4、金糸雀の女将
帝都近郊の古い街、石畳を叩く馬蹄の音が夜の霧に溶けていく。コイヌール公爵シモーヌ将軍は、華美な意匠のない質素なマント、あの頃のようなマントに身を包み、若い副官のフェデリコを伴ってその門をくぐった。
娼館「金糸雀」。三十六年前、そこはもっと湿っぽく、活気のない場所だったはずだ。
扉を開けた瞬間、湿った熱気と、酒、そして数多の男の体臭が混ざり合った、逃げ場のない匂いがシモーヌの鼻を突いた。今ではこの街で最も繁盛している娼館だという。
「あら、おじいちゃん! いい身なりしてるじゃない。お盛んねえ」
酒を運んでいた若い娼婦が、シモーヌの肩を叩いて笑った。
「無礼者、控えろ! このお方は―……」
フェデリコが反射的に剣帯に手をかけるが、シモーヌはその手を手制した。
「……よせ。今はただの客だ」
その時、奥の帳場から、場に不釣り合いなほど高い、しゃがれた笑い声が響いた。
「こらこら、およしよ。おじいさまが怖がってるじゃないか」
酒場の喧騒を割って現れたのは、紫色のドレスを着こなした女だった。豊かな身体を揺らし、首筋には隠しきれない年齢の皺が深く刻まれている。だが、その猫のような瞳の光だけは、シモーヌの記憶にある十六歳の少女のままだった。
シモーヌは、呼吸の仕方を忘れたかのように立ち尽くした。
「いらっしゃい、旦那。私はここの主人。若いのもいいけど、熟れた女がお好みなら、私が特別にご奉仕しましょうか?」
彼女はシモーヌの目の前まで来ると、若い女がするように、男を魅惑するための挑発的な腰のをくねらせ方をした。
「……私を、覚えていますか」
シモーヌの声は、かすれて震えていた。フェデリコはそんなコイヌール公爵の声を聞くのは始めてだった。戦場での声とは全く違う。
ヴィオレッタは少し首を傾げ、至近距離からシモーヌの顔をまじまじと見つめた。
「えーと……誰だい? うちには客が星の数ほど来るからねえ。……ああ、わかった! 三年前に遊んでった貿易商だろ?」
「違う。……三十六年前だ。ここの騎士団にいた、シモーヌだ。君につらい思いをさせた……」
彼女は考え込むそぶりをし、すぐに手を叩いて大笑いした。
「ああ、思い出したわ! シモーヌさんね! もちろん覚えてるわよ。懐かしいわねえ!」
「……本当か」
シモーヌの顔に、安堵と喜びの表情が浮かぶ。
「ああ、そうよ。あんた、あの時言ったじゃない。いつか立派な城を手に入れて、お前を迎えに行くって。結局、一言もなしに逃げちまったけどさ。まあ、男なんてのは種を蒔いたらそれっきり。嘘つきばかりさ!」
シモーヌは愕然とした。彼は、そんなことは一度も言っていない。あの朝、二人は沈黙の中で別れたはずだ。
「ヴィオレッタ、私は……」
「それよりさ、シモーヌさん」
ヴィオレッタはシモーヌの言葉を途中で遮り、彼の胸板を、酒の匂いがする指先でなぞった。
「あんた、私の胸が大好きだったわよねえ。一晩中しゃぶりついて、離さないでさ。今はもう、しわくちゃの干しぶどうみたいになっちまったけど。……それでも、久しぶりに拝んでいくかい? 昔馴染みで割引してやるよ」
「おい、ババア! 言葉を慎め!」
フェデリコの怒声が飛ぶが、ヴィオレッタはそれを聞き流し、周囲の客たちに向かって声を張り上げた。
「聞いておくれ、みんな! このおじいちゃん、昔は威勢のいい騎士様だったんだ。今じゃ立派な公爵様みたいな顔してるけど、ベッドの上じゃ赤ん坊みたいに泣いてたんだよ!」
酒場が下品な爆笑に包まれる。シモーヌは、目の前の女が自分を見ているようでいて、実はその焦点が、背後の空虚な壁だけを射抜いていることに気づいた。彼女が語る思い出は、他の数多の客との記憶を継ぎ接ぎした、ただの安っぽい営業用の台本だった。
三十六年間、氷の中に封じ込めていた聖域が、濁ったドブ川に放り込まれ、泥まみれになっていく。




