、そこは真っ暗な私の部屋だった。
ますます、混乱する。
気が付くと頭の一部が痛い。手で触って確認すると、コブが出来ていた。床に倒れている、この体勢から察するに、どうやら私はベッドから落ちたようだ。という事は?
「もしかして・・・夢・・・?」
確かにそれなら説明がつく。あんな訳の分からないおかしな話があるわけが無い。そうか!私は夢を見ていたんだ!それで、落ちる時に夢が現実とシンクロしてしまったんだろうな。なんか、漫画みたい。
「なんだ・・・少しつまんない・・・・。」
私は、もう一度寝ることにした。疲れていたのか私はすぐに眠りにつくことが出来た。
静かな夜。
何も変わらない夜。
このときの私はこの静か過ぎる夜に、安らかに眠るだけで、自分の身に何が起きているか、全く気付いていなかった。
ただ、安らかに眠っていた。
ただ、ひたすらに安らかに・・・。
4
―――翌日。
静かな、静かな朝だった。
起きて、身支度をして、リビングに行くとテーブルの上にはバターもメイプルシロップも目一杯乗った、焼きたてのホットケーキが用意されていた。他の家のことはよく分からないけれど、我が家では、これは天変地異が起こったほどの異変だった。私の母は宗教上の理由か何か知らないけれど、質素な食事ばかりを出してくる。そのことにほとほと困って、もううんざりしていたのだけれど、これは一体どういうことなのだろう?いつもならご飯(玄米)とお漬物だけなのに、今日はフルーツまである。これは、狂気の沙汰だ。うちはまあ、なんていうか・・・平たく言うと貧乏なのだ。だから、普通の人ならこんなの大した事ないかもしれないけれど、私にとっては記念日にしたいぐらいだ。おおっ!コーヒーもある!
「・・・おかあさーん・・・・・。」
呼んでも返事は無い。いつもならこの時間は変なお経が聞こえてきている時間なのに、全く気配がない。出かけているんだろうか?なんだか、少し怪しい・・・・。いつもはこんな事ないのに・・・。
怪しい・・・。
怪しいけれど・・・・。
「・・・・いっただきまぁ~す・・・・。」
せっかく焼き立てなのだ。これを食べないなんて、そんなことは神様がお許しになっても、この私が許さない。
むしゃむしゃ
ぱくぱく
もぐもぐ
ごっくん
と、お腹もすいていたので、一気に平らげてしまった。
制服に着替えて、家を出る。
「・・・・いってきま~す・・・・。」
普段はこんな事絶対言わないのに、誰もいないと何となく言ってしまった。もちろん返事は無い。
学校に向かう途中の道でも、今日は誰にも会わなかった。何だか昨日の変な夢の続きを見てるみたい。それにしても、おかしな夢だった。一番おかしいのは、どこまでが現実で、どこからが夢なのか分からないところだ。考えても分からないから、昨日は深く考えないで寝てしまったけれど、よくよく考えると気味の悪い話だ。
―――何て考えている間に、学校に着いた。
・・・やっぱり、おかしい。学校にも人っ子一人見当たらない。というか、気配すらない。これは一体どういうことなのだろう?やっぱり夢の続きを見ているのだろうか?
