1 オカルト研究会へようこそ!
四月の放課後というのは、どこか浮ついた空気がある。
新しいクラス、新しい教室、新しい人間関係。そういうものに慣れきらないまま、チャイムだけが律儀に日常を区切っていく。
岡琉都高校——いかにもな名前だが——は、県内屈指の進学校だ。
そして、岡琉都高校の旧校舎三階の突き当たり。かつて視聴覚室だった部屋のドアに、手書きのプレートがぶら下がっている。
『オカルト研究会』
その室内で、天神根アオイは機嫌よく鼻歌を歌っていた。
「——ふふーん、ふふふーん」
長い黒髪を無造作にひとつに結び、制服の上からカーキ色のパーカーを羽織った少女。普段目つきは悪いが、今は上機嫌なので三割増しで柔らかい。それでも初対面の人間は大体ビビる。
彼女の目の前には、部室の長机いっぱいに広げられた資料があった。心霊スポットの地図、怪談のスクラップ帳、「月刊ムー」のバックナンバー。その中心に鎮座するノートパソコンの画面には、近隣の廃病院についてのまとめサイトが映っている。
「アオイ、またそれ見てんのか?」
呆れた声の主は、鞍馬カブ。
アオイとは対照的に、ごく普通の——本当にごく普通の男子高校生である。身長はそこそこ、顔立ちはそこそこ、成績もそこそこ。唯一の不幸は、この女の隣の家に生まれたことだった。
「呆れてんじゃないよカブ。見てごらんって。鳴沢廃病院、去年の夏に撮られた写真がまた上がってて——」
「見ない」
「——三階の窓にね、人影が」
「聞いてない」
「しかもこれ、取り壊し予定が延期になったらしくて、まだ行けるんだよ」
「行かない」
カブは自分の定位置——部室の隅に置かれたパイプ椅子に腰を下ろし、鞄から文庫本を取り出した。背表紙には『羅生門・鼻・芋粥』とある。来週の国語のテスト範囲だ。
そう、鞍馬カブはオカルトが嫌いである。
幽霊も、UFOも、UMAも、超常現象も、全部まとめて嫌いである。
なのになぜオカルト研究会にいるかというと——端的に言えば、アオイに引きずり込まれたからだ。去年の春、入学初日に「カブ、部活決まった? 決まってないよね、はい入部届」という暴力的な手際で処理された。抵抗する暇もなかった。十七年の付き合いで学んだことがある。この女に逆らうと、労力に見合わない。
「ねえカブ、今度の週末——」
「勉強」
「まだ何も言ってないんだけど」
「どうせロクなことじゃない」
「ロクなことだよ。フィールドワークだよ」
「オカルトのフィールドワークがロクなことだった試しがない」
アオイは頬を膨らませた。去年の夏に山奥の廃トンネルに連れて行かれ、秋には深夜の神社で百物語をやらされ、冬にはなぜか雪山で雪女を探した。すべてカブにとっては苦行であり、すべてアオイにとっては最高の思い出だった。温度差がすごい。
「そういうとこだよカブ。青春をドブに捨ててるよ」
「お前と一緒にいる時点で青春はとっくにドブの中だ」
——と、そんな、いつも通りの放課後のことだった。
コンコン。
控えめなノックの音が響いた。
「はいはーい、どうぞー」
アオイが間延びした声で応じると、ドアがおそるおそる開いた。
隙間から覗いたのは、大きな丸い目。ショートカットの髪にヘアピンを三つ留めた、小柄な少女だった。制服のリボンの色は——赤。一年生だ。
「あ、あのっ。ここ、オカルト研究会……ですよね?」
「そうだよ! よく来たね!」
アオイの目が、ぱあっと輝いた。
カブは文庫本から顔を上げ、小さくため息をついた。ああ、またか。この顔をしたアオイは止まらない。
「ど、どうも。一年三組の、丹下ボタンです。入部希望で来ました」
「入部希望!」
アオイは椅子から跳ね上がるように立ち上がり、ボタンの両手を握った。ボタンが目を白黒させる。
「うれしい! 去年は見学に来た子みんな逃げちゃったから!」
「逃げ——?」
「アオイが初対面で心霊写真見せたからだろ」
カブの冷静なツッコミを、アオイは華麗に無視した。
「まあまあ座って座って。お茶出すから。あ、コーヒーと紅茶どっちがいい? ウーロン茶もあるよ、神永先生が置いてった——いや、あれはたぶん焼酎が入ってるからやめとこう」
「え、焼酎……?」
「気にしないで。ほら、ここ座って」
ボタンはアオイの勢いに押されるまま、長机の前の椅子に座らされた。紙コップに注がれた紅茶を受け取りながら、きょろきょろと部室を見回す。
