2、皇帝の怒り
皇宮の石造りの回廊は、冷え切っていた。 窓の外では、細かな雪が庭園の木々を白く縁取っている。
皇帝ジュゼッペは、ビロードのカーテンを乱暴に引き開けた。金具の擦れる高い音が、応接間に響く。足元の絨毯は、踏みしめるたびに足首まで沈み込んだが、その感触も今の皇帝を苛立たせる材料に過ぎなかった。
「……で、チリッロは今、どこで何をしている」
皇帝の背中は、暖炉の火に照らされて微かに震えていた。背後に控える侍従武官は、手にした報告書の紙端を指先で弄り、乾燥した喉を鳴らした。
「はっ。ワプティアの……その、湿地帯の縁で。後退したまま、戦線の立て直しを……」
皇帝は振り向かなかった。 大公国の未完成の城砦群、フリーデリケ・ラインが、帝国の精鋭の騎士団の攻撃をはじき返している。国外で発行される新聞には、大公国の騎士たちが負傷兵をかばって戦う挿絵が踊り、帝国の軍旗はぬかるみに捨てられていた。昨夜の晩餐会で、ゴニアタイトの外交官が浮かべた薄ら笑いが、皇帝の脳裏にこびりついて離れない。
「昨日、届いた。新聞だ」
皇帝が暖炉のそばの机を指した。そこにはインクの匂いがまだ残る紙面が投げ出されている。「大公国の勇気」という見出しが、赤々と燃える炎に照らされていた。国内の新聞は秘密警察長官ラウロの統制で、帝国軍有利の報道がなされているが、国外の新聞は真実をとらえていた。
「陛下、これはその、外国勢力の煽動でして。戦況そのものは、物量で押し切れば……」
「黙れ」
皇帝がようやく振り返った。その顔は、怒りというよりは、深い拒絶の色に染まっていた。
「チリッロから、指揮杖を取り上げろ。……あと、あの、作戦案を出した幕僚たち。名前を控えてあったな」
「は、はい」
「全員、階級を剥ぎ取れ。明日の朝までにだ。……寒いな、この部屋は。火をもっと焚けと言ったはずだ」
皇帝は、自分の指先が白くなっているのを眺めた。帝国軍は東方の新興国に敗れたとは言え、あれは局地戦だった。父皇帝の敗北を糧として、軍の強化を図ってきた、大規模な粛清までした。なのに、あんな小国に……。
いたずらに、大公国総司令官フリーデリケ公女の名を高からしめてしまった。帝国騎士団の無敵という評価が音を立てて崩れた。
侍従武官が退出したあとも、皇帝は暖炉の前に立ち尽くしていた。パチリ、と薪が弾ける音がして、火の粉が暗い石の床に落ちて消えた。
これからは、ただの局地戦ではない。 皇帝は、自分の首筋を這う冷気を追い払うように、分厚い毛皮の襟を強く掴んだ。 大公国という石塊を、粉々に噛み砕くための、もっと硬く、もっと冷たい将帥が必要だった。




