4 アフター廃病院
月曜日の放課後。
オカルト研究会の部室には、長机いっぱいに資料が広がっていた。デジタルカメラで撮った写真のプリントアウト、ICレコーダーの録音データを書き起こしたメモ、アオイ手描きの見取り図に赤ペンで書き込まれた行動ルート。
これが、オカルト研究会のフィールドワーク後の恒例作業——調査報告書の作成である。
「ボタンちゃんは?」
吉水ユウカが部室に入るなり訊いた。ユウカは栗色のセミロングに、校則ぎりぎりの小さなピアスをつけた、いかにも今どきの女子高生だ。見た目だけなら、オカルト研究会より軽音部にいそうな雰囲気がある。
「今日はバイトだって。残念」
アオイがパソコンに向かいながら答えた。
「じゃあ今日は三人か。——はい、これ」
ユウカは紙袋からクッキーの箱を取り出し、机の上に置いた。
「駅前の新しいとこのやつ。美味しいって評判だったから」
「お、ありがとー!」
アオイが早速一枚手に取る。ユウカはもう一枚を取り出し、カブの方に差し出した。
「カブくんも。昨日大変だったでしょ」
「ああ、どうも」
カブは素っ気なく受け取って、かじった。バターの効いた、なかなかうまいクッキーだった。
「……うまいな、これ」
「でしょ?」
ユウカがほんの少し嬉しそうに笑った。そんなユウカとは対照的に、アオイはパソコンとにらめっこしていたが、パソコンから目を離してカブとユウカの方を向いた。
「さて」
アオイがパンパンと手を叩いた。
「報告書、作るよ。ユウカ、グループに送った昨日の概要読んだ?」
「読んだ読んだ。足音の話、すごいね。録音もちゃんと聞いたよ。正直ちょっと引いたけど」
「引くとこじゃないよ、感動するとこだよ」
「感動……?」
ユウカは苦笑した。アオイの感性にはもう慣れている——つもりだが、たまについていけなくなる。
「いいから、作業分担ね。私が本文を書く。カブは写真の選別とキャプションつけ。ユウカは録音データの書き起こしと時系列の整理。オッケー?」
「了解」
「はいはい」
三人はそれぞれの作業に取りかかった。
部室にキーボードを叩く音、写真をめくる音、イヤホンから漏れる微かな音が混ざり合う。窓から差し込む西日が、資料の山をオレンジ色に染めていた。
「カブくん」
ユウカが小声で言った。イヤホンの片方を外して、カブの隣に椅子を寄せている。
「この録音なんだけど、ボイラー室入ってすぐのところ、カブくんが何か言ってない? 小さくて聞き取れないんだけど」
「どれ」
カブはユウカが差し出したイヤホンの片方を耳に当てた。二人の頭が近づく。再生される音声には、自分たちの足音と、エコーのかかった呼吸音が入っている。
「……ああ、これ。たぶん『暗いな』って言った」
「暗いな、か。ありがと」
ユウカがメモ帳に書き込む。その手元を見ながら、カブはイヤホンを返した。
「ユウカの字ってきれいだな」
「え? ……ありがと」
ユウカは少し慌ててメモ帳を引き寄せた。別にたいした褒め言葉でもないのに、耳がほんのり赤くなっている。
「えーっと、『午後二時十五分、地下ボイラー室に到着。室温は体感で地上より五度以上低い。湿度が高く、壁面に結露が見られた』——カブ、ボイラー室の写真ある?」
「ある。全体と、ボイラー本体のアップと、配管のやつ」
「全部使うから頂戴。あと足元に工具が散らばってたのも撮った?」
「撮った」
「さすが。荷物持ち兼カメラマンの才能がある」
「褒めてないだろそれ」
ユウカがくすっと笑った。この二人のやり取りは見ていて飽きない。幼馴染というのは、こういう空気感を作るのだなと思う。
それでもユウカは、自分には入れない空気感だ——とは、思わないようにしている。
「ねえユウカ、録音データの例の部分、書き起こしどうなってる?」
「足音のとこでしょ? やってるけど、これ文字にするの難しいね。『ひた、ひた』って書けばいいの?」
「うーん、擬音だけだと伝わらないかも。状況の描写も入れて。『午後二時二十三分、三名とも静止した状態で、背後から素足で湿った床面を歩くような音を確認。断続的に聞こえ、次第に距離が近づいた印象』みたいな」