壁には日本各地の心霊スポットマップ。棚には怪談本やオカルト雑誌がぎっしり。天井からなぜか御札がぶら下がっている。窓際には正体不明の石が三つ並んでいて、その隣にはカエルのミイラ(レプリカ)が置かれていた。
「……すっごい」
ボタンの目が、きらきらと輝いた。
「めちゃくちゃ本格的じゃないですか!」
「でしょ!」
アオイが胸を張り、カブは再びため息をついた。同じ種類の人間が来た、と直感的に悟った。
「丹下さん、オカルト好きなの?」
「好きです! 大好きです! 小学生の時に読んだ『世界のオカルト辞典』が人生を変えました!」
「わかるー! 私は『日本のオカルト完全ガイド』だった!」
二人の目が合い、火花が散った。ただし、バトルの火花ではない。同志を見つけた歓喜の火花だ。
「ねえ丹下さん、好きなジャンルは? 心霊系? UFO系? UMA系?」
「全部です! でも一番は都市伝説ですね。きさらぎ駅とか、くねくねとか——」
「いいね! 実は今度、鳴沢廃病院に行こうと思ってて——」
「行きたいです!」
「でしょ!?」
カブは文庫本に視線を戻した。『羅生門』の下人が梯子を上るくだりを読みながら、自分もこの梯子から降りたい、と切実に思った。
「——何やら盛り上がっておるな」
ドアが大きく開き、新たな人物が現れた。
神永先生。オカルト研究会の顧問にして、国語科の教師。三十代半ばの女性で、いつもどこか気怠げな雰囲気を纏っている。今日もブラウスの第一ボタンは開いているし、手にはコンビニのアイスコーヒーを持っている。ただし、このコーヒーにウイスキーが入っていないかは誰にもわからない。
「神永先生! 入部希望者です!」
「ほう」
神永先生はボタンを一瞥し、にやりと笑った。
「殊勝なことだ。『蓼食う虫も好き好き』とは言うが、このご時世にオカルト研究会に自ら飛び込んでくるとは、なかなかの物好きだな」
「……蓼食う虫……?」
「人の好みはそれぞれ、ということわざだ。覚えておいて損はないぞ」
なるほど、とボタンが大げさに頷く。神永先生は、教師としての役割を果たせて満足したのか口角が上がっていた。
「それで先生、何か用ですか?」
アオイが訊くと、神永先生は長机の端に腰を預けた。
「いや、様子を見に来ただけだ。新年度だからな。部員数が足りなければ廃部、などという無粋な通達が来ないとも限らん。——で、今の部員数は?」
「えーっと」
アオイが指を折る。
「私、カブ、ユウカ、で、丹下さんが入ってくれたら四人です」
「ユウカ? ああ、吉水か。今日はおらんのか」
「委員会だって言ってました」
「ふむ。四人か。まあ、最低限の体裁は保てるな」
神永先生はアイスコーヒーを一口飲み、ボタンに向き直った。
「丹下、だったか。ひとつ忠告しておく」
「は、はい」
「この部活に入ると、休日が消える。天神根アオイに振り回されて、山に登り、廃墟に潜り、夜の海に立つことになる。覚悟はあるか」
「——はいっ!」
ボタンは即答した。目が輝いている。完全にアオイと同じ目だ。
神永先生はカブの方を見た。無言で肩をすくめるカブを見て先生は小さく笑った。
「鞍馬、お前の苦労が増えそうだな」
「知ってます」
「まあ、『袖振り合うも多生の縁』だ。仲良くやれ」
それだけ言って、神永先生は部室を出て行った。廊下の向こうから「あ、そうだ、来週までに活動計画書出せよー」という声だけが残った。
改めて、アオイがボタンに向き直る。
「それじゃ改めて。ようこそ、オカルト研究会へ!」
アオイが右手を差し出す。ボタンがその手を、今度は自分から握った。
「よろしくお願いします、先輩!」
「うん! 一緒にいっぱい不思議なもの見に行こうね!」
「はいっ!」
「……いっぱいは勘弁してくれ」
カブの小さな抗議は、二人の笑い声にかき消された。
窓の外では、桜がひらひらと散っている。
春の岡琉都高校。オカルト研究会、今年度の活動——開始。
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オカルト研究会の小噺
その日の夜、アオイからカブのスマホに写真が送られてきた。
『今日の部室で撮った集合写真、見て見て! ボタンちゃんの後ろに誰かいない!?』
カブは写真を開き、三秒ほど凝視し、静かにスマホを裏返して枕元に置いて見なかったことにした。
——これが、今年度のオカルト研究会の、最初の怪異の記録である。たぶん。