教室のドアを開けると、私はやっと今日始めて人に会った。その子は私の席に座っているのだけれど、何と言うかその姿は見覚えが無いっていうか・・・・見覚えがあり過ぎるというか・・・・。よく分からないかもしれないがもう少し待ってほしい。もうすぐはっきりします。
ゆっくりと振り返ったその子の顔を見て、私はやっぱりまだ夢の中なのだと確信した。
「・・・来ると思っていたわよ。」
振り返ったその顔は―――私だった。
鏡や写真でしか見たことの無い私の顔だった。
こんな風に自分の顔を見るなんて、何だか新鮮な気持ちだった。
「・・・・で、あんた一体誰なのよ?」
「えっ?私?見たら分かるでしょ。私はあんたよ。この世界のあんた。まあ、ナビゲーター役ってやつ?そんな感じ。」
「そんな感じって、どんな感じよ。もう何が何だかよく分からないわ。こんな変な夢なら早く覚めてくれないかしら・・・。」
「へえ~夢だと思ってるんだ・・・。」
「えっ?どういう事?」
「まあ、いいじゃない、気にしないでよ。そんなことより、こんなところに居てもしょうがないから外に出ない?」
私と名乗るその子は、席を立って教室のドアの方にスタスタと歩き出した。
「ちょっと、馬鹿にすんじゃないわよ!ちゃんと答えなさいよ!」
「フフフ・・・。まあ、焦らないでよ。こっちよ。」
ウインク(!)してそう言うと、彼女は教室から出て行ってしまった。
「ちょっ・・・待ちなさいよ!」
教室から出ると、彼女はすでに階段の角を曲がっているところだった。私は彼女を走って追いかけた。しかし階段に着いたときには、彼女はすでに下の踊り場に居た。
「待ちなさいよ!・・・ったく、一体どんな速さで降りているのよ・・・。全然追いつかないじゃない・・・。」
私が息を整えている間にも、彼女は涼しい顔でまた階段を下りていくのだった。
「だから、待ちなさいって言ってるでしょ!」
階段を駆け下りて、廊下を駆け抜けて、私が彼女に追いついたのは学校の正門の前だった。
「はあ・・・はあ・・・で・・・あんたは一体何者で・・・ここは、一体どこなの・・・・?」
私の質問に、彼女は柔らかく微笑んで答えた。
「だから、私はあんたなんだって。まあ、ちゃんと説明すると、この世界はあんたの願いの力が具現化した世界だから、あんたの望んだもの、あんたが必要だと思ったものなら、具現化するのよ。私は、あんたがこの世界のナビゲーターとして具現化した存在ってことよ。それにしても、ナビゲーター役を自分にするなんて、あんたよっぽど自分が好きなのね。フフフ・・・だから、こんな世界になっちゃったんだろうね。」
「んん?何か良くわかんないわよ。もっと簡単に説明できないの?」
「あんた馬鹿ぁ?って私か。要は、この世界はあんたの好きにしていいって事よ。」
「おおっ!すっごいじゃん!私!それって私が新世界の神ってやつね!」
「死神のノートに名前を書かなくてもね。」
「何しよっかな~。何でも出来るって言われたら迷うわね。」
「自分で説明しといてナンだけど、この状況をそんなにすんなり受け入れるなんて、何と言うか、あんた大丈夫なの?」
「えっ?何でよ?前からこうなって欲しいって思ってたことが実現したんだから、ラッキーってなもんよ。」
「何と言うか・・・例えば誰も居ないのとか気にならないの?あと、元の世界に戻れるかとかさ・・・?」
「そうね・・・まあ、元々私以外の人間なんて、居てもいなくてもどっちでも良かったし、というか居ない方が良かったし、もとの世界なんて・・・あんな世界になんて帰りたくないし・・・。だから、それはどっちも気にならないわ。」
「あ・・・そう・・。」
彼女は何か含みがあるような物言いだった。
「何よ。何か文句ある?」
「別に~。いいんじゃな~いの~?」
「何よ!何かあるなら言いなさいよ!」
「ほらほら、そんな事言ってる間に、来ちゃったわよ。」
「来ちゃったって、何が・・・・?」
彼女の視線の先を見てみると、坂を自転車で必死に登ってくる人影が見えた。
「・・・・あれ?この世界って私一人しか居ないんじゃなかったの?ってあれ・・・・?」
そう言って、彼女の方を振り返ると、そこにはもうすでに彼女の姿は無かった。まるで最初から誰も居なかったように跡形も無く消えていた。
「何て無責任な・・・。」
我ながら呆れるほどの丸投げっぷりであった。いや・・・厳密に言うと私ではないのだけれど・・・。いや、やっぱり私か・・・?結局、なんだかよく分からないままだし、坂を登ってくるのも誰か分からないし。また、さらなる私の登場だったら、さすがにもう、ついていけないけれど・・・。
「―――おーい。」
聞こえてきた声は男の声だった。
「―――おーい。」
何となく聞き覚えがあるような・・・。
校門の前の坂道を、必死に自転車をこいで登ってきたのは、一人の少年だった。彼は私の前まで立ちこぎで登ってきて、自転車に跨ったまま話しかけてきた。
「いや~・・・ほんとに居るとは思わなかったよ。久しぶりじゃん、ハナ。元気してた?」
その少年は私の知った顔だったので、思わず固まってしまった。
「・・・もしかして・・・チアキ・・・・?」
「おいおい、僕の名前は寺山千秋だ。まあ、お前はずっとそう呼んでたから、今さらって感じだけどな。」
そういうと彼は笑った。
懐かしい笑顔だった。
そう、彼は寺山千秋。
私の幼馴染。