「アオイ、それ自分で書けばいいじゃん」
「私だけがやってたら皆が成長しないでしょ」
「……上司の視点だ」
ユウカは苦笑しながらメモを取った。アオイの頭の中にある報告書の完成形は、いつも妙に精度が高い。オカルトに関してだけは、この女は天才的に几帳面なのだ。
しばらく作業が続いた。
「——おいアオイ」
カブが、机の上に一枚の写真を置く。
「この写真さ」
「ん? どれ」
アオイが覗き込んだ。二階の廊下を撮った写真だった。病室のドアが並ぶ薄暗い廊下、突き当たりに閉じたドア。
「閉まってたドアのやつじゃん。それがどうかした?」
「小窓のところ、拡大してみて」
アオイがパソコンに写真データを取り込み、拡大した。曇りガラスの小窓。その向こうは暗い——はずだが。
「……何か映ってない?」
ユウカが画面を覗き込んだ。
そう。ユウカの言う通り、曇りガラスの向こうに、ぼんやりと白いものが映っていた。輪郭は不明瞭で、何かの形をしているようにも、ただの光の反射のようにも見える。
「これ」
アオイの目が、きらりと光った。
「これだよこれ。こういうのが欲しかったの」
「欲しかったって……」
「決定的じゃないけど、何かいるかもしれないってラインの写真。これが一番面白いんだよ。はっきり映ってたら逆に加工を疑われるし、何も映ってなかったらただの写真だし。この曖昧さが最高」
アオイは嬉々としてキーボードを叩き始めた。報告書に写真分析の項目を追加している。
カブは黙ってその様子を見ていた。
——あの曇りガラスの向こうで、白いものが動いたのを見たのは、撮影の後だった。写真に映ったそれと、自分が見たものが同じかどうかは分からない。
分からないが——カブは、それをアオイに言わなかった。言ったところで、喜ばせるだけだ。それに。
バックミラーで見たものを思い出す。白い。裸足。長い髪。
あれは、写真なんかよりずっとはっきりしていた。
「カブくん」
ユウカの声で我に返った。
「大丈夫? ぼーっとしてたけど」
「いや。なんでもない」
「……本当? 昨日何かあった?」
ユウカの目が、まっすぐカブを見ていた。心配そうな、探るような、そういう目だった。
何かあったかと聞かれれば、勿論あった。だが、それを言うと色々面倒なので、カブはそれについて言わなかった。
「大丈夫。かれこれ十七年間あいつの幼馴染やってるからな」
「……そっか。ならいいんだけど」
ユウカは微笑んで、作業に戻った。
「よし、大枠できた!」
一時間半後。アオイがぐっと伸びをした。
「『オカルト研究会 フィールドワーク報告書 第一号 鳴沢廃病院調査』。写真十二枚、録音データ二件、行動記録つき。我ながら力作だ!」
「お疲れ」
「お疲れー」
「ありがとカブ、ユウカ。次は、この報告書をもとに追加調査のプランを——」
「次?」
カブの声が低くなった。
「もう一回行くってことか?」
「当たり前じゃん。今回は昼間だったでしょ? 噂の本番は夜なんだよ。次は夜間調査——」
「却下」
「まだ企画書も出してないのに!」
「出す前に却下」
カブとアオイの攻防が始まった。いつもの光景だ。ユウカは紙コップのお茶を飲みながら、二人を眺めていた。
——こうやって見てるのが、一番好きかもしれない。と、ユウカは思った。
思っただけで、口には出さなかったけど。
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オカルト研究会の小噺
その日の夜。
アオイがオカルト研究会のグループチャットに、完成した報告書のPDFを投稿した。
アオイ:『完成! みんな読んでね!』
ボタン:『すごい! 先輩、本格的すぎます……!』
ボタン:『あと写真の小窓のやつ怖いです!!!!』
ユウカ:『お疲れ様〜 力作だね笑』
カブ:『お疲れ』
アオイ:『次回、夜間調査やります!!』
カブ:『やりません』
アオイ:『やります!!!!』
カブ:『やりません』
ユウカ:『笑笑笑』
ボタン:『私も行きたいです!!』
カブ:『……味方がいない』
ユウカ:『私はカブくん派かな笑』




